小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:小説

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117
いよいよ私の勉強会が始まった。参加者はほぼ顔見知りばかりだが、全員男性なので、男子校の先生になったみたいな気分だ。ふと私は、高校で美術教師をしていたころのことを思い出す。

美術教師というのは、ふつうは女子生徒に人気があるものだと聞いていた。それなのに、なぜだか私のところには、札付きの不良男子ばかりが集まっていたのだ。この勉強会は、あのむさ苦しい雰囲気に似てどこかなつかしい。

主催者として私を招いてくれた大外先生にしても、相当ヤンチャな青春時代を過ごして、数々の武勇伝をもっている。その大外先生が集めただけあって、どうも今日のメンバーも体力自慢らしい。

そのため彼らの治療院では、強もみやバキバキと骨を鳴らす力技が売りになっているそうだ。もちろんやってくる患者さんたちも、そういう荒っぽい施術を期待している人が多いのだという。

施術者のなかには、施術は力が強ければ強いほど効果があると思い込んでいる人もいる。しかし強い力を使えば、それだけ事故も起きやすくなる。人によっては骨折したり、神経を損傷したりすることもあるから、施術に強い力は厳禁だ。

その点、私はもともと筋力も体力もないので、最小の力を使って、最短の時間で最大の効果を上げることしか考えてこなかった。これは私だけでなく、患者さんにとっても負担が少ないのでメリットが大きい。

実際、左の起立筋が盛り上がって、左半身の感覚が鈍くなっている人は、体の状態が特殊なのである。力自慢の施術家がどんなに強い力でもんでも叩いても、一向に体の奥にある不快なポイントまでは届かない。

ところが私が開発した手技で知覚が変化してしまうと、軽く触れただけでも不快な部分の大元にまで響くようになる。強い力など全く必要としないのだ。

以前、新宿のクリニックで診ていた子宮頸がんの荒井さんも、最初はすこぶる左半身の感覚が鈍かった。よろいを着ているのかと思うほど、外からの刺激に無反応だった。

しかし施術で一旦知覚が変化したら、私がほんの少しみぞおちのあたりを押しただけで、がんのある下腹部にまで痛みが響くといっていた。ここまでできれば申し分ない。これがこの勉強会の最終目標だろう。

今日は初めての人もいるから、まずは私が発見した現象の説明から始めた。ところが彼らは説明を聞くよりも、実際に手を動かしたくてウズウズしているのがわかる。「こりゃイカンな」と思っていると、なかに一人だけ毛色のちがう人が混じっていた。

聞けば彼は歯科技工士で、業界ではかなり知られた人らしい。そんな人がなぜ整体の学校に通っているのかはわからないが、彼だけは私の理論そのものも、興味深そうに聞いてくれていた。その姿勢が救いだった。

理論的な説明が一通り終わると、さあみなさんお待ちかねの実践だ。指の使い方や、ねらう神経のポイントの見つけ方をかんたんに伝える。そして「決して強い力にならないように」と念を押してから、二人一組になってお互いの体で試してもらうことにした。

試してもらうといっても、私には「見た通りにやってください」としかいえない。このまま私一人で指導するのは、いかにも心もとない。そう思っていたら、大外先生が助け船を出してくれた。

先生はそれぞれの人の手の使い方が、私の手とどうちがうのかを即座に見極めて、適切に指導していくのである。さすがに教え方に年季が入っていてうまい。

しかしせっかくの先生の指導も虚しく終わった。彼らは何度やってもうまくいかないものだから、いつしか際どい角度で突き刺すように押し始めたのである。案の定、力技の受け手になった人たちからは、「ギャーッ」「ヒーーーッ」という悲鳴が漏れ出した。

古びた区民会館の一室から、夜のしじまに響き渡る阿鼻叫喚。私の勉強会はまだ始まったばかりだというのに、行く末には早くも暗雲が垂れこめているのだった。(つづく)
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116
人に何かを教えることは、自分自身にとっても学びが大きい。頭のなかにまとまりもなくつめ込まれていた内容が、むりやり整理される。せっぱつまった引っ越しのときみたいに、なくしたと思っていた大事な物が意外なところから出てくることもある。

あの日いきなり、整体学校の大外先生から、勉強会を開催してほしいといわれた。この提案は、私には自分の考えをまとめるチャンスだと感じられた。その数日後、先生からかかって来た電話によると、すでに勉強会の話が進んでいるらしい。

私が発見した現象や、開発した手技を学びたいという人が、10名ほど参加することになっていた。整体学校の先生方だけでなく、卒業生で施術のプロとして活動している人たちもいるようだ。

