小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:実験小説

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ガッッコォーンッ。

とてつもなく大きな音を立てて、エレベーターが止まった。別に故障ではない。うちのビルのエレベーターは機械が古いせいなのか、初めての人はちょっとビビるほど音が大きいのである。

その音につづいて、「コホ、コホ」と軽い空咳の音が、私の部屋に近づいてくる。小宮さんだ。間質性肺炎だと診断された彼女が、友人の紹介で私のところに通うようになってから、もう1年以上になる。私は今では、聞こえてくる咳の音量で、彼女の今日の体調がわかるようになった。

間質性肺炎は、感染による通常の肺炎とちがって、抗がん剤や放射線でも発症する。しかしほとんどの間質性肺炎は原因不明で、難病に指定されている。

咳がつづくので病院で検査を受けた小宮さんも、間質性肺炎だと診断されたが、原因はわからなかったそうだ。

「この体は私の手には負えない」

それが私の小宮さんに対する第一印象だった。彼女は体重が30数キロしかなかった。その骨と皮だけにも見える体から、「ゴオォーッホ、ゴホッゴホッ」と常に力一杯の咳が出つづけていたのだ。

こんな人の体に触れても大丈夫だろうか。目の前で突然、呼吸困難にでもなられたらどうしよう。そう思うと恐ろしくて手が出せない。だが私の不安を伝えたところで、小宮さんは病院では治せないといわれているから、もう他に行き場がないのである。

ていねいな文字で記入された問診票を見ると、なんと彼女は私と同じ年の同じ月の生まれで、数日ちがいの同い年だった。同い年同士には、ふしぎな仲間意識が生まれるものらしい。

以前、本を出したときにお世話になった、編集プロダクションの社長もそうだった。それまで私のことを「M先生」と呼んでいたのに、同い年だとわかった途端、「なあんだ、Mちゃんタメだったのか~」といったのだ。そのあまりの切り替えの早さに、私もスタッフたちも大笑いした。

小宮さんも私が同い年だとわかると、なぜだか急に安心したようだ。まあ、同い年だから大丈夫ってものではないけれど、たしかに施術者と患者との間にも、相性の良し悪しはある。そうなると、同い年への親近感は影響がないわけでもない。

タメ年効果ですっかりリラックスした彼女の、「大丈夫よ~、平気へいき~」という言葉に押されて、まずは体の状態のチェックから始めてみることにした。

ふつうなら、咳やぜんそくの症状が何か月もつづく人は、胸椎(胸部の背骨)が大きくズレていることが多い。胸椎がズレることで、胸椎に接している肋骨が押し出される形になると、呼吸のための肋間筋や横隔膜がひきつってしまう。これが咳がつづく原因になるようだ。

果たして彼女の場合はどうだろう。話の合間にも、「ゴホゴホ」と咳こんでいる彼女の背骨を調べてみると、やはり胸椎が何か所もズレている。ズレ幅もかなり大きいから、これでは間質性肺炎でなくたって、咳が止まらなくなるだろう。

咳の原因がズレなら、そのズレを矯正するしかない。しかし矯正直後は、体調が急変することもあるので、慎重に少しの変化も見逃さないようにする必要がある。

「ちょっとずつ矯正してみますね。気分が悪くなったら、すぐ教えてくださいね」

そういってから、触れるか触れないか程度の力でズレをもどしてみる。すぐに彼女の表情をチェックする。大丈夫そうだ。そこで一呼吸おいて、またちょっともどしてみてから顔を見る。

そうやって小刻みに矯正を進めていくと、少しずつ咳が治まってきた。それと同時に、骨と皮だけでゴツゴツしていた背中からこわばりが抜けて、わずかに丸みを帯びた感触に変わった。

本人も、「あ~楽になった、ウソみたい。息ができる!」とはしゃいでいる。ズレの矯正によって、体だけでなく顔の表情もゆるんできたのを見て、「ひょっとしてこれなら」と、私も手応えを感じていた。

そうはいっても、背骨のズレを矯正した程度で、難病指定までされた間質性肺炎そのものが治るわけではない。

そもそも間質性肺炎の主な症状は、痰を伴わない空咳と、動いたときに息が上がる息切れで、進行すると安静にしていても息苦しさを感じるものらしい。ところがこれは、胸椎が大きくズレている人の症状と全く同じなのである。

