小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:ドキュメンタリー小説

159
患者さんから今日の予約変更の連絡が入った。子供が学校で熱を出して、これから迎えに行くことになったそうだ。自分も腰が痛いのに、そんなことはいっていられない。お母さんはたいへんだ。

予約表を見ると、今日の午後が丸々空いている。久々の午後休だ。私には定休日などないので、患者さんからの予約次第でこうやって唐突に休みになる。

せっかく晴れているから、高円寺まで歩いてみようかナ。車で移動していたころの土地勘と、野生の勘が頼りの遠出である。迷うこともあるけれど、急いでいるわけじゃないから、まっすぐ行けばいいものではない。そういうお散歩だ。

ペットボトルに水をつめて、いつものリュックを背負って、ポクポク歩いていく。渋谷から代々木八幡へ抜けて、中野富士見町まで来た。このあたりで神田川をまたぐことになる。見当をつけて橋を渡っていると、電話がかかってきた。連載している月刊誌の編集長からだ。

なんだろう。いつもはメールのやり取りなので、電話なんかかかってきたことはない。ちょっと胸騒ぎがする。

「実は先生にお願いしている連載が、今月で打ち切りになりまして」
「え、なんで!?」

予想外の内容におどろいて、思わずタメグチになってしまった。

「24回のお約束でしたよね、それがどうして21回で打ち切りなんですかッ?」

つい語気が強まった。こんな急に連載中止だなんて、ワケがわからない。私がいくら理由を聞いても、彼の歯切れは悪かった。「編集会議で決まったことなので」とくり返して、話は終わった。

この雑誌には、「アシンメトリー現象」の特徴を毎月1項目ずつ載せていた。連載当初は編集長も乗り気だったから、見開き2ページでちゃんとプロのイラストレーターまで付けてくれていたのだ。読者からの評判も悪くないと聞いていた。

「それなのになぜ?」

どうにも腑に落ちないが、彼を責めても仕方がない。納得するしかないのだろう。いや、これまで掲載してもらったことのほうに、感謝すべきなのかもしれない。人生は思い替えが大事なのである。ふぅ。

それからしばらくたってから、たまたまこの雑誌の関係者に会う機会があった。彼は「ここだけの話」と前置きして、どうやら私の連載内容が、踏み込んではいけない領域に触れていたらしいと教えてくれた。

医師以外の人間が、医療批判的なことを書くのはタブーである。特にこの雑誌は、ある監督官庁ともつながりが深いので、なおさら中止せざるを得なかったそうだ。

しかし私は全く医療批判などしていない。そんなことを書いたつもりもないし、書くつもりもなかった。ただただ、私が発見した人体の「アシンメトリー現象」の存在を、多くの人に知ってもらいたい一心だったのだ。

どの業界にもタブーはある。知り合いのテレビディレクターが、テレビ業界には踏み込んではいけない領域がいくつもあって、そこにちょっとでも触れてしまうと、番組なんかすぐ打ち切りになると話していた。きっと医学界も同じなのだろう。

特に医学界はエグイと聞いたこともあった。「がんもどき理論」で有名な慶應義塾大学医学部の近藤誠先生も、かなりひどい弾圧を受けていた。

彼は著書で、がんには本物のがんと、がんに似たがんもどきとがあって、本物のがんは治療しても治らないし、それががんもどきなら、治療しなくても死なない。だから、どっちにしてもがんの治療はムダだと書いて、大ヒットした。

案の定、「がんもどき理論」は、医学界から総スカンを食った。医学の常識を全面的に否定するものだったので、今でも徹底的に批判されつづけている。医療批判は、医師がやってもダメなものなのだ。

それでも彼の出す本は、ことごとくベストセラーになっている。医学界からどれほど批判されても、職場で全く昇進できなくても、彼は自説を曲げようとはしない。出版社だってしっかり彼を後押ししている。それもこれも、ベストセラーの威力あらばこそだろう。

