小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:大腸がん

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小説『ザ・民間療法』挿し絵085
下田さんが病院での治療を受け入れてくれたおかげで、やっと私も彼の大腸がんとの闘いから解放された。

あのまま彼が病院での治療を拒みつづけていたら、私はずっと彼のもとへ通って施術をつづけていただろう。それでは、私のほうが先に逝くはめになっていたかもしれない。それほど彼の起立筋には難儀していたのである。

しかしたいへんだったのは、下田さんのケースだけではなかった。私が彼の起立筋と格闘していたころ、あの海外ロケで頭から農薬をかぶってしまった河野くんが、サルコイドーシスという難病を発症してしまったのだ。

会社の健康診断で肺の画像に何かが写っていたので、くわしく調べてわかったことだった。サルコイドーシスというのは膠原病の一種らしい。この病気になれば、完治させるような治療法がない代わりに、急に悪化して死んでしまうこともないらしい。

医学書でそんな記述を読んでみても、それが何を意味するのかはイメージできなかった。そこには原因も不明だと書いてあったが、私にはあの農薬の事故以外に発症の原因は考えられなかった。

あれほど健康だった河野くんが、いきなりこんな体に変わってしまったのである。タイミングから見ても、あれがきっかけだったのはほぼまちがいないはずだ。

農薬といっても、彼がかぶったのは強力な有機リン系殺虫剤である。それは、あのサリン事件で有名になったサリンと同じような作用をもつ猛毒だ。そんなものを全身に浴びてしまって、ただですむわけがない。

私の実感としては、河野くんの体の感触は大腸がんの下田さんに匹敵していた。心配になった私は、河野くんにも何度も刺激を加えてみた。ところが一向に反応はにぶいままで、なかなか痛みに変化してくれない。これには途方に暮れた。

子宮頸がんの京子さんや大腸がんの須藤さんは、どちらもスムーズに刺激に対して反応が出たのに、同じことをやっても全く歯が立たないのである。男性の筋肉が一旦緊張すると、女性とは比べものにならないほど硬くなってしまうものなのだろうか。

それでも何度も河野くんの家に通って、刺激を繰り返していた。プラスにはならないとしても、せめて彼の症状がこれ以上悪化しないことだけを願って、ひたすら刺激をつづけた。

そんなある日、ようやく少しだけ痛みに変化し始めた。河野くん自身も、この変化が体にとっていいことなのがわかっているから、痛みが走るたびに、「ヨシ!ヨシッ!」と喜びの声を上げながら身をよじる。

ふとんの上で、大の男二人が熱のこもったやりとりをしていると、そばで見ていた奥さんは、やや不安気な視線をこちらに向けてくる。だがそんなことにはかまっていられない。私は必死だった。

果たしてこの板みたいに硬くなった体を、以前の柔らかい体にもどすことなどできるだろうか。それができたら、サルコイドーシスも消えてしまうだろうか。それは私にもわからなかった。

ただし、この体の硬さはどう見ても異常なのだ。きっと何らかの悪さをしている。それだけはまちがいない。そしてその原因が、あの有機リン系殺虫剤という毒物なのだとすると、左の起立筋が盛り上がるのも毒物が原因だということになる。

そうなのか。それなら、肺がんだった芳子さんはタバコのニコチンが原因で、大腸がんの須藤さんは毒入りジュースのせいか。子宮頸がんだった京子さんにしても、家計が破綻するほど大量の健康食品をとっていたので、それが原因だったのかもしれない。

では下田さんは何だろう。そういえば、彼の紹介者である寺田さんの周囲は、みんなとんでもない大酒飲みなのを思い出した。アルコールだってヒトにとっては立派な毒だから、下田さんはお酒のせいだったのだろうか。

もしかして、そこには共通した物質が存在している可能性もある。もちろんそれが何なのか私には特定できないし、しくみもわからない。しかしヒトは毒物にさらされると、左の起立筋が盛り上がるものであるらしい。そしてその状態が極まっている人は、がんや難病を発症している気もする。

すると、これはまだだれにも原因が知られていないだけで、サリン事件みたいなものなのかもしれない。そう気づいたとたん、目の前に暗い穴がポッカリと口を開け、私を飲み込もうとしているようだった。(つづく)


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小説『ザ・民間療法』挿し絵084
それにしても、「左」というのはどこか不気味である。

