小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

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116
人に何かを教えることは、自分自身にとっても学びが大きい。頭のなかにまとまりもなくつめ込まれていた内容が、むりやり整理される。せっぱつまった引っ越しのときみたいに、なくしたと思っていた大事な物が意外なところから出てくることもある。

あの日いきなり、整体学校の大外先生から、勉強会を開催してほしいといわれた。この提案は、私には自分の考えをまとめるチャンスだと感じられた。その数日後、先生からかかって来た電話によると、すでに勉強会の話が進んでいるらしい。

私が発見した現象や、開発した手技を学びたいという人が、10名ほど参加することになっていた。整体学校の先生方だけでなく、卒業生で施術のプロとして活動している人たちもいるようだ。

ただし、大外先生が所属しているあの整体学校で、表立って私の勉強会をやるわけにはいかない。だから近くの区民会館の一室を借りる予定なのだという。

そこまでいうと先生は、少し口ごもりながら「師匠への謝礼はいかほど?」と聞いてきた。そのお気持ちはありがたい。しかし目先の利益など大した問題ではない。それよりも今の私には、だれかにこの理論と技術を伝えることのほうが重要だった。

私から伝わった情報がその先で大きく展開していって、ねずみ講のようにまたたく間に全世界へと拡大していく。そんなイメージをもっていた。昔の少年雑誌に登場する、怪人Xの野望みたいなものだ。

これまでの私は、だれか一人のすごい権威をもっている人にこの情報を伝えさえすれば、その人が「それはおもしろい!ぜひとも私が研究してみましょう」などといってくれるのではないかと期待していた。

ところが、あれだけ医学界から政界にいたるまで、あらゆる権威ある人たちに伝えてきたのに、一向にそんなことが起こる気配がない。それどころか、だいたいが鼻にもかけてもらえない。

こうなったら逆の発想でいくしかない。今回のように、末端の施術者から広げていけば、時間はかかってもいつかは世界征服できるだろう。そんな空想が果てしなく広がっていく。

私が自分の世界に没頭していると、私の返事を待ちかねた大外先生から、再度「それで、いかほど」と声がかかる。私がだまっているのは、謝礼の金額で迷っていると思ったらしい。

とっさのことなので、私は思わず「そんな水臭い、タダでいいですよ、タダで」といってしまった。どの口がこんなことをいうのだ。またしてもエエカッコシイの悪いクセが出た。

大外先生も「エッそんな、イイんですか?それは悪いナ~」といいながら、そのまま引き下がった。しかし謝礼が無料と決まったことで、早速、次の日曜の夜から勉強会が始まることになった。

それにしても、大外先生ほどの人に見込んでもらえたのは誇らしい。先生はこの業界の経験が豊富で、整体だけでなく古今東西のさまざまな療法にくわしいのだから、なおさらだ。

そもそも民間療法の業界では、「我こそは」とお山の大将になりたがる人ばかりなのである。目新しい派手なワザを開発しては、マスコミで大々的に宣伝してカリスマを演じる。

ところがそんな療法には、実体が伴わないことも少なくない。始めのうちこそ盛大に支店を拡大していくけれど、3年もしないうちに見事にみな消えていくのである。

そういったシロモノとちがって、大外先生は私が発見した現象と開発した手技が、唯一無二の本物だと思ってくれたようだ。もちろん私自身もそれを確信している。しかし、まだこの現象の全容がつかめていないので、これから開発の余地は大いにある。

なぜ起立筋は左だけが異様に盛り上がるのか。
なぜ左半身の感覚が鈍くなるのか。
そして、なぜ左なのか。

これから調べていくべきことが山ほどある。私は、ここに人類の未来がかかっているのではないかとすら思っている。だがそう思えば思うほど、私の心理的な負担も増していく。

そんな重荷を背負いつつ、いよいよ勉強会の初日を迎えた。とうてい私一人の力で解決できる問題ではないから、いっしょに担ってくれる人を見つけたい。ここに人類の未来(と私の野望)がかかっているのだ。

なじみの池袋駅から5分ほど歩いて小さな公園を抜けると、ひび割れの目立つ古い区民会館に到着した。手すりにサビの浮いた階段を上がると、ドアが開いている一室が目に入った。ガヤガヤと声がしている。私がなかをのぞくとピタリと静まって、マジメそうな目玉が一斉にこちらを見た。わずかに緊張が走る。

いがぐり頭のごつい男性がいると思ったら、見慣れない私服に身を包んだ大外先生だった。ここでまちがいない。この汚い畳のうえに、私の世界征服への記念すべき第一歩が、今まさに記されようとしているのだった。(つづく)
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114
「やんだタマゲたな~。急にナニいうだぁ~♪」

