小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:モルフォセラピー

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110
朝カーテンを開けると、日差しがまぶしい季節になっていた。そういえば今日の午前は仕事の予約が入っていない。今のうちに池尻大橋の図書館に本を返しに行こう。ついでに丸正で魚も見てこよう。そう決めると、私はリュックに本を詰めこんで部屋を出た。

池尻は、駒場にあるうちのアパートからは中途半端な位置にある。電車を乗り継ぐよりも直接歩いたほうが早い。そう近くはないが、お金がかからないからいつも歩いていく。途中でタバコを吸える場所もあるし、散歩にはちょうどいい。

図書館の近くには、広々としたグラウンドを見下ろせるお気に入りの場所がある。ここから緑を眺めるのもなかなか気分がいい。一服するつもりで立ち止まったら、リュックのポケットで電話が鳴っているのに気がついた。看護師の今野さんからだ。

彼女の結婚式のスピーチで大失言して以来だから、もう1年近くたつだろうか。彼女は「久しぶり~」といったあと、「実は私、結婚したの」とつづけた。とっさには意味がつかめないでいると、「あの後すぐ別れてサ、また結婚したの」とあっけらかんと話す。

しかし、そんなことはどうでもいいといった調子で、「それはそうと、今度みんなで沖縄にダイビングに行くんだけど、いっしょに行かない?」と誘ってくれた。

今野さんはダイビングが趣味で、かなり上級クラスのライセンスをもっている。だが私は2、3度しか潜ったことがないド素人だ。上級者たちといっしょでは足手まといになる。私が尻込みしていると、「ダイジョウブよ~。みんなでフォローするから」と強く誘ってくれる。

実は「ダイビング」と聞いた時点で、私の頭のなかには沖縄の青い海の景色が広がっていた。海が呼んでいるのだ。日程も問題ない。出張整体で開業して以来、もう何百日も休みなんか取っていなかった。こんなお誘いでもなければ休めないから、私は思い切ってOKした。

当日、羽田に着くと、私を含めて8人のメンバーが全員そろっていた。みんな早いナと思ったら、遅刻魔のチエちゃんがまだ来ていない。電話をかけても通じないから、こっちに向かっている途中なのだろう。

そろそろ搭乗手続きが始まりそうなので、もう一度電話をかけてみる。すると電話に出たチエちゃんが、寝ぼけた声で「ア~、おはよ~」というではないか。そこで気づいたのか、「アッ寝過ごした!」といってあわてている。「もう搭乗手続き始まるから、早くタクシーで来てッ!」と私もあわてる。

彼女は遅刻魔なのを自覚しているから、今日はわざわざ空港近くに住んでいる姉の家に泊まっていたはずだった。いくら近いとはいえ、とても間に合うとは思えない。

定刻になると搭乗手続きが始まった。5分過ぎ、10分過ぎ、すでに搭乗者の列も途絶えた。後は私たちだけである。みんなで搭乗カウンターの人に、「今来ます!今来ます!」と訴えつづけたが、時間がたつに連れ、彼女の顔からは笑顔が消え、眉だけがどんどんつり上がっていく。とうとう「もう待てません!あきらめてくだサイッ」と強い口調でいわれてしまった。

まさにその瞬間、はるか向こうからチエちゃんがものすごい形相で突進してくるのが見えた。間一髪とはこのことだ。どうにか間に合った。ドヤドヤと機内に入り自分たちの座席へと向かうと、乗客たちの視線が刺さる。全く先が思いやられて気がふさぐ。

しかし飛行機そのものは順調に沖縄へ飛んでくれた。上空から見るサンゴ礁の海は、どこまでも青く澄んでいて美しい。羽田でのドタバタの疲れが吹っ飛んだ。

空港からバスに揺られて2時間ほどでホテルに着いた。チェックインを済ませると、各自の大荷物をそれぞれの部屋まで運び入れる。それがすんだらロビーに集合だ。ダイビングに疲れは禁物なので、今日はホテルのビーチでくつろいで過ごす予定なのである。

ビーチに着くと、飛行機に乗るのは一番遅かったチエちゃんが、「一番乗り~ッ」といって、だれよりも早く海に飛び込んだ。その途端、「ギャッイッタ~~イ!」と叫びながらもどってきた。