背骨は左にしかズレないし、背中の起立筋も左だけが盛り上がる。人の体の「左」に現れる異変は、何か不吉なサインなのだろうか。その不気味さそのままに、大腸がんの下田さんの起立筋は、相変わらず左が盛り上がったままなのである。

施術のために彼のマンションに通い始めて、もう3か月になろうとしていた。まちがいなく彼にはタイムリミットが迫っているのに、いつまでもこんなことをつづけるわけにはいかない。

いくら工夫してみても、彼のがんに対しては施術の効果が現れない。それはこの左の起立筋の状態を見ればよくわかることだった。背骨の矯正で、あれほどの激痛が消えたのはせめてもの救いだったが、日に日に私の焦りは増していった。

そろそろ終わりにしなければいけない。しかし、依然として彼は病院に行こうとはしない。いちばん最初に大腸がんだと診断された病院で、担当医との間に何があったのだろう。彼は一切語ろうとしないし、思い出すのさえ不快な様子だった。

下田さんに限らず、医師から投げられた心ない一言で、患者が深く傷ついたという話はよく聞く。だが病院などいくらでもあるのだから、他の病院に移ればいいだけではないか。

たった一人の医師のせいで、病院での医療のすべてを拒否するなんて、どう見ても合理的ではない。その結果、民間療法家でしかない私に身を任されても、責任が重すぎる。

私の施術が救いになるならまだしも、彼のがんはすでに私の手には負えない状態だ。こうしている間にも、彼の体内でがんが広がりつづけているかもしれない。そう思うと、本人よりも私のほうが不安に耐えられなくなってきた。やっぱり病院に行くようにすすめてみよう。

しかしただすすめただけでは、彼もすんなり「ウン」といわないだろう。そこで私は事前に策を練った。実は私の患者さんのなかに、大学病院の消化器科の医師がいる。キャリアも十分だし、人柄も信頼できる。彼になら任せて安心なので、下田さんのこれまでのいきさつを説明し、本人が納得したら、そのまま治療に入る段取りを組んでおいた。

次の日曜日、下田さんへの施術を終えた私は、意を決して病院での治療の話を切り出した。すると今回は、拍子抜けするほどあっさり承諾してくれたのである。彼も内心、そろそろ潮時だと感じていたのかもしれない。翌週には入院して検査を受けることになった。

検査の結果では、3か月前と比べてがんの大きさに変化はなかった。やはり最初の病院と同じで、手術で患部を切り取ってから人工肛門になることは避けられないようである。

それでも、私はこの結果にかなりホッとした。私が施術していた間に、もう手術すらできないほどがんが進行していたらどうしようか。そう考えてずっとハラハラしていたのだ。

がんになった芸能人が、どこかの民間療法を信じこんで、病院での治療を拒否して手遅れになったという話はよくある。もし下田さんのがんが進行していたら、結果として私も同類になってしまうところだった。

いくら本人が強く望んで始めたこととはいえ、手遅れになるのだけは避けたかったのだ。これでやっと、3か月もの間つづけてきた施術の緊張から開放されて、私は泣き出したいほどだった。

思えば、何の進展も見られないまま、毎週毎週、彼の元に通い続けるのはあまりにもつらかった。引き受けたときには、彼をなんとかしてあげたいという思いだけでなく、私のなかにも「もしかして」という期待があったかもしれない。

これが安易だった。確信もないのに、責任の取れないことに手を出すべきではなかったのだ。やはりこの苦い体験を教訓とするしかない。今後は、病院で治療を受けていないがん患者さんには、決して施術しないでおこう。そう心に決めた。(つづく)

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小説『ザ・民間療法』挿し絵083
がんの話をすると嫌われる。ここのところ、それを実感するようになった。

がんという病気は、病院で発見されるまではほとんど症状がないのに、末期になるといきなり激痛におそわれる人が多い。

「痛みのあまり絶叫して、アゴの骨がはずれた」とか、「痛みのせいで力いっぱいしがみついて、病院のベッドの鉄パイプを曲げてしまった」といった話まである。そういう話ばかり聞かされるから、みんな「がんにだけはなりたくない」、「がんの話なんて聞きたくもない」と思っているのだ。

肺がんが見つかったとたん、あっという間に亡くなった芳子さんも、入院したら急に痛みが出るようになって、モルヒネまで投与されていた。それほどがんで痛みが出ることは珍しくないらしい。

