小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:子宮頸がん

*小説『ザ・民間療法』全目次を見る 095
私が定期的に施術していた森脇さんが、先日受けた検査で、「子宮頸がんの疑いあり」と診断された。そんなはずはないのにと私がいぶかっていると、改めて受けた精密検査の結果では、がんではなかったそうだ。
ところがその際、医師からは「がんじゃないといっても、がんと診断してもいいんだが、まあ今回はイイでしょう。でも今後は定期的に検査を受けるように」といわれたのだという。なんともスッキリしなくて彼女も落ち込んでいる。

まだ50代の森脇さんは、病院に行くのが健康の秘訣だと思っているふしがある。心配性なのかもしれないが、体に少しでも気になることがあると、すぐに検査を受ける。それが災いして、今回はがんの疑いをかけられてしまったのだ。

しかし私はずっと彼女の体を診てきて、一度も異常だと感じたことがない。もちろんどんな健康な人でも、背骨はちょっとしたタイミングでズレて不具合が出ることはある。森脇さんもよくズレるけれど、それでも彼女はかなり健康な部類なのだ。

出張や徹夜の多い仕事をバリバリこなし、人一倍の体力がある。これまで私が診てきた他のがん患者たちとは、明らかにちがう。そんな彼女に、がんが見つかるわけがない。それなのに、なぜ検査で引っかかったのだろう。

しかも診断の内容が非常にあいまいだ。担当医の口ぶりからすると、今の医学では、どうやらがんという病気は白黒はっきりしないものらしい。

人間が死ぬと、閻魔様から地獄に行くか極楽に行くかを判定される。彼の前では、浄玻璃鏡(じょうはりきょう)に亡者の生前の行いが映し出されるので、悪行など一目瞭然でまちがいようがない。

ところががんの場合は、そういうはっきりとした判定方法がない。すでに転移でもしていれば話は別だが、初期の段階では、白と黒のあいだにグレーゾーンが広がっている。そのグレーの部分を、白と見るのも黒と見るのもお医者さん次第なのだ。

そうするとお医者さんの心情としては、グレーゾーンのものは全て黒にしたくなる。もしがんではないと診断して、あとからがんだったとわかれば、医療訴訟の対象になってしまう危険性があるからだ。

しかし、逆にがんだと診断して治療してしまえば、そもそもがんではないのだから患者が死ぬことはない。治療が終われば、がんを治した名医ということになる。「早期発見・早期治療」を提唱する背景には、そういう事情がないとはいえない。

がんの診断といえば、こんなこともあった。あるとき、森脇さんと同じ50代の女性患者さんが、「先生、ちょっとここをさわってみて」といって私の手を自分の胸に引き寄せた。とっさのことでギョッとしたが、私の指先には硬いしこりが触れた。

彼女はしばらく前からこのしこりが気になっていたので、今日検査を受けた。すると年配の医師が触診し、いきなり「これはがんではありません」と断言したのだという。

つづけて彼は、「他の医者が調べたら、これは多分がんだといわれるだろうが、私の経験上、これは絶対にがんではありません。もしも他でがんだと診断されたら、また私のところに来なさい」とまでいってくれたのだ。これは医師として、かなり勇気のいる発言だろう。

たしかに私がさわってみても硬いしこりがある。それでも、皮膚の下にあのがん特有のザラつきはない。左の起立筋の盛り上がりも見られない。この体は至って正常だ。その医師がいった通り、この状態ならがんはないだろう。

もちろん私も、これだけでがんの判定ができるとは思っていない。しかし言葉では説明しにくいものの、がん患者には、共通した感触や印象があるのも事実なのである。

がんの専門医のなかには、患者が診察室に入ってきた途端、がんかどうかがわかる人もいるらしい。それなら私の抱く感覚にしても、あながち否定されるものでもないはずだ。

また、これをいうと怖がられるのであえて口にすることはないが、この人は助かる状態か、もうムリかということも私にはわかる。そこには、がんがあるかないかだけでなく、体に何かちがいがあるような気がしている。(つづく)