みんなで「どうした、どうした」とかけよると、どうやら腕をクラゲに刺されたらしい。刺されたところがポツポツと赤くなって腫れている。彼女は「オシッコかけなきゃ、おしっこ、オシッコ!」と叫んでいる。

たしかアンモニアをかけるのは、ハチに刺されたときじゃなかったか?彼女の記憶には大きなかんちがいがあるようだ。

沖縄の海にはハブクラゲという猛毒のクラゲがいて、子どもやお年寄りなら、刺されただけで死ぬこともあるらしい。幸いチエちゃんが刺されたのはハブクラゲではなさそうだ。それでも「イタイ、イタイ」と泣き顔になっている。

今回のメンバーは医療従事者ばかりだが、だれもクラゲの正しい対処法なんか知らないようだ。なぜかみんなで私を見ている。そこで私がチエちゃんの腕をよく見ると、海辺の日差しを浴びて、クラゲの細い針がうぶ毛のようにキラキラと光っていた。

これだ。私はひらめいた。急いでホテルの人からガムテープを借りると、チエちゃんの腕に刺さっているクラゲの針にそーっと当てて、ゆっくりとはがしてみた。すると思った通り、細い針がガムテープにくっついて抜けてくる。

貼って、はがす、貼って、はがす。これを何度かくり返すと、あっという間に腕の赤みがスーッと消えた。チエちゃんが、「もう全然痛くなくなった」というと、この様子を見ていたみんなが、「ウオーッ」と声を張り上げた。一件落着である。

その夜、みんなで近くの居酒屋へとくり出した。めいめいがお好みの沖縄料理を注文する。チエちゃんはメニューにクラゲという文字を見つけると、クラゲ酢を注文した。ここで敵討ちでもする気らしい。

出てきたクラゲに「こいつめ!」と憎しみを込めて口に入れるものだから、みんなで笑った。ところがしばらくすると、昼間クラゲに刺された腕が赤くなって、かゆみまで出てきたのである。

針は抜けたけれど、体内にクラゲの毒素が残っていたのだろう。その毒がアレルゲンとなって、アレルギー反応が出たのだ。こうなってしまったらクラゲのたたりは生涯つづくかもしれない。この体験のせいで、私はクラゲを見るといつでも沖縄のあの青い海を思い出すようになった。(つづく)

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109
いつもお世話になっている樹森さんから電話があった。「ちょっと診てあげてほしい人がいるのヨ~」と、相変わらず元気な声である。

それよりも、樹森さんのところでベビーシッターをしている瀬戸さんの妹さんが、その後どうなったかが気になっていた。私がすすめて受けてもらった検査で、脳に動脈瘤が発見されたことまでは聞いていた。

樹森さんが聞いた話では、瀬戸さんの姉が脳動脈瘤破裂で急死していたので、すぐに手術に踏み切ったらしい。その後の経過も順調だと聞いて、私はやっと安心できた。樹森さんと二人で「よかった、よかった」といいあったあと、彼女は今日の電話の本題に入った。

実は彼女はかなりの売れっ子作家さんなのである。その仕事関係で、マンガ雑誌の編集者がいるらしい。その彼が担当しているマンガ家が、締め切り間近だというのにへばってしまって、仕事が進まないで困っているというのだ。

ことあるごとに樹森さんから私の話を聞いていた彼は、私ならなんとかできると思ったらしい。締め切りまででいいから、私に彼の体をもたせてほしいと頼んできたのである。

徹夜でへばっているのなら寝ればいいだけだが、その余裕がない。締め切り前の切羽詰まった状況は樹森さんにも覚えがあるから、編集者氏の頼みを無下に断ることもできなかったようだ。

いつものことながら、樹森さんから「とにかくちょっと行ってあげて」と強くいわれたら、私は断れない。今日の予定をあちこちやりくりして、なんとかその日のうちに、そのマンガ家の仕事場まで行くことになった。