私の頭のなかで、オヨネーズの名曲「麦畑」が鳴り響いている。整体学校の大外先生から、出し抜けに「師匠、私を一番弟子にしてください」といわれた私は、いきなりプロポーズされた女性みたいにタマゲてしまった。

大外先生は、この整体学校で私が初めて教わった先生である。業界でのキャリアも長いプロ中のプロだから、どう見たって私のほうが弟子なのだ。そんな人から師匠などと呼ばれたら、何とも居心地が悪い。「まあ、師匠だ弟子だなんて堅苦しいことはいわずに、一緒に研究してくださいヨ」といって落ち着いた。

それにしても、私の発見した現象が特別なことだと即座に理解してくれたのが、大外先生のスゴイところである。

私はこれまでどれだけ多くの人たちに、この現象のことを伝えてきただろうか。そのなかには医学界の権威といわれている人もいた。ところがいっしょうけんめい伝えても、実際に自分の目で確かめてくれる人は少ない。それを確認した人からも全く反応がない。何も見なかったかのように、ふしぎなほど無反応なのである。

私は、この現象の存在が一般的に知られるようになれば、多くの人の役に立つと確信している。だからこそ必死に訴えてきたのだが、この重要性が全く伝わらない。逆に、私が何か売り込もうとしていると勘違いして、あからさまに不快感を示す人までいた。

そんなお寒い状況のなか、格下の私ごときの弟子になってでも、このことを知りたい、極めたいといってくれた人は大外先生が初めてだった。これに感激しないわけがない。

ひょっとして、これまではたまたまハズレくじばかり引いてきただけで、世のなかには、まだまだ当たりくじがひそんでいるのだろうか。にわかに希望の灯がともって、期待で胸がふくらむ。

私がまたしても妄想に没入していると、大外先生はそばにいる生徒の一人に目をやった。先生が「ヤマガタくん、どうした?」と声をかけると、「ちょっと腰が」といって、彼は腰をかがめてつらそうにしている。それを見た大外先生は、私に向かって「師匠、お願いしますッ」といって頭を下げた。

山形くんは1年ほど前に交通事故に遭って以来、腰痛に悩まされているそうだ。こうやって整体の学校に通っているのも、半分は自分の腰痛治療が目的らしい。

これまた私には普及のチャンスである。再度、教室のみんなに集まってもらうと、腰痛の原因になっている「背骨のズレ」についての説明を始めた。

この「背骨のズレ」も、脊柱起立筋の左側の盛り上がりと同じく、人体にとって重大な現象なのである。背骨がズレること自体は、民間療法の世界では大昔からだれでも知っている。しかし「背骨は左にしかズレない」ことは、まだだれにも知られていないのだ。

起立筋と背骨に現れるこの2つの現象は、私は大発見だと思っている。ところが、それぞれが別個の現象でも、「左」というキーワードが共通しているせいで、どうも混同されやすいのが悩みのタネだった。

起立筋の左側が異常に盛り上がっていることは、がんなどの重大疾患に関係している。一方、背骨が左へズレると、これは腰痛の原因となる。この2つをごっちゃにすると、「背骨がズレると、腰痛からがんにいたるまで万病の元になる」という、いかにも眉唾な話になってしまう。

しかし一般的には、そういう単純な説明のほうが伝わりやすい。しかもインパクトが強くて受けがいい。だが、それではこの現象の重大性や信憑性が、完全にぼやけてしまうのだ。

私は科学としての信憑性を重視したいので、できるだけ分けて説明してきた。それでもやっぱり最後にはいっしょくたにされる。金太郎と桃太郎の物語をつづけて聞いたら、聞いた人の頭のなかでは、金太郎がまさかりで鬼退治した話になってしまうようだ。

この2つの現象でもっとも重要なのは、そこに規則性がある点だ。規則性がある現象の発見は、科学の最大のテーマのはずである。科学から遠い世界の美術家だった私にも、それは常識だった。だから科学の分野の人たちには、特にこの規則性の部分を強調して説明してきたのだ。

ところが私の説明では、どうもピンと来てくれる人がいない。あるときなど、知り合いの医師に私が発見した規則性の話をしたら、かなり真剣に耳を傾けてくれた。理解してくれたのかと思ってさらに熱を入れて説明したら、最後の最後になって「ヘー、東洋医学ではそういう考え方もあるんだ」といわれてしまった。