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088
田口さんの家にうかがうのは、これで4回目になる。初めてお目にかかってから、3週間が過ぎていた。私が行ったからといって、終末期のがんで余命幾ばくもない人に、何かできるわけではない。それでも、もう1回、もう1回と思いながら通っていた。

彼女の体には、いくつもの手術の傷痕がある。子宮頸がんなのに、どうしてこんなに体中あちこち切られているのか釈然としない。その傷の多さのせいで、私が触れられるところも非常に限られていて、せいぜい背中と脚ぐらいしかなかった。

しかも彼女はほぼ寝たきりなので、脚には血栓ができているかもしれない。何もできないから軽くマッサージでもしようか、などと安易に考えるのも危ない。脚をもんだりしようものなら、血栓が飛ぶ可能性もあって、それこそ命取りである。

かといって、これまでのがん患者のように、背中を刺激してみるわけにもいかない。刺激の結果、仮に良い反応が出たとしても、今の彼女にはその変化を受け止めるだけの体力がないだろう。

そうなると私にできることは、ただそばにいて、やさしく手を添えるぐらいしかない。それすら、いつ病態が急変するかわからないので、何か起きれば責任を問われることは目に見えていた。

私がそんな恐怖を抱きながら接していることなど、当人は思いも寄らない。だから私が背中にそっと手を当てていると、それだけで安心して寝息を立て始める。

ところが何かの拍子に、ふと呼吸が止まることがある。私がおののいていると、一瞬の間をおいてまた呼吸が再開する。それを見てホッとする。この繰り返しのおかげで、私は毎回、薄氷を踏む思いだった。

終末期のがん患者たちに接していると、いつも思うことがある。彼らに残された時間はごくわずかかもしれないのに、私みたいな赤の他人といてよいものだろうか。もっと本当に大切な人と、その大切な時間を過ごすべきではないのか。

患者本人が強く望んだこととはいえ、私は彼らの貴重な時間を奪っているのではないか。そう思うと、常に罪の意識が私を苦しめた。もちろん、私ががんを完治させることができるものなら、そんな意識など芽生えなかっただろう。

実際、今の彼女の体にとって、私の存在は何のプラスにもなっていない。それがわかっているから、なおさら苦しい。それならせめて、心の支えの一つにでもなれたらと願うしかなかった。

肺がんで亡くなった芳子さんのときも、何一つしてあげられなかったけれど、何度も病室に顔だけは出していた。そうすることで、今までと何も変わっていないと感じてほしかった。先への不安から、少しでも目をそらさせてあげたいとも思っていた。

短い時間ではあったが、田口さんともいろいろな話をした。死を間近にしていると、今さら他人への気取りがなくなるのだろう。その分だけ、彼女とは旧知の間柄のように親しく接することができていた。

その日も、田口さんのふとんの脇に座って話を聞いていると、彼女がスッと息を整えた。そして弱々しいが、それでもしっかりとした口調で、「もしも私のがんが治ったら、ワ・タ・シ、がんの人たちのお世話をする仕事がしたい」といったのだ。

そこでまた一つ息を吐くと、一層澄んだ目を私に向けて、「だって私、がんの人の気持ちがよくわかるから」といって目を閉じた。彼女のまばらになったまつ毛のはしから、涙が一粒だけ流れていって枕に落ちた。

田口さんにも、自分はもう治る見込みなどないことはわかっている。しかしその日は、どこか晴れ晴れとした表情で私を見送ってくれた。

彼女が亡くなったのは、それから3日後のことである。お別れが近いのはわかっていたはずなのに、知らせを受けた私はショックで全身から力が抜けた。

告別式の朝、また電車を乗り継いで会場へと向かう。もう二度とこの駅で降りることもないだろうナ。そんなことを考えているうちに、殺風景な印象の建物に着いた。少し早かったかと思いながら、大きな扉を押す。そこでは、元気だったころの田口さんが遺影のなかで笑っていた。

