小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:ボランティア

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075
子宮頸がんの京子さんの施術を始めて、3週間が過ぎた。家を訪れるたびに、彼女は元気になっている気がする。私を迎えてくれる表情にも、生気が増してすこぶる調子がよさそうだ。

以前の体の硬さが、もう気にならないほどやわらかくなっているし、あれだけポンと張っていたおなかもへこんでいる。さらに下腹部にあるあのリンパの腫れのザラつきも、かなり減ってきているようだった。

これはがんにも良い影響が出ているのではないか。内心、そんな期待が芽生えていた。言葉にはしなくても、京子さんも同じ気持ちのようだ。来週は手術前の最終検査の予定である。それまでの間にやれるだけのことはやってみよう。二人とも施術に力が入る。

そしていよいよ明日が検査という日、仕上げの施術が終わると、私のなかでは一つのことをやり遂げた気がしていた。初めのころは、あれほど私の指をはじき返していた左の起立筋も、グッとやわらかくなっている。下腹部のリンパの腫れだって、今日はもうほぼ手に当たらなくなっていた。

これでがんも消えていたらいいのだけど、もし消えていなかったとしても、これだけ体調がよければ手術も大丈夫だろう。

いよいよ検査結果の発表の日になった。私は他の患者さんの施術をしながら、京子さんからの電話を待っていた。期待と不安が入り混じった感覚は、どこか合格発表を待つ受験生のようで落ち着かない。

これじゃイカン。そう思って施術に集中していると、いきなり電話が鳴った。失礼して部屋の外で電話を開く。そこには「川上京子様(近野さん紹介)」と表示されている。

京子さんだ。私は大きく息を吐くと、一言も聞き漏らすまいとして電話を強く耳に押し当てた。すぐさま京子さんの声が響き渡る。「がんがなくなった~っ!」と叫んでいる。私が答えるまで、何度も何度も叫んでいる。私も「ヤッターッ」と叫んだが、声にはなっていなかった。目がくもる。鼻の奥も痛い。

京子さんの話では、検査画像を見た若い担当医は、この結果にどうにも納得がいかなかったようだ。やたらと首をかしげた彼の頭の回りには、「???」とはてなマークがたくさん飛んでいるのまで見えたという。

そりゃそうだ。1か月前にはたしかにあったがんが、いきなり消えているのだからふしぎに思うのは当たり前だろう。風景写真に写っていた山が、1か月後に同じ場所で撮ったら消えていたみたいなものだ。そんなことはありえない。

他の患者の検査画像と取りちがえたのか。はたまたピンボケだったのか。どちらにしても、検査画像にはがんが写っていないし、腫瘍マーカーの数値にも問題がないのだから、京子さんは手術の必要がなくなった。

もちろん本人は大喜びである。だがその数倍、私のほうがうれしいんじゃないかと思うほどうれしかった。しかし喜びが大きければ大きいほど、なぜか不安な気持ちになるのが私の性分だ。

何かの手ちがいで、がんはそのまま残っているなんてことはないだろうか。誤診がないとはいえないので、京子さんと相談して、別の病院でもがんの検査を受けることにした。結局、その病院でもがんは見つからなかったから、これでやっと安心できる。

私にしてみれば、がんが消えたのは当然の結果だという思いもあった。それと同時に、まさかそんなことがあるはずがないと、冷静に判断している自分もいた。本当に私の施術でがんが消えたのか。常識的に考えたらありえないことだろう。

そこでこの1か月の施術の一つ一つと、彼女の体の変化を思い返してみる。そのときの私の手の感触は、はっきりと記憶している。私の施術によって、京子さんの体が劇的に変化したのはたしかだ。そして左の起立筋の盛り上がりが、体調の変化と大きく連動していることもまちがいない。

そう思うと、また一つ気になることが浮かんできた。ひょっとして、今まで施術してきた患者さんのなかにも、京子さんや森本さんのように、左の起立筋がひどく盛り上がっている人はいなかっただろうか。

すると真っ先に思い浮かんだのが、須藤さんの姿だった。(つづく)


