小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:実験小説

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162
前に釣りに来たのはいつだったかな。冬の間は休みを取れなかったから、もう半年ぶりだろうか。今日はせっかく晴れているのに、風が強いせいで糸がからんでばかりだ。

からんだ釣り糸ってのは、どうしてこうもほどきにくいんだろう。ただでさえ釣れないときに、糸までからむとガッカリする。

ここで根気のある人なら、からんだ糸を丹念にほどいていくのだろう。でも元来イラチな私はすぐにキーッとなって、糸がからんだ部分をまるごと切ってつないでしまう。

どうせヨリをもどしたって、一度からんだ糸はクセがついているから、次からはもっとからみやすくなる。だから私のやり方は、あながちまちがっているわけでもない。

からむのは柔らかい釣り糸だけじゃない。金属製の硬い針金だって、からむときにはからむのだ。妙な形でからんでくる針金を見ると、「おまえはタチの悪い酒飲みかヨ」といいたくなる。

実は人間の体にも、釣り糸みたいにヨレてからむ力が働いている。そんなこと、世の中の人は全く知らないはずだ。その点、先日、来院した安野さんは例外だった。

「変な話なんですけど、私、トイレで用を足しているときに、なぜか上半身が右手側に回転しちゃうんです。これってどうしてなんでしょう」

そういうと、彼女は恥ずかしそうにうつむいて、目をパチパチさせた。

安野さんはまだ20代なのに、病院で大腸がんだと診断されていた。彼女の話では、がんだと診断される前から、体が右に回るようになっていたらしい。

がんの診断を受けたころには、それがますますひどくなっていたので、がんと何か関係があるのではないかと考えたのだ。こういう風に、客観的に自分の体を観察できる人は案外少ない。

私の患者さんのなかにも、上体が右手側に回ることに気づいた人が何人かいた。彼らはみな共通して、左の脊柱起立筋が異様なほど緊張していた。

だれでも上半身を右に回そうとすれば、左の起立筋が緊張する。これは人類共通のノーマルなしくみである。ところが安野さんみたいに、自分が回そうと思ってもいないのに、勝手に左の起立筋が緊張して、上体が右に回ってしまう人がいる。これは「アシンメトリー現象」の一つの特徴なのである。

また、「アシンメトリー現象」では、左の肩が前のほうに巻き込んでいく。すると上体はいよいよ右手側に回りこむ形になる。

私は、自分の体を右に回してみせながら、説明をつづけた。

「だれでも多少のアシンメトリー現象はありますし、睡眠不足や疲れが溜まっているときには、その度合いが強くなるんですよ」

「あ、それわかります! 私も体調の悪いときほど、上半身がグイッと右に回っていたんです!」

安野さんは、これまで一人で抱えてきた疑問や不安の原因がわかって、ちょっと興奮気味にそういった。「アシンメトリー現象」のことを知ったおかげで、ちょっとだけ不安が解消されたようだ。

「アシンメトリー現象」は、体が左右非対称になる現象だけれど、より厳密にいうなら、体が片側にねじれていくことで、左右非対称に見える現象である。

つまり平面で見れば「アシンメトリー現象」だが、立体的に見れば、動きを伴ってねじれていく「ねじれ現象」なのである。

「アシンメトリー現象」と呼ぶにしろ「ねじれ現象」と呼ぶにしろ、この左右の非対称性は、初めから人間の体に組み込まれているしくみらしい。その証拠に、大なり小なりだれにでもこの現象が見られるので、無意識のうちに、私たちのごく身近な生活にも影響しているのだ。

たとえば陸上競技場は、全て左回りに走るように設計されている。なぜそうなったかについては諸説あるが、どれも決定的ではない。

実は「アシンメトリー現象」の場合、骨盤の左側が上体方向に上がっている。これは仰向けになれば、左脚が右脚よりも短くなった状態だ。

この状態で立ち上がると、重心が左側に偏るので、体は左に傾く。左に傾いた人は右回りには走りにくいから、左回りのコースのほうが走りやすい。

実際、「アシンメトリー現象」の人の割合は非常に多いので、トラックは左回りになっていると考えることもできる。

他にも、右回りか左回りかは、利き足の影響で決まったという説もある。しかし利き足を決定する大本の要因ですら、そもそも「アシンメトリー現象」の影響が大きいのではなかろうか。