そうか。彼女はあんな顔で笑うのか。そう思ったとたん、怒りにも似た激しい悲しみが突き上げて、嗚咽とともにあふれ出す。涙がとめどなく流れては落ちて、私にはどうしようもなかった。

「もしも私のがんが治ったら…」。

たしかに彼女はそういったのだ。あのときの声が耳から離れない。たった5回しか会うことはなかったけれど、田口さんの存在は、だれよりも深く深く私のなかに刻みこまれたのだった。(つづく)

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087
私は気が弱いほうではないと思う。しかしどちらかというと、エエかっこしいの部類ではある。この性格のせいで、これまで何度、後悔するはめになったことだろう。

大腸がんの下田さんのときだって、初めにはっきりと断っていれば、何か月もあんなたいへんな思いをしなくてすんだのだ。だからあれからは、病院で治療を受けていないがんの患者さんには施術しないと心に決めていた。

ところが子宮頸がんの田口さんの場合は、病院での治療はやり尽くしていた。医師からも、「もう何もできることはない」と見放されている。この時点で、すでに私の条件を満たしてしまっていた。

そうはいっても、私が彼女のがんを治してあげられるわけではない。おそらく彼女の体力では、埼玉から世田谷の山田先生のお宅まで通うのも、負担が大きすぎるだろう。私は心のなかで、九分九厘お断りしようと思っていた。

しかし、場の雰囲気というのはとてつもない力を持っている。私に絶対に断らせまいとして、みんなで圧力をかけてくるのである。それが善意であればあるほど、その力は強大だ。

私はこれに負けた。そしてつい、「では、何回かだけ試しに・・・」という言葉がスルリと口から出てしまった。自分の言葉に自分で驚いて、カッと頭に血が上る。

それなのにさらにつづけて、「田口さんがここまで来るのは体力的にムリでしょうから、私が埼玉のご自宅までうかがいます」とまでいってしまったのである。なんということだ!何をエエかっこしているのだ!

だがこれを聞いた一同は、「それでいいのよ」という表情で、満足気にうなずいている。それでも一応、田口さんのご主人だけは、「それじゃ申し訳ない」といいかけたが、すぐに「ありがとうございます」とつづけて口をつぐんだ。

万事休すである。「車で迎えに来ます」とでもいってくれたら助かるのだけど、そこまでは気が回らないらしい。彼の表情からすると、「これでもう自分の手は離れた」と安心している節もあった。

それにしてもたいへんなことになった。容体がたいへんなのはいうまでもないが、私のアパートから埼玉のはずれにある田口さんの家までは、電車でたっぷり2時間はかかる。しかもおそろしく乗り継ぎが悪いのだ。

今までなら、どんなに遠くても1時間を超えることはなかった。距離だけでなく乗り換えが多いとなると、当然ながら電車賃も高くつく。生活に余裕のない私は、心のなかで「せめて交通費だけでも~」と思ったが、がん患者は無料で診ると決めていた以上、それを口にすることはなかった。

紹介者にあたる京子さんも、自分が子宮頸がんのときには全く無料で施術してくれたのだから、それが当たり前だと思っているらしかった。

初めて田口さんのお宅にうかがう日、電車に揺られながら窓からの景色を見るともなしに見ていると、乗り換えのたびに家がまばらになっていく。そのさみしげな風景につられたのか。これって「安物買いの銭失い」ならぬ「安請け合いの銭失い」というヤツじゃないか、と自虐的な気分になってきた。まして、彼女のがんを治してあげられるわけでもないので、どうしても足取りも重くなる。

慣れない乗り継ぎで右往左往しながらも、何とか最寄り駅に到着した。ホッとしたものの、そこからもしばらく歩いたので、道のりは2時間どころではなかった。やっとのことでたどりつくと、都内の戸建てと変わらないこぢんまりとした家が建っている。ここまで郊外なら、きっと大きな家だろうとイメージしていたのでちょっと意外だ。