一方、私には権威や後ろ盾どころか資格すらない。治療家と自称することさえ許されない民間の療法家にすぎないから、アッという間に吹き飛ばされて終わってしまった。

終わったといっても、これが大昔だったら、生き埋めか火あぶりにでもされたかもしれない。そう思うと、連載中止ぐらいですんだのは幸いだったのだ。

それにしても、近藤先生の「がんもどき理論」はおもしろい。私も、がんと診断された人を診ていると、「この人って本当にがんなの?」と思うような体の人がいて、首をひねることがある。

ふつう、がん患者の体には、「アシンメトリー現象」がクッキリと現れているものなのに、がんと診断されていても、「アシンメトリー現象」が全く出ていない人がたまにいる。あれは、がんもどきだったのだろうか。

興味が深まった私は、近藤先生の本だけでなく、彼の理論に対する批判本の類も一通り読んでみた。

ベストセラー本の批判をした本も、そこそこ売れるから出したがる人は多い。「柳の下の二匹目のどじょう」を狙う出版社にも好都合だ。理論がどうこうよりも、出版社としては、話題になって売れればいいのである。

では、「がんもどき理論」の批判ポイントとは何だろう。「がんの治療など一切不要だ」とする点はもちろんだが、がんとがんもどきをどうやって区別するのか。そこも大きな批判の対象になっている。

批判する側は、両者には遺伝子のちがいがないのだから、がんもどきなど存在しないと考える。たしかに、がんとがんもどきのちがいは転移するかしないかだけなので、まだ転移していない初期のがんでは、近藤先生だって判別できない。

しかしここで、「アシンメトリー現象」が現れているかどうかを、判断基準に加えたらどうなるか。

「アシンメトリー現象」が出ていれば、そのがんは本物のがんだ。出ていなければ、それはがんではない可能性がある。もしこれが正しかったら、「がんもどき理論」のウイークポイントを補完できるのではないか。

そうはいっても、仮に私がそんなことを発表したら、本当に火あぶりになりそうだ。私は近藤先生ほど肝が座っていないので、医学界に真っ向から楯つくほどの勇気はない。

でも、「アシンメトリー現象」の有無が、がんの診断に役立ちそうな点には、かなりの自信がある。もう少し「アシンメトリー現象」の研究を進めて、しっかりとデータにまとめることができたら、そのとき近藤先生に会いに行こう。(つづく)

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114
「やんだタマゲたな~。急にナニいうだぁ~♪」

私の頭のなかで、オヨネーズの名曲「麦畑」が鳴り響いている。整体学校の大外先生から、出し抜けに「師匠、私を一番弟子にしてください」といわれた私は、いきなりプロポーズされた女性みたいにタマゲてしまった。

大外先生は、この整体学校で私が初めて教わった先生である。業界でのキャリアも長いプロ中のプロだから、どう見たって私のほうが弟子なのだ。そんな人から師匠などと呼ばれたら、何とも居心地が悪い。「まあ、師匠だ弟子だなんて堅苦しいことはいわずに、一緒に研究してくださいヨ」といって落ち着いた。

それにしても、私の発見した現象が特別なことだと即座に理解してくれたのが、大外先生のスゴイところである。

私はこれまでどれだけ多くの人たちに、この現象のことを伝えてきただろうか。そのなかには医学界の権威といわれている人もいた。ところがいっしょうけんめい伝えても、実際に自分の目で確かめてくれる人は少ない。それを確認した人からも全く反応がない。何も見なかったかのように、ふしぎなほど無反応なのである。

私は、この現象の存在が一般的に知られるようになれば、多くの人の役に立つと確信している。だからこそ必死に訴えてきたのだが、この重要性が全く伝わらない。逆に、私が何か売り込もうとしていると勘違いして、あからさまに不快感を示す人までいた。

そんなお寒い状況のなか、格下の私ごときの弟子になってでも、このことを知りたい、極めたいといってくれた人は大外先生が初めてだった。これに感激しないわけがない。

ひょっとして、これまではたまたまハズレくじばかり引いてきただけで、世のなかには、まだまだ当たりくじがひそんでいるのだろうか。にわかに希望の灯がともって、期待で胸がふくらむ。

私がまたしても妄想に没入していると、大外先生はそばにいる生徒の一人に目をやった。先生が「ヤマガタくん、どうした?」と声をかけると、「ちょっと腰が」といって、彼は腰をかがめてつらそうにしている。それを見た大外先生は、私に向かって「師匠、お願いしますッ」といって頭を下げた。