安野さんの背骨のズレを矯正しながら、そんな話をした。彼女はまだ若い自分がどうしてがんになったのか。その答えを探していたので、こういう話にも人一倍興味があるらしかった。

熱心に耳を傾けてくれる彼女と話していたら、ふとこんなことを思いついた。

ヨリのついた釣り糸は、古くなったりちょっと傷がついたりすると、よけいにからみやすくなる。これは人間も同じなのかもしれない。逆に、人間の体にはもともとヨリがかかっている分、釣り糸よりもからみやすいのではないか。

もちろん人の体は、釣り糸みたいにヨレたところでプツンと切ってつなげるわけにはいかない。あくまでも根気よく、丹念にヨリをもどしていくのが大切なのである。(つづく)

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161
だれだって、一度や二度は人生につまずくことがある。ところが私は、これまでずっとつまずきっぱなしだった気がする。

だが、つまずくたびに仕事を替えてきたおかげで、実にさまざまな職業を体験してきた。とうてい履歴書の職歴欄なんかに収まりきる量ではない。それでもその経験が、私にとって何かのプラスになっているのかもしれない。そう思うことがある。

なかでもいちばん思い出深いのは、埼玉県和光市にあった自動車工場で、期間工をしていたときのできごとだ。

時代はバブルの真っ盛り、世の中は好景気に浮かれていた。そんな世情とは裏腹に、私は不況の真っ只中にいた。つまり食い詰めていたのである。そのときに運良く見つけたのが期間工の仕事だった。

これなら、資格や技術がなくても応募できる。給料がそこそこもらえるだけでなく、三食付きの寮まであった。家賃がかからないのでお金が貯められる。当時は、冬場に仕事がない東北や北海道あたりからの出稼ぎの人が多かった。

私が最初に配属されたのは、エンジン部品の検品の部署だった。自慢じゃないが、私みたいにいい加減な性格のヤツを、そんな重要なラインに配置していいのか。ちょっと疑問だったが、人事としては、私が一応は大卒だからやらせてみようと考えたのかもしれない。

手順のかんたんな説明が終わると、いきなりベルトコンベアーの前に立たされた。目の前を流れてくる部品を、いわれた通りにチェックしていくのである。最初のうちこそ緊張したが、すぐに慣れた。

「なんだ、カンタンじゃないか。休憩まであと何分かな~」

そんなことを考えていると、私のラインの下流で何やら騒いでいる。「アレ?何かあったのかな」と思った瞬間、目の前のラインがストップした。私のラインだけではない。工場全体のラインが停止したのだ。

それまでの騒々しかった機械の音が消えて、工場内は奇妙な静けさに包まれた。

「停電か!?」

原因を見極めようとして、周囲が一斉にざわつき始めた。

このころの自動車会社といえば、増産に次ぐ増産で、工場は昼夜の関係なくフル操業していた。ラインを止めることなど断じてあってはならない。そのラインが止まるなんて、ただごとではない。

だが私は、止まったラインの前で、これ幸いとばかりにノンビリと休憩していた。ところがしばらくすると、停止の原因がはっきりした。

なんと私が検品した部品のなかに、不良品が混ざっていたのである。それも一つや二つじゃなかったから、全体のラインを止めて対応するしかなかったのだ。

「やらかした」

背中を冷たい汗が流れた。後悔しても後の祭りである。でも、こういう仕事には向き不向きがある。私には向いてなかったのだ。その日は何もいわれないまま、寮に戻された。「これでもうクビかな」と思うと、晩ご飯は味がしなかった。

次の日、食堂でモソモソと朝ごはんを食べていると、配属の係の人がやってきた。クビのお達しかと思ったら、今日からはちがう部署に行けという。

ヤレうれしや。クビじゃなかったのだ。私がクビにならなかったのは、それほど深刻な人手不足だったのだろうが、とりあえず助かった。

新しい部署では、ドブ漬け作業を任された。ドブ漬けは、風呂桶みたいな油槽に、自動車部品を浸すだけなので、かなり単純な作業である。

これを二人一組でやるのだ。そこにもう一人、部品を運んでくる係がいる。私を含めたこの三人は、他の部署で使いものにならなくて、急遽この作業をあてがわれたらしかった。

私の相方になった西田くんは、とにかく明るい人だった。彼は何年もアフリカを放浪し、現地の女性と結婚していた。今は、景気のいい日本でお金をかせぐために、一時帰国して働いているのだ。