あのときはさすがにガックリ来た。自分が学校で習った医学の教科書には出ていなかったから、科学の外の話として処理したかったのだろう。新しい現象の話は、聞く人の頭に引き出しがないと伝わらないというが、その引き出しを作ってもらうには、一体どうしたらいいのだろう。(つづく)
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112
沖縄から帰った私は、久しぶりに池袋の整体学校に行ってみた。さわやかな潮風でリフレッシュしたばかりの私には、この場末感が漂う雑居ビルのたたずまいが、ある意味とても新鮮だ。

ギギギィーッと建付けの悪いドアを開けると、そこには大外先生をはじめ、いつものメンバーがそろっていた。室内は相変わらず雑然としている。この色気のなさが妙に落ち着く。とっ散らかった実家の居間に似た安心感があるのだ。

沖縄みやげの「ちんすこう」を差し出すと、みなワッと集まってきて食べ始めた。大外先生はすばやく2個目を口に放り込むと、私のほうに向き直って「で、最近どうヨ?」と聞いてきた。私がしばらくぶりに顔を出したからには、何か新しい情報があると気づいているのだ。

そこで、がん患者たちの体で発見した、例の現象について話し始めた。がん患者はみな脊柱起立筋の左側だけが異様に盛り上がっていて、体の感覚も左側だけひどく鈍くなっていることだ。

それだけではない。私が新しく開発した手技で刺激すると、その起立筋の盛り上がりが消える。しまいには、がんまで消えてしまったという話なのである。

こんな話はだれにでもいえることではない。私には何人ものがんが消えた実感があったが、まだこれには科学的な裏づけがない。ましてがん患者さんを相手にこんなことをいって、妙な期待をさせてもいけない。だからこの話を人に聞いてもらう機会はあまりなかった。

もちろんお医者さんにだけは、これまで何人にもこの話をしてきた。ところがなぜこんな現象が起こるのか、だれもはっきりとは説明してくれない。それどころかせっかくの大発見なのに、この異常な現象に興味をもってくれる人さえいなかったのだ。

しかし整体の先生なら、毎日大勢の人の体に直接手で触れているから、感覚的には理解しやすいはずだ。大外先生ならわかってくれるかもしれない。そう期待しながら、この発見について熱を込めて話した。

ふと気づくと、整体の練習をしていた生徒たちが寄ってきて、私の話を興味深げに聞いている。これは理解者を増やすチャンスだから、具体例を見てもらったほうがいいかもしれない。

見回すと、大外先生の後ろでまだちんすこうをモグモグしている加納先生と目が合った。ちょうどいい。彼も大外先生と同じでこの学校の指導員だ。生徒から施術を受けることには慣れているので、彼に体を貸してもらおう。

ちんすこうの恩があるから、加納先生も「ノー」とはいえない。早速うつ伏せになってもらうと、これまた都合がよいことに、彼の起立筋はしっかりと左側だけが盛り上がっていた。

「ホラ、これですよ、これ」と私が指差すと、大外先生が業界人っぽい口調で、「加納ちゃ~ん、やっちまったな~」といって、彼ががんだと決めつけた。いきなりのことで、加納先生がおびえた目をして私を見上げた。

あわてて、「イヤ、左の起立筋が盛り上がっているからって、それだけでがんがあるわけじゃないですよ」と説明しても、時すでに遅しだった。もうみなの思い込みはゆらがない。私はますます焦ったが、これがこの話の怖いところなのである。

「がん」という言葉をつかうと、その響きが独り歩きして、聞いた人の意識の深いところに入ってしまうのだ。案の定、加納先生も突然がんの宣告を受けたみたいに不安がっている。だが今日は仕方がない。「がんじゃないですよ。大丈夫ですよ」とくり返しながら、私は説明をつづけた。

まずは、見ている人たちにもわかるように、彼の左右の起立筋を私が親指で左右同時に押してみせる。やはり加納先生は、右よりも左の起立筋のほうが、感覚が鈍くなっている。

しかしうつ伏せになっているから、彼には私が何をやっているかは見えない。左側は、私の押す力が弱いのだと感じているようだった。だが横で見ている人たちには、同じぐらいの力だとわかる。

この左右の感覚のちがいを確認したところで、いよいよ私が開発した例の手技で刺激を加えてみせる。肩や背中など何か所かの特定の神経をねらって、親指でリズミカルに刺激していくのだ。

その様子を見た人から、ギターか何かを弾いているみたいだといわれたことがあった。たしかに親指をバチに見立てれば、三味線を弾いている姿に似ているかもしれない。

そうやってベンベンベ~ンと弾いていると、まもなく彼の体が変化してきた。その感触の変化が私の指先に伝わってくる。それと同時に「イタ、イタ、イタタ~ッ」と彼は声を上げて体をよじり始めた。

