
患者さんから今日の予約変更の連絡が入った。子供が学校で熱を出して、これから迎えに行くことになったそうだ。自分も腰が痛いのに、そんなことはいっていられない。お母さんはたいへんだ。
予約表を見ると、今日の午後が丸々空いている。久々の午後休だ。私には定休日などないので、患者さんからの予約次第でこうやって唐突に休みになる。
せっかく晴れているから、高円寺まで歩いてみようかナ。車で移動していたころの土地勘と、野生の勘が頼りの遠出である。迷うこともあるけれど、急いでいるわけじゃないから、まっすぐ行けばいいものではない。そういうお散歩だ。
ペットボトルに水をつめて、いつものリュックを背負って、ポクポク歩いていく。渋谷から代々木八幡へ抜けて、中野富士見町まで来た。このあたりで神田川をまたぐことになる。見当をつけて橋を渡っていると、電話がかかってきた。連載している月刊誌の編集長からだ。
なんだろう。いつもはメールのやり取りなので、電話なんかかかってきたことはない。ちょっと胸騒ぎがする。
「実は先生にお願いしている連載が、今月で打ち切りになりまして」
「え、なんで!?」
予想外の内容におどろいて、思わずタメグチになってしまった。
「24回のお約束でしたよね、それがどうして21回で打ち切りなんですかッ?」
つい語気が強まった。こんな急に連載中止だなんて、ワケがわからない。私がいくら理由を聞いても、彼の歯切れは悪かった。「編集会議で決まったことなので」とくり返して、話は終わった。
この雑誌には、「アシンメトリー現象」の特徴を毎月1項目ずつ載せていた。連載当初は編集長も乗り気だったから、見開き2ページでちゃんとプロのイラストレーターまで付けてくれていたのだ。読者からの評判も悪くないと聞いていた。
「それなのになぜ?」
どうにも腑に落ちないが、彼を責めても仕方がない。納得するしかないのだろう。いや、これまで掲載してもらったことのほうに、感謝すべきなのかもしれない。人生は思い替えが大事なのである。ふぅ。
それからしばらくたってから、たまたまこの雑誌の関係者に会う機会があった。彼は「ここだけの話」と前置きして、どうやら私の連載内容が、踏み込んではいけない領域に触れていたらしいと教えてくれた。
医師以外の人間が、医療批判的なことを書くのはタブーである。特にこの雑誌は、ある監督官庁ともつながりが深いので、なおさら中止せざるを得なかったそうだ。
しかし私は全く医療批判などしていない。そんなことを書いたつもりもないし、書くつもりもなかった。ただただ、私が発見した人体の「アシンメトリー現象」の存在を、多くの人に知ってもらいたい一心だったのだ。
どの業界にもタブーはある。知り合いのテレビディレクターが、テレビ業界には踏み込んではいけない領域がいくつもあって、そこにちょっとでも触れてしまうと、番組なんかすぐ打ち切りになると話していた。きっと医学界も同じなのだろう。
特に医学界はエグイと聞いたこともあった。「がんもどき理論」で有名な慶應義塾大学医学部の近藤誠先生も、かなりひどい弾圧を受けていた。
彼は著書で、がんには本物のがんと、がんに似たがんもどきとがあって、本物のがんは治療しても治らないし、それががんもどきなら、治療しなくても死なない。だから、どっちにしてもがんの治療はムダだと書いて、大ヒットした。
案の定、「がんもどき理論」は、医学界から総スカンを食った。医学の常識を全面的に否定するものだったので、今でも徹底的に批判されつづけている。医療批判は、医師がやってもダメなものなのだ。
それでも彼の出す本は、ことごとくベストセラーになっている。医学界からどれほど批判されても、職場で全く昇進できなくても、彼は自説を曲げようとはしない。出版社だってしっかり彼を後押ししている。それもこれも、ベストセラーの威力あらばこそだろう。
一方、私には権威や後ろ盾どころか資格すらない。治療家と自称することさえ許されない民間の療法家にすぎないから、アッという間に吹き飛ばされて終わってしまった。
終わったといっても、これが大昔だったら、生き埋めか火あぶりにでもされたかもしれない。そう思うと、連載中止ぐらいですんだのは幸いだったのだ。
それにしても、近藤先生の「がんもどき理論」はおもしろい。私も、がんと診断された人を診ていると、「この人って本当にがんなの?」と思うような体の人がいて、首をひねることがある。
ふつう、がん患者の体には、「アシンメトリー現象」がクッキリと現れているものなのに、がんと診断されていても、「アシンメトリー現象」が全く出ていない人がたまにいる。あれは、がんもどきだったのだろうか。
興味が深まった私は、近藤先生の本だけでなく、彼の理論に対する批判本の類も一通り読んでみた。
ベストセラー本の批判をした本も、そこそこ売れるから出したがる人は多い。「柳の下の二匹目のどじょう」を狙う出版社にも好都合だ。理論がどうこうよりも、出版社としては、話題になって売れればいいのである。
では、「がんもどき理論」の批判ポイントとは何だろう。「がんの治療など一切不要だ」とする点はもちろんだが、がんとがんもどきをどうやって区別するのか。そこも大きな批判の対象になっている。
批判する側は、両者には遺伝子のちがいがないのだから、がんもどきなど存在しないと考える。たしかに、がんとがんもどきのちがいは転移するかしないかだけなので、まだ転移していない初期のがんでは、近藤先生だって判別できない。
しかしここで、「アシンメトリー現象」が現れているかどうかを、判断基準に加えたらどうなるか。
「アシンメトリー現象」が出ていれば、そのがんは本物のがんだ。出ていなければ、それはがんではない可能性がある。もしこれが正しかったら、「がんもどき理論」のウイークポイントを補完できるのではないか。
そうはいっても、仮に私がそんなことを発表したら、本当に火あぶりになりそうだ。私は近藤先生ほど肝が座っていないので、医学界に真っ向から楯つくほどの勇気はない。
でも、「アシンメトリー現象」の有無が、がんの診断に役立ちそうな点には、かなりの自信がある。もう少し「アシンメトリー現象」の研究を進めて、しっかりとデータにまとめることができたら、そのとき近藤先生に会いに行こう。(つづく)







