小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:大腸がん

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小説『ザ・民間療法』挿し絵080
大腸がんの手術を間近に控えた須藤さんは、入院準備だけでなく、入院で不在中の仕事の段取りなどもあって、けっこう忙しそうだ。忙しくしていなければ、不安な気持ちに押しつぶされそうなのかもしれない。

そこにあるのは、がんそのものへの不安だけではない。手術でおなかを開けて腸を切除するとなれば、それだけでも死ぬリスクは十分にある。これまで手術など経験したことのない私が、気軽に「大丈夫だよ」などといい加減な励まし方をするわけにもいかない。私はただ、手術までに残された時間で、施術に力を注ぐだけだ。

そうして須藤さんの体を刺激しつづけて4週間が過ぎた。これでもう8回目になる。最初のころに比べると、彼女は体調がすこぶるよさそうだ。異常にこわばっていた左の起立筋からは、私の指先をはじき返すような硬さが消え、全身がやわらかくなっている。体つきがふっくらとして、丸みを帯びてきた気もする。

本人に聞くと、体重が増えたわけではないらしい。施術の刺激によって、なにか体の組成が変わってきているのだろうか。ずっと痔だと思っていた出血も少なくなっているというから、この変化は良い方向な気がする。

入院まであと1週間を切ったところで、最終的な仕上げの段階に入っていた。子宮頸がんだった京子さんのときは、手術までの間にがんが消えた。私の施術との因果関係はどうあれ、おかげで手術は回避できたのだ。

だが須藤さんはどうだろう。私としては手応えはあるものの、確かなことではない。なんといっても須藤さんには2か所もがんがあるのだから、京子さんよりも悪性度が高いと考えられる。そこに懸念があったので、楽観はできない。

50代の須藤さんは、ずっと独身で子供もいない。つきあっているパートナーはいても、入院して手術となると、同意書などの手続きは身内でなければいけない。そのため姪の朋子さんが、入院の手続きや身の回りの世話をすることになっていた。

あれこれと準備も進み、明後日が入院という日、仕事を終えた須藤さんは覚悟を決めたようだ。「もうまな板の上の鯉よ。煮るなり焼くなり好きにして!」といったかと思うと、こぶしを振り上げ、「ヨシ!景気づけにカラオケに行こう!」と気勢を上げた。

彼女の元気な声に呼応して、朋子さんや社員たちも一斉に「オーッ」と雄たけびを上げる。彼女の会社は社員全員が女性なのでノリがいい。その勢いに負けて、ノリの悪い私までカラオケに同行することになった。

事務所からタクシーに分乗し、みんなで行きつけの渋谷のカラオケ店へとなだれこむ。須藤さんが真っ先にマイクを握ると、得意のザ・ピーナッツで盛り上げる。やっぱり昭和歌謡はイイ!

須藤さんががんだと診断されてからというもの、ともすると沈みがちだったみんなも、それまでの反動からか大いにはっちゃけている。次々に曲を指定して歌いまくって、ついに私にまでマイクが回ってきた。

見た目こそロックミュージシャン風とはいえ、私は人前で歌うのは苦手だ。楽譜にとらわれない大らかな歌いっぷりが魅力だといわれるほどである。でも、ここまで来て場を盛り下げてしまっては台無しだろう。いっしょに歌うことで、いっときでも須藤さんが楽しい気分になるならそれでよかった。

入院の日、須藤さんの住んでいる代官山は朝からよく晴れていた。天気など関係なくても、私にはこれが吉兆に思われた。きっとうまくいくだろう。病院へ向かう須藤さんを乗せたタクシーを見送ったあと、不安がよぎるたびにあの晴れた空を思い出していた。

2日後、入院に付き添っていた朋子さんからの電話で、明朝、予定通りに手術だと知らされた。そうか、手術になってしまったか。検査の結果はダメだったということなのか。がんが消えているのを期待していた私は、電話を持ったまま体から力が抜けていくのを感じていた。そしてため息といっしょに、「がんばってと伝えて」というのが精一杯だった。

手術当日の午後、心配で気もそぞろな私のもとに朋子さんから電話がきた。さきほど無事に手術が終わり、今はまだ麻酔から完全には覚めていないらしい。朋子さんは「あのネ…」と話をつづける。

須藤さんが受けたのは、がんが2つある部分の両端で大腸を切り取って、残された部分をつなぐ手術だったようだ。ところがいざ切り取った腸を開いてみると、2つあるはずのがんが1つしかなかった。つまりこの1か月で、がんが1つ消えていたのである。

それを聞いた私は、思わず「エッ、手術前に検査しなかったの!?」と口走ってしまった。私はてっきり手術前の検査の結果、がんが消えていなかったから手術になったのだと思い込んでいた。

