小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:出版

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杉本さんが、私の本のゲラを持って帰ってから2晩が過ぎた。

彼女はいつも、私のメールマガジンを編集してくれているのである。その彼女が、「任せてください」といったからには、任せるしかなかった。そうはいっても、あれだけの量を修正するには、あまりにも時間が足りないのではないか。さすがにちょっと心配になっていた。

そうして私があれこれ気をもんでいるうちに、とうとう初稿ゲラのしめ切りの日が来た。朝の7時を回ったころ、杉本さんから連絡が入った。これから編集プロダクションの事務所がある代々木に向かうので、渋谷駅でもう1回ゲラを読んでもらいたいというのだ。

駅につくと、少し頬がこけた杉本さんが立っていた。手のあちこちに修正液の白い跡がついていて、これまでの格闘を物語っているようだった。その手には、赤ペンでびっしりと訂正が入った原稿が握られている。それを見て私は圧倒された。

うたがって悪かった。やはり彼女はその風貌の通り、武士に二言はなかった。彼女はあれからぶっ通しで作業して、なんと1冊まるごと書き直してしまったのである。

さっそく改札の脇に立ったまま、一気に原稿に目を通す。私の横では杉本さんも再度、原稿を読み返している。おもしろい。ヨシ!この内容なら文句はない。「ありがとう」と伝えると、彼女は緊張した面もちをわずかにくずし、原稿を大事そうにカバンにしまった。そしてあっという間に改札を抜け、通勤客の群れのなかに消えた。

しばらくの間、彼女が消えた方向を見ていたが、施術の予約が入っていたのを思い出して、その足で治療院へと向かった。しかしあんなに書き直してしまって、ライターさんや編集プロダクションから拒否されないだろうか。私のなかでは、また心配が頭をもたげていた。

ふだんなら、1日の施術を終えたタイミングで、杉本さんに連絡することになっている。今日も夕方になってから電話してみると、明るい声が返ってきた。まだ編集プロダクションの事務所にいるらしい。その声のトーンからすると、今朝の心配は私の杞憂だったようだ。

あれから杉本さんは、事務所の前で待ち構え、出社してきた編集プロダクションの社長にゲラを手渡した。ベテラン編集者でもある佐東さんは、あのゲラを見て怒るどころか、「杉本さんは漢(おとこ)だナ」といって笑ったそうだ。

何が何でもいい本に仕上げたい。そんな彼女の熱意が伝わったのだろう。制作チームにも一気に熱が入った。施術を終えた私が駆けつけると、プロの校正者さんも混じえて、読み合わせをしながら校正が進んでいた。

あまりに訂正か所が多くて、かなり時間がかかっているようだ。そうやって1周目の校正が終わると、事務所で再入力してもらい、またそのゲラをみんなで集まって校正する。

しまいには版元の受付のお姉さんまで駆り出して、さらに校正を重ねた。やっと脱稿できたときには、私も杉本さんも、二度とこんなことはできないと思うほど疲れ果てていた。

しかしあとから聞いた話では、最終稿のゲラを印刷所まで持参した佐東さんは、そこでも時間の許すかぎり、校正をくり返してくれていたそうだ。そこまでエネルギーを注いでもらえれば、私たちも本望だった。

おかげで順当に印刷が進み、今日は書店に本が並ぶといわれた日、私は施術の合間をぬって新宿の紀伊国屋本店へと向かった。渋谷にも大きな本屋はあるが、ここが書店の総本山だと聞いていたからだ。

私の本はちゃんと棚に並べてもらっているだろうか。だが探すまでもなかった。入店した途端、1階の店頭に平積みになっているあの本が目に飛び込んできた。

ここだけじゃない。他の階でも平積みである。出版社の営業さんが、がんばってプッシュしてくれたのだろうか。なんとありがたいことだ。

自分の本の前に立った私は、これまでに感じたことのない、晴れがましい気分に包まれていた。わが子の小学校の入学式を見守る親って、こんな気持ちなのだろうか。

この本は、宣伝のために出したかったわけではない。「腰痛は精神的ストレスのせいではなく、背骨のズレが原因だ」という事実を、できるだけ多くの人に知ってもらうためだった。

読んだ人は、私の意図をわかってくれるだろうか。この本は、これからどんな人の手に渡っていくのだろう。期待と不安で胸がいっぱいで、私はいつまでも書店のすみで、わが子の門出を見守っていたいほどだった。(つづく)

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131
杉本さんから「出版が決まりました」という連絡が入った。いつもは冷静な口調なのに、今日はちょっと声が上ずっている。

