小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:ネパール

*小説『ザ・民間療法』全目次を見る 小説『ザ・民間療法』挿し絵027

インドから帰国してしばらくたつというのに、私にはまだ住む家がない。あいかわらず友人たちの家を転々とする暮らしが続いていた。今どき、いそうろうなんてメイワクだろうと思うが、どこの家でもごちそうを用意してもてなしてくれる。

学生時代に、地方出身の友人の実家を泊まり歩いていたころを思い出す。われながら、ずうずうしいとはこういうヤツのことだと思う。しかしそんな心づくしのごちそうのおかげで、少しずつ食欲が回復し、インド暮らしで失った体重とともに、本来の体力ももどってきた。

そこでささやかではあるが、お礼として今までの治療法に加えて、インドで覚えたオイルマッサージを披露してみた。するとみなたいそう喜んで、口々に「プロになったらいいのに」といってくれるのだ。

半分お世辞なのはわかっている。それでも内心では、これを生業にできたらいいなと思い始めていた。もちろんお金をもらうとなると、ちゃんとそれなりの勉強をしなければいけないはずだ。そんなことを考えていると、インドで別れた友人たちのことが頭をよぎった。

みんなどうしているだろう。あのときのメンバーのうち二人は、一旦帰国したあと日本での生活をすべて捨てて、ネパールに移住してしまったらしい。その話を人づてに聞いて、あれがきっかけだなと思える出来事を思い出した。

インドに行くとき、私たちは最初にネパールに飛んでからインドに入った。その際、メンバーの一人に連れられて、ネパールの首都であるカトマンズから、車で1時間ほどのところにある孤児院を訪問したのである。

かわいそうな子供たちのために、学用品の一つでも贈りたいと思って出かけたのだ。だがいざ着いてみると、私たちが目にしたのは、身なりこそみすぼらしいが、まばゆいばかりの笑顔に包まれた子供たちの姿だった。その輝きは、徳の高い聖人の一団にでも会ったような衝撃だった。

もともと子供が苦手な私でさえ、子供たちの笑顔に引き込まれ、夢中になって彼らといっしょに遊んだ。友人たちもその世界に完全に魅了されていた。まちがいない。あの体験が彼らをネパール移住へといざなったのである。

そうして彼らは日本での仕事を捨て、ボランティア活動に入っていった。私だって、あの後オーロビルに行っていなければ、彼らと行動を共にしていたかもしれない。

ふと気になって、仲間の一人だったヒロコさんにも連絡してみた。だが、なんだか電話口の声が変である。私より一回り上の50代だが、はじけるように快活な姿が印象的な女性だったのだ。それなのに、電話口から聞こえてくる声は、あまりにも弱々しいのである。

聞けば、帰国後に胃がんが見つかって手術までしたが、すでに末期だからダメらしい。治療としてはもう打つ手もないので、家で療養しているのだという。

あわてて彼女の家に向かう。京王線の駅を降りてしばらく歩くと、落ち着いた感じの住宅街にヒロコさんの家があった。ドアの前で深く息を吐いてから呼び鈴を押す。しばらくしてドアを開けてくれたのは、いっしょに暮らしているご主人だった。

案内された部屋に入ると、そこにはやつれ果てて、肩でやっと息をしている彼女の姿があった。そんな状態でも、私の姿を見るとなんとか笑顔を見せようとしてくれる。そのしぐささえ、体に負担が大きいようで痛々しい。

こんなときにどんな言葉をかけたらいいんだろう。この場にふさわしい言葉など何も浮かんでこない。浮かぶ言葉のすべてが空疎に感じられる。どうにかして励ましてあげたい。言葉にならないこの気持ちを、手でも握って伝えたい。しかし年が一回りも離れているとはいえ、ご主人が見ている前ではそれもはばかられた。

行き場のない手のひらを、そのまま彼女の手術したお腹にそっと当ててみる。するとヒロコさんは一言、「あったかい」とつぶやいた。そして消え入りそうな声で、「私、なんだか死なない気がする」といった。

それが今の心境なのだろう。もともと彼女は、あの世があることに確信をもっていると話していた。魂は永遠なのだから、死の恐怖ももっていないようだ。

だけど私は、そうかんたんにあの世になど行ってほしくない。それが正直な気持ちだったが、それを伝えることも酷な気がした。長居しても負担になるだろう。何もできない強いもどかしさを抱えたまま、「それじゃ、また…」といって私は部屋を後にした。

それから2日が過ぎたころ、ご家族から「逝っちゃった」と連絡があった。あのヒロコさんが死んだのだ。その現実を受け止め切れないまま、私はまた京王線に乗って葬儀場へと向かった。棺のなかに横たわる彼女の安らかな顔を目にしても、私には実感がない。

