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小説『ザ・民間療法』挿し絵008
インド人には菜食主義者、つまりベジタリアンが多いといわれる。確かにインド行きの空路の機内食にも、ベジかノンベジかの選択肢が用意されていた。当然、オーロビルでもゲストハウスで提供される食事は、ベジタリアン食が基本となっていた。

最初に住んだゲストハウスでは、室内のヘビやサソリ、ゴキブリの多さに困惑した私だが、それよりもきつかったのが食事の内容だった。食事に不満をいうのは、あまり聞こえの良いものではない。しかしそこでの食事はほとんど豆が主体だったから、ベジタリアンというよりもヴィーガンに近かったのだ。

そもそもインドでは、肉食よりも菜食のほうが精神性が高いと思われている。だから地位が上がるほど、ベジ傾向が強くなる。そんな話を聞いたこともある。そのころの私も、ぼんやりとそう思っていた。

ところが暑さで食が進まないうえ、豆中心の食事を続けているうちに、180cm近い身長の私の体重が50kgを切り始めた。ベルトをしないとGパンがずり落ちる。そのベルトの穴も、一つまた一つと内側へ進み、とうとう穴が足りなくなる始末だった。

飽食が日常の都会でなら、たまのヴィーガン食も趣の一つといえるだろう。だが、連日摂氏40度を超す酷暑の南インドでは、豆だけでは体がもたないのである。このまま菜食を続けることに身の危険を感じた。「もうここでは生きていけない。こうなったら、精神性よりも目先の体調のほうが重要だ」そう判断して、別のところに移ることにしたのである。

新しいコミュニティに移っても、あいかわらず菜食がメインだった。しかしそこには専門のフランス人の調理人がいて、毎回腕をふるってくれる。しかも菜食中心ではあっても、牛と豚以外なら、肉だって食卓にのぼるのである。なかでも彼のハト料理は絶品だった。そこらで見かけるハトを見る目が変わるほど、彼の創意に富んだ料理のおかげで、少しずつ体力も回復していった。

その転居先のゲストハウスは、前のところよりも造りはシンプルだった。その分、気密性には優れている。あれこれと生き物が侵入してこないので、ベッドには天蓋も必要ない。ところが「これはよかった」と喜んだのもつかの間のことだった。気密性の高さが災いして、ベッドには大量にダニがわいていたのである。それに気づいたときには、すでに遅かった。初めの晩から、あっという間に全身数十カ所もダニにくわれてしまっていた。

痛いのもつらいが、かゆいのもまたつらいものだ。私はあっさりと降参し、マットレスを引きずり出して部屋の外に干した。そこに、わざわざポンディチェリの街まで行って探してきた殺虫剤を、「これでもか!」と入念に吹き付ける。

「そんなの体に良くないよ」
まわりで見ていた住人たちは、そうやって心配気に忠告してくれる。そりゃ私だって、肌に触れる寝具にそんなものは使いたくはない。だけど仕方がない。何といわれようと、私は肌の弱さでは定評のある日本人なのだ。ダニにくわれまくっては、かゆくて寝ていられないのである。

そんな説明を続けながら、満遍なく殺虫剤を吹き付け終わった。そこでふと顔を上げると、他の部屋の前にもマットレスが並んでいるではないか。そして次から次へと私のもとにやってきて、「殺虫剤を貸してくれ」とせがむのだ。そうやって、結局全員がマットレスをしっかり殺虫した。

「背に腹は代えられない」というが、やはり「背と腹(のかゆみに)は代えられない」のは、世界共通だったのだ。(つづく)

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