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「先生、今度ロータリークラブでお話ししてくれませんか」
いつもの通り、背骨のズレの矯正が終わったところで、大森さんはネクタイを直しながら、背中を向けたまま、鏡ごしに私に向かってそういった。
「ヘッ、ロータリー、私が?」
突然の話に言葉が詰まった。
大森さんは私と同年代ながら、一代で大企業を立ち上げた立志伝中の人である。毎月のように海外出張をこなし、その多忙な日々の合間を見つけては、体のメンテナンスのために私のところにやってくる。
彼は非常に頭の回転の速い人で、私が発見した「アシンメトリー現象」について話した際も、その重要性をすぐさま理解してくれたのだ。それ以来、私の理論とモルフォセラピーを世に広めようと努力してくださっている。
わざわざ知り合いの新聞社に頼んで、私の記事をむりやり載せてくれたことまであった。そんな大森さんからの頼みとあらば、私としてもそう気楽に断れない。
まして今回は、彼の所属するロータリークラブの例会で、会員たちに「アシンメトリー現象」のことを聞かせたいと思って企画してくれたのだ。それならなおさら断るわけにはいかない。
しかし私には、ロータリークラブとやらがどういうものかわからない。イメージとしては、企業のトップや医師、弁護士といった社会的な地位の高い人たちの集まりなのだと思う。そんな人たちに向かって、地位どころか肩書きもない私が壇上から話すのか。
「ちょっとムリがあるんじゃないですか」
婉曲にお断りモードで返すと、大森さんはニコリともしないで、「もう日程も決めてありますので」と半ば強引に話を終わらせた。
やはり大企業を経営するような人は、これぐらい強気でないといけないのだろう。ともすると押しに弱い私は、「ハァそれでは」と返事するしかなかった。
「くわしいことは秘書から連絡させますから」
それだけいうと、大森さんは足早に帰っていった。
その翌日、秘書さんから電話が来た。彼の話では、私の講演時間は20分程度で、謝礼まで出るらしい。会場は、渋谷に新しくできた高級ホテルである。
ああ、あそこか。あのホテルは通勤ルートにあるので、開業当初、試しに入ってみたことがある。ふかふかの絨毯が敷き詰められたロビーに足を踏み入れた途端、
なんとも場違いな気がして気後れしたのを思い出した。するとまたちょっと気が重くなった。
大森さんの厚意と圧に負けて引き受けたのはいいが、よくよく考えると、あんなところに着ていく服なんかないじゃないか。秘書さんは、「普段着で大丈夫ですよ」といっていたが、彼が私の普段着を知っているわけではない。真に受けて、まさか普段通りのGジャンにGパンというわけにもいかない。
困った。困ったときはフリマ頼みである。ちょうどこの週末は品川でフリマがあったはずだ。あそこは室内開催なので、他のフリマ会場よりもイイモノが見つかる可能性が高い。
とはいえ、イイモノは早く売れてしまうので、私は朝一で品川に向かった。そして運良く、手頃な(私にしては奮発した)ジャケットを買うことができた。サイズもピッタリだ。これを着ていけば「大丈夫」だろう。
さて講演の当日、ホテルのロビーで待ち合わせた大森さんに連れられて、会場へ向かう。室内には、すでに大勢の人たちが集まって歓談していた。彼らは大森さんの姿を見ると、次々に集まってきて、アッという間に大森さんの周りには幾重にも人垣ができた。
私にはアウェイそのものだ。どの人を見ても、みなえらくお金持ちに見える。彼らにすれば、「どれ、たまには貧乏人の話でも聞いてみるか」といったところだろうか。そんな卑屈な気持ちになってきた。
ほどなくして開始のあいさつとともに、例会が始まった。司会からマイクを渡された大森さんが私のことを紹介する。いよいよ出番である。「ヨシッ」と気合を入れて立ち上がった瞬間、この部屋には時計がないことに気がついた。
そもそも私は腕時計なんか持っていない。いつもなら携帯電話で確認しているけれど、入室した時点で電源は切っていた。頭のなかには、話す内容を20分にまとめてあったが、全くの時計なしでは時間配分がわからない。
焦った私が、そばにいた大森さんに、「ト、時計貸してクダサイッ」と頼むと、彼は「あ、どうぞ」と腕からサラリと時計をはずして手渡してくれた。
受け取ると予想外にズシリと重い。この王冠マークは見たことがあった気がする。高い時計なのは知っていたが、これは特別に高そうだ。ますます住む世界がちがって見えてきて緊張が高まる。だがここは正念場。モルフォセラピーの知名度を上げるチャンスなのだから、ビビっている場合ではない。
結局、それからの20分というもの、何をしゃべったのかは全く覚えていない。しかし「以上です」といって話し終えた途端、大森さんを始め、参加者たちが次々に立ち上がって駆け寄ると、口々に「よかった、よかった」といって握手してくれた。
みな優しくて社交的なだけかもしれない。本当に「アシンメトリー現象」の話がおもしろかったのだろうか。正直な反応が気になって大森さんに目をやると、彼の口がゆっくり「ト、ケ、イ」と動いた。
そうだそうだ。手元の資料をまとめるときに、あわてて時計をポケットに突っ込んだので、危うくネコババしちゃうところだった。そこまできてようやく、私は正気にもどったのだった。(つづく)
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