019 小説『ザ・民間療法』挿し絵019
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ここから少し離れたところにあるコミュニティには、パワーストーンを扱う人たちがいる。出かけて行くと、色も大きさもちがう珍しい石がズラリと並んでいる。説明によれば、石にはそれぞれちがったパワーがあって、水晶などはヒーリングにも使われるのだという。確かに、サソリに刺されたときに貼り付ける黒い小石は、オーロビルでも治療用の実用品と考えられていた。

私に石の説明をしてくれた白人女性が、漬物石ぐらいある大きな石に手をかざして「ほら、これなんかすごいパワーが出ている」といって私に同意を求めてきた。しかし私が手をかざしてみても何も感じない。「ハァ…」と気のない返事をするしかなかった。そういう私でも、しばらくインドで暮らしているうちに、マカ不思議なものに対して許容度が増してきた。

そもそもインドではごく一般的なこととして、石には力が宿っていると考えられている。ヒーリングの効果があることも信じられているから、宝石を指輪に埋め込むときにも、わざわざ石が直接指に当たるように細工してある。

日本では、大人の男性なら石のついた指輪などしている人はまずいない。ところがインドでは、宝石は財産や装身具であると同時に、パワーストーンの意味合いも強い。だから男性でも宝石を指輪にしてはめるのはふつうのことなのだ。

身につける装飾品には、ヒーリングだけでなく魔除けの目的もあるせいか、コブラやサソリをイメージしたデザインも多い。女性であれば、ペンダントやブレスレット、アンクレットをすることで魔除けの効果がさらに強化される。ブレスレットなどは、無垢の銀や真鍮(しんちゅう)でできたごついものもあるが、それらはむちゃくちゃ重い。きっと重たい分、効果も絶大だと考えられているのだろう。

魔というのは、首や手首、足首から入ってくるものであるらしい。だから、日本の坊さんが数珠を手首や首にかけるのも、アイヌの着物の袖口や裾にギザギザの三角模様があしらってあるのも、そこから魔が入り込むのを防ぐためなのである。

それでは魔とはいったい何だろう。昔も今も人間にとっての最大の魔とは病魔である。病気になるのは、病魔がとりついたせいだと考えるのは世界共通だ。その魔から守り、癒やしてくれるのがパワーストーンの役目なのである。

そういえば以前、こぶし大もあるトルコ石の原石を首からぶら下げて、鼻輪までしている部族に会ったことがある。彼らはヒマラヤのふもとの村に住んでいる。外国人がそこまで行くにはインド政府の許可が必要なので、単なる観光ではなかなかたどり着けない。

そこでは、首からトルコ石を下げるのは女性だけで、母から娘へと代々受け継がれるものだった。この風習はペンダントの本来の目的に近いらしい。私に宝石鑑定を教えてくれたイタリア人のマルコの話では、首から石を下げるのは首狩りの名残だという。それならあの巨大なトルコ石も首狩りの風習の延長なのかもしれない。

マルコにオールドジュエリーのコレクションを見せてもらうと、ペンダントにはいろいろな石といっしょに、隕石や人骨を使ったものも混じっていた。インドのある地域では、近年まで首狩りの風習が残っていたという。首狩りは、敵の首級(トロフィー)を自分の首にかけることで、相手のパワーを自分のものにするのが目的だ。今ではその首級の代わりをするのが特殊な石の役割になっているのである。

こんな話を聞いているうちに、次第に私も石のパワーなるものを信じるようになっていた。ところが、気に入った石を載せた指輪をしていたら、土台のシルバーが汗と反応して溶け出して、金属アレルギーになってしまった。指輪が当たる部分は赤く腫れて表皮がめくれ、むき出しになった真皮には亀裂が入った。そればかりか強いかゆみまである。これではもう石にパワーがあろうがなかろうが、指輪など着けていられない。たくさん持っていた指輪も、文字通りお蔵入りである。私の石にはヒーリングの効果などなかったのだ。

そこへ来て、宝石商の友だちから聞いた話でさらに考えが変わった。
上野の御徒町にあるその問屋では、二束三文で仕入れたクズ石をパワーストーンと名付けて売り出した。すると飛ぶように売れたのである。その売れ行きに味をしめた店主は、今度は適当な石を数珠に加工して、魔除けだの、異性にモテるだの、金持ちになるなどと効能をつけて売った。それでまた大儲けしたというのだ。もちろん売っている本人たちは、石のパワーなど全く信じてはいない。

他にも似たような話があったのを思い出した。
テキ屋稼業の知り合いが、農家から葉っぱ付きで形の悪い大根を捨て値で仕入れた。それにたっぷり泥水をかけてから軽トラックに積み込み、団地の中庭に運んで、「産地直送の有機無農薬野菜だ」といって売ったのだ。すると主婦たちが奪い合うようにして買っていったと自慢していた。

この世はだます人とだまされる人でできているのか。それとも信じる者は救われるのか。どっちにしても、石のパワーよりも人間の欲のほうが圧倒的に強力だと知って、私は少し目が覚めたようだった。(つづく)

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