「人って本当に死ぬんだな」

そんなまぬけな思いしか浮かんでこない。そして足元に落ち続ける自分の涙を、ただぼんやりと見ていた。(つづく)

モナ・リザの左目 〔非対称化する人類〕

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小説『ザ・民間療法』挿し絵024
「よし、日本に帰ろう!」
そう心に決めたはイイが、思えば何のためにインドに来たのだったか。これといって具体的な目的があったわけではない。かといってこんなところまで来ておきながら、収穫らしきものが何もないまま、手ぶらで帰っていいのだろうか。そんなことが頭のなかでグルグルし始めた。

そのときフッと、前にマルコに見せてもらった映像を思い出した。彼は若いころ、中国に組み込まれる以前のチベットのラサに赴き、そこにあるチベット寺院を8ミリフィルムに収めていたのである。

彼はシッキムからのルートでチベットに入国したようだが、その白黒の映像には、鼻輪を着けたシッキムの人々が行き交う姿が映っていた。それは私に鮮烈なイメージとなって記憶されていた。

シッキムといえば、以前読んだ河口慧海(かわぐちえかい)の『チベット旅行記』にも、慧海がマルコと似たようなルートをたどった記述があった。それはちょうど日清戦争前夜のころのことで、禅僧だった慧海は仏の教えの真実に迫るべく、当時は鎖国状態だったチベットに命がけで密入国を試みたのである。

河口慧海といっても、今の日本ではあまり知られていないだろうが、海外では探検家としてリビングストンと並び称される人物だ。その慧海の求道の旅にはいくつかのルートがあった。その一つが、カルカッタからシッキムに入り、チベットへと抜ける方法だったのだ。

そうだ。私もシッキムに寄ってから日本に帰ろう。
シッキムは、今ではインドの州の一つになっている。しかし慧海の時代には独立した王国で、地理的にはネパールとブータンに挟まれたヒマラヤのふもとにある。

ヒマラヤに行こうと思い立った瞬間、私のなかを涼しい風が吹き抜けた。心はすでにヒマラヤの雪景色のなかである。熱暑の日々に疲弊しきっていた私には、そこはまるで天国のように感じられた。

今でもヒマラヤには聖者がいて、雪山のなかで修行しているという話なら、インドでは何度も耳にしていた。ところがその聖者に実際に会ってきた人の話は聞いたことがない。

私はインドに来る前、ネパールのカトマンズに立ち寄って、ヒマラヤの上を飛ぶ遊覧飛行を体験した。パイロットが上空数百メートルまでヒマラヤに接近してくれたので、聖者らしき人影を探してみたが、私には何も見えなかった。

もちろん、たとえヒマラヤには聖者がいるとしても、今の私の体力でそんなところまで会いに行けるものではない。だからせめて、慧海のたどった求道の旅の一部でも体験してみたい。

そういえばシッキムにはラマ教の総本山があったはずだ。
ラマ教とはチベット仏教のことで、日本の密教的な要素が強いことが知られている。その総本山までは行ってみよう。そうすれば、人生の指針の一つでも得られるかもしれない。そんなことを考えながら、旅の支度を始めた。

オーロビルでは、私が日本に帰ることを聞きつけた人たちが集まって、お別れの会を開いてくれた。それぞれ国はちがっても、ファミリーのようなつきあいをしてきた仲間である。いざ別れるとなると、さすがにつらい。みんな私の苦手なハグやキスを連発して別れを惜しんでくれた。そして口々に、「もっとここにいて、私たちの体を診てほしい」ともいってくれた。

その光景は、慧海がチベット寺院を後にして日本に帰国するときのことを想起させた。多少医学の心得があった彼は、たまたま脱臼した子供の腕を治したことから、チベット寺院では医師としてもっとも高い地位を与えられていたのである。そのため帰国する際、かなり強く慰留されたようだ。しかし彼は「私は医者ではなく修行僧だ」といって、きっぱりと断ったのだという。

それでまた思い出した。私はインドに仏道修行に来たわけではなかったのだ。もちろん治療家になろうと考えていたのでもない。全てはあのときテレビ局の控室で、なぜ彼のぎっくり腰が私の手で治ったのか、その理由を知りたかっただけである。そのヒントでも見つかればいいな。そう思って何となくインドまで来てしまったが、そこに深い考えがあってのことではない。

そこまで思い出したおかげで、頭のなかのグルグルが少し収まった。そして幾分気持ちが軽くなった私はオーロビルに別れを告げ、慧海がチベットへと旅立った最初の地、カルカッタに向かったのである。(つづく)


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