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074
2回の施術を終えてみて、やっと京子さんの体の感じがつかめてきたようだ。そうはいっても、「あれから大丈夫だったかナ」とその後の調子が気にかかる。

京子さんだけではない。この不安は、私が施術したどの人に対しても起きてくる。こうも心配性だと、つくづく私はこの仕事に向いていないと思う。

お医者さんなどは、あれだけ毎日のように患者の生死に関わっていて、よく不安に押しつぶされないものだ。その重圧のせいで医者を辞める人などいないとしたら、それが適性ということだろうか。

さて今日は3度目の施術である。私には計画があった。これまでは刺激するのを、あえて背中の側だけにとどめていた。しかし今日は、あのポンと張ったおなかも刺激してみようと思っている。もちろん、子宮頸がんのある下腹部に近いところは避けて、影響の少なそうなみぞおちのあたりからやってみよう。

まずはこれまで通り、背中を刺激する。全身痛みが出やすくなっているようなので、つづけざまにおなかも刺激してみる。やはり指先で軽く刺激しただけで、痛みが出てくれた。これでまた一歩前進である。

ところが刺激する方向を左・右・上・下と変えてみると、それぞれ痛みの出方がちがうようだ。特に、刺激する方向を下腹部に向けると、痛みがビーンと走っていって、がんの部分にじかに響くらしい。

患部には直接触れていないのだから、これは興味深い現象だ。本人に聞いてみると、特別負担でもなさそうである。しかしこれが京子さんの体にとって、いいのか悪いのか、その判断がつかない。

どうしたものかとためらっていると、彼女は「やっちゃって!」と気楽にいう。そんなこといわれても何かあったら困るので、さらに用心して、他の部分よりももっと力を弱めて刺激をつづけてみた。

一般的な施術方法では、自分の体重を腕に預けた状態で、体重移動によって相手に加える力の強弱を調整する。だが私の施術では、指先だけを使って力をコントロールしている。これは自分の体重を利用できない分、やる側は数段、疲れる。壁によりかかるよりも、どこにも触れずに立っているほうが疲れるようなものだ。

ところが私が使う力が強かろうが弱かろうが、敏感になっている体には、私が渾身の力でグイグイ押しているように感じられる。しかしすでにこの痛みに慣れている京子さんは、安心して寝息を立て始めた。

3度目の施術が終わると、最初のころはあれほど硬かった体が、もうだいぶやわらかくなった気がする。そしてその3日後、4度目の施術のときには、すでに大きな変化が訪れていたのである。

前回は、刺激する範囲を背中側だけでなく、子宮頸がんのあるおなかの側にまで広げてみたので、私はその結果が気になっていた。

話を聞くと、あのあと京子さんには、私が施術するようになってから初めての生理が来ていた。いつもなら痛みで七転八倒するのに、今回は全然痛くない。そのうえ、来たと思ったらあっという間に終わってしまったそうだ。それはあの森本さんのときと同じ感想だった。

また京子さんは便秘がひどかったようだが、最近は排便の調子もいいらしい。これだけいいことずくめなら、この刺激のやり方はまちがっていないのだろう。少し勇気がわいてくる。

私としては、このままついでにがんも消えてくれればいいのに、と欲が出る。だがなかなかそうはいかないようで、彼女のおなかには、まだ例の硬いイクラが並んだようなザラつきがある。きっとこれは、がんのせいでリンパが腫れている感触なのだろう。

それにしても、この鎧(よろい)を着たような体の異常はどういうことなのだ。医学的には知られていないようで、医学書で調べてもどこにも出ていない。

医療にたずさわっている人に聞いて回っても、だれ一人として「あ、それはネ」というような反応がない。何のことをいっているのかわからないから、みんなキョトンとしている。

私がいうこの鎧とは、本来なら外からの刺激で痛みを感じるはずの神経が、にぶくなっていて全く痛くない状態のことだ。そのうえ、右よりも左側がずっとにぶくなっている。そしていちばんの特徴は、左の起立筋がグッと盛り上がっていることである。