田口さんは、会社勤めのご主人と高校生と中学生の娘さん、そしてご主人のお母さんとの5人暮らしである。そのため今日のような平日の日中は、義母さんと二人だけの生活だ。彼女はもう家事などできる状態ではないので、日常のことはすべてこの義母さんがやっているらしい。

玄関先で出迎えてくれた義母さんは、「ヨメがあんなだから、私が全部やらなきゃいけないのよ」といって顔をしかめると、初対面の私に向かってあれこれと愚痴をこぼし始める。返事のしようもないので、私は突っ立ったままだまって聞いていた。

しばらくの間、義母さんのよく動く口のあたりを眺めていると、「まぁそういうことで」といって、玄関の脇にある10畳ほどのリビングに案内してくれた。

部屋の戸口に立った義母さんが、「ホラ」と部屋のすみにあごを向ける。その先の暗がりに目をやると、雑然とした部屋のすみに敷かれたふとんには、あの田口さんがひっそりと横になっていた。

前回お会いしたときからまだ数日だというのに、何だか一回り小さくなっているようだ。物音で私の来訪に気づいた彼女は、あわてて体を起こそうとする。それを制してそのまま寝ていてもらうと、そのやり取りの間に義母さんはどこかに消えて、二度と顔を出すことはなかった。

私は仕事柄、これまでにかなりの数のお宅におじゃましてきた。そのせいか、家族の力関係を察知するのが早い。家庭での田口さんの立場はあまりよくないのだろう。それが即座に伝わってきて、さらに気分が沈む。

私には、どうもこの家の雰囲気が暗いのも気にかかる。これは決して病人がいるからではなさそうだ。しかし肩身の狭い思いをして寝ている彼女に、そんなそぶりを見せて余計な気づかいをさせてはいけない。せめて私がいる時間だけでも、何かの足しになったらと願うしかない。

田口さんは、いかにも申し訳なさそうな表情で私を見上げている。私は彼女の枕元に座ると、精一杯の笑顔を向けながら、さてこれからどうしたものか、と考えていた。(つづく)


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小説『ザ・民間療法』挿し絵086
この仕事を始めたころは、確かリラクゼーションを目的とした施術だったはずだ。それがいつしか、がんや難病といった、たいへんな症状の患者さんばかりがやってくるようになっていた。

民間療法家にすぎない私のところに、そんな重病の人が押し寄せるのは、それだけ世の中に病人が増えたのか。それとも病院で治らない病気が増えたのか。はたまたその両方だろうか。

先日も、子宮頸がんのときに施術していた京子さんから、むずかしい依頼があった。彼女が以前勤めていた歯科クリニックで私のことを話したら、院長の山田先生から、ぜひ友人を診てもらいたいと頼まれたのだ。

その田口恵子さんは44歳。京子さんと同じ子宮頸がんである。しかし京子さんとちがって、田口さんはすでに何回も手術をし、さらに抗がん剤に、放射線までかけていた。病院でできるかぎり手を尽くしても治り切らなかったので、今は自宅で療養中だ。いわゆる終末期なのである。

「それはさすがにお受けできそうにないナ」。そう思いながら京子さんの話を聞いていた。ところがどうしたことか、彼女は私が施術を引き受けるのが当然だと思い込んでいる。しかも田口さんは埼玉のはずれにお住まいなので、今回はご主人の運転で、都内の山田先生の自宅に連れてくる手はずにまでなっていた。

そこまで聞いた私は「その方はちょっと・・・」とお断りしかけたが、京子さんは私の反応など全く意に介さない。それが善意からなのはわかるが、「どうしてそこまで?」と思うほどの勢いで押してくる。結局、彼女の勢いに負けた私は、山田先生のお宅で田口さんに会うことになってしまった。