うちから井の頭線に乗って吉祥寺駅で降りる。繁華街を抜けて指示された住所まで来ると、住宅街に古めかしい一軒家が立っていた。その傷だらけの木製扉の前で呼び鈴を押す。なかから「ハイ」とも「オイ」ともつかないくぐもった声がしたと思ったら、少しだけ開けた扉の間から、不健康そうな若者がノッソリと顔を出した。

彼は私の顔を見るなり、「ア、先生ですね」といって扉を大きく開けた。どこか懐かしい造りの玄関で靴を脱ぐと、すぐ手前の部屋に机が並んでいる。そこには彼と同じように疲れ切った感じの若い人が5人、机にかじりついて一心不乱にペンを走らせていた。これがマンガ家の仕事場なのか。

私が入ってきたのを見て、彼らのうしろに立っていた男性が、「あ、先生、よろしくおねがいします!」というと、スーツのポケットから名刺を出した。超がつくほどの有名出版社である。どうやら彼が樹森さんの知り合いの編集者らしい。

彼の案内で隣の部屋に行くと、座敷にふとんが敷いてあった。事前に用意したというよりも、ずっと敷きっぱなしなのだろう。にごった空気がただよっている。彼に「センセーッ」と呼ばれて入ってきたのは、彼らのなかでもひときわ疲れ切った感じのする青年だった。

編集者氏は「しっかり治してあげてくださいね!」と私にいうと、急いで隣の作業部屋へもどった。だがしっかり治すも何も、単なる睡眠不足による過労じゃないのか。そんな体を手技でどうしようもないのである。

とはいえ、とりあえず一通り体をチェックしてみると、疲れのせいで、若いのに体の張りがすっかり消え失せていた。髪もヒゲも伸び切っているから、昔うちの近所で寝起きしていた薄茶色のノライヌを思い出す。

背中を見ると、背骨に大きなズレはない。これなら問題はなさそうだ。やっぱり単に疲れているだけである。仕方がないので、一応、背骨のまわりを軽く刺激して、疲れが取れやすい状態にしてみよう。

本来なら、私の刺激でリラックスして、そのままちょっと寝てもらうと一挙に元気が回復するものである。しかし今はそのちょっとが許されないのだ。そこで、彼が眠り込んでしまわないように、会話をしながら刺激を始めた。

おどろいたことに、彼はまだ二十歳になったばかりなのだという。憧れのマンガ雑誌で連載が始まった途端、一気に人気に火がついて忙しくなった。締め切り間際には連日徹夜がつづく。おかげで、すでに父親の年収をはるかに超える収入なのだという。

その話を聞いて、私の手がピタリと止まった。マンガの世界はなんてすごいんだろう。同じ美術業界とはいっても、景気に全く左右されることなく、売れないまま絵を描きつづけている美大の仲間たちとはえらいちがいである。

私だって絵描きのころは売れなかった。だが特殊美術の仕事を始めて、テレビ局に出入りしていたころは徹夜つづきだったことを思い出していた。

当時のテレビ業界の1日は24時では終わらない。打ち合わせが26時から始まって、そのまま朝の番組の収録がスタートするのも当たり前だった。2日も3日もつづけて徹夜することだって珍しくもなかったのである。

徹夜に弱い私は、寝不足で足がむくんで靴が脱げなくなることもあった。車を運転していて赤信号で眠り込むことも多かったから、事故死や過労死のリスクは非常に高かったはずだ。

しかしそれだけハードな毎日でも、このマンガ家の彼みたいに稼いでいたわけではない。そう思うと、動きが止まったままのわが手をじっと見た。いやいや、人生は人それぞれだから比較しても始まらない。気を取り直して刺激をつづけた。

逆に疲れさせてもいけないから、今日はこれぐらいにしておこう。私はただ彼の疲れが取れることだけを祈りながら施術を終えると、隣の部屋にいる編集者氏に「終わりましたよ」と声をかけた。

彼がもどってきて「どんな感じですか」と聞いてくる。「体そのものに問題はないけど、このまま無理をさせると過労死しますよ」と昔の自分に重ね合わせて忠告しておいた。

ところが彼は、「イヤ、締め切りにさえ間に合えばイイんで」といって、先のことなど全く心配していない様子である。代わりのマンガ家などいくらでもいるという意味だろうか。やっぱりマンガ業界は恐ろしい。