もちろん胸椎のズレが間質性肺炎の原因ではないだろうが、ズレを矯正したことで、症状が出なくなれば薬の量も減らせるし、問題の大半は解消されるはずだ。それならやってみて損はないだろう。

あの日から、月に一度、小宮さんは私のところに通っている。あのころよりはずいぶん体の緊張が取れて、体重も増えてきたようだ。おかげで近ごろは、彼女がやってきても、聞こえてくるのはエレベーターが立てる「ガッコン」だけのことが多くなっている。それが私には無性にうれしかった。(つづく)

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182
父の肺がん騒ぎから、はや1年が過ぎた。
あれから一度も、父は病院に行っていない。来る日も来る日も、母から「病院で精密検査を受けなさい」といわれつづけているのに、やっぱり行かない。だから、肺がんかどうかははっきりしないままである。

実際、1年たっても、いまだに肺がんらしき症状は出ていない。それでも体力だけは確実に落ちている。80過ぎという年のせいもあるが、単に食事の量が極端に減っているのも原因なのだろう。

若いころの父は肉体労働で汗を流し、いつも山盛りのどんぶり飯をかっこんでいた。しかし近ごろは食欲そのものが失せている。母から「せっかく作ったんだから、もっと食べなさい」と責められて、ようやく一口か二口は口に運ぶ。でもすぐに「もう、いい」といって箸を置いてしまう。

ほとんど食べなければ、がんでなくたって体力が落ちて当然だ。まるで、即身仏をめざして五穀断ちしている行者みたいだが、本人は食べなくても平気なのである。

ただし酒の量だけは減っていなかった。口うるさい母の目を盗んでは、朝から大好きな月桂冠でのどを潤している。そんな父を見かねた母が、札幌の兄の病院に父を入院させることにした。

実家から札幌までは介護タクシーで4時間はかかる。入院に付き添うために帰省した私は、玄関先で父の体を支えながら、「父はもうここに戻ることはないのかもしれない」と一人で感傷的になっていた。

ところが当の本人は、出掛けにもこっそり飲んでいたのだろう。顔を赤くして、ゴキゲンなのである。これには拍子抜けしたけれど、ゴキゲンなのはイイことだ。

兄の病院に入院してからも、やはり本人の希望通り、何の検査も治療もしないことになった。父と同じ酒飲みの兄は、「まあ点滴なんかするよりも、少々の酒なら」といって、父の酒も大目に見ていた。

だが、相変わらず食事には箸をつけない。点滴もしないで食事もとらないから、いよいよ体力が落ちていく。そうこうするうちに、食べ物どころか水を飲んでも誤嚥(ごえん)するようになってしまった。

それなのに、なぜか酒だけは全く誤嚥しない。何の抵抗もなく、静かにのどを通っていくのは、いかにもふしぎなことだった。

そうやって少しずつ体力が落ちていって、1日中うつらうつらしている状態がつづくようになった。周りのだれもが、父に残された時間がそう長くはないと感じていた。

そんなある日、もう二日も眠りつづけていた父が、うっすらと目を開けた。そして、そばに付き添っている母に気づくと、わずかに右手を上げて手招きした。

いよいよ来たか。ドラマではおなじみ、感動のお別れシーンである。母としては、50年以上も連れ添った夫が、「今まで世話になったな、ありがとう」とでもいってくれるのかと期待した。こみ上げてくる切なさを抑えつつ、父の枕元に顔を寄せた。

すると父は、無言で自分の右手を口元に持っていくと、グラスを持つかっこうで手首をクイクイッとひねってみせた。「酒を飲ませろ」と要求しているのである。

これには母も、あっけに取られて言葉を失った。いやいやアッパレ、この期に及んでも、さすがの酒飲みではないか。だがしばらくしてわれに返った母からは、やっぱりこっぴどく叱られてしまう父なのだった。(つづく)

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181
北海道で暮らしている母から電話がきた。母からの電話は、いつもイイ話だったためしがない。今日もイヤな予感がして、しばらく着信音を鳴らしたまま、手が止まっていた。あきらめて電話に出ると、母の元気な声が聞こえてきた。