もう一人の佐藤くんは、青森の農家の次男坊である。中学を出ると同時に実家を飛び出して東京まで来たものの、一向に定職が見つからない。そこで職探しをしながら、ずっと新宿のソープランドで呼び込みをしていたそうだ。

二人とも、私のまわりでは聞いたこともない体験をしていて、話がすこぶるおもしろかった。境遇こそちがえど、同年代ということもあって私たちは妙にウマが合った。

ドブ漬けの作業そのものも楽しいし、特別だれかに監視されているわけでもない。それにここは広い倉庫の片隅で、いつもシーンとしているので、おしゃべりだってしやすい。これならなんとかやっていけそうだ。

いつしか私たちは、作業の合間にお互いの人生感まで語り合うようになっていた。たまたまあの世の話になったとき、私は、知人にすすめられて読んだことのある、高橋信次の本のことを話した。

そこには、「人は何度でも生まれ変わる。この肉体は、魂の乗り船にすぎない一時の借り物だ」とか、「この世に生まれてきたのは、自分の魂のクセや欠点を修正するためだ」と書かれていたのである。

また、「人生の目的は幸せになるためで、それぞれの魂の成長度合いによって、あの世に帰ったときの行き先が決まる」。そんなことも書いてあった。

こんな話は、よほど親しい人にもしたことがなかったのに、彼らになら何でも話せた。私のあやふやな話だって、彼らは批判するどころか、身を乗り出して真剣に聞いてくれるのだ。

ふとした拍子に高校の話になったら、「エッ、Mさんて高校出てるんスか!スゴイっすね~」とおどろかれた。そういわれてしまうと、まさか大学まで出ているとはいえなくなった。

だが私が高卒だと知って以来、二人はますます目を輝かせて、私の話を敬意をもって聞いてくれるようになっていた。

さらに高橋信次の話をしてからというもの、彼らの心のなかに新しい扉が開かれたようで、もう仕事のことなんかどうでもイイらしかった。

佐藤くんなどは、ことあるごとに「タマスウっつうのは」といって、私を質問攻めにした。どうにかして自分が生きる意味を見極めたい。そのために必死になって、私からありったけの知識を引き出そうとしていたのである。

そしてある日突然、「オレ、青森に帰って実家のりんご農園を継ぐことに決めた」というと、サッパリとした笑顔を残して工場から去っていった。

私のつたない話が、彼の人生の指針にでもなったのだろうか。彼の姿を見送りながら、私はなぜか、先を越されたみたいな気分になっていた。

どうして私はこんな気持ちになるのだろうか。しばらく考えているうちに、なんとなくわかってきた。私はあの高橋信次の本を、もう一度、腰を据えて読み直してみなくてはいけないのだろう。(つづく)

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160
その日、会田先生は新宿で人に会っていた。打ち合わせが終わって時計を見ると、まだ午後2時を過ぎたばかりである。今日はもう大学に戻らなくてもいいのに、このまま帰ってしまうのももったいない。せっかく新宿まで来たのだから、駅近くの家電街をのぞいてみることにした。

先生のお目当ては、趣味のオーディオパーツである。ふだんなら秋葉原に行くけれど、たまにはいいだろう。ここでだって、何か掘り出し物が見つかるかもしれない。

だが最初にのぞいた大型家電量販店は空振りだった。まあアキバじゃないからナ。仕方ない。ほかの店を回ってみよう。騒々しい店内放送を浴びながら店を出ると、交差点の向こうからリヤカーを引いたおじさんがやってきた。

今どきリヤカーか。珍しいナ。先生は彼が近づいてくるのを待った。すれちがったときに荷台をのぞくと、同じ本ばかりが山積みになっている。何だろう。どうも気になる。好奇心に負けた先生は、追いかけて行って彼の横に並ぶと、「それは何ですか」とたずねた。