こんなタコ部屋みたいなところに長居は無用である。まだ世間話でもしていたそうな編集者さんを尻目に、私はそそくさと家を出た。

いくら稼げたってあれじゃあナ。そう思うと、ボロ雑巾みたいになってマンガを描いているあの青年が哀れに思えてくる。そのまま駅に向かって歩きかけると、静かな住宅街の屋根の向こうに、街のネオンがかげろうのようにぼやけて見えた。(つづく)

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108
激しい腰痛のせいで、寝たきりになりかけていた春子さんの施術が終わった。ここまで車に乗せてきてくれた樹森さんや、春子さんのお嬢さんたちとみんなでお茶を飲んでくつろいでいると、腰の痛みが消えて饒舌になった春子さんの口から、長女が3年前にくも膜下出血で突然亡くなった話を聞いた。

さらに春子さんの夫も、10数年前に原因不明で急死したのだという。ひょっとしたら、二人とも動脈瘤が破裂して亡くなったのではないか。そんな疑いが私のなかに湧いてきた。

動脈瘤は、動脈の一部が風船のようにふくらんでコブになっている状態だ。脳や腹部にできたコブが何かのタイミングで破裂すると、突然死の原因になるのである。

動脈瘤といえば、1年ほど前に帰省したときのことを思い出した。夕食のあと、家族でテレビを見ていると、父がしきりにトイレに立つのが気になった。「どうした?」と聞くと、「いや~最近、妙に腹の具合が悪くてナ」という。

背骨がズレていると頻尿になる人も多いが、同じようにズレが腸に影響することもある。そういえばここしばらく、父の体をチェックしていなかったから、背骨がズレているのかもしれない。

父に横になってもらうと、まずは調子が悪いというおなかに手を当ててみた。するとポーンと張っている。しかも服の上からさわっただけでも、おなかの表面に妙なザラつきがあるのがわかる。

これは例のイヤな感触なのだ。ひょっとして大腸にがんがあるのかもしれない。大腸がんで下痢がつづくこともあるから、いよいよ怪しい。父は病院嫌いなので、これまで大腸がん検診など受けたことはない。しかしこのおなかは明らかに異常だから、検査が必要だ。

幸い兄は医者なので、近いうちに札幌にある兄の病院で検査してもらうようにすすめた。ところが父はあまり気乗りがしないらしくて、行くのを渋っている。まさか今の段階で、「がんがあるかもしれない」などと伝えるわけにもいかない。

どうしたものかと弱っていると、そばで二人の会話を聞いていた母が、「アンタ、行っといで」とかなり強い口調で命令した。もちろん父は母には逆らえないので、週明けに兄の病院で検査を受けることに決まった。

それから数日たったころ、東京にもどった私の元へ兄から電話がかかってきた。電話なんて久しぶりだったが、いきなり「CT撮ったら腹部大動脈瘤だったよ。5センチほどだけど形が悪いから手術だな」と早口でまくしたてる。つづけて「手術の日程が決まったら連絡する」といって電話が切れた。

腹部大動脈瘤だったのか。この診断結果は私としては意外だった。実家で父のおなかにさわったとき、深追いしなくてよかった。マッサージ店でおなかをマッサージしてもらっているときに、動脈瘤が破裂して救急搬送された人もいるらしいから、危ないところだった。

動脈瘤は命にかかわることも少なくないというのに、あまり症状らしいものがない。そのため、本人がその存在に全く気づいていないことも多い。しかしいざ破裂しそうになると、脳動脈瘤では激しい頭痛に襲われるそうだ。私の父がおなかを頻繁に壊していたのは、腹部大動脈瘤の症状の一つだったのかもしれない。

さらに動脈瘤の厄介なところは、家族性で発症する点である。つまり父親がそうなら、私や兄にも動脈瘤ができる可能性があるのだ。春子さんの長女に脳動脈瘤があったのなら、他の姉妹にもそのリスクがあることになる。多分、原因不明で急死したご主人も動脈瘤があったのだろう。

