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私が定期的に施術していた森脇さんが、先日受けた検査で、「子宮頸がんの疑いあり」と診断された。そんなはずはないのにと私がいぶかっていると、改めて受けた精密検査の結果では、がんではなかったそうだ。
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私が定期的に施術していた森脇さんが、先日受けた検査で、「子宮頸がんの疑いあり」と診断された。そんなはずはないのにと私がいぶかっていると、改めて受けた精密検査の結果では、がんではなかったそうだ。
ところがその際、医師からは「がんじゃないといっても、がんと診断してもいいんだが、まあ今回はイイでしょう。でも今後は定期的に検査を受けるように」といわれたのだという。なんともスッキリしなくて彼女も落ち込んでいる。
まだ50代の森脇さんは、病院に行くのが健康の秘訣だと思っているふしがある。心配性なのかもしれないが、体に少しでも気になることがあると、すぐに検査を受ける。それが災いして、今回はがんの疑いをかけられてしまったのだ。
しかし私はずっと彼女の体を診てきて、一度も異常だと感じたことがない。もちろんどんな健康な人でも、背骨はちょっとしたタイミングでズレて不具合が出ることはある。森脇さんもよくズレるけれど、それでも彼女はかなり健康な部類なのだ。
出張や徹夜の多い仕事をバリバリこなし、人一倍の体力がある。これまで私が診てきた他のがん患者たちとは、明らかにちがう。そんな彼女に、がんが見つかるわけがない。それなのに、なぜ検査で引っかかったのだろう。
しかも診断の内容が非常にあいまいだ。担当医の口ぶりからすると、今の医学では、どうやらがんという病気は白黒はっきりしないものらしい。
人間が死ぬと、閻魔様から地獄に行くか極楽に行くかを判定される。彼の前では、浄玻璃鏡(じょうはりきょう)に亡者の生前の行いが映し出されるので、悪行など一目瞭然でまちがいようがない。
ところががんの場合は、そういうはっきりとした判定方法がない。すでに転移でもしていれば話は別だが、初期の段階では、白と黒のあいだにグレーゾーンが広がっている。そのグレーの部分を、白と見るのも黒と見るのもお医者さん次第なのだ。
そうするとお医者さんの心情としては、グレーゾーンのものは全て黒にしたくなる。もしがんではないと診断して、あとからがんだったとわかれば、医療訴訟の対象になってしまう危険性があるからだ。
しかし、逆にがんだと診断して治療してしまえば、そもそもがんではないのだから患者が死ぬことはない。治療が終われば、がんを治した名医ということになる。「早期発見・早期治療」を提唱する背景には、そういう事情がないとはいえない。
がんの診断といえば、こんなこともあった。あるとき、森脇さんと同じ50代の女性患者さんが、「先生、ちょっとここをさわってみて」といって私の手を自分の胸に引き寄せた。とっさのことでギョッとしたが、私の指先には硬いしこりが触れた。
彼女はしばらく前からこのしこりが気になっていたので、今日検査を受けた。すると年配の医師が触診し、いきなり「これはがんではありません」と断言したのだという。
つづけて彼は、「他の医者が調べたら、これは多分がんだといわれるだろうが、私の経験上、これは絶対にがんではありません。もしも他でがんだと診断されたら、また私のところに来なさい」とまでいってくれたのだ。これは医師として、かなり勇気のいる発言だろう。
たしかに私がさわってみても硬いしこりがある。それでも、皮膚の下にあのがん特有のザラつきはない。左の起立筋の盛り上がりも見られない。この体は至って正常だ。その医師がいった通り、この状態ならがんはないだろう。
もちろん私も、これだけでがんの判定ができるとは思っていない。しかし言葉では説明しにくいものの、がん患者には、共通した感触や印象があるのも事実なのである。
がんの専門医のなかには、患者が診察室に入ってきた途端、がんかどうかがわかる人もいるらしい。それなら私の抱く感覚にしても、あながち否定されるものでもないはずだ。
また、これをいうと怖がられるのであえて口にすることはないが、この人は助かる状態か、もうムリかということも私にはわかる。そこには、がんがあるかないかだけでなく、体に何かちがいがあるような気がしている。(つづく)
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