「あぁMちゃんかい、実はサ、お父ちゃんが肺がんみたいなのサ」

そうきたか。たしか父は今年80歳になる。年齢的に見れば、体のどこかにがんがあってもおかしくない。「がん」と聞いて、私はスッと冷静になった。

母の電話はとにかく情報量が多い。あれこれ省いてざっくりまとめると、父が市の無料健診を受けたら、肺にがんらしき影が写っていた。病院では、「がんの可能性が高いので、さらにくわしく調べましょう」といわれたそうだ。

もちろんそのまま父にも伝えてあるらしい。日ごろ淡々としている父だが、いきなり「がんだ」といわれたら、さすがにおだやかではいられないはずだ。これは本人と話をしたいところである。

だが父は、電話になるとふだん以上に話さない。電話口でだまりこんでしまうので、全く会話がつづかないのだ。たいていの用事なら、母から伝えてもらえばすむけれど、がんかもしれないとなると、本人の表情を見ながら話をしたい。

電話じゃダメだ。仕方がない。ひっきりなしにしゃべりつづけている母に向かって、「うん。じゃ、飛行機が取れたら週末に帰るから」といって電話を切った。

実家に着くと、父はいつもの通り、居間のテレビの前で横になって新聞を読んでいた。顔色は悪くない。父は私が帰ってきたのがわかると、わずかにあごを上げて、口を「お」の形にした。これは「お、帰ったか」とか「お帰り」の「お」である。これもいつもの通りだった。

「がんだって?」

私が重くもなく軽くもない感じで声をかけると、父は新聞に目を落として、「あぁ」とだけ答えた。まことに素っ気ない。これでは電話でなくても話がつづかない。

父と息子というのは、どうしてこうも口数が少なくなるものか。これはどこの家でもそうだろうか。その分、うちの母はよくしゃべる。今日だって、だまっている父の横で、「病院じゃ、くわしく調べるために細胞を取るっていってたわよ」と聞いた話をくり返す。

ところがあれもこれもと話しているうちに、いつしか父に対する不満へと話が飛んでいき、「ホントにもぉ、お父ちゃんたらッ」と一人でエキサイトしている。これもいつもの通りだった。

元来、父は病院ギライの医者ギライである。今回の健診にしても、病院大好きの母から、「行け、行け」とうるさくいわれて、渋々行ってきたのだ。でももう十分義務は果たしたと思っているのだろう。「オレもうイイヨ、これで」といって、精密検査を拒んでいる。

父はこれまで兄弟や親戚など、身近で肺がんの治療を受けた人たちを見てきている。みんな治療が始まるやいなや、ガクッと体力が落ちて、みるみるうちに亡くなっていった。

がんばって治療したって、どうせあんな風に死ぬんなら、治療なんか何もしなくていい。そう考えたのだろう。父の「もうこれでいい」とは、「もう死ぬ覚悟は決まっているから、このままがいい」という意味なのだ。

しかし母は、「そんなこといったって、世話すんのは私なんだから」と食い下がる。こうなると父は形勢不利である。私も父の判断に賛成だけれど、母にはかなわない。

「兄ちゃんは何ていってるの?」

札幌にいる兄は医者なので、何といったのか気になる。ところが母の話では、「肺がんは治らないから、思う通りにしたら」といったそうだ。

これだけ聞いたら言葉が足りない気がするが、兄の場合はこれもいつものことだった。家族としてはどうであれ、医者としての兄の意見は、至極真っ当だと思う。

さてどうしたものか。

とりあえず、私は横になっている父を仰向けにして、肺のあたりを調べてみた。たしかに左胸には少し凹みがあって、リンパが微妙に腫れている。これは明らかに肺がん患者のパターンだ。

これがわかった時点で、「誤診であってくれればいいのに」という私のわずかな望みも消えた。だが肺がんだからといって、すぐに死ぬわけではない。今の状態からすると、だまっていても半年や1年ぐらいはひどい症状も出ないだろう。そのあたりで逝くなら、男の寿命としては悪くない。

しかしもし精密検査を受けて肺がんだと断定されたら、病院としては何もしないわけにはいかない。効果があろうがなかろうが、何らかのがん治療を始めることになる。

もちろん肺がんと決まれば、母もだまっているわけがない。そうなると、父は母のいうことに従わざるを得なくなるから、治療に突入するしかない。これはなかなか悩ましい問題だ。