長女がくも膜下出血で亡くなったと聞いて、私がとっさに春子さんの両手首を握ったのにはワケがあった。実は体のどこかに動脈瘤があると、手首の脈の打ち方に、左右でズレが生じる場合があるのを医師から聞いていたからだ。

いきなり私に手首をつかまれて、目を白黒させている春子さんにも、その説明をして脈を取らせてもらった。すると左右全く同じように打っている。指が当たる角度を変えて、何度か確認したが結果は同じだった。

背骨のズレを矯正したら急激に血流が変化することがあるので、もし春子さんに動脈瘤があったら危険だった。この状態なら、今後も矯正でめったなことは起きなさそうでホッとする。

家族性なのだから、ついでに娘さんたちの脈も調べておこう。次女、四女と調べていくと、二人ともしっかり同時に打っている。

これは私の取り越し苦労だったかと思いながら、最後に19歳の三女の脈を取ると、左右で明らかにズレて打っているではないか。まちがいであってほしいと思って何度も確認したが、やはり左右の脈のタイミングはズレていた。

私の表情がくもったのを見て、春子さんが心配気に「どうですか?」とたずねてくる。私は言葉につまりながら、「脈だけでは正確なことはわからないから、1回検査を受けてみたほうがいいかもしれないですね」と伝えた。

その途端、今まで明るかった室内の空気が、一挙に重くるしいものに変わった。そばでだまって見ていた樹森さんが、「ま、きっと大丈夫でしょ。そろそろ帰らなくちゃ」というと、私に目配せして帰り支度を促した。

私たちを玄関まで見送る春子さんの顔からは、すっかり血の気が失せている。せっかく腰の痛みが消えたのに、表情は前よりも暗く沈んでいる。それを見ると気の毒でたまらなかった。(つづく)

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107
樹森さんの運転する車が、買い物客でにぎわう吉祥寺の街をゆっくりと抜けると、あっという間に春子さんが待っている瀬戸さんの家に着いた。見上げるほど大きなマンションの前で、「ここです」といわれて入った地下駐車場には、高そうな外車がズラリと並んでいた。

春子さんはこの高級マンションの1室で、3人の娘さんたちと暮らしているらしい。エレベーターが開くと、このフロアには1室しかないようだ。瀬戸さんが鍵を開けると、今日は突然の訪問にもかかわらず、室内がきれいに片づいていて少しおどろいた。

ふつうなら、腰痛などで動けない人の部屋はすごいことになっているものだ。それを見慣れているから、散らかっていても私は全く気にならない。ちょうど在宅していた娘さんたちが急いで片づけたのかもしれないが、もともとみんなきれい好きなのだろう。

瀬戸さんに案内されて、私と樹森さんは春子さんの寝室へ入った。私たちの姿を見た春子さんは、痛みをこらえて必死にベッドから起き上がろうとしている。私はベッドにかけよると、「まあまあ、そのままで」と手を差し伸べた。

差し出した私の手には、意外にもしっかりとした骨格の感触が伝わってくる。私は彼女の体を支えながら、もとの寝た姿勢にゆっくりともどす。「この状態でちょっと腰を診てみますからね~」といって、彼女の背中側にすばやく回り込んだ。

春子さんは若いころに患った脊椎カリエスで背骨が変形している。そのせいで背中が大きく曲がっているから、仰向けにはなれない。しかし背骨のズレを確かめるには、この横向きの体勢がちょうどよかった。

調べてみると、確かに彼女の背中は大きく曲がっているが、腰の骨には変形らしきものはなさそうだ。ところが腰の3番目の骨が大きくズレている。コイツだな。こいつが腰痛の原因だろう。

春子さんのようなひどい腰痛の場合、5個ある腰の骨のうち、3番目の骨が大きくズレていることが多い。しかもここがズレると頻尿にもなりやすいから、動けないのにトイレが近くてはよけいに大変だったはずだ。

私は「今から腰のあたりをさすりますからね~。ちょっとでも痛かったらいってくださいね~」と、やさしそうに声をかける。日常の会話でこんな口調だと気味が悪いと思うが、初対面の病人が相手なのだから仕方がない。