ただし、大外先生が所属しているあの整体学校で、表立って私の勉強会をやるわけにはいかない。だから近くの区民会館の一室を借りる予定なのだという。

そこまでいうと先生は、少し口ごもりながら「師匠への謝礼はいかほど?」と聞いてきた。そのお気持ちはありがたい。しかし目先の利益など大した問題ではない。それよりも今の私には、だれかにこの理論と技術を伝えることのほうが重要だった。

私から伝わった情報がその先で大きく展開していって、ねずみ講のようにまたたく間に全世界へと拡大していく。そんなイメージをもっていた。昔の少年雑誌に登場する、怪人Xの野望みたいなものだ。

これまでの私は、だれか一人のすごい権威をもっている人にこの情報を伝えさえすれば、その人が「それはおもしろい!ぜひとも私が研究してみましょう」などといってくれるのではないかと期待していた。

ところが、あれだけ医学界から政界にいたるまで、あらゆる権威ある人たちに伝えてきたのに、一向にそんなことが起こる気配がない。それどころか、だいたいが鼻にもかけてもらえない。

こうなったら逆の発想でいくしかない。今回のように、末端の施術者から広げていけば、時間はかかってもいつかは世界征服できるだろう。そんな空想が果てしなく広がっていく。

私が自分の世界に没頭していると、私の返事を待ちかねた大外先生から、再度「それで、いかほど」と声がかかる。私がだまっているのは、謝礼の金額で迷っていると思ったらしい。

とっさのことなので、私は思わず「そんな水臭い、タダでいいですよ、タダで」といってしまった。どの口がこんなことをいうのだ。またしてもエエカッコシイの悪いクセが出た。

大外先生も「エッそんな、イイんですか?それは悪いナ~」といいながら、そのまま引き下がった。しかし謝礼が無料と決まったことで、早速、次の日曜の夜から勉強会が始まることになった。

それにしても、大外先生ほどの人に見込んでもらえたのは誇らしい。先生はこの業界の経験が豊富で、整体だけでなく古今東西のさまざまな療法にくわしいのだから、なおさらだ。

そもそも民間療法の業界では、「我こそは」とお山の大将になりたがる人ばかりなのである。目新しい派手なワザを開発しては、マスコミで大々的に宣伝してカリスマを演じる。

ところがそんな療法には、実体が伴わないことも少なくない。始めのうちこそ盛大に支店を拡大していくけれど、3年もしないうちに見事にみな消えていくのである。

そういったシロモノとちがって、大外先生は私が発見した現象と開発した手技が、唯一無二の本物だと思ってくれたようだ。もちろん私自身もそれを確信している。しかし、まだこの現象の全容がつかめていないので、これから開発の余地は大いにある。

なぜ起立筋は左だけが異様に盛り上がるのか。
なぜ左半身の感覚が鈍くなるのか。
そして、なぜ左なのか。

これから調べていくべきことが山ほどある。私は、ここに人類の未来がかかっているのではないかとすら思っている。だがそう思えば思うほど、私の心理的な負担も増していく。

そんな重荷を背負いつつ、いよいよ勉強会の初日を迎えた。とうてい私一人の力で解決できる問題ではないから、いっしょに担ってくれる人を見つけたい。ここに人類の未来(と私の野望)がかかっているのだ。

なじみの池袋駅から5分ほど歩いて小さな公園を抜けると、ひび割れの目立つ古い区民会館に到着した。手すりにサビの浮いた階段を上がると、ドアが開いている一室が目に入った。ガヤガヤと声がしている。私がなかをのぞくとピタリと静まって、マジメそうな目玉が一斉にこちらを見た。わずかに緊張が走る。

いがぐり頭のごつい男性がいると思ったら、見慣れない私服に身を包んだ大外先生だった。ここでまちがいない。この汚い畳のうえに、私の世界征服への記念すべき第一歩が、今まさに記されようとしているのだった。(つづく)
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115
私がまだ20代のころ、親戚中でいちばん仲良しだったいとこが、腰痛で入院したことがあった。昭和の時代には、腰痛といえば年寄りか新婚さんのモノと相場が決まっていた。それなのに若くて健康で独身の彼が、腰痛で入院するなんてよほどのことだ。

当時は腰痛で入院した人の話なんか聞いたことがなかったから、私は心配になってわざわざ見舞いに行った。いつもはふざけてばかりの彼も、この日は神妙な面持ちで大部屋のベッドで横になっていた。

これから手術でもするのかと思ったら、今の医学では腰痛を治す決定打がないから、ひたすら痛み止めの薬を飲んで寝ているだけらしい。これは意外だったのを覚えている。

あれから20年以上が過ぎた。もう時代は平成に移ってしばらくたつけれど、腰痛患者たちの状況は今でも変わっていないようだ。だが、私が見つけた「背骨は左にしかズレない」という法則が広く知られるようになれば、腰痛治療の世界も大きく変わるはずだ。