それにしても、がんというのは妙な病気である。それまで何の症状もなく元気に暮らしていた人が、たまたま受けた検査で「がんです」と診断される。すると一挙に重病人へと早変わりしてしまうのだ。

身に覚えのない罪で捕まったと思ったら、いきなり死刑執行日が宣告されるみたいなものだ。当人にとってはあまりに理不尽な話ではないか。今の父の心境にしても似たようなものかもしれない。

だが、父は与えられた運命をそのまま受け入れるつもりらしい。本人にその覚悟ができているなら、がんに対してだって「何もしない」という選択があってもいいはずだ。私は父の背中を見ながら、そんなことを考えていた。(つづく)

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180
携帯が鳴った。
見ると、患者の秋山さんからだ。
通話ボタンを押して、「モシモーシ」と応答すると、何だかいつもと様子がちがう。声がくぐもっていてよく聞き取れない。アレ、どうしたんだろう。

私が戸惑っている間も、電話の主は何か話している。何度か確認したら、やっぱり秋山さん本人であることはまちがいなかった。

そのとぎれがちな声を、パズルみたいに頭のなかで組み立ててみると、どうやら彼は半月ほど前に顔面神経麻痺になって、病院で治療を受けていたらしい。でもその治療が終わったので、今度は私に診てもらいたいという話だった。この声の感じからすると、麻痺は治っていないのだろうか。

数日後、秋山さんは特大のマスクをかけてやってきた。部屋に入ってすばやくそのマスクをはずすと、「先生、これッ」といって勢いよく顔の左側を私に向けた。確かに彼の顔は左側が大きく垂れ下がっていて、強い麻痺が残ったままなのがわかる。

「ホラ、こっちの感覚が全くないんで、食べたり飲んだりしたら、口のここんところから漏れてきちまうんだヨォ」

彼は指で左の顔面をつつきながらそういうと、悲しげに顔をゆがめた。

秋山さんは今年の春に65歳になったところで、勤めていた会社を定年退職した。だが本人が二枚目を自認しているだけあって、退職したあともいつも身だしなみには気を配っていたのだ。そんな彼にとって、顔の麻痺は人一倍ショックが大きかったらしい。

「先生、これ、なんとかならないだろうか。これじゃ人前に出られないヨ」

と困り果てている。

医者の話では、彼の顔面神経麻痺は、通常とは種類がちがっているそうだ。最初に耳に帯状疱疹が出て、その後で顔面に麻痺が出たかららしい。

「帯状疱疹なんてサ、ヨレヨレのバアさんがなるもんだと思ってたから、それだけでも『なんでオレが』ってショックだったのに、耳の帯状疱疹のあとに出た麻痺だから、もう治りませんなんていわれちゃってサ」

秋山さんは一気にそういうと、「ハァ~ッ」と大きくため息をついて、さらに悲しそうな表情になった。電話よりは聞き取りやすいものの、やっぱり麻痺がひどくて話しにくそうだ。

彼のいう通り、昔は帯状疱疹といえば年寄りのものだった。しかし今では若い人でもかかるようになった。顔面神経麻痺については、まだ医学的にも原因不明だが、わりと自然に治ってしまうことも多い。それなのに医師からは、「もう治りませんよ」ときっぱりいわれたのだから、そりゃため息も出るだろう。

だが、ふつう顔面神経麻痺や三叉神経痛など顔に出る症状は、首の1、2番目の骨のズレが原因になっていることが多い。ズレが原因なら、ズレを戻せば症状は消えていくものなのだ。

そこで彼の首の骨を調べてみると、案の定、1番目と2番目の骨が左に大きくズレていた。やはりこれか。これだけ大きくズレているなら、耳に出た帯状疱疹だって、ズレの影響だった可能性が高い。

ところが困ったことに、秋山さんの場合、安易にこのズレを戻すわけにはいかなかった。彼は数年前に、大動脈乖離(かいり)の手術を受けているので、もし矯正した途端、血流が急激に変化したら、体内で何が起きるかわからないのである。

そんな懸念を伝えても、秋山さんは一向に納得してくれない。医者には見放されているから、彼も必死である。「いや、でも」とためらう私に、「そこをなんとか」と食い下がってくる。結局、彼の懇願に負けた私は、通常よりもさらに回数を分けて、様子を見ながら少しずつ矯正していくことにした。