やはりがんがある人に比べると、刺激に対する反応が出るのがすこぶる早い。これなら加納先生の体に大した問題はなさそうだ。

この刺激は、指先で軽く触れる程度のものでしかない。彼が痛がり始める前と後とで、力の加減は変えていない。それなのにこのあまりの変化の激しさに、大外先生やまわりの人たちもえらくおどろいている。

次に、あえて人差し指だけで体中をあちこちツンツンと軽く突いてみせる。すると、ツンと突くごとに加納先生が「イタッ」と身をよじる。ツンと突くと「イタッ」、ツンと突くと「イタタッ」の連続だ。

これを見ていた大外先生が、横から手を出して私と同じように突いてみる。やっぱり同じように加納先生が痛がる。それに釣られてまわりの人たちも、珍しいおもちゃでも見つけたように一斉につつき始めた。

日ごろからいじられ役の加納先生には災難だったが、この刺激は体にとってはいいはずだから、きっと今晩はよく眠れるだろう。そうこうするうちに、あれだけ盛り上がっていた彼の左の起立筋は、もうかなりへこんできたのだった。(つづく)

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小説『ザ・民間療法』挿し絵010

私が暮らすオーロビルには、チベットから来た人も何人か住んでいた。彼らはダライ・ラマ法王に従って亡命し、インドの各地で暮らしているのである。ご近所さんとして彼らと親しく接してみると、チベット人は見た目だけでなく、メンタリティまで日本人とよく似ているようだった。ひょっとすると、中国や韓国の人よりも近い存在ではないかとすら思う。

そのチベット人たちから、モモというチベット餃子のパーティに誘われたことがある。モモだけでなく、そこで出されたチベット料理は、限りなく日本への郷愁を誘うなつかしい味だった。異国の地でやせ細っていた私にとって、彼らの親切は心だけでなく、胃袋にも深く沁み入るものだった。

そんなやさしいチベット人の一人に、私と同じコミュニティでフランス人と暮らしているドルマという女性がいた。ドルマはオーロビルにあるカルチャーセンターでボランティアをしている。そこでいろいろな講座が開かれているのは知っていたが、私は顔を出したことはなかった。

それを聞きつけたドルマが、アフリカンダンスのスクールに誘ってくれたのである。ところが私には踊りの経験がない。盆踊りすらまともに踊ったことはない。ダンスと名のつくものは、小学生のときのフォークダンス以来である。だがお互い異国の地で、親しくなった人がわざわざ誘ってくれているのだから、恐る恐る参加した。

教室に入ると、明るい音楽が建物の外まで鳴り響いている。そのリズムに合わせ、フランス人男性の先生が中心になって、20人ほどの生徒が輪になって踊っていた。踊りそのものは、ひざを曲げたり伸ばしたりするだけの単純なものである。

その踊りを見ていると、北海道の阿寒で目にしたアイヌの女の子の踊りを思い出した。彼女は他の娘さんたちといっしょに、観光客向けにアレンジされたアイヌの踊りを披露していた。ところが踊っているうちに、彼女だけがどんどんトランス状態に入っていったのである。その一心不乱に踊る姿は、アイヌの先祖の魂が乗り移ったかのようだった。あの、どこを見ているのかわからない目線の先には、何が見えていたのだろうか。

実はこのアイヌの踊りのように、輪になって単調な動作を繰り返していると、トランス状態に陥りやすい。日本の子供が「かごめかごめ」と歌いながらぐるぐる回る遊びにしても、もともとは子供のお遊戯ではない。

輪になって単調な言葉や動きを繰り返していると、中心になっている人に霊が入り込んで話し始めるのである。似たような風習は世界中にあるから、このアフリカンダンスにしても、起源は呪術的なものだったはずだ。

とはいえ、眼の前で踊っている人たちはすこぶる楽しそうである。ぐっと腰を落とす。横に進みながら伸び上がる。そしてまたぐっと腰を落とす。基本はこの繰り返しだけだ。「カニ歩きみたいだな。これなら私にもできそうだ」そう思った私は、輪のなかに入った。

ところがどっこい。見るとやるとは大ちがいである。かんたんなはずのひざの屈伸運動が、あっという間にひざを直撃した。ほんの2、3分踊っただけなのに、私のひざは曲げも伸ばしもできなくなってしまったのである。踊り続けるまわりの人たちは、こぼれる笑顔がまぶしいほどだ。私の顔だけが苦痛にゆがんでいる。楽しい踊りのはずが、私だけが相撲部屋のしごきの輪に叩き込まれたようだった。