なぜこんな異常なことが起きるのか。その原因さえわかれば、彼女たちにもこんな痛い思いをさせずに、楽に解消する方法も見つかるだろう。いずれにせよ、この現象が体の不調に深く関係していることだけは、まちがいなさそうだ。(つづく)


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073
私の2度目の闘いが始まった。バトルの相手は京子さんの子宮頸がんである。前回同様、うつ伏せになった彼女の左の起立筋から刺激を再開した。

うまい具合に、まだ体はにぶくなっていないようだ。私からの刺激に対して、ちゃんと敏感に反応が出てくれる。やっぱり間をおかずに施術に来て正解だった。

今回は背中だけでなく、頭や首、足などにも攻撃エリアを広げてみた。どこを刺激しても痛みが出る。頭をチョンと押しただけでも痛いようだ。これはイイ。

そんな刺激を10分ほどもつづけると、徐々に「イタい」という言葉が寝息に変わっていく。これもほぼ前回と同じパターンである。そこで今回も、彼女が自然に目を覚ますまでインターバルを取る。

しばらくして目覚めてから刺激を再開する。ここまでは順調にいい反応が出ているが、まだ深追いはできない。あれだけ痛がっているのだから、様子を見ながら慎重に攻める必要がある。そのため少し刺激しては休み、刺激しては休みをくり返す。ここは安全第一だ。

それにしても、京子さんは31歳という若さで、なぜがんになってしまったのだろう。生活のなかで他の人と何か極端にちがうことでもあるのだろうか。だが、特別なものは見当たらない。

食生活もいたってノーマルなようだ。強いていえば、最近、健康食品をいろいろと飲んでいることぐらいだろうか。以前から、彼女はサプリメント販売をしている友人からすすめられて、健康食品を買っていた。何となくすすめられるままに買っていたら、今では毎月の支払いが、家計を圧迫するまでになっているのだという。

それが、がんになったと伝えてからは、ますます健康食品の種類も量も増えていった。しかもその友人だけでなく、京子さんががんだと聞きつけた何人もの知り合いが、「あれがいい、これが効く」といって健康食品や漢方薬をすすめてきているらしい。

私が試しに、どんなものか見せてもらいたいというと、別室に通された。その部屋には、これから商売でも始めるのかと思うほど、途方もない量の健康食品が戸棚にびっしりと並んでいた。棚の手前にも、未開封の箱がうず高く積まれている。

もちろん大量に仕入れて売るわけではない。京子さんが一人で飲むために買ったものだ。でもこれを本気で全部飲んだら、健康な人だって絶対に体がおかしくなるだろう。

たしかに健康食品の類は昔からあった。「がんに効く」という触れ込みのものもたくさんある。しかしそんなものに効果があるだろうか。もし本当に効果があるなら、なぜ病院でがんの治療薬として使われていないのか。そこがツッコミどころではあるが、それでも世の中には薬や健康食品が大好きな人は異様に多い。

以前、知り合いの医者からも、こんな話を聞いた。

一人暮らしをしている母親の家に行ったとき、大量の健康食品を見つけた。そこで彼は健食による健康被害について、医学情報をしっかりと伝えてから、その健食を目の前で全部捨てさせた。

ところがしばらくして家に行くと、母親がまた気が遠くなるような量の健食を買い込んでいるのである。別に認知症というわけでもない。医者である息子よりも、テレビの宣伝や健食を売る人のほうを信用しているだけなのだ。そこがなおさら情けないといって、彼は心底嘆いていた。

実は私の母親も例に漏れず、サプリメントや健康食品ばかりか薬も大好きだ。テレビや新聞の広告で健食を見かけたら、手当たり次第に買い込んでいるし、処方薬だってコレクションしている。どうも薬好きは酒好きと似ているようで、飲むなといわれても、目にしたら飲まずにはいられないものらしい。

ただしそういうものは、うちの母親みたいに健康体なら問題にはならなくても、京子さんはちがう。今の体でよけいなものを飲んで、それががんを悪化させることも十分に考えられる。

だが医者でもない私の口から、「そんなモノ、飲むのはやめなさい」ともいえない。だから、「いつも診てもらっているお医者さんに、相談してみたほうがイイですよ」とだけ伝えておいた。