しばらく前から、彼女があちこちの出版社に、私の本の企画書を送っていたのは知っていた。だが、送っても送っても返事すら来ないと嘆いていたのだ。それがようやく、そのうちの一社から「会議で企画が通った」といわれたらしい。

本があまり売れなくなって久しいから、出版社としては売れない本を作っていては経営が成り立たない。そうなると、「二匹目のどじょう」だろうが何だろうが、確実に売れそうな著者の本しか出したがらない。

あの大ベストセラーの『ハリー・ポッター』ですら、最初はどこの出版社からも見向きもされなかった話は有名だ。それなら私みたいな無名の新人など、相手にされなくても無理はない。

そうかと思えば、「なんでこんな本が出せたのか」と思うような本も、書店にはいくらでも並んでいる。そういう本が出版される背景には、それぞれ事情があるのだろう。

では私の本は、どうして出ることになったのか。はっきりとはわからないが、この前、私がテレビに出たこともプラスに評価されたようである。

以前の私は、著者が書いたものがそのまま本になるのだと思っていた。ところがふつうの書店に並ぶ商業出版では、著者の原稿をもとにして、ライターや編集者が編集し、校正やイラスト、装丁はそれぞれの専門家がチームになって1冊の本に仕上げていく。

もちろんその作業にかかる費用は、すべて出版社が負担することになる。すると必然的に、著者よりも出版社の意向のほうが優先された内容になるのだ。

私の本が、腰痛をテーマとした健康本というジャンルから出ることになったのも、出版社の意向である。健康本なら、無名の著者でもわりと売れやすいからで、私が健康本を出したいといったわけではない。

この本は、私が毎週配信してきたメールマガジンをまとめ、そこに当院の腰痛患者さんたちの体験談を混じえた構成になるそうだ。これは健康本の定番のスタイルだが、私は健康本を買ったことも読んだこともないので、そんなことも知らなかった。

ここに載せる体験談は、ライターさんが患者さんたちに直接電話で取材して、文章に起こしてくれた。その内容を本人たちにも確認してもらって、彼らの実名や年齢、職業まで載せることに了解を得たうえで掲載することになった。

健康本の裏事情など知らない人は、そんなことは当たり前だと思うかも知れない。ところがどっこい、この手の本の体験談は、ふつうはライターさんが適当に作文している。そのため「山田花子さん(仮名)」と記されることが多いのだ。

しかし読者の側では、こうして本に書いてあれば、それが本当の話だと信じてしまう。ここに行けば体験談の人たちみたいに、自分も治してもらえると思って治療院を訪れる。これが治療家が健康本を出す目的だ。

だが私の本は目的がちがう。体験談に誇張もないし、テレビ出演のとき同様、治療院の連絡先だって一切載せていない。ここまで健康本のセオリーからハズレた本など、めったにないはずだ。

そういえば、あの体験談の原稿を読んでから、しばらくたっている。本文はライターさんがまとめたものがゲラになると聞いていたが、いつになるのだろう。スケジュールは出版社次第なので、気長に待つしかなかった。

ゲラを待っていることすら忘れかけていたある日、何の前触れもなく、初稿のゲラが速達で届いた。あわてて杉本さんに連絡し、二人で読んでみることにした。

近くの郵便局で待ち合わせ、二階にあるカウンター席に陣取ると、私はおもむろにゲラをリュックから取り出した。そのズシリと重い紙の束を彼女の手に載せる。ここまでに何か月もかかっていただけに、やっとゲラという実体を手にして感激しているのが伝わってくる。

ところがいざ中身を読み進めていくうちに、杉本さんはどんどん渋い顔になっていった。そのまま後書きまで一挙に読み終えると、のどの奥から息を大きく吐いた。そしてゲラに向かって「これじゃダメだ」とつぶやいた。

どうやらライターさんが、私のメールマガジンの内容をぜんぶ詰め込もうとして、ポイントの部分を混同してしまったようである。私も読み直してみると、彼女が指摘した通りだった。これでは明らかにまちがっている。

しかしあさっての朝には、校正をすませたゲラを編集プロダクションに届けなくてはならない。文章を直すにしては分量が多すぎて、校正の域をはるかに超えてしまう。どうしたものか。私は途方に暮れた。

ふと横を見ると、杉本さんがあの野武士の表情になっている。そしてグッと目を見開いたかと思うと、「任せてください。できるだけやってみます」といい残して、ゲラを持って帰っていった。(つづく)

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