「もうだめだ」
ギブアップした私は、ダンスの輪から離れた。そしてクラスが終わるまでの時間は、乱れた呼吸を整えるので精一杯だった。しかもいざ帰る段になっても、足が前に出てくれない。これには参った。もう文字通り、這うようにしてやっとのことで帰宅したのである。

そんな情けない姿を見た近所の人たちから、ドルマは「なんでMをそんなところに連れて行ったんだ!?」と、さんざん叱られていた。彼女にしてみたら、アフリカンダンスは楽しいから、親切心で誘っただけなのに、あの動きはハードすぎて私には全く向いていなかったのだ。

特に連日気温が40度どころか、50度近くまで上がる猛暑のなか、自覚する以上に、私の体力が落ちていたのだろう。おかげであの「殺虫剤事件」に続いて、またしてもひ弱な日本人ぶりを露呈してしまった。

しかし、あのまま無理して踊り続けていたら、また「日通」のときのように、意識が肉体から離れるか、もしくは離れたままになるところだった。つくづく、体調管理はむずかしいものだと思い知らされた。(つづく)
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小説『ザ・民間療法』挿し絵009
オーロビルには広大な森の中心に、マトリマンディアと呼ばれる巨大な瞑想施設がある。ガスタンクを何倍も大きくしたような球形で、威容を誇る圧倒的な建物だ。

この施設は、オーロビル定住者であるオロビリアンしか使わせてもらえない。まだ来たばかりの私には資格がなかったが、友達になったオロビリアンが、私も自由に出入りできるように手配してくれた。

マトリマンディアに一歩足を踏み入れると、外界の暑熱から開放され、いきなり冷涼な空気に包まれる。広々とした丸い空間に窓はない。建物の中心には、直径1メートルほどもある巨大な水晶玉が据えられていた。天井の明かり取りからは、一条の光がまっすぐに水晶玉の中心を突き抜けている。この光景を目にしただけで、すでに瞑想状態にいるようだった。

今のオーロビルには指導者がいないから、それぞれが思い思いの姿勢で瞑想している。私も日本にいたころには、何度か瞑想を習いに行ったことがある。教えられた通り、ひたすらマントラを唱え続けたり、逆に無言で無念無想を追求したり、自分の存在が光の玉のなかにいるイメージをしてみたりもした。瞑想に入る方法はさまざまだったが、どれも本格的なものではなかったから、神に出会うような体験はない。私には、足が痛くてじっとしているのが苦痛なだけだった。

そういえば20代のころ、日通で運送業のアルバイトをしていたとき、奇妙な体験をした。忘れもしない。あれは東販での仕事だった。そこでは、ベルトコンベアーで運ばれてくる本の塊を、行き先別に仕分けしながら、次々にコンテナ車に積み込んでいくのである。

これは力が要るだけでなく、頭も使うし作業スピードも速い。だから必ず二人一組で行うことになっていた。朝、日通の社員からの指示で「今日は五軒町の東販へ行け」といわれれば、バイト仲間はみな尻込みするほど、ハードな作業なのである。それなのに、たまたま一人でいるときに、なぜか突然ベルトコンベアーが動き出してしまったのだ。

私に向かってどんどん荷物が送られてくる。やるしかない。そう思って取り掛かってはみたが、中腰での作業ということもあって、あっという間に私は限界点に達した。額からは汗が吹き出し、激しく息が切れ、心臓が破れるかと思ったその瞬間、いきなり私のなかに静寂が訪れた。

気絶したわけではない。それまでの体の苦しみどころか、体の感覚自体が消えてしまった。気づけば、ベルトコンベアーの荷物と格闘を続ける私を、もう一人の私が上から静かに眺めている。どうやら私は、体から抜け出してしまったようなのだ。

そうやってしばらくたつと、また何の前触れもなくベルトコンベアーが止まった。そこにある最後の荷物をコンテナに積み込み終わった瞬間、私は自分の体のなかに戻っていた。死ぬかと思うほどの重労働をこなしたあとなのに、体には何の苦しみも残っていなかった。

そんな超越体験はそれっきりだったが、もしかして瞑想が深まれば、あんなことがまた起きるかもしれない。期待もあったせいか、マトリマンディアには何度も足を運んだ。だが結局、オーロビル滞在中は、私に何の変化も訪れることはなかった。でも私は変わりたい。以前よりも、そう強く願うようになっていた。(つづく)

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