ところが朋子さんは、2つあったがんが1つになっていたことなど気にもしていない。「あ~そうだったかしら?」程度にしか感じていないようだ。

しかし私はちがう。胸のなかから強い喜びが吹き上げてくるのがわかる。あの手応えはまちがっていなかったのだ。それと同時に、がんの存在とあの左の起立筋の異常が、密接に関係していることを改めて確信したのだった。(つづく)


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あれから私は、大腸がんの手術を控えた須藤さんの家に通う日がつづいていた。

それにしてもがんてヤツは、病気というよりも地震のような天災に近い気がする。地震は何の前触れもなくドカンとやってきて、一挙に今までの生活を一変させてしまう。がんだって、何の予兆もなしにいきなり「がんです」と宣告されるのだから、本人にとっては青天の霹靂だ。

他の人と全く同じ暮らしをしていたのに、がん患者になった途端、「あなたはがんの人」といって区別される。みんなと同じ列に並んでいたと思ったら、「今日からあなたはこっちの列ですよ」といわれるようなものだ。その理不尽さには、だれしもとまどうばかりだろう。

しかし実際のところ、あなたはある日突然がんになったのではない。体のなかでがんが発生して、それががんとして発見される大きさに成長するまでには、有に10年以上がたっているのだ。だから決して昨日今日できたわけではない。

それではどうして、がんができてしまうのだろうか。その原因の一つに発がん物質がある。たとえば肺がんで亡くなった芳子さんは、長年タバコを吸っていた。そのせいで、発がん物質であるニコチンによって肺がんになったと考えられる。

それなら須藤さんは、なぜ大腸がんになってしまったのか。今から10年以上前に、何か特別なことでもあったのだろうか。そこで本人に、何か思い当たることはないかとたずねてみた。

彼女は「サテ?」と首をひねったが、何か頭に浮かんだようで、表情に暗い影が差した。そして当時の記憶をたどるようにして「実は…」といいながら、いつになく重い口調でこんな話をしてくれた。

今から14年ほど前、独立して今の会社を立ち上げたころのことだ。あるパーティーに参加した彼女は、それまで所属していた会社の女性社長Hの隣に座った。

そこでは当たり障りのない近況報告をしながら食事をしていたが、途中で須藤さんはトイレに行くために席を立った。しばらくして席にもどると、飲みかけのジュースを口にした。ふと「味が変だな」とは思ったものの、のどが渇いていたので残りを一気に飲み干した。

ジュースがのどを通って胃袋に落ちた。そう感じた瞬間、胃が強烈にむかついて、がまんできなくなり、トイレにかけこんで激しく嘔吐した。しかもジュースどころか、胃のなかのモノがすっかりなくなるまで吐いても、まだ吐き気がおさまらない。

あまりの気分の悪さに、パーティーを途中退席してタクシーで家にもどった。ところが這うようにして部屋にたどり着いたころには、吐き気だけでなく呼吸まで苦しくなってきた。「これは危ない」。そう感じた須藤さんは救急車を呼んで、そのまま緊急入院した。

入院後もさらに彼女の症状は悪化していった。手足の皮膚がズルリとむけて、しまいには頭髪が全て抜け落ちてしまったのである。毒を盛られた「四谷怪談」のお岩さんそのままの姿の自分を見て、一時は「もうダメか」とまで思い詰めた。それでも幸い命だけは助かったが、しばらくは苦しい入院生活がつづいたのだという。

なんともすさまじい体験である。予想外の話の展開に、私もとっさには返す言葉が見つからない。気になるのはそこまでの症状を引き起こした原因だが、結局、病院の検査では、何らかの物質による中毒症状らしいとしかわからなかったようだ。

しかしタイミングから見れば、あのジュースが原因だったはずだ。パーティーの参加者で同じ症状の人はいなかったようだから、単なる食中毒ではないだろう。あのとき彼女がトイレに立ったすきに、だれかが須藤さんのジュースに毒を入れたのではないか。しかもその「だれか」とは、隣席のあの女性社長Hの可能性が高かった。

それまでにも、Hの周囲では何人もが不審な死を遂げているといううわさがあったのだ。そのなかには須藤さんの知り合いも含まれていた。その人もHの元から独立して、会社を立ち上げようとしている矢先に亡くなったのである。

須藤さんがポツポツと語る内容は、あまりにも非日常的でにわかには信じがたいほどだった。それでも、もしこれが本当にHの仕業だとしたら、とんでもない話である。Hは今ごろどうしているのだろう。恐る恐る聞いてみると、何か事件を起こして今も刑務所に入ったままだという。全くサスペンスドラマのような話である。

