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前に釣りに来たのはいつだったかな。冬の間は休みを取れなかったから、もう半年ぶりだろうか。今日はせっかく晴れているのに、風が強いせいで糸がからんでばかりだ。
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前に釣りに来たのはいつだったかな。冬の間は休みを取れなかったから、もう半年ぶりだろうか。今日はせっかく晴れているのに、風が強いせいで糸がからんでばかりだ。
からんだ釣り糸ってのは、どうしてこうもほどきにくいんだろう。ただでさえ釣れないときに、糸までからむとガッカリする。
ここで根気のある人なら、からんだ糸を丹念にほどいていくのだろう。でも元来イラチな私はすぐにキーッとなって、糸がからんだ部分をまるごと切ってつないでしまう。
どうせヨリをもどしたって、一度からんだ糸はクセがついているから、次からはもっとからみやすくなる。だから私のやり方は、あながちまちがっているわけでもない。
からむのは柔らかい釣り糸だけじゃない。金属製の硬い針金だって、からむときにはからむのだ。妙な形でからんでくる針金を見ると、「おまえはタチの悪い酒飲みかヨ」といいたくなる。
実は人間の体にも、釣り糸みたいにヨレてからむ力が働いている。そんなこと、世の中の人は全く知らないはずだ。その点、先日、来院した安野さんは例外だった。
「変な話なんですけど、私、トイレで用を足しているときに、なぜか上半身が右手側に回転しちゃうんです。これってどうしてなんでしょう」
そういうと、彼女は恥ずかしそうにうつむいて、目をパチパチさせた。
安野さんはまだ20代なのに、病院で大腸がんだと診断されていた。彼女の話では、がんだと診断される前から、体が右に回るようになっていたらしい。
がんの診断を受けたころには、それがますますひどくなっていたので、がんと何か関係があるのではないかと考えたのだ。こういう風に、客観的に自分の体を観察できる人は案外少ない。
私の患者さんのなかにも、上体が右手側に回ることに気づいた人が何人かいた。彼らはみな共通して、左の脊柱起立筋が異様なほど緊張していた。
だれでも上半身を右に回そうとすれば、左の起立筋が緊張する。これは人類共通のノーマルなしくみである。ところが安野さんみたいに、自分が回そうと思ってもいないのに、勝手に左の起立筋が緊張して、上体が右に回ってしまう人がいる。これは「アシンメトリー現象」の一つの特徴なのである。
また、「アシンメトリー現象」では、左の肩が前のほうに巻き込んでいく。すると上体はいよいよ右手側に回りこむ形になる。
私は、自分の体を右に回してみせながら、説明をつづけた。
「だれでも多少のアシンメトリー現象はありますし、睡眠不足や疲れが溜まっているときには、その度合いが強くなるんですよ」
「あ、それわかります! 私も体調の悪いときほど、上半身がグイッと右に回っていたんです!」
安野さんは、これまで一人で抱えてきた疑問や不安の原因がわかって、ちょっと興奮気味にそういった。「アシンメトリー現象」のことを知ったおかげで、ちょっとだけ不安が解消されたようだ。
「アシンメトリー現象」は、体が左右非対称になる現象だけれど、より厳密にいうなら、体が片側にねじれていくことで、左右非対称に見える現象である。
つまり平面で見れば「アシンメトリー現象」だが、立体的に見れば、動きを伴ってねじれていく「ねじれ現象」なのである。
「アシンメトリー現象」と呼ぶにしろ「ねじれ現象」と呼ぶにしろ、この左右の非対称性は、初めから人間の体に組み込まれているしくみらしい。その証拠に、大なり小なりだれにでもこの現象が見られるので、無意識のうちに、私たちのごく身近な生活にも影響しているのだ。
たとえば陸上競技場は、全て左回りに走るように設計されている。なぜそうなったかについては諸説あるが、どれも決定的ではない。
実は「アシンメトリー現象」の場合、骨盤の左側が上体方向に上がっている。これは仰向けになれば、左脚が右脚よりも短くなった状態だ。
この状態で立ち上がると、重心が左側に偏るので、体は左に傾く。左に傾いた人は右回りには走りにくいから、左回りのコースのほうが走りやすい。
実際、「アシンメトリー現象」の人の割合は非常に多いので、トラックは左回りになっていると考えることもできる。
他にも、右回りか左回りかは、利き足の影響で決まったという説もある。しかし利き足を決定する大本の要因ですら、そもそも「アシンメトリー現象」の影響が大きいのではなかろうか。
安野さんの背骨のズレを矯正しながら、そんな話をした。彼女はまだ若い自分がどうしてがんになったのか。その答えを探していたので、こういう話にも人一倍興味があるらしかった。
熱心に耳を傾けてくれる彼女と話していたら、ふとこんなことを思いついた。
ヨリのついた釣り糸は、古くなったりちょっと傷がついたりすると、よけいにからみやすくなる。これは人間も同じなのかもしれない。逆に、人間の体にはもともとヨリがかかっている分、釣り糸よりもからみやすいのではないか。
もちろん人の体は、釣り糸みたいにヨレたところでプツンと切ってつなげるわけにはいかない。あくまでも根気よく、丹念にヨリをもどしていくのが大切なのである。(つづく)
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