すると彼は、それまでの険しい表情をくずして、「あ~」といって立ち止まった。

「これは私が書いた本です。自叙伝みたいなものですが、本屋ではなかなか売れないので、こうやって野菜みたいに自分で売って歩いているのデス」

丁寧にそう答えると、彼はふところから汚い手ぬぐいを取り出して、額の汗をぬぐった。

自分の本をリヤカーで売り歩くなんて、いよいよ珍しい。予想外の返答におどろいた先生は、「それなら私も1冊」といって買い求めた。オーディオパーツのことなんかすっかり忘れて、先生は急いで家に帰ると、そのまま万年床に寝転がって本を開いた。

『馬の骨放浪記』と題されたその本は、彼が浮浪児だったときの記述から始まる。彼の記憶は、拾ってきたサバの頭と内臓を、ほかの浮浪児たちといっしょに橋の下で煮ている場面から始まっている。それ以前の記憶はないのである。

そのときの彼には家がなかった。そればかりか家族もいない。自分の名前も年齢さえもわからない。いつどこで生まれて、どうしてここにいるのかもわからなかった。

そこから苦労を重ね、やっと大人になりかけたころに戦争が始まった。そして国家総動員法によって、兵隊として中国の戦地へ送られることになった。そのとき初めて、彼は「大正生まれの山田勝三(やまだかつぞう)」として戸籍に記載されたのである。

戦争中の悲惨な体験もさることながら、敗戦後、命からがら日本に帰り着いてからも、彼の苦労はとどまることがなかった。「よくぞここまで」、と思うほどのアクシデントの連続に、読みながら何度も胸がつまる。

そんな彼が、やがて頭が禿げ上がる年齢になってから、夜間中学へ通い始めた。そこで初めて文字を覚えて書き始めたのが、本書の原稿なのである。

会田先生は引き込まれるようにページをめくりながら、宮本常一の『忘れられた日本人』のことを思い出していた。あの本は、社会の底辺で暮らしてきた市井の人々の半生を、本人たちの口から聞き書きしてまとめた1冊だ。

一方、勝三さんの本は、自分のこれまでの人生を、自分の手だけで書き上げたものである。リアリズムという言葉さえ虚ろに聞こえるほど、むき出しの体験が読む者の胸に突き刺さる。

会田先生は一気に読み終えると、大きなため息とともに本を閉じた。気づけば外はもう真っ暗だ。食事をとるのも忘れていた。それにしても、これほどの本に出会えることはめったにない。これはぜひとも、学生たちにも読んでもらわなくてはならない。

その翌朝、先生はいつもより早く家を出ると、勤務先の大学近くにある本屋の前で開店を待った。そしてガラガラとシャッターが開くのと同時に、顔なじみの店主に『馬の骨』を見せながら、これを大量に入荷してほしいと頼みこんだ。

もちろん店主も、始めはウンとはいわなかった。先生が、「売れ残ったら私が全部買い取りますから」とまでいうと、ようやく首を縦に振ってくれたのだ。

それから20年近くたったころ、会田先生からたまたまこの話を聞いた。ネットで探してみるともう絶版になっていたが、運よく古書が見つかったので、取り寄せて読んでみた。

会田先生がいった通りだ。これまでノホホンと暮らしてきた私には、勝三さんの体験の一つ一つが衝撃だった。だが本を読み終えたとき、なぜか腹の底からフツフツと気力がわいてきた。

思い起こせば、これまでにも人生観が変わるほどの本に、私はいくつも出会っていた。それが、そのときそのときの私にとって、人生の道しるべとなったのだ。

しかし今まで読んできた本は、この本とは決定的にちがっていた。主人公が困難にもめげず、過酷な人生を生き抜いた点は同じでも、ラストには救いがあった。

だが『馬の骨放浪記』には救いがない。この先、勝三さんはどうなってしまうのか。読者が不安に駆られたところで終わっている。編集後記にも、彼のその後についての記述はない。その代わり、この本の出版の経緯が載っていた。

勝三さんは、大量の手書き原稿を紹介もなくいきなり出版社に持ち込んだのである。出版社なら、無名の人間から原稿が持ち込まれることなど珍しくもない。社長は分厚い原稿の束を快く受け取ると、いつもの通りデスクの横に放置した。

ところがあるときふと思い出して、新人の編集者に、「オイ、明日までにこの原稿読んでこい」といって手渡した。これが運命を分けたのだ。

社長命令なので拒否権などない。いわれた通り、彼は原稿を持ち帰って読んでみた。そして翌朝、出社するやいなや、「社長、これはすごい内容です! ぜひ出版すべきだと思いますッ」と熱を込めて訴えた。