山形くんは1年ほど前に交通事故に遭って以来、腰痛に悩まされているそうだ。こうやって整体の学校に通っているのも、半分は自分の腰痛治療が目的らしい。

これまた私には普及のチャンスである。再度、教室のみんなに集まってもらうと、腰痛の原因になっている「背骨のズレ」についての説明を始めた。

この「背骨のズレ」も、脊柱起立筋の左側の盛り上がりと同じく、人体にとって重大な現象なのである。背骨がズレること自体は、民間療法の世界では大昔からだれでも知っている。しかし「背骨は左にしかズレない」ことは、まだだれにも知られていないのだ。

起立筋と背骨に現れるこの2つの現象は、私は大発見だと思っている。ところが、それぞれが別個の現象でも、「左」というキーワードが共通しているせいで、どうも混同されやすいのが悩みのタネだった。

起立筋の左側が異常に盛り上がっていることは、がんなどの重大疾患に関係している。一方、背骨が左へズレると、これは腰痛の原因となる。この2つをごっちゃにすると、「背骨がズレると、腰痛からがんにいたるまで万病の元になる」という、いかにも眉唾な話になってしまう。

しかし一般的には、そういう単純な説明のほうが伝わりやすい。しかもインパクトが強くて受けがいい。だが、それではこの現象の重大性や信憑性が、完全にぼやけてしまうのだ。

私は科学としての信憑性を重視したいので、できるだけ分けて説明してきた。それでもやっぱり最後にはいっしょくたにされる。金太郎と桃太郎の物語をつづけて聞いたら、聞いた人の頭のなかでは、金太郎がまさかりで鬼退治した話になってしまうようだ。

この2つの現象でもっとも重要なのは、そこに規則性がある点だ。規則性がある現象の発見は、科学の最大のテーマのはずである。科学から遠い世界の美術家だった私にも、それは常識だった。だから科学の分野の人たちには、特にこの規則性の部分を強調して説明してきたのだ。

ところが私の説明では、どうもピンと来てくれる人がいない。あるときなど、知り合いの医師に私が発見した規則性の話をしたら、かなり真剣に耳を傾けてくれた。理解してくれたのかと思ってさらに熱を入れて説明したら、最後の最後になって「ヘー、東洋医学ではそういう考え方もあるんだ」といわれてしまった。

あのときはさすがにガックリ来た。自分が学校で習った医学の教科書には出ていなかったから、科学の外の話として処理したかったのだろう。新しい現象の話は、聞く人の頭に引き出しがないと伝わらないというが、その引き出しを作ってもらうには、一体どうしたらいいのだろう。(つづく)
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113
がん患者には、左側の脊柱起立筋が異常なほど固く緊張している人が多い。起立筋だけではなく、左半身の知覚はことごとく鈍くなっている。そんな状態では、どんなに力を入れてもんでも叩いても、ビクともしないのである。

ところがある特定の神経をねらって、指で軽く刺激しつづけていると、突然、知覚が変化する。昔はテレビが映らなくなったら、横からポンポンと叩くと急に映りだすことがあった。電気の接触不良が、外からの軽い刺激で直ったのだろうか。私の手技も、原理としてはそれに似ている。

しかしこの刺激は、相手によっては全く通用しないこともあった。まだまだ私の技術は完成していないのである。だが、だれも知らなかった現象なのだから、これから改善していけばいい。そのためにも、この技を整体学校で紹介する機会があってよかった。

ここまで体験モデルをやってくれた加納先生にお礼をいうと、今度は私の体を使って、大外先生にもこの刺激をやってみてもらうことにした。

私はこの手技を神経刺激と呼んでいる。神経刺激のやり方は、筋肉と筋肉の間に親指の先を軽く当てていくだけだ。やることはかんたんでも、刺激するポイントを見つけるのがちょっとむずかしい。そのねらい方を一通り説明する。

説明が終わると、周りで見ていた人たちも、それぞれがペアになってチャレンジし始めた。するといきなり受け手の人たちから、「ギャーッ、ヒィ~~ッ」という悲鳴が上がり始めた。軽く触れるだけで十分だといったのに、みな「これでもかっ」というほど強い力でグイグイ押している。それでは単に相手の体を痛めつけているだけだ。