世田谷にある山田先生の家は、かろうじて私のアパートからは歩いて行ける距離にあった。彼女は私とほぼ同い年のはずだが、さすが歯科医だけあって立派な邸宅をかまえておられる。

その立派なお宅の、これまた立派な調度品に囲まれた応接室に通されると、みなさんすでにおそろいだ。私への期待が伝わってきて腰が引ける。とはいえ、初めは施術をお受けするのは無理だと思っていた私も、今は何か少しでもお役に立てるなら、と思い始めていた。懲りない私である。

ところが実際に田口さんにお会いしてみると、私のなかでスッとあきらめが広がった。応接室のソファに横たわっている彼女は、あまりに痛々しくて見る影もない。

その姿は、インドでご一緒して、帰国後すぐに胃がんで亡くなったヒロコさん(第27話)の最期のころに似ていた。すっかり体力がなくなっていて、この状態では今さら何をやっても助からないだろう。それがはっきりと見てとれた。

それなのに田口さんのご主人は、「毎回ここまで連れてくるから診てほしい」というし、山田先生も、古くからの友人である田口さんのためなら、と自宅の提供を承諾している。さらに田口さん本人も、「もう何も頼るものがないので、お願いします」と、弱々しい声ですがってくる。

だが残酷なようでも、この段階ではとうてい施術などお受けすべきではない。これまでの経験で、私にはそれがわかり切っていた。ところが田口さんご夫妻ばかりか京子さんと山田先生に加えて、先生のお嬢さん二人までが、そろって私に頭を下げつづけるのである。

これにはまいった。もう天を仰ぐような気持ちで、「では少しだけ体をチェックしてみましょうか」とふりしぼるようにいって、その場の圧力から逃れるのが精一杯だった。

それまで横になっていた田口さんに、起き上がって椅子に腰かけてもらう。ご主人が支えていなければ、姿勢を保つことすらむずかしそうだ。それほど衰弱しきっているのに、よくぞここまでたどりつけたものだ。移動だけでもかなりの負担だったろう。

背中を見ると、やはり左の起立筋が異様に盛り上がっている。だからといって、今の彼女に刺激を加えることなどできるはずもない。しかも彼女の体には、子宮頸がんの手術の傷痕だけでなく、カテーテルの管まで設置してあった。

これでは仮に施術するにしても、触れられるところがほとんどない。文字通り手の施しようがないのだ。この状態で、私に何ができるというのか。

私が押し黙ったまま断りの言葉を探しているのがわかったのか、田口さんは再度「何も頼れなくて・・・」と消え入りそうな声で懇願してくる。

するとふと私の耳元に、肺がんで亡くなった芳子さんの声がよみがえった。彼女は病院のベッドの上で苦しさのあまり、私に向かって「先生、タスケテー」と叫んだのだ。あのときの私は彼女に何一つしてあげられなかった。その悔しさがこみ上げてきて私の胸を刺す。

今の田口さんにも、私はどうしてあげようもない。助けてあげたくても、どうにもできないこの苦しさを、何と表現したらいいのだろう。自分でも自分の顔色がすっかり変わっているのがわかる。

助けを求めて京子さんに目をやると、彼女は相変わらず、私が田口さんを引き受けるものと信じ切って見つめ返してくる。京子さんだけではない。その場にいる6人の12個の目玉がまっすぐ私に向けられて、私がうなずくのを待っている。

ああ、これではどこにも逃げ場がない。どうしよう。だれか助けて!この声にならない心の声が、あの芳子さんの叫びと重なって、ただ私の耳のなかだけでむなしくこだましているのだった。(つづく)


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小説『ザ・民間療法』挿し絵085
下田さんが病院での治療を受け入れてくれたおかげで、やっと私も彼の大腸がんとの闘いから解放された。

あのまま彼が病院での治療を拒みつづけていたら、私はずっと彼のもとへ通って施術をつづけていただろう。それでは、私のほうが先に逝くはめになっていたかもしれない。それほど彼の起立筋には難儀していたのである。

