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ガッッコォーンッ。
とてつもなく大きな音を立てて、エレベーターが止まった。別に故障ではない。うちのビルのエレベーターは機械が古いせいなのか、初めての人はちょっとビビるほど音が大きいのである。
その音につづいて、「コホ、コホ」と軽い空咳の音が、私の部屋に近づいてくる。小宮さんだ。間質性肺炎だと診断された彼女が、友人の紹介で私のところに通うようになってから、もう1年以上になる。私は今では、聞こえてくる咳の音量で、彼女の今日の体調がわかるようになった。
間質性肺炎は、感染による通常の肺炎とちがって、抗がん剤や放射線でも発症する。しかしほとんどの間質性肺炎は原因不明で、難病に指定されている。
咳がつづくので病院で検査を受けた小宮さんも、間質性肺炎だと診断されたが、原因はわからなかったそうだ。
「この体は私の手には負えない」
それが私の小宮さんに対する第一印象だった。彼女は体重が30数キロしかなかった。その骨と皮だけにも見える体から、「ゴオォーッホ、ゴホッゴホッ」と常に力一杯の咳が出つづけていたのだ。
こんな人の体に触れても大丈夫だろうか。目の前で突然、呼吸困難にでもなられたらどうしよう。そう思うと恐ろしくて手が出せない。だが私の不安を伝えたところで、小宮さんは病院では治せないといわれているから、もう他に行き場がないのである。
ていねいな文字で記入された問診票を見ると、なんと彼女は私と同じ年の同じ月の生まれで、数日ちがいの同い年だった。同い年同士には、ふしぎな仲間意識が生まれるものらしい。
以前、本を出したときにお世話になった、編集プロダクションの社長もそうだった。それまで私のことを「M先生」と呼んでいたのに、同い年だとわかった途端、「なあんだ、Mちゃんタメだったのか~」といったのだ。そのあまりの切り替えの早さに、私もスタッフたちも大笑いした。
小宮さんも私が同い年だとわかると、なぜだか急に安心したようだ。まあ、同い年だから大丈夫ってものではないけれど、たしかに施術者と患者との間にも、相性の良し悪しはある。そうなると、同い年への親近感は影響がないわけでもない。
タメ年効果ですっかりリラックスした彼女の、「大丈夫よ~、平気へいき~」という言葉に押されて、まずは体の状態のチェックから始めてみることにした。
ふつうなら、咳やぜんそくの症状が何か月もつづく人は、胸椎(胸部の背骨)が大きくズレていることが多い。胸椎がズレることで、胸椎に接している肋骨が押し出される形になると、呼吸のための肋間筋や横隔膜がひきつってしまう。これが咳がつづく原因になるようだ。
果たして彼女の場合はどうだろう。話の合間にも、「ゴホゴホ」と咳こんでいる彼女の背骨を調べてみると、やはり胸椎が何か所もズレている。ズレ幅もかなり大きいから、これでは間質性肺炎でなくたって、咳が止まらなくなるだろう。
咳の原因がズレなら、そのズレを矯正するしかない。しかし矯正直後は、体調が急変することもあるので、慎重に少しの変化も見逃さないようにする必要がある。
「ちょっとずつ矯正してみますね。気分が悪くなったら、すぐ教えてくださいね」
そういってから、触れるか触れないか程度の力でズレをもどしてみる。すぐに彼女の表情をチェックする。大丈夫そうだ。そこで一呼吸おいて、またちょっともどしてみてから顔を見る。
そうやって小刻みに矯正を進めていくと、少しずつ咳が治まってきた。それと同時に、骨と皮だけでゴツゴツしていた背中からこわばりが抜けて、わずかに丸みを帯びた感触に変わった。
本人も、「あ~楽になった、ウソみたい。息ができる!」とはしゃいでいる。ズレの矯正によって、体だけでなく顔の表情もゆるんできたのを見て、「ひょっとしてこれなら」と、私も手応えを感じていた。
そうはいっても、背骨のズレを矯正した程度で、難病指定までされた間質性肺炎そのものが治るわけではない。
そもそも間質性肺炎の主な症状は、痰を伴わない空咳と、動いたときに息が上がる息切れで、進行すると安静にしていても息苦しさを感じるものらしい。ところがこれは、胸椎が大きくズレている人の症状と全く同じなのである。
もちろん胸椎のズレが間質性肺炎の原因ではないだろうが、ズレを矯正したことで、症状が出なくなれば薬の量も減らせるし、問題の大半は解消されるはずだ。それならやってみて損はないだろう。
あの日から、月に一度、小宮さんは私のところに通っている。あのころよりはずいぶん体の緊張が取れて、体重も増えてきたようだ。おかげで近ごろは、彼女がやってきても、聞こえてくるのはエレベーターが立てる「ガッコン」だけのことが多くなっている。それが私には無性にうれしかった。(つづく)
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