実はこの業界は体力自慢の人ばかりで、いろいろな格闘技を身に着けている人も多い。なかにはプロの格闘家までいる。彼らは相手の体を治すよりも、破壊することに長けている。しかも相手が痛がれば痛がるほど、エキサイトしてしまう傾向があるのだ。

そんな人たち相手に、今日の教え方では非常にまずかった。これが職人の世界なら、弟子は親方の技を見て盗むものだ。手取り足取り教えられたからといって、それで習得できるものではない。しかしわれわれは体を扱うのだから、もっと事前に注意すべきだった。

職人といえば、特殊美術の仕事でディズニーランドのスプラッシュ・マウンテン用の岩壁を造ったことがあった。鉄筋と金網で大まかな造形をし、その上からモルタルで仕上げて岩壁風にするのだ。

そのモルタル仕上げのために、私は大勢の左官職人に集まってもらった。ところが彼らは、モルタルでキチッと真っ平に仕上げる技はあっても、不定形は苦手だ。ゴツゴツした岩のように仕上げた経験がない。それどころか、そういう雑な仕事は、職人としてやりたがらないのである。これには困った。

一方、アメリカの本家ディズニーランドでは、モルタルで岩を作る作業がちゃんとマニュアル化されている。だから職人としての経験などなくても、素人でもできる。それを聞いた私は、急いで美術系の人を集めて何とかオープンに間に合わせた。

それなら私が編み出したこの手技だって、しっかりとマニュアル化すれば素人でもできるようになるはずだ。それが完成すれば、プロに施術してもらわなくても、家族や友人同士で事足りるようになる。

そもそも自分の体のメンテナンスは、自分や家族の手でできるようになるのが理想だろう。それこそが民間療法の本質ではなかろうか。そう思いついたら、なんだかこれから進むべき道が見えてきたようでうれしくなった。

そんな未来を妄想してウットリしていたら、「師匠!」とだれかが私の耳元で叫んだ。おどろいて振り向くと、そこには目をキラキラさせた大外先生が立っていた。そして「私を一番弟子にしてくだサイッ」といったのだった。(つづく)

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112
沖縄から帰った私は、久しぶりに池袋の整体学校に行ってみた。さわやかな潮風でリフレッシュしたばかりの私には、この場末感が漂う雑居ビルのたたずまいが、ある意味とても新鮮だ。

ギギギィーッと建付けの悪いドアを開けると、そこには大外先生をはじめ、いつものメンバーがそろっていた。室内は相変わらず雑然としている。この色気のなさが妙に落ち着く。とっ散らかった実家の居間に似た安心感があるのだ。

沖縄みやげの「ちんすこう」を差し出すと、みなワッと集まってきて食べ始めた。大外先生はすばやく2個目を口に放り込むと、私のほうに向き直って「で、最近どうヨ?」と聞いてきた。私がしばらくぶりに顔を出したからには、何か新しい情報があると気づいているのだ。

そこで、がん患者たちの体で発見した、例の現象について話し始めた。がん患者はみな脊柱起立筋の左側だけが異様に盛り上がっていて、体の感覚も左側だけひどく鈍くなっていることだ。

それだけではない。私が新しく開発した手技で刺激すると、その起立筋の盛り上がりが消える。しまいには、がんまで消えてしまったという話なのである。

こんな話はだれにでもいえることではない。私には何人ものがんが消えた実感があったが、まだこれには科学的な裏づけがない。ましてがん患者さんを相手にこんなことをいって、妙な期待をさせてもいけない。だからこの話を人に聞いてもらう機会はあまりなかった。

もちろんお医者さんにだけは、これまで何人にもこの話をしてきた。ところがなぜこんな現象が起こるのか、だれもはっきりとは説明してくれない。それどころかせっかくの大発見なのに、この異常な現象に興味をもってくれる人さえいなかったのだ。

しかし整体の先生なら、毎日大勢の人の体に直接手で触れているから、感覚的には理解しやすいはずだ。大外先生ならわかってくれるかもしれない。そう期待しながら、この発見について熱を込めて話した。