そんなことよりも、今は痛みを取ることが肝心だ。春子さんの腰にそっと手を当ててみると、炎症の熱と腫れが感じられた。これは「ココがズレて痛みを出していますよ」という証拠でもある。それを確認してから、ゆっくりとズレた骨を定位置にもどしていく。本人は、やさしく腰をさすってもらっているとしか感じないはずだ。

この動作を5~6分ほどもつづけると、腰の熱と腫れが少しずつ引いてきた。なおも同じ動作をくり返す。すでに春子さんは私の手の動きに慣れて、表情からも緊張が取れてきた。

このやり取りは、運転手役で付き添ってきた樹森さんにとっては、いつものパターンだから見慣れている。しかし春子さんの娘さんたちには初めての光景なので、不安気に私の手元をのぞき込んでいる。

だいぶ腰の熱と腫れが治まってきたところで、春子さんに「起きられますか?」と声をかける。私が手で体を支えながら、ゆっくりと上体を起こしてもらうと、一瞬、「イタッ」と声を上げた。

ドキッとしたが、実際にはそれほど痛くはなかったようで、すぐに表情がやわらいだ。すかさず私は、座った姿勢の彼女のうしろに回り込むと、改めて3番目の骨のズレをもどしていく。

そうやってトータルで20分ほど矯正をつづけたら、腰のあたりの感触が最初とは全くちがってきた。どうやら彼女の腰痛はカリエスとは関係なかったようだ。一般的な腰痛患者と同じで、背骨のズレが原因だったのだ。

ここまでは順調だ。しかし腰の骨のズレをもどすなら、できれば寝た状態と座った状態に加えて、立った状態でも矯正しておきたいところである。そこで試しに春子さんにも立ち上がってもらうことにした。

私が彼女の手をしっかりと握り、体全体を支えながら立たせると、今度は痛いともいわずにスッと立てた。その瞬間、樹森さんが「オーッ」とおどろきの声を上げる。それを見て、娘さんたちの顔からも緊張が消えた。

そのまま2、3歩歩いてもらっても、スッスッと前に足が出る。いい感じだ。春子さんも、「今まで痛くてトイレに行くのがつらかったけど、これなら大丈夫だわ」といって、腰痛が治ったことよりも、安心してトイレに行けることがうれしかったようだ。聞けば、彼女も頻尿がひどかったらしい。

春子さんに壁に向かって立ってもらうと、さらに腰の骨のズレを矯正する。もう一度歩いてもらって、腰に痛みが残っていないことを確認する。ヨシ、今回は初めてなのでここまでにしておこう。私は春子さんに、また骨のズレがもどってくる可能性があることを伝えて、次の訪問の約束をした。

娘さんが「先生、お茶をどうぞ」と声をかけてくれたので、みんなでリビングに移動する。10人は余裕で座れそうな大きなテーブルにつくと、これまた高そうな器に入って湯気を立てているお茶をすする。この場の雰囲気が非常に明るくて、私もリラックスしていた。

春子さんは、自分はこのまま寝たきりになるのかと思っていただけに、恐怖から開放されて高揚しているようだ。元気な声で「ダンナももういないしネ、3年前に長女も死んでしまって」と話し始めた。私は思わず「なんで亡くなったんですか?」と聞いてしまった。

踏み込んだ質問だったが、春子さんはためらうことなく、「長女はくも膜下出血での突然死だったの」と話してくれた。それを聞いた私はギョッとして、即座に春子さんの両手首を握ったのだった。(つづく)

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106
友人の子どもは大きくなるのが早い。ついこのあいだ生まれたばかりだと思っていたら、「もうそんな年なの!?」と驚くことがよくある。その度ごとに、独身の自分だけが、世の中から取り残されているような気分になったりする。

先週、樹森さんの家に行ったら、私が出産に立ち会ったカナちゃんも、もう3歳になっていた。あのときは大変な思いをさせられたけれど、こうやってカナちゃんが元気に走り回っている姿を見ると、妙に感慨深い。片手に乗るほど小さかったあの子が、こんなに大きくなったかと思うと、胸の奥にじんわりと来るものがあった。