しかし先ほどの下田さんをおそったあの激痛は、がんのせいではなかった。単に背骨がズレたことによって引き起こされた痛みだったのだ。

本人の話では、確かにがんのあるところが痛かったらしい。これは偶然なのか。それとも背骨のズレとがんの場所には、何か関係でもあるのだろうか。

下田さんがあのまま病院に行っていたら、がんによる痛みだと診断されただろう。病院では、背骨がわずかにズレた程度でおなかに痛みが出るなんて、絶対に考えないのである。

思えば、「背骨がズレる」というのは非常におもしろい現象だ。民間療法でしか扱われることがなくても、実際には人の体にいろいろな悪さをしている。私はそういう例をたくさん見てきたのである。

実はその背骨のズレに関して、今回、下田さんの背骨がズレているのを見つけたとき、私のなかで大きな発見があった。

以前、下田さんと同じ大腸がんだった須藤さんが腹痛を起こしたとき、背骨のズレをもどしたら痛みが消えてしまったことがある。そのとき、「背骨って、みんな左にしかズレないんだな~」とボンヤリと考えていた。そして今日の下田さんも、やっぱり背骨は左にズレていたのである。

そこで、かつて私が診てきた人たちひとりひとりを思い出してみた。すると、みんな背骨は左にズレていたのである。私はハッとして、急に目の前が明るくなった。マンガなら、頭の上にパッと電球が灯るところだろう。

だが今回は電球どころじゃない。暗いトンネルから抜け出た瞬間、視界が真っ白になるほどの強い光に目がくらむ。あれに似ている。

もちろん、これからまだまだ大勢の人の体を調べて、例外がないかどうかを確かめてみる必要があるだろう。それでも私の手のなかに残された記憶が、この発見はまちがっていないと教えてくれている。

もし背骨は左にしかズレないものであれば、これまでのズレに対するイメージはガラリと変わってしまう。そもそもなぜ背骨はズレるのか。その原因が全くちがってくるからだ。

今までは、転んだり、どこかにぶつけたりして、体に外から力が加わったことで背骨がズレるのだと思っていた。民間療法家なら、だれもがなんとなくそう思っているだろう。

ところが「背骨は左にしかズレない」となると、外からの力では説明がつかない。外からの作用なら、右にも左にもズレるはずだからだ。それが一方向だけ、しかも左にだけとなると、外からではなく、全くちがう力によって背骨がズレていることになる。

その「全くちがう力」とはいったいなんだろうか。それが特定できれば、これはもう民間療法どころか、医学の領域さえ飛び越えたサイエンスの話になってくる。

「背骨は左にしかズレない」って、もしかしてノーベル賞級の発見かもしれない。そう思ったら、マグマみたいなものがおなかの底からフツフツと湧いてきて、頭のストッパーを吹き飛ばした。そして私の空想は、限りなく宇宙の果てまで広がりつづけていくのだった。(つづく)

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小説『ザ・民間療法』挿し絵082
下田さんがパートナーと暮らしている中目黒のマンションは、幸いにも私のアパートから歩いて行ける距離にあった。彼は平日は仕事に出かけているので、日曜の午前中に行って施術することになっていた。

最初の約束の日、急ぎ足で歩いてみたら20分ほどで着いた。電車だと乗り換えを含めて遠回りになるし、お金もかかる。この距離なら電車で行くよりも早いから助かった。

案内された部屋に入ると、さすがFM局の人だけあって、室内には高そうなオーディオ機材がズラリと並んでいる。私の部屋など、オーディオどころか音の出るものすらない。そもそも物がない。あるのは、知り合いのおばあちゃんからもらった一組のふとんと茶碗ぐらいなものだ。

それはさておき、下田さんに施術するにあたって、私と彼との間で条件を決めておいた。第一に、決して私の施術でがんがよくなるなどと期待しないこと。期待して期待通りの結果にならないと、裏切られたと感じてショックも大きくなる。だから、あえて京子さんや須藤さんの話も一切しなかった。

第二に、施術に対して私は一切お金も物も受け取らない。やるからには最善を尽くすが、何かあっても責任を負えないからである。この条件を告げると、彼は申し訳なさそうな顔をしたが、その表情は相変わらず暗い。これからのことを考えれば、それも仕方のないことだろう。