「読んでみろ」とはいったものの、さすがに最初のうちは社長も、「何をいっているんだ」といぶかった。だが彼の気迫に押されて、自分でも読んでみた。その結果、やはり内容に圧倒されて、即座に出版を決めたのだった。

本はふしぎな存在だ。小さな紙の束に、文字という記号がひたすら並んでいるだけなのに、そこには果てしない宇宙が広がり、読む人の人生を変えてしまうほどの出会いが待っている。著者が本にこめた熱意は、そうやって必ずだれかに伝わっていくものなのだ。

月刊誌の連載が打ち切られてからというもの、私はもう、「アシンメトリー現象」の存在を伝えることをあきらめかけていた。しかし本にはとてつもない力があるのだ。その力を信じて、私ももう一度、本を書いてみよう。(つづく)

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159
患者さんから今日の予約変更の連絡が入った。子供が学校で熱を出して、これから迎えに行くことになったそうだ。自分も腰が痛いのに、そんなことはいっていられない。お母さんはたいへんだ。

予約表を見ると、今日の午後が丸々空いている。久々の午後休だ。私には定休日などないので、患者さんからの予約次第でこうやって唐突に休みになる。

せっかく晴れているから、高円寺まで歩いてみようかナ。車で移動していたころの土地勘と、野生の勘が頼りの遠出である。迷うこともあるけれど、急いでいるわけじゃないから、まっすぐ行けばいいものではない。そういうお散歩だ。

ペットボトルに水をつめて、いつものリュックを背負って、ポクポク歩いていく。渋谷から代々木八幡へ抜けて、中野富士見町まで来た。このあたりで神田川をまたぐことになる。見当をつけて橋を渡っていると、電話がかかってきた。連載している月刊誌の編集長からだ。

なんだろう。いつもはメールのやり取りなので、電話なんかかかってきたことはない。ちょっと胸騒ぎがする。

「実は先生にお願いしている連載が、今月で打ち切りになりまして」
「え、なんで!?」

予想外の内容におどろいて、思わずタメグチになってしまった。

「24回のお約束でしたよね、それがどうして21回で打ち切りなんですかッ?」

つい語気が強まった。こんな急に連載中止だなんて、ワケがわからない。私がいくら理由を聞いても、彼の歯切れは悪かった。「編集会議で決まったことなので」とくり返して、話は終わった。

この雑誌には、「アシンメトリー現象」の特徴を毎月1項目ずつ載せていた。連載当初は編集長も乗り気だったから、見開き2ページでちゃんとプロのイラストレーターまで付けてくれていたのだ。読者からの評判も悪くないと聞いていた。

「それなのになぜ?」

どうにも腑に落ちないが、彼を責めても仕方がない。納得するしかないのだろう。いや、これまで掲載してもらったことのほうに、感謝すべきなのかもしれない。人生は思い替えが大事なのである。ふぅ。

それからしばらくたってから、たまたまこの雑誌の関係者に会う機会があった。彼は「ここだけの話」と前置きして、どうやら私の連載内容が、踏み込んではいけない領域に触れていたらしいと教えてくれた。

医師以外の人間が、医療批判的なことを書くのはタブーである。特にこの雑誌は、ある監督官庁ともつながりが深いので、なおさら中止せざるを得なかったそうだ。

しかし私は全く医療批判などしていない。そんなことを書いたつもりもないし、書くつもりもなかった。ただただ、私が発見した人体の「アシンメトリー現象」の存在を、多くの人に知ってもらいたい一心だったのだ。

どの業界にもタブーはある。知り合いのテレビディレクターが、テレビ業界には踏み込んではいけない領域がいくつもあって、そこにちょっとでも触れてしまうと、番組なんかすぐ打ち切りになると話していた。きっと医学界も同じなのだろう。

特に医学界はエグイと聞いたこともあった。「がんもどき理論」で有名な慶應義塾大学医学部の近藤誠先生も、かなりひどい弾圧を受けていた。

彼は著書で、がんには本物のがんと、がんに似たがんもどきとがあって、本物のがんは治療しても治らないし、それががんもどきなら、治療しなくても死なない。だから、どっちにしてもがんの治療はムダだと書いて、大ヒットした。

