平日通っている整体の学校では、私が顔を出すたびに、大外先生をはじめみんなが私の気功修行の成果を知りたがる。そこで週末に習ってきたことを、「にわか気功師」の私がレクチャーすることになった。

初歩的な「気」の出し方から始まって、悪霊の払い方まで説明していると、なんだか大ベテランになったようでたいそう気分がいい。

この学校では、卒業生も自由に教室に出入りして、勝手にお互いで練習できるシステムになっている。みんなそれぞれ腕には自信があるので、身につけた新しい技を自慢気に披露するのだ。

整体では、相手の技を受けているうちに、気持ちよくなってそのまま寝てしまうことがある。すると相手に落とされたことになって、「負け」となる。ほぼ格闘技の技のかけあいなのである。

たしかに整体や柔道整復師をやっている人には、空手などの格闘技の有段者が多い。なかにはその世界で伝説といわれる人までいた。それに比べて私は格闘技どころか、アフリカンダンスを踊らされただけでいきなりギブアップしたぐらいだ。それなのに、そんな猛者たちを相手に、実際に気功を披露することになってしまった。

ちょっと無謀な気もするが、これはもう仕方がない。効果がなくたって、体に触れるわけではないから、相手にダメージはない。単に私が恥をかくだけだ。

まずは相手に治療台に横になってもらう。そしておもむろに、額から「気」を入れてみる。すると間もなく、彼はいびきをかきながら寝てしまった。効果アリ。よかったよかった。せっかくだからこのまま寝かせておこう。

隣の治療台では、次のチャレンジャーが「今か今か」と待っている。彼の額にも「気」を入れる。するとまたあっという間にいびきをかき出した。

これにおどろいたのは大外先生だ。「それなら」と3つ目の治療台に横になる。先生の体からは「絶対に落とされてたまるか」という意気込みが、熱気となって立ちのぼっている。大外先生も空手の有段者であるから、その気迫にはすごみがあった。

そこで私は、「気」だけでなく意念も使ってみることにした。意念を使ったからといって、私には相手の体のなかが見えるわけではない。それでも意念を使おうとすると、集中度が増すのである。

私の意識が大外先生のなかにグッと入り込んでいく。「さらに深く」と思った瞬間、緊張してがんばっていた先生の呼吸が寝息に変わった。

ふと我に返ると、目の前では大の男が3人並んで、いびきをかきながらグッスリと眠り込んでいる。なかなか笑える光景だ。

おかげで相手を寝かせるコツがつかめたと思う。だが相手を寝かせることに何の意味があるだろう。寝かせたからといって、何かが治るわけでもない。

実際のところ、私は気功で病気を治した経験は一度もない。それでも一応のところ、漢方医学で重視されている「気」については、大まかにはわかるようになった。とりあえず当初の目的は達成されたので、これでヨシとしよう。

ところが私が全貌を知ろうとしていた漢方医学には、もう一つ大きなテーマがあった。それは相手のホロスコープを知ることなのである。

ホロスコープとは、占星術で各人を占うための、天体の配置図のことだ。人にはそれぞれ、生まれながらにちがった「気」の性質があって、しかもそれはずっと一定なわけではない。一生のうちにはさまざまに性質が変化する。そして変化するたびに、それが体の不調として現れるのだという。

漢方医学では、その変化をあらかじめ知ることで病気を未然に防ごうとする。だから、いつどのように変化するかの運気を知るためには、ホロスコープの知識が欠かせないのだ。

その一つに奇門遁甲(きもんとんこう)がある。三国時代の蜀の軍師だった諸葛亮は、この占術を使って敵の大将の運気を調べ、運気が下がったときを見計らって攻め入ったという話もある。

同じように、人の運気を知ることは治療の役に立つらしい。そうなのか。それを聞いた以上、占術も学んでみなくてはならないだろう。私の目指すところからは遠のいている気がしないでもないが、もうこうなったら「毒を食らわば皿まで」の境地なのだった。(つづく)

モナ・リザの左目 〔非対称化する人類〕

*応援クリックもよろしくお願いいたします!
にほんブログ村 小説ブログ 実験小説へ
にほんブログ村

長編小説ランキング

FC2ブログランキング