この2つの条件に納得してもらったところで、最初の施術に入る。ところが実際に彼の体を刺激してみると、おどろくほどかたい。予想していたよりもはるかにかたくて、それはもう亀の甲羅を指でもみほぐしているみたいだった。

これまで施術してきたがん患者だって、みんな女性にしては筋肉がガッチリとかたかった。それですら散々手こずったのに、男性ではレベルが段ちがいだったのだ。

ただし私がやる刺激は、力を入れればいいわけではない。いわゆるマッサージのような力の使い方はしない。その分、何が本人の負担になるのかもわからないので、今日はほんのさわりだけにしておいた。これでは先が思いやられる。

だが「先」といっても、京子さんや須藤さんたちみたいに、「手術まで1か月」といったタイムリミットがあるわけではない。彼の場合は無期限だ。それでもがんが進行している以上、のんびり攻めるわけにもいかないので、毎週日曜になるたびに彼のところに通った。

しかしこれまでの人たちとちがって、施術を2回、3回と重ねても、刺激に対して反応がない。痛みが全く出てくれないのである。これほど反応が出ないのでは、がんを抑え込むことはできない。時間の経過とともにがんが広がるだけだから、さすがに焦る。

果たして彼の体は、今どういう状態なのだろう。次第に私のなかで不安が大きくなってきた。そこで下田さんに、一度病院で検査を受けてもらいたいと頼んだ。そうでなければ、恐ろしくてもう手出しができない。

いろいろと説明して彼も納得してくれたので、前にトラブルのあった病院とは別のところで検査を受けることになった。私としては、このままその病院で治療してもらえるのではないかという期待もあった。

ところがどっこい。期待は裏切られるものである。なんと検査の結果、以前の検査画像よりもがんが少し小さくなっていた。その結果を聞いた下田さんは喜んだ。そして病院での治療ではなく、逆に私の施術への期待が高まってしまったのだ。

しかし私の感触では、彼の体は決してよくなってはいなかった。私の悩みは深まったまま、彼のマンションに通いつづけてもう1か月半が過ぎようとしていた。

その日は9月としては記録的な暑さで、最高気温が37度を超した。炎天下のアスファルトの上はいったい何度になっていただろう。下田さんの部屋に着いたときには、汗が吹き出していた。

タオルで汗を拭き拭き、いつも通りに玄関でブザーを鳴らしてから部屋に入る。すると足元の床に彼が転がっていて、背中を丸めて痛みに耐えているのだ。冷房が効いた部屋のなかで、痛みでうなりつづける彼の額からは脂汗が流れていた。

これまで彼のこんな姿を見たことがない。ぼうぜんと見つめる私に向かって、部屋にいた彼女は、「たまにがんのところがこんなふうに痛くなるんですよね」と淡々と説明してくれた。

今でこそ見慣れているが、彼女も以前は、あまりに彼が痛がるのを見かねて薬局へ駆け込んだこともあったらしい。そこで「がんの痛みに効く痛み止めをくださいッ」と頼んだら、店主は血相を変えて、「そんなモノ置いてるわけないでしょ!」と吐き捨てるようにいったのだという。

だがいくら見慣れているとはいえ、いつもならそろそろ痛みが引くはずなのに、今日は長引いている。さすがにちょっと心配そうだ。

がんの痛みと聞いて、同じ大腸がんの須藤さんが腹痛だったときの様子を思い出した。あのときは単に背骨がズレていただけだった。それなら下田さんの痛みも、ひょっとするとズレのせいかもしれない。

彼のうしろに回って背骨を調べてみると、予想通り、腰のあたりで背骨がズレている。これだ。これだけ大きくズレていれば、おなかに激しい痛みが出てもふしぎではない。すかさずその骨を正しい位置にもどすと、彼のうなり声がピタリと止んだ。

やっぱりそうか。彼の場合も、がんのせいだと思っていた痛みは、背骨のズレによる痛みだったのだ。(つづく)


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小説『ザ・民間療法』挿し絵081
大腸がんの手術を乗り越えて、須藤さんが無事に退院した。ところが元気ではあるものの、まだ排便がうまくできないのでとまどっているようだった。

「そりゃ腸を切り取ったんだから、ムリもないヨ」といって励ます。お医者さんからも、時間がたてば徐々に元の状態にもどると説明されていたし、これでしばらくの間、彼女はがんで死ぬことはないだろう。