そんな私の感慨などよそに、樹森さんは暴れているカナちゃんの体を押さえつけると、「ねぇ、この子の体ダイジョウブかな。ちょっと診てやって」という。

これだけ元気なんだから、まず問題なんかないはずだ。気楽に「診てやって」と頼まれても、私にしてみたら小さい子の体を診るのは気が重い。

そもそも子どもは絶対にじっとしていない。しかも私は子どもの扱いに慣れていない。まして相手が女の子となると、なおさら苦手だ。

私がためらっていると、そばで二人の会話を聞いていた樹森さんのお母さんが、「カナちゃん、おばあちゃんがやってもらうから見ててごらん」といったかと思うと、いきなり私の前に大きなおなかを上にしてゴロンと横になった。

その姿は、近所のクロさん(ノラネコ・オス・推定3歳)が私になでてほしいときに、足元にゴロリと倒れ込んでくるのに似ている。

いやいや、ネコといっしょにしては失礼だろう。私は彼女に促されるまま、両手を肩に当ててみせる。すると彼女は、「気持ちエ~~ッ」と、腹の底から雄叫びを上げた。

その声の大きさには、私どころかカナちゃんも驚いた。すごい勢いで、向こうにいるベビーシッターの瀬戸さんのところまで逃げて行って、おびえた表情でこちらをうかがっている。

「こりゃダメだ。作戦失敗だわ」といって、樹森さんは大笑いである。おばあちゃんは横になったまま、状況を理解できずにキョトンとしていた。

このシュールな展開に、みんなでひとしきり笑ったあと、樹森さんがハッとして私を見た。「そうだ、そうだ。そういえば瀬戸さんのお母さんがネ、今腰痛がひどくて寝たきりなんだって」といった。

樹森さんは、あちらでカナちゃんの相手をしていた瀬戸さんを呼ぶと、一渡り私の話をしてから、「この先生の施術ならぜったい良くなると思うヨ」と念を押した。それを聞いた瀬戸さんも、顔の広い樹森さんがそこまでいうのなら、ぜひともお願いしたいといい出した。

瀬戸さんのお母さんの春子さんは、若いころに脊椎カリエスにかかって以来、ずっと背中が曲がってしまっているらしい。脊椎カリエスは最近ではほとんど耳にすることがないが、結核菌によって背骨が変形してしまう病気なのである。

しかし春子さんは背中こそ曲がっているものの、70歳を過ぎてからも日常生活には何の問題もなく過ごしてきた。ところがここ数年、頻繁に腰痛に悩まされるようになっていた。

病院では、カリエスで背骨が変形しているのが原因なので、治しようがないといわれたらしい。だからこれまでは、同居している娘さんたちの手を借りながら、だましだまし暮らしていた。しかし今回の腰痛は特にひどくて、ベッドから起き上がるのも難しく、ほとんど寝たきり状態なのだという。

背骨の変形が原因でそんなにひどい症状なら、私が施術したって効果なんかあるだろうか。しかも脊椎カリエスの人なんて、今まで診たことがない。どうしたものかと考え込んでいると、樹森さんは「いいから、軽く診てあげてヨ」という。

なぜかはわからないけれど、私のまわりにいる女性は大胆で、何でも迷うことなく決断する人が多い。その上、自分がこうだと決めたら、やたらと押しが強いのである。仕方がない。「診るだけ診てみましょう」といって、とりあえず引き受けるしかなかった。

「じゃ、今から行こう!私、車出すから、おばあちゃん、カナをよろしくネ」

樹森さんはそういうやいなや、車のキーを握って立ち上がった。瀬戸さんの家は、樹森さんの家からそれほど遠くはないから、善は急げということなのだろう。瀬戸さんもあわてて、家で寝ている春子さんに電話すると、「今からみんなで行くからね」と伝えた。

それにしても、脊椎カリエスとはどんな状態なのだろう。カリエスという病名が、私の遠い昔の記憶を呼び起こす。あれは確か、中学校の教科書に載っていた志賀直哉の小説『城の崎にて』に出てきた病名のはずだ。

小説の筋は覚えていない。それでも、城の崎という全く知らない地名と、カリエスというカタカナの病名がミステリアスに感じられて、印象が強く残っていたのである。(つづく)

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