14年もたった今となっては、そのときの須藤さんの症状が、毒物のせいだったかどうかはわからない。もちろん、それが彼女の大腸がんの原因なのかも確かめようがない。

だがその毒物のせいで、彼女の左の脊柱起立筋が盛り上がるようになったのだとしたらどうだろう。がん患者の体に特有のこの異常は、その毒物が原因だと考えられるだろうか。どうにかしてそれが何なのかを特定したい。私はこれが、何か自分に与えられた大きな課題のように感じ始めていた。(つづく)


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*小説『ザ・民間療法』全目次を見る 077
相手の体に触れる以上、施術には必ずリスクが伴うものである。だからこそ、患者さんとの信頼関係がなければ、この仕事は成り立たない。まして須藤さんはがん患者なのだ。

いくら慣れているとはいえ、今の彼女の状態では施術によって何が起こるかわからない。トラブルがあっても、医者でもない私には責任のとりようがない。そうなると、がん患者への施術を仕事としてやるわけにはいかない。

そこで京子さんのときと同じように、須藤さんにも無料で施術させてもらうことにした。ただし日程は私の都合に合わせてもらう。もともと彼女は職場兼用の自宅で、昼夜に関係なく仕事をしているから、それでかまわないといってくれた。

彼女の会社は、私のアパートからもそれほど遠くないので通いやすい。私としては、彼女の手術までの限られた日数のなかで、できるだけ施術の回数を増やしたいから、これも都合がよかった。

そこまで確認してから、改めて須藤さんの施術に入る。今までのようなリラクゼーションが主体ではない。これからは1回1回が命がけの真剣勝負である。

まずは盛り上がった左の起立筋の周辺から刺激してみる。ほどなくして須藤さんは痛みで体をよじり始めた。痛みが出てくれさえすれば、一歩前進だ。ところが彼女は痛みにすこぶる弱いので、そのまま攻め込むわけにはいかなかった。

痛みの種類にもよるが、人には痛みに強い人と弱い人がいる。私などは注射の痛みにはすこぶる弱い。だがそれ以外の痛みにはかなり強いほうだと思う。

もちろん須藤さんには、今からやるのはごくソフトな刺激であること、それが途中からいきなり強い痛みに変化すること、刺激によって痛みが出るのは体には良いことなのだと、前もって説明しておいた。

しかし今まで感じたことのない痛みとなると、不安にもなるだろう。彼女の表情を見ながら、なおさら力を弱めて刺激していく。それでも彼女は、私が渾身の力でグイグイ押していると感じたようだった。

背中の側でやっていることなので、本人には私の手が見えない。見えないから感覚だけで判断して、これまでの私の施術とは、あまりにちがうことにとまどっているのだろう。

この変化を受け入れられなければ、ちょっとしたはずみに信頼関係に亀裂が生じてしまう。これを乗り越えられるかどうかが、この施術のポイントでもある。須藤さんにかけられる時間は限られているのに、信頼関係がないと攻めるに攻められない。そのもどかしさを抱えたまま、1回目の施術が終わった。

2回目の施術の際には、前回で慣れているだろうと判断して、少しだけ多めに攻めてみた。刺激に対する痛みの出方もいいようだ。このまま順調に攻めつづけられれば、間に合うかもしれない。はやる気持ちを抑えて、その2日後に私は3回目の施術に臨んだ。

約束の時間に到着して、出迎えてくれた須藤さんの顔を見ると、いつになく表情が険しい。仕事で何かトラブルでもあったのだろうか。そんなことを考えながら準備していると、彼女は表情を固くしたまま、「この前、あんまり強く押されたから、おなかに痛みが出た」といい出した。しかも「左下のあばら骨の奥のほうで、内臓に傷ができたような気がする」と、不安と不満の入り混じった表情で訴えてくるのである。

これには驚いた。あんなに弱い力で、そんなことが起きるとはとうてい思えない。しかし本人にしっかりと自覚症状があるのに、むげに否定するわけにもいかない。彼女が指さしている部分にあるのは、位置的には脾臓である。もし仮に脾臓に傷でも負っていたなら、今の症状程度ではすまないはずだ。

ではなんだろう。直接そこに触れるわけにはいかないので、試しに脾臓のあるあたりの背骨を確かめてみる。そこには大きなズレがあった。これが悪さをしているのではないか。

そのズレをサッと戻してから、「どうですか?」と聞いてみる。すると彼女は不審そうに体をよじりながら、先ほどまでの痛みを探している。だがすでに痛みは消えているので、「あれ、あれ?」とふしぎがっている。

実は背骨がズレると、内臓のあたりに痛みを感じるのはよくあることなのだ。たとえば胃が痛くて、病院で検査を受けたのに何も見つからなかったという人がいる。そういうときも、ちょうど胃の位置で背骨が大きくズレていることが多い。