ふと気づくと、整体の練習をしていた生徒たちが寄ってきて、私の話を興味深げに聞いている。これは理解者を増やすチャンスだから、具体例を見てもらったほうがいいかもしれない。

見回すと、大外先生の後ろでまだちんすこうをモグモグしている加納先生と目が合った。ちょうどいい。彼も大外先生と同じでこの学校の指導員だ。生徒から施術を受けることには慣れているので、彼に体を貸してもらおう。

ちんすこうの恩があるから、加納先生も「ノー」とはいえない。早速うつ伏せになってもらうと、これまた都合がよいことに、彼の起立筋はしっかりと左側だけが盛り上がっていた。

「ホラ、これですよ、これ」と私が指差すと、大外先生が業界人っぽい口調で、「加納ちゃ~ん、やっちまったな~」といって、彼ががんだと決めつけた。いきなりのことで、加納先生がおびえた目をして私を見上げた。

あわてて、「イヤ、左の起立筋が盛り上がっているからって、それだけでがんがあるわけじゃないですよ」と説明しても、時すでに遅しだった。もうみなの思い込みはゆらがない。私はますます焦ったが、これがこの話の怖いところなのである。

「がん」という言葉をつかうと、その響きが独り歩きして、聞いた人の意識の深いところに入ってしまうのだ。案の定、加納先生も突然がんの宣告を受けたみたいに不安がっている。だが今日は仕方がない。「がんじゃないですよ。大丈夫ですよ」とくり返しながら、私は説明をつづけた。

まずは、見ている人たちにもわかるように、彼の左右の起立筋を私が親指で左右同時に押してみせる。やはり加納先生は、右よりも左の起立筋のほうが、感覚が鈍くなっている。

しかしうつ伏せになっているから、彼には私が何をやっているかは見えない。左側は、私の押す力が弱いのだと感じているようだった。だが横で見ている人たちには、同じぐらいの力だとわかる。

この左右の感覚のちがいを確認したところで、いよいよ私が開発した例の手技で刺激を加えてみせる。肩や背中など何か所かの特定の神経をねらって、親指でリズミカルに刺激していくのだ。

その様子を見た人から、ギターか何かを弾いているみたいだといわれたことがあった。たしかに親指をバチに見立てれば、三味線を弾いている姿に似ているかもしれない。

そうやってベンベンベ~ンと弾いていると、まもなく彼の体が変化してきた。その感触の変化が私の指先に伝わってくる。それと同時に「イタ、イタ、イタタ~ッ」と彼は声を上げて体をよじり始めた。

やはりがんがある人に比べると、刺激に対する反応が出るのがすこぶる早い。これなら加納先生の体に大した問題はなさそうだ。

この刺激は、指先で軽く触れる程度のものでしかない。彼が痛がり始める前と後とで、力の加減は変えていない。それなのにこのあまりの変化の激しさに、大外先生やまわりの人たちもえらくおどろいている。

次に、あえて人差し指だけで体中をあちこちツンツンと軽く突いてみせる。すると、ツンと突くごとに加納先生が「イタッ」と身をよじる。ツンと突くと「イタッ」、ツンと突くと「イタタッ」の連続だ。

これを見ていた大外先生が、横から手を出して私と同じように突いてみる。やっぱり同じように加納先生が痛がる。それに釣られてまわりの人たちも、珍しいおもちゃでも見つけたように一斉につつき始めた。

日ごろからいじられ役の加納先生には災難だったが、この刺激は体にとってはいいはずだから、きっと今晩はよく眠れるだろう。そうこうするうちに、あれだけ盛り上がっていた彼の左の起立筋は、もうかなりへこんできたのだった。(つづく)

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104
 人というのは、話し上手と話し下手の2つのタイプに分けられる。さしずめ私は話し下手タイプなのか、善意でいったつもりでも、逆に悪意だととられてしまうことがよくある。もちろん話すときだけでなく、話の聞き方にも明らかに上手な人と下手な人がいる。

医療の現場でいえば、お医者さんは話し下手で、人の話を聞くのも苦手な人が多いようだ。その一方で、患者さんは医学用語になじみがない分、圧倒的に聞き下手にならざるをえない。横から看護師さんがフォローしてくれなければ、全く会話が成り立っていない場面はよくある。