しかしたいへんだったのは、下田さんのケースだけではなかった。私が彼の起立筋と格闘していたころ、あの海外ロケで頭から農薬をかぶってしまった河野くんが、サルコイドーシスという難病を発症してしまったのだ。

会社の健康診断で肺の画像に何かが写っていたので、くわしく調べてわかったことだった。サルコイドーシスというのは膠原病の一種らしい。この病気になれば、完治させるような治療法がない代わりに、急に悪化して死んでしまうこともないらしい。

医学書でそんな記述を読んでみても、それが何を意味するのかはイメージできなかった。そこには原因も不明だと書いてあったが、私にはあの農薬の事故以外に発症の原因は考えられなかった。

あれほど健康だった河野くんが、いきなりこんな体に変わってしまったのである。タイミングから見ても、あれがきっかけだったのはほぼまちがいないはずだ。

農薬といっても、彼がかぶったのは強力な有機リン系殺虫剤である。それは、あのサリン事件で有名になったサリンと同じような作用をもつ猛毒だ。そんなものを全身に浴びてしまって、ただですむわけがない。

私の実感としては、河野くんの体の感触は大腸がんの下田さんに匹敵していた。心配になった私は、河野くんにも何度も刺激を加えてみた。ところが一向に反応はにぶいままで、なかなか痛みに変化してくれない。これには途方に暮れた。

子宮頸がんの京子さんや大腸がんの須藤さんは、どちらもスムーズに刺激に対して反応が出たのに、同じことをやっても全く歯が立たないのである。男性の筋肉が一旦緊張すると、女性とは比べものにならないほど硬くなってしまうものなのだろうか。

それでも何度も河野くんの家に通って、刺激を繰り返していた。プラスにはならないとしても、せめて彼の症状がこれ以上悪化しないことだけを願って、ひたすら刺激をつづけた。

そんなある日、ようやく少しだけ痛みに変化し始めた。河野くん自身も、この変化が体にとっていいことなのがわかっているから、痛みが走るたびに、「ヨシ!ヨシッ!」と喜びの声を上げながら身をよじる。

ふとんの上で、大の男二人が熱のこもったやりとりをしていると、そばで見ていた奥さんは、やや不安気な視線をこちらに向けてくる。だがそんなことにはかまっていられない。私は必死だった。

果たしてこの板みたいに硬くなった体を、以前の柔らかい体にもどすことなどできるだろうか。それができたら、サルコイドーシスも消えてしまうだろうか。それは私にもわからなかった。

ただし、この体の硬さはどう見ても異常なのだ。きっと何らかの悪さをしている。それだけはまちがいない。そしてその原因が、あの有機リン系殺虫剤という毒物なのだとすると、左の起立筋が盛り上がるのも毒物が原因だということになる。

そうなのか。それなら、肺がんだった芳子さんはタバコのニコチンが原因で、大腸がんの須藤さんは毒入りジュースのせいか。子宮頸がんだった京子さんにしても、家計が破綻するほど大量の健康食品をとっていたので、それが原因だったのかもしれない。

では下田さんは何だろう。そういえば、彼の紹介者である寺田さんの周囲は、みんなとんでもない大酒飲みなのを思い出した。アルコールだってヒトにとっては立派な毒だから、下田さんはお酒のせいだったのだろうか。

もしかして、そこには共通した物質が存在している可能性もある。もちろんそれが何なのか私には特定できないし、しくみもわからない。しかしヒトは毒物にさらされると、左の起立筋が盛り上がるものであるらしい。そしてその状態が極まっている人は、がんや難病を発症している気もする。

すると、これはまだだれにも原因が知られていないだけで、サリン事件みたいなものなのかもしれない。そう気づいたとたん、目の前に暗い穴がポッカリと口を開け、私を飲み込もうとしているようだった。(つづく)


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