案の定、「がんもどき理論」は、医学界から総スカンを食った。医学の常識を全面的に否定するものだったので、今でも徹底的に批判されつづけている。医療批判は、医師がやってもダメなものなのだ。

それでも彼の出す本は、ことごとくベストセラーになっている。医学界からどれほど批判されても、職場で全く昇進できなくても、彼は自説を曲げようとはしない。出版社だってしっかり彼を後押ししている。それもこれも、ベストセラーの威力あらばこそだろう。

一方、私には権威や後ろ盾どころか資格すらない。治療家と自称することさえ許されない民間の療法家にすぎないから、アッという間に吹き飛ばされて終わってしまった。

終わったといっても、これが大昔だったら、生き埋めか火あぶりにでもされたかもしれない。そう思うと、連載中止ぐらいですんだのは幸いだったのだ。

それにしても、近藤先生の「がんもどき理論」はおもしろい。私も、がんと診断された人を診ていると、「この人って本当にがんなの?」と思うような体の人がいて、首をひねることがある。

ふつう、がん患者の体には、「アシンメトリー現象」がクッキリと現れているものなのに、がんと診断されていても、「アシンメトリー現象」が全く出ていない人がたまにいる。あれは、がんもどきだったのだろうか。

興味が深まった私は、近藤先生の本だけでなく、彼の理論に対する批判本の類も一通り読んでみた。

ベストセラー本の批判をした本も、そこそこ売れるから出したがる人は多い。「柳の下の二匹目のどじょう」を狙う出版社にも好都合だ。理論がどうこうよりも、出版社としては、話題になって売れればいいのである。

では、「がんもどき理論」の批判ポイントとは何だろう。「がんの治療など一切不要だ」とする点はもちろんだが、がんとがんもどきをどうやって区別するのか。そこも大きな批判の対象になっている。

批判する側は、両者には遺伝子のちがいがないのだから、がんもどきなど存在しないと考える。たしかに、がんとがんもどきのちがいは転移するかしないかだけなので、まだ転移していない初期のがんでは、近藤先生だって判別できない。

しかしここで、「アシンメトリー現象」が現れているかどうかを、判断基準に加えたらどうなるか。

「アシンメトリー現象」が出ていれば、そのがんは本物のがんだ。出ていなければ、それはがんではない可能性がある。もしこれが正しかったら、「がんもどき理論」のウイークポイントを補完できるのではないか。

そうはいっても、仮に私がそんなことを発表したら、本当に火あぶりになりそうだ。私は近藤先生ほど肝が座っていないので、医学界に真っ向から楯つくほどの勇気はない。

でも、「アシンメトリー現象」の有無が、がんの診断に役立ちそうな点には、かなりの自信がある。もう少し「アシンメトリー現象」の研究を進めて、しっかりとデータにまとめることができたら、そのとき近藤先生に会いに行こう。(つづく)

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158
2日間にわたる「神の手千本プロジェクト」第一弾、「腰痛講座」が無事に終了した。お世話になったサポートの先生たちといっしょに今から反省会、という名の打ち上げだ。向かった先は池袋駅近くの居酒屋「天狗」である。

素人さん相手の講習会は初の試みだったから、教える側も緊張した。だが、全国から集まった参加者さんたちは、たった2日でみごとに矯正の技をマスターしてくれた。そしてお互いに再会を約束して、それぞれが神の手への道を歩み始めたのだ。

「でもこんなに短時間で、素人がかんたんに技術を習得しちゃったら、そのうちプロの治療家なんか、要らなくなっちゃうのかもしれないっスね」

最初のビールがそろそろ終わりに近づいている。大外先生は次に頼む焼酎を選びながら、メニューに目を落としたまま真顔でつぶやいた。

そうかもしれない。矯正をマスターした人が家庭や職場にいれば、腰痛程度ならその場で治してもらえる。それはすなわち、患者さんが治療院に来なくなることを意味しているから、プロの治療家にとっては死活問題にもなりかねない。

だが、そんな後ろ向きな発想ではイカンのだ。これからのプロは、直接患者さんを治すのではなく、素人さんたちに治し方を教えるのが仕事になればイイと思う。

学校の保健体育の時間や職場の新人研修、カルチャーセンターあたりで、みんながこの手技を習うのが当たり前になれば、指導者のニーズはいくらでもある。さらに、プロを自負するのであれば、素人では治せないむずかしい症状だけ引き受ければいいのだ。