さて今日の刺激で、京子さんの体はまた少しやわらかさが増したようだ。しかし欲張って疲れさせるのもよくないので、つづきはまた次回にしておこう。(つづく)


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071
まずは紹介者の近野さんとの約束通り、子宮頸がんの京子さんの家でお話をうかがった。がんの手術を前にして、彼女が不安に思っていることにも答えられたし、しっかりと体のチェックもした。これで約束は果たせたはずだ。

ところがそれで「はい、サヨウナラ」というわけにもいかないのが人情だ。私の性格をよく知っている近野さんには、それがわかっていたのだろう。

かといって、当たり障りのない施術でお茶を濁すようなこともしたくない。それは命にかかわる病気の人に対して、失礼な気がしていた。

京子さんのがんのレベルはわからないが、彼女に残された時間は少ないかもしれない。元気だと思っていた芳子さんだって、肺がんだと診断されてから1か月で逝った。そんな貴重な時間に、赤の他人の私がかかわっていいのか。これはけっこう重大な問題だ。

しかし、京子さんと同じように生理痛で苦しんでいた、森本さんのことが頭をよぎる。彼女への施術が成功したのだから、ひょっとしたら体の特徴が似ている京子さんにも有効かもしれない。そんな思いが私を引き止めていた。

それさえなければ、いくら頼まれても施術は断っていたと思う。命がかかっている人に、安易に期待させてはいけない。それでも、もしかしたら助けになるかもしれない。この相反する二つの思いが私を悩ませた。

そこで考えに考えた末、脳性麻痺の健太くんのときと同じように、無料奉仕という形にして、手術までの1か月の間、私の空いたときに施術させていただくことにした。

「無料で施術したい」というと、京子さんはそれでは申し訳ないといってくださった。しかし有料で施術して効果がなかったとしたら、私が後悔するのは目に見えている。だからこれは私のわがままなのである。

世の中には、がんと聞くと健康食品などを売り込みに来る人もいる。だが私には、保証もないのに人の弱みにつけこむようなことはできない。命にかかわる病気の人から、それを担保にお金などもらえるわけがない。

京子さんには、これからやる刺激の方法や、それに対する体の反応について、あらかじめ説明しておいた。その内容に納得していただいてから、うつ伏せに寝てもらう。

森本さんのときと同じように、盛り上がっている左の起立筋から刺激してみる。しかしビクともしない。左の起立筋だけではない。京子さんはこんなに薄っぺらい体なのに、「どうして?」と思うほど、体中の筋肉が硬くこわばっているのだ。

これでは、全身の筋肉に力が入りっぱなしの状態と同じである。筋肉が昼夜休む間もなく働いていれば、疲れが取れるはずもない。やっぱり単なる生理痛の森本さんよりも、数段手ごわそうだ。

それでも用心して刺激を加えてみる。盛り上がっている左起立筋を目がけて、あらゆる方向から攻め立てる。うつ伏せだと表情が見えにくいので、気分が悪くなっていないか、不快感はないかを、本人に確認しながら進めていく。

そうやってしばらく刺激をつづけていると、指先に当たる感触が急に変化した。これだ。その瞬間、京子さんは身をよじって、「イタ、イタ、イタタタ~ッ」と声を上げた。

前もって説明していた通りの反応なので、痛みが出ても本人には不安がない。なおも攻撃の手をゆるめることなく、起立筋だけでなく背中全体を刺激していく。

刺激といっても、ピアノの鍵盤をたたくほど強い力ではない。ピアノみたいに真上から指をたたきつけるようなこともしない。あくまでも指の力を逃がしていくので、どちらかというとギターの弦をはじくのに似ているかもしれない。

そうやって、あちこちから刺激しては「イタッ」、刺激しては「イタタッ」をくり返していると、京子さんはスーッと寝息を立て始めた。これも森本さんのときと同じ経過である。