実際のところ、ふだんは話し上手で聞き上手な人でも、いざ患者になると、いきなり話し下手で聞き下手のベタベタ人間になってしまうことは少なくない。歯肉がんだと宣告された高木さんも、その典型だろう。

大手広告代理店に勤めている高木さんは、クライアントにプレゼンするときにはかなりの話し上手で知られている。しかも社内では聞き上手なので、上からも下からも慕われる存在だ。知的で明るい性格と相まって、社内外からの人望も厚い。

そんな彼でも、病院でがんだと診断された途端、話すのも聞くのも下手なベタベタ人間になってしまったのだ。それほど、がんの宣告から受ける衝撃は大きいのだろう。

本来の高木さんは、権威的なものに対しては強く反発するタイプだった。しかし今回は、医師という権威を前にして、従順な良い患者になろうとしている。

いきなり歯肉がんだと診断されても、それを1ミリも疑うことなく、いわれるがままに手術を受けようとしている。あごを切り取ってしまうほどのハードな手術にも、ためらいすらない。完全に医師の診断を信じ切っているのだ。

ところがその医師の診断でも、彼のがんはまだ前がん状態なのである。前がん状態なんて、一般の人には聞き慣れない言葉だろう。私だってほとんど耳にしたことはないから、くわしく説明しろといわれても困る。ただはっきりといえるのは、「がんと前がん状態とはちがう」ということなのだ。

前がん状態といっても、がんのできた部位によって、言葉が意味する状態はちがってくるらしい。歯肉がんの場合は、前がん状態といえば他のがんよりもがんに近い状態で、将来的にがん化する確率が高いようだ。

では、その前がん状態とやらのうち、どの程度ががん化するものなのか。そこが重要なポイントのはずだが、これもはっきりとはしていない。私はこの点にも納得がいかなかった。

しかもその医師が、あえて前がん状態だと説明したからには、彼のがんは黒に近い灰色よりも、限りなく白に近い灰色なのだろう。ひょっとしたらがんじゃないかもしれない。それならなおさら、セカンドオピニオンを受けるべきだろう。

セカンドオピニオンとは、最初に診断された病院とは別の病院で、改めてがんかどうかを診断してもらうシステムだ。これは裁判の再審制度に似ている。よほどの重大犯罪でも、二審で判決がくつがえって無罪になったり、刑が軽くなったりするのと同じである。

そもそもがんの診断の根拠にはあいまいな部分も多いので、別の医師に診てもらえば、がんではないと診断されることは珍しくない。仮にがんであることにまちがいがなくても、治療方法のちがいによって、患者の負担が大いに軽減される例も多い。

いずれにしても、医者でもない人間があれこれ考えてもしようがないだろう。そこでこんなときに頼れるお医者さんといえば、あの歯科医の山田先生だ。確か、山田先生の弟さんは大学病院勤務の口腔外科医だったはずだ。これほど好都合なことはない。思わず鼻が広がって鼻息まで荒くなってきた。

私は勇んで山田先生に電話をかけた。呼び出し音が鳴っている間、チラリと高木さんに目をやると、そこには何の変化もなかった。予想に反して、彼の表情は暗いままなのである。アレ?これはどうしたことだろう。

「モシモーシッ!」
暗い空気を吹き飛ばすようにして、山田先生の明るい声が耳に響いてきた。その響きに乗って、私は一気に高木さんのいきさつを伝えた。すると即座に、「そりゃ絶対セカンドオピニオンよ~!」と迷いのない答えが返ってきた。

つづけて「じゃ、弟に連絡してみるネ」とすぐさま段取りがついた。相変わらずの反応の良さに、気分が高揚してくる。横で聞いていた寺山さんの顔にも、血の気が戻ってきた。もうすぐにでも一杯やりたそうで、ソワソワし始めている。

ところが肝心の高木さんだけは、まだ全く表情に変化がない。私たちが感じている希望の光なんぞ、彼の心にはこれっぽっちも届いていないようだ。私にはそれがちょっと気がかりなのだった。(つづく)

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