大腸がんは5年たって再発しなければ「完治」の扱いになるから、それまでの間は私も定期的に様子を見にくることに決めた。まずはこれで一安心だ。

須藤さんががんの宣告を受けた日から、私もずっと真剣勝負がつづいていた。その極度の緊張から解放されて、やっと一息つける状態になったのだ。ところがそんなホンワカムードをぶちこわすように、一本の電話がかかってきたのである。

それは、例の音楽事務所を経営している寺田さんからだった。彼はいつも腰痛の友だちを見つけては私に紹介してくれる。だが今回は腰痛ではなかった。

「ヨー、大腸がんの友だちを診てもらいたいンだけどサ…」

前置きもなしに彼はこういきなり切り出すと、「大腸がん」と聞いてひるむ私などおかまいなしに話をつづける。彼にとっては腰痛も大腸がんも、大したちがいはないのだろう。とにかく友だちが困っていたら、放ってはおけないタチなのだ。

友人の下田さんは45歳で、FM局のディレクターをしている男性だという。検査で大腸がんが見つかってそのまま手術する予定だったのに、担当の医師と反りが合わなくて病院を出てしまったらしい。

その後も一切、病院には行かないで、ずっと仕事をつづけている。心配になった友だちが説得を試みても一向に耳を貸さず、病院をかたくなに拒否している。そこでとっさに寺田さんの頭に浮かんだのが、私の存在だったというわけだ。

音楽業界といえば、少々ヤクザな仕事柄のせいか、寺田さんの周囲には社会的に問題のある人が少なくない。彼は、そんなめんどうな人ばかり私に任せようとする。あるときなど、麻薬中毒で演奏ができなくなったミュージシャンを、私の手で何とかしてくれと預けられたこともあった。

下田さん本人も、以前から私のうわさを聞いていたのだろう。私にだったら診てもらいたいといっているらしい。しかし他のことならまだしも、がんは困る。須藤さんたちはたまたまうまくいったけれど、次もまたうまくいくとは限らない。かといって、むげに断るわけにもいかないから困るのだ。

そんなことは気にもとめないのが寺田さんである。そこでまずは彼の顔を立てて、一度だけ彼の事務所まで来てもらって話を聞くことにした。ところが実際に会うと下田さんの表情がかたい。今までのがん患者はみな女性だったからなのか、今回は印象がちがった。

その暗い表情のまま、彼の口からポツリポツリと語られた話では、彼のがんはかなり広範囲に広がっていて、手術では人工肛門になる予定だったらしい。だが実際のところ、医学知識もない下田さんには、自分のがんの状態はよくわかっていないようだ。それでも、彼のがんが須藤さんや京子さんとはレベルがちがうことだけは感じられた。

そこでためしに体を見せてもらう。案の定、左の起立筋はグッと盛り上がっていて、がんのある体であることはまちがいがない。さらに、全身の筋肉も板みたいにかたい。農薬を頭からかぶってしまった河野くんよりも、もっとかたい印象だ。

下田さんは中肉中背のごくふつうの体型で、特別なトレーニングなどはしていないのに、彼の筋肉は鍛え上げた人のようにかたいのである。

それよりも何よりも、がん特有の例のツブツブが気になる。おなかの左下の部分に軽く触れてみると、かたいイクラを敷き詰めたようなザラついた感触が、服の上からでもしっかりと手に当たるのだ。この感触が、彼のがんは須藤さん以上のレベルであることをはっきりと告げていた。

むりだ。この体を引き受けることなどできない。ここまでの状態の人に、私は手出しはできない。申し訳ないけどお断りしよう。そう思って顔を上げた瞬間、気配を察知した寺田さんが先回りして、「たまに、ちょっと診るだけでいいから」といって、私の言葉をさえぎった。下田さん本人も、「ぜひぜひ」と必死に頼んでくる。

「あぁ…」と思ったが仕方がない。ここまでいわれては断れない。「何回かやるだけやって、様子を見ることにしましょう」。それだけいうと、彼の自宅の住所を手帳にメモした私は、「食事にでも行こう」という寺田さんの誘いをお断りして、そのまま事務所をあとにした。

大腸がんへの施術。またあの緊張の日々がつづくのか。しかも末期に近い彼の状態では、とうてい良い結果が出せそうにはない。そう思うと沈み込むように体が重くなっていき、家までの道のりが果てしなく遠くに感じられるのだった。(つづく)


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