この時点で私も手を休め、彼女にはそのまま眠ってもらう。しばらくすると、パカッと目覚めた京子さんは、スッキリとした面持ちで、「ワタシ、寝ちゃった~」といったあと、「ふしぎね~、あんなに痛かったのに眠くなっちゃうなんて~」とつづけた。これまた森本さんと全く同じ感想だ。

このとき京子さんは本当に深く寝入っていたようで、何だか気分がよさそうだ。私としても安心した。それでも今日は初めての刺激なので、深追いはやめておこう。このつづきはまた後日やることにして、これで帰らせていただいたく。

今日はうまくいった。何から何まで森本さんのときと同じ流れだったから、当初の不安も少し薄らいだ。果たして、これで効果が出てくれるだろうか。(つづく)


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小説『ザ・民間療法』挿し絵051
健太くんの家に通い始めて、半年が過ぎようとしていた。言葉と知能はかなり前進したようだったけれど、歩行機能については全く進歩が見られない。脳性麻痺なのだから、歩けないのは当たり前かもしれない。それでも私の心のどこかには、奇跡のようなものを望む気持ちが隠れていた。

そんなある日、健太くんのお母さんから電話があった。いつもとちがって声がふるえている。健太くんに何かあったのか、と私が身がまえて電話に耳を押しつけると、お母さんは押し殺した声で、「センセイ、健太の脚が動いたんです」と告げた。一瞬、意味を理解するのに時間がかかった。そうか。あれほど待ち望んでいた奇跡が起きたのか。

その日はいつものように歩行器に座っている健太くんを、お父さんがビデオカメラで撮影していた。すると目の前の健太くんが、足先で地面を蹴ったのだ。その瞬間を、ビデオカメラがしっかりと捉えていた。

お父さんは見まちがいかと思って何度も録画を見た。お母さんと二人で何度見ても、健太くんの足は地面を蹴っている。医師からは一生ムリだといわれていたのに、新しい神経回路ができたのだ。

神経は一度損傷してしまうと元にはもどらない。しかし新しい回路ができることで、失われた運動機能が回復することがある。特に成長期の子供なら、その可能性が高いことは医学的にも知られている。だから、5歳にもならない健太くんにそれが起きてもふしぎではない。だがこれが奇跡であろうがなかろうが、両親は大喜びである。

私もビデオの映像を見せてもらうと、たしかに健太くんは足先で地面を蹴っていた。その力のおかげで、それまでは座っているだけだった歩行器が、わずかに前進していた。ここまでくれば、あとは訓練して神経回路を太くすればいいだけだ。私もうれしくて、トレーニングにも気合が入った。

ところが私の意気込みとは裏腹に、それから1か月、2か月、3か月が過ぎても、進歩がない。まちがいなくつま先は動くのに、ほとんど気まぐれ状態で、しかもその力はあまりにも弱々しいものだった。しかしこれは根気しかないだろう。がんばろう。

私がそう思って通っている間にも、健太くんの両親には別の悩みがあった。健太くんを病院に連れていくと、いくら言葉や脳の発育、足先の運動機能の変化を伝えても、医師は全く意に介さないのである。そしてひたすら「もうそろそろ脚の靭帯を切断しないと」とか、「あまり成長してからでは手術も大変になる」などといって、手術を強く迫るのだ。

これは判断がとてもむずかしい問題である。つま先が動くようになったことに希望があるとはいえ、相変わらず両脚は強く交差してしまう。成長とともに脚を交差する力もどんどん強くなるから、下の世話などの介助の負担は少しずつ増していく。

以前紹介された脳性麻痺のミヨコちゃんは、もう靭帯を切断して脚がブランブラン状態だった。それでも体が大きくなっていたので、介助する家族の負担は幼児の比ではなかった。

私が妙な希望をもたせたせいで、健太くんのご両親は正常な判断ができなくなっているのだろうか。所詮、私は赤の他人である。決して健太くんの家族ではない。健太くんの人生を背負う覚悟もない。そんな私がのめりこんだ分、家族の苦しみを大きくしていたのだろうか。私は少し健太くんたちに近づきすぎたのかもしれない。それに気づいたので、彼らとは少し距離を置くことにした。(つづく)

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