私は日本人気質と呼ばれるメンタリティは、親鸞によって作られたと思っている。

釈迦入滅後2500年以上をかけて、仏教はさまざまな形に変化しながら世界に広がっていった。

その究極の姿が、浄土真宗の宗祖である親鸞(1173-1263)の教えではないかと思うのだ。


 親鸞の教えとはなにか。

師である法然は、「南無阿弥陀仏」と唱えれば阿弥陀様に救ってもらえると説いた。

これに対し弟子の親鸞はさらに、仏教にあるべき修行や戒律までも取り払い、ただ「ナムアミダブツ」と唱えるだけで救われるという、念仏一途の道を説いた。

後にも先にも、これほど見事な他力信仰は存在しない。

この圧倒的な他力信仰の上に、われわれ日本人の思考は形成されているのである。


 かつてキリスト教は、帝国主義と手に手を取って世界中を席巻した。

多くの国々、多くの民族がキリストの名のもとに跪き、キリスト教は地の果てまで広がった。

一方、日本では、国中でクリスマスを祝い、教会で結婚式を挙げているというのに、実際にクリスチャンになる人などほとんどいない。

諸手を挙げて歓迎しているようでいて、受け入れているのは上辺だけ。

日本がキリスト教国になることなどありえない。

どんな宗教に傾倒しようが、根底にある「他力」のメンタリティが揺らぐことはない。

逆に全ての宗教が、日本に入った途端に換骨奪胎し、日本の色に染められてしまうのだ。


 「他力信仰」とは、一切の疑問を持たず、思考停止を旨とする。

脳科学に問うまでもなく、脳は楽をしたがるものだ。

だから、思考停止の許容ほど楽な信仰はない。

今や親鸞の教えはさらに高度に進化して、念仏さえ不要になった。

これが広まらないはずがない。

見渡せば、いつの間にかこの「他力」の教えが世界を支配している。

そう感じざるを得ないのである。(花山水清)