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私は子供のころから落語が好きだった。志ん朝や金馬がよくテレビに出ていたし、まだ若手の談志には勢いがあって、よく笑わせてもらった。

大人になってからは、何度か寄席にも足を運んだ。テレビではあまり目立たない落語家が、だれよりもおもしろいこともあった。おかげで、生で聞くことの価値も知ることができた。

そんな落語好きの私だが、今までいちばん感心した話術の持ち主は、落語家ではなかった。作詞家やラジオパーソナリティとして名高い、永六輔さんだったのだ。

あるとき私は、たまたま無料で彼のトークを聴く機会があった。無料だったのは、築地にある超有名なお寺さんの主催だったからだろう。しかも会場は六本木ヒルズである。ツッコミどころも違和感も満載だった。

だがいざ彼が話し始めると、私のなかの違和感など見事に吹っ飛んだ。これまでの人生で、あれほど笑ったことはない。彼の話術は名人芸どころか、人を殺しかねない域にまで達していたのである。

人は笑うと、「ハハッ」と息を吐く。爆笑となれば、それはもう「ワハハハハハ~ッ」となって、吐く息の量も格段に増える。

彼の場合、聴衆がドッと笑って大きく息を吐き切って、これから息を吸おうとしたタイミングで、矢継ぎ早に次のネタを重ねていく。すると聴衆は息を吸う暇もなくドッと笑う。

しかし息を吸っていないのだから、もう肺には吐く息がない。吸おうとするとまた笑わせる。このくり返しで、私たちは息を吸えないまま、笑いながら息を吐きつづけた。しまいには苦しくなって、あちこちで悲鳴に似たあえぎ声がもれ始めた。

もしここでもう1回爆笑させたら、必ず死人が出る。その一歩手前で、彼は話を止めてくれた。おかげで私も死なずにすんだけど、今思い出しても全くもって恐ろしい技だった。

それほど彼の呼吸の読み取り能力は天才的だったが、相手の呼吸を読むのは、何も話芸の世界だけのものではない。武道でもよく耳にするし、実は私の仕事でも、患者の呼吸の変化は、体調を把握するための重要な目安になっている。

先日、いつも来ている上条さんから、「今日は兄もいっしょに診てもらえないかしら」と連絡があった。

聞けば、同居しているお兄さんが、昨日から体調が悪そうなので、家にそのまま置いていくのが不安だったらしい。

上条さんは、毎月のように私のところに通ってこられるけれど、さし当たって体に問題があるわけではない。背骨がちょこっとズレている程度で、どちらかというと健康なタイプである。

お兄さんがこれまで来院されたことがなかったのも、きっと健康だったからだろう。兄妹なら体質も似ているはずだと考えて、私は気楽に来院をOKした。

ところがいざ部屋に入ってきたお兄さんを見て、私の顔からは血の気が引いた。苦しそうにゼーゼーと肩で息をして、明らかに異常である。

どう見たって、「ちょっと体調が悪い」なんてレベルではない。とんでもなく危険な状態なのがわかる。こういう呼吸の仕方は、末期の肺がんか、心不全を起こしているときのパターンなのだ。

上条さんの話では肺がんではないらしい。それなら多分、心不全を起こしているのだろう。どちらにしても、これは一刻を争う状態だ。

だが私のあわて方とは裏腹に、上条さんは「昨日からこんな感じなの~」と、やけにノンビリしている。彼女としては、私にちょっと背骨のズレを治してもらえば、すぐよくなるだろうと思っているらしい。

「このまま病院に連れてってください。今、すぐッ!」

いつも冗談ばかりいっている私が、強めの語気で急かすと、やっと事の重大さに気がついてくれた。

その足でお兄さんをかかりつけの病院に連れていくと、予想通り、彼は心不全を起こしていた。そのまま集中治療室に入ったが、しばらくは予断を許さない状態がつづいた。

心不全というのは、心臓のポンプ機能が低下して、体が酸欠になっている状態のことだ。そのため、彼は何とか酸素を取り込もうとして、肩で大きく息をしていたのである。

ところが彼のように肩で息をして苦しそうなのを見ると、ちょっとした肺炎だろうと思う医師がいる。またレントゲンで肺に影が見つかると、肺がんだと診断して、肝心の心不全を見逃してしまうこともある。この点にも注意が必要だ。

それにしても今回の上条さんみたいに、えらく危険な状態の患者さんを、私のところに連れてくる人がたまにいる。それだけ私の施術を信頼してくれているのかもしれないが、ヘタをしたらその場で亡くなる可能性だってある。そのたびに肝が冷えて、私の寿命は確実にちぢんでいく。

たしかに背骨のズレによる症状は、あまりにも多岐にわたっている。それがわかってくると、逆に何でもかんでもズレが原因だと思ってしまいがちだ。

しかし脳疾患や心疾患のように緊急度の高い症状は、民間療法では間に合わない。もし今までにない症状が出たら、まずは急いで病院で診てもらうこと。それがいちばん重要なのである。(つづく)

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