もちろんズレが原因であれば、ズレている背骨を正しい位置に戻すことで、その場で痛みも消えてしまう。いたって単純なしくみなのである。

須藤さんの場合も、さっきまでの内臓の痛みは背骨のズレのせいで、私が刺激したからではなかった。それがわかると、やっと表情がやわらいだ。ちょっとした冷や汗ものだったが、どうにか私との信頼関係も回復できたようだ。しかもこの背骨のズレのおかげで、私は思わぬ発見をしたのである。(つづく)


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須藤さんは55歳になったばかりの女性経営者である。彼女はあちこち手を広げて仕事をしているせいで、スケジュールはいつもいっぱいだ。サラリーマンのように休みなど取っていられないから、いつも疲れが取れないといっている。そこで毎月のように私が会社に出向いて、仕事の合間に施術していたのである。

施術といっても、彼女はさしあたってどこかが痛いわけではないので、いつもリラクゼーションがメインだった。痛みを取るのが目的ではない分、私としても気楽といえば気楽だったのだ。

ところが子宮頸がんの京子さんのことがあって以来、妙に須藤さんの体が気にかかるようになっていた。そういえば、しばらく顔を見ていない気がする。次回の予約も入っていたが、その日まで待ち切れないので、こちらから電話して、最近、体調に変化がないか聞いてみた。

すると「特に何もないけど・・・」といったあと、彼女は少し間をおいて、「痔でちょっと血が出るのよね」と口にした。「血が」といったときの声に、わずかに彼女の不安が感じ取れる。それは気になるので、次の予約の日程を早めてもらって、体を調べに行くことにした。

約束の日、いつものようにひととおり体をチェックする。ふだんとちがう私の真剣な表情を見て、彼女も「何事か?」と少し緊張しているのがわかる。

まずうつ伏せに寝てもらうと、大きく盛り上がっている左の起立筋が目に飛び込んできた。やはりそうだったか。これまで何度も施術してきたはずなのに、何でこの形が気にならなかったのだ。おのれの不明を恥じる気持ちが湧き上がってきて、お腹の底が熱くなる。

しかし新しい経験で視点が変わったからこそ、今まで見えていなかったものが見えるようになったのだ。ここで後悔しても仕方がない。いずれにしても、これが明らかに異常な形なのはまちがいない。

その盛り上がった部分を軽く押してみると、案の定、私の指を強くはじき返してくる。とても女性の筋肉とは思えない強さである。須藤さんは女性的なタイプで、どちらかというと痩せ型だから、この意外な弾力に私は改めてたじろいだ。

今度はおなかに触れてみる。おなかの表面には、京子さんのようなザラつきはない。ところがおなかの左下の奥のほう、ちょうど大腸のあたりまで来ると、そこには妙なザラつきがあった。

表面をサラッとなでた程度なら、見落としてしまっただろう。だがこれは、明らかにあの京子さんのおなかにあったザラつきと同じで、ゾッとする感触なのだ。

「がんかもしれない」

いきなりそんなことをいったら、驚かせてしまうだろう。いくらソフトに伝えたとしても、それでは衝撃が大きすぎる。そこで、まずは大腸の検査をしたことはあるかと聞いてみた。すると一度もないというので、唐突ではあるが、病院に行って大腸の検査を受けてみるようにすすめてみた。

彼女は「急にそんなことをいわれても」とつぶやきながらも、いつになく私が真剣なのを知って、頭のなかで仕事の段取りを整理しているようだった。

そうしてなんとか仕事のやりくりをし、翌週には彼女は大腸の検査を受けた。結果が出たのは、それから半月後のことである。

残念ながら、須藤さんの出血の正体は痔ではなかった。大腸にあるがんから出血していたのだ。しかも彼女のがんは、大腸のなかで10cmほど離れた場所に2つもあった。それを告げた医師の指示で、1か月後に切除手術を受けることも決まった。

幸いがんは肛門から若干離れたところにあったので、人工肛門にはならずにすむらしい。もし人工肛門になったら、手術後の生活レベルが激しく低下してしまう。そうならなかっただけでもラッキーだった。

しかし私の予感が的中してしまったことは喜べない。やっぱりあの硬い小粒のイクラのようなザラつきは、がんに特有のものなのだろう。そして左起立筋の盛り上がりが、それと連動しているのだ。

それにしても、2つもがんが見つかったということは、かなりがんが広がっているのだろうか。そんな人にこれからも施術していいものか、私はしばらく迷っていた。

ところが当の須藤さんは、京子さんのがんが消えた話を聞いていたので、当然のように、自分にも同じ施術をしてもらえると期待しているようなのだった。(つづく)


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