今日はそのための第一歩である。この機会に腰痛の山形くんをモデルにして、ここの生徒さんたちにも腰痛の治し方を覚えてもらおう。そこでまずは、治療台に腰かけた山形くんの背中を見てもらいながら、背骨のズレの見つけ方から説明を始めた。

整体などの既存の民間療法でも、背骨のズレを見つける方法はある。施術を仕事にしている人なら、そのやり方はある程度は心得ているものだ。ところがその方法では背骨を1つずつ丹念に調べていくので、逆にどこがどうズレているのかがわかりにくい。

私のやり方では、左右の人差し指の先で、背骨の両脇を上から下に向かってスーッとなぞる。これなら、なぞった指が描く軌跡を見るだけだから、一瞬で背骨がズレている位置がわかる。

本来なら指で引いた線は直線になるはずだが、背骨に沿って引いた線が大きく左に曲がることがある。その曲がり角が背骨がズレているところだ。これで腰などの痛みの原因が特定できる。

こうやって指先でズレを見つける方法は、特殊美術の仕事でつちかったテクニックの応用だ。特殊美術では、仕上げた立体物が自分のイメージした形になっているかどうかを、目で見るだけでなく指先でサラッと触れて確かめる。

人間の指先にはたいへんすぐれたセンサーがあるので、慣れてくるとミリ単位以下の形のちがいもハッキリとわかるようになる。もちろん目で見ただけでもわかるけれど、目からの情報にはだまされることがある。その点、指先の感覚はウソをつかないから信頼できる。

またその対象が人体なら、指で触れることによって、形だけでなく熱や腫れの度合い、硬さや質感のちがいまでわかってしまう。私はこの技術を使うことで、かなり具体的に患者さんたちの不調の原因を特定できるようになっていた。

しかし特殊美術のテクニックではあっても、この技術はそれほど特殊なものではない。そのつもりでちょっと訓練すれば、だれでもできるようになる。そう説明してから、山形くんの背骨のズレを他の人にも確認してもらう。

ところが背骨の横を指でサラッとなぞっていくだけなのに、思ったよりもみな悪戦苦闘している。「できない、できない」とつぶやいているうちに、いつのまにか慣れ親しんだ旧式の方法で背骨を1つ1つ調べ出していた。

新しい技術の習得はなかなかむずかしいものだろうが、案外、全く未経験の人のほうが覚えが早いのかもしれない。例によって、私の教え方にも問題があるのだろうか。

あまり長引かせると、同じ姿勢をつづけている山形くんがかわいそうだ。今日のところは、とりあえず私が彼の背骨のズレをもどしてあげることにした。

山形くんの背骨の両脇を両手の指でサッとなぞると、やはり目星をつけていた通り、腰の3番目の骨が左に大きくズレている。腰痛の場合、ズレが大きいから症状が重いとは限らないが、これだけズレていれば確かに痛みもひどいだろう。

ズレた骨を正しい位置にもどすのは、積み上げた積み木をまっすぐにする作業に似ている。ズレているのは必ず上に乗っているほうの積み木だから、これさえまちがえなければ、あとはかんたんだ。

最初に、ズレている骨の左側に左手の親指の先を当て、その真下にある骨の右側に右手の親指の先を当てる。次に、左手の親指を右側へ向かってやさしくすべらせる。それと同時に右手の親指は左に向かってすべらせる。決して強い力で押さないのがコツだ。

この作業を何回かくり返すと、少しずつ骨が動いていく感触があった。そろそろよさそうだ。山形くんにも、矯正の効果が徐々にわかってきたようだ。

そこで、見ている人たちにもわかるように、あえて「腰どお?」と聞いてみる。すると彼は、体を左右にひねってみてから「いいみたい」といった。さっきまでクッキリと刻まれていた眉間のシワが消えている。彼の表情が明るくなったのを見て、大外先生もホッとしている。

ここで改めて、「背骨は左にしかズレない」と説明すると、生徒の一人が、「それじゃ痛みは左にしか出ないのか」と聞いてきた。これはだれにでも浮かぶ疑問なので、「待ってました」とばかりに、ズレは左だけでも痛みは左右のどちらにでも出るしくみの説明に入った。

しかしどうもよくわからないようで、みなポカンとしている。また失敗した。立体や動きの説明を言葉にするのは、本当にむずかしい。あれこれ説明の仕方を工夫しているうちに、だいぶ時間がたってしまっていた。

ここは整体の学校だ。私も卒業生の一人だとはいえ、整体ではない私の手技の説明を、そう長々とつづけるわけにもいかない。それに気づいたので、「では、この説明はそのうちゆっくりと」といって説明を終えた。