そのためにも、これからはどんどん指導者を増やしていかねばならぬ。それがわれわれの使命なのである。そんな未来を語っていたら、いちばん若手の森本先生が身を乗り出して、「じゃ、講習のDVDも作ったらいいンじゃないスか」と提案してくれた。

そうか、DVDという手があったか。
世の中には、治療家のDVDがたくさん出回っているのは私も知っていた。今回の講習会の募集をかけたときにも、地方での開催予定はないのかと聞かれたくらいだから、遠隔地の人はDVDで学べたら便利だろう。

「よ~し、ソレやろうそれ!」

手技の普及に向けて、みんなも大いに盛り上がっていた。とはいえ、こういう話はだいたいが酒の席だけのものである。私もDVDのことなんか、すっかり忘れて1週間が過ぎた。

今日も治療院での施術が終わったところで、打ち合わせのために杉本さんがやってきた。事務的な用事がすんで私が一息ついていると、杉本さんが突然、「近いうちに、先生のDVDを出すことになりました」という。

「ハ?いつのまに?」

彼女の話が唐突なのは毎度のことだが、さてなんと答えたものか。一瞬考えていると、「つきましては、タイトルには先生の療法の名前が必要なので、名前、考えてください」とつづけた。

どうやらあの反省会の席での話が、杉本さんサイドではすでに具体的に進められていたようである。それはありがたい。もちろん私も、新しいことにチャレンジするのは大賛成だ。

しかし名前か~。そういえば、私の手技にはまだ決まった名前がない。税務署相手には「整体」と書くしかなかったが、「整体」では東洋医学になってしまう。私の理論はあくまでも現代医学がベースなので、違和感が強い。

だが単なる「背骨の矯正」では、いかにもオリジナリティーに欠ける。そこでしばらくの間、「形態矯正」と名乗っていた時期もあった。

「形態矯正」は、人類史上最大の天才と自称していた、かのゲーテが考案した「形態学」からとった名称だ。これはこれでわかりやすかったし、ムサビの関口先生も、「オ、その名前いいじゃないか」と気に入ってくれていた。

ところがいざ、「形態矯正実践集中講座」なんて書くと、とにかく漢字だらけで硬すぎる。こういう名称は、柔道整復師とかの国家資格者には受けがいいけれど、とっつきにくそうで一般の人からは敬遠される。

「名前っていわれてもな~」と私が頭を抱えていると、杉本さんはさっさと見切りをつけて、ネットで何やら調べている。

「えーっと、形態学はモルフォロジーですから、モルフォロジーに基づいた療法ということで、モルフォセラピーではどうですか」

お、横文字ときましたか。モルフォセラピー、モルフォセラピー、略してモルセラ。何度も口に出してみた。いいにくくはないし、響きも悪くない。なんとなく文字ヅラの印象がやわらかいのもイイ。私は即座にOKした。

これで私の療法にもやっと名前がついたのだ。ヤッタ!だがのん気に喜んでいる場合ではない。杉本さんからは、来週までにDVDの撮影用の台本を考えてくる宿題が出た。

その台本を元にして、撮影監督と打ち合わせをすることになっているそうだ。監督に台本なんて映画みたいじゃないか。しかもその監督は、映画館で上映されるレベルの映画を作っている人らしい。それを聞いてちょっと緊張してきた。

私がまたまた「うーん」とうなっていると、杉本さんは「あの腰痛講座のときに作ったテキストに沿って、組み立ててみたらイイんじゃないですか」と助け舟を出してくれた。

それならできそうだ。これで神の手千本プロジェクトに向かって、またまた大きく前進できる。目の前が明るくなってニヤついていると、杉本さんは、「この手のDVDは大して売れませんので、あまり期待しないように」と釘をさす。

でも、でも、たとえDVDが1枚しか売れなくたって、その1枚から伝わった人が、大きく広めてくれるかもしれないじゃないか。DVDなら、国内のどこでも、いや海外にだって広まっていく可能性もある。

私には、このモルフォセラピーのDVDが世界中に羽ばたいて、千本の手に届けられる未来が見える。期待するなといわれても、やっぱり無性にうれしくなってしまうのだった。(つづく)

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