最初のうちは、良くも悪くも大きな変化はなかった。効果が感じられない秋山さんは不安そうだったが、逆に私は変化がないことでわずかに安心した。そして3回目の矯正のあたりから、やっと顔の感覚が回復してきた。下がっていた左の口角も上がってきた。

これには秋山さんも喜んだ。そればかりか、それまでつづいていた、頭にモヤがかかったような不快な症状が消えて、視野が広がってきたのである。おかげで彼も、ようやく回復に向かっているのを実感できて、表情から影が消えた。

それからまた数回、矯正をくり返したら、首の骨のズレはすっかりなくなった。その結果、口から食べ物や飲み物がこぼれることもなくなった。ここまでくれば、もう安心だ。

「あとは筋力の問題ですから、顔の筋肉をよく動かして、自分で積極的にリハビリすれば、さらに回復していくはずですヨ」

最後に私がそう伝えると、秋山さんはニカッと笑ってみせた。復活だ。見る者が思わず、「イヨッ男前ッ」と声をかけたくなるほどの笑顔とともに、彼は颯爽と帰っていったのだった。(つづく)

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179

いつもお世話になっている庄司さんの紹介で、新しい患者さんから予約の申し込みが入った。ありがたいことである。ところがあいにく空いた時間がない。こんなことはめったにないのに、すでに来月まで予約待ちの状態がつづいているのだ。

「なんとかなりませんか」

心細そうな声で頼まれても、すぐには来ていただけそうになくて、私も弱り果てた。

その方はしばらく前から股関節が痛くて、歩くのもままならないらしい。思い切って病院を受診したら、手術しないと治らないといわれてショックを受けていた。

しかしたまたま似たような症状の友人がいて、彼女が背骨のズレの矯正だけですっかり痛みが消えた話を聞いて、すがる思いで私に連絡してこられたのである。

股関節に痛みが出るのはめずらしいことではない。股関節痛の人は思っている以上に多いもので、痛みだけでなく歩きにくさまであるから、なかなか厄介な症状なのだ。

しかも病院に行ったからといって、すんなりと治るものでもない。人によっては股関節脱臼だと診断されることもある。また手術の対象になってしまうこともよくある。

だが、股関節に症状があるからといって、必ずしも股関節そのものが悪いわけではない。腰の骨がズレて、股関節に向かう神経が刺激されたことで症状が出ているだけの人もいる。ズレが原因なら、そのズレさえ矯正すれば、股関節の症状も消えてしまうのだ。

しかし、このことは一般には知られていない。医師だって知らないのだから知らなくて当たり前だけれど、実は股関節に症状が出るのも、しくみはひざ痛と同じなのである。

ただしひざ痛とちがうのは、長期間にわたって股関節に痛みがある状態がつづいていると、いつしか本当に股関節そのものの問題も引き起こしてしまう点である。

だから、股関節痛の人は早めに腰の骨のズレを矯正すべきなのだ。それなのに、今回の患者さんには、すぐに対応できないのがもどかしい。

そのとき、ハッとひらめいた。そうだ。この間、モルフォセラピーで奇跡を起こしたセイント関口先生にお願いしてみよう。

先生は外科医でもあるから、手術が必要だといった医師の判断の根拠も理解できるはずだ。しかも腰の骨の矯正なら、すでに先生はお手のものである。

さっそく関口先生に連絡して事情を説明したら、「エッ、オレでいいの?」といいながらも、すんなりと引き受けてくださった。

先生には、腰の骨のズレと股関節痛との関係をしっかり説明し、できるだけ間をおかずに矯正してあげてくださいとお願いしておいた。

すると一週間ほどして、先生から電話がきた。

あれからすぐに予約を入れて、数回の矯正で患者さんの股関節の痛みが消えた。そして歩行もかなりスムーズにできるようになったらしい。

「この調子なら、別に手術なんかしなくてもいいんじゃないかな」

という話だった。すばらしい。あまりの即効性に、思わず私の口からは「スゴイッ」とおどろきの言葉が出た。先生も、電話口で「エヘッ」と笑って、まんざらでもなさそうだ。

それで思い出した。関口先生は、自称「ほめられて伸びるタイプ」である。年下の私がほめるなんて、どこか失礼な気がしていたけれど、やっぱりもっともっとほめてあげたい。だってそれって、本当にスゴイことなんだから。(つづく)

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