するとそれまでだまって聞いていた大外先生が、また私に向かって「師匠!」と叫んだ。そして「この勉強会を定期的に開いてくれませんかッ」といって、興奮気味に肩を上下させた。それこそ私の願いでもある。私はうれしくなって、ジンジンする鼻を抑えながら何度も大きくうなずいていた。(つづく)

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108
激しい腰痛のせいで、寝たきりになりかけていた春子さんの施術が終わった。ここまで車に乗せてきてくれた樹森さんや、春子さんのお嬢さんたちとみんなでお茶を飲んでくつろいでいると、腰の痛みが消えて饒舌になった春子さんの口から、長女が3年前にくも膜下出血で突然亡くなった話を聞いた。

さらに春子さんの夫も、10数年前に原因不明で急死したのだという。ひょっとしたら、二人とも動脈瘤が破裂して亡くなったのではないか。そんな疑いが私のなかに湧いてきた。

動脈瘤は、動脈の一部が風船のようにふくらんでコブになっている状態だ。脳や腹部にできたコブが何かのタイミングで破裂すると、突然死の原因になるのである。

動脈瘤といえば、1年ほど前に帰省したときのことを思い出した。夕食のあと、家族でテレビを見ていると、父がしきりにトイレに立つのが気になった。「どうした?」と聞くと、「いや~最近、妙に腹の具合が悪くてナ」という。

背骨がズレていると頻尿になる人も多いが、同じようにズレが腸に影響することもある。そういえばここしばらく、父の体をチェックしていなかったから、背骨がズレているのかもしれない。

父に横になってもらうと、まずは調子が悪いというおなかに手を当ててみた。するとポーンと張っている。しかも服の上からさわっただけでも、おなかの表面に妙なザラつきがあるのがわかる。

これは例のイヤな感触なのだ。ひょっとして大腸にがんがあるのかもしれない。大腸がんで下痢がつづくこともあるから、いよいよ怪しい。父は病院嫌いなので、これまで大腸がん検診など受けたことはない。しかしこのおなかは明らかに異常だから、検査が必要だ。

幸い兄は医者なので、近いうちに札幌にある兄の病院で検査してもらうようにすすめた。ところが父はあまり気乗りがしないらしくて、行くのを渋っている。まさか今の段階で、「がんがあるかもしれない」などと伝えるわけにもいかない。

どうしたものかと弱っていると、そばで二人の会話を聞いていた母が、「アンタ、行っといで」とかなり強い口調で命令した。もちろん父は母には逆らえないので、週明けに兄の病院で検査を受けることに決まった。

それから数日たったころ、東京にもどった私の元へ兄から電話がかかってきた。電話なんて久しぶりだったが、いきなり「CT撮ったら腹部大動脈瘤だったよ。5センチほどだけど形が悪いから手術だな」と早口でまくしたてる。つづけて「手術の日程が決まったら連絡する」といって電話が切れた。

腹部大動脈瘤だったのか。この診断結果は私としては意外だった。実家で父のおなかにさわったとき、深追いしなくてよかった。マッサージ店でおなかをマッサージしてもらっているときに、動脈瘤が破裂して救急搬送された人もいるらしいから、危ないところだった。

動脈瘤は命にかかわることも少なくないというのに、あまり症状らしいものがない。そのため、本人がその存在に全く気づいていないことも多い。しかしいざ破裂しそうになると、脳動脈瘤では激しい頭痛に襲われるそうだ。私の父がおなかを頻繁に壊していたのは、腹部大動脈瘤の症状の一つだったのかもしれない。

さらに動脈瘤の厄介なところは、家族性で発症する点である。つまり父親がそうなら、私や兄にも動脈瘤ができる可能性があるのだ。春子さんの長女に脳動脈瘤があったのなら、他の姉妹にもそのリスクがあることになる。多分、原因不明で急死したご主人も動脈瘤があったのだろう。

長女がくも膜下出血で亡くなったと聞いて、私がとっさに春子さんの両手首を握ったのにはワケがあった。実は体のどこかに動脈瘤があると、手首の脈の打ち方に、左右でズレが生じる場合があるのを医師から聞いていたからだ。

いきなり私に手首をつかまれて、目を白黒させている春子さんにも、その説明をして脈を取らせてもらった。すると左右全く同じように打っている。指が当たる角度を変えて、何度か確認したが結果は同じだった。

背骨のズレを矯正したら急激に血流が変化することがあるので、もし春子さんに動脈瘤があったら危険だった。この状態なら、今後も矯正でめったなことは起きなさそうでホッとする。

家族性なのだから、ついでに娘さんたちの脈も調べておこう。次女、四女と調べていくと、二人ともしっかり同時に打っている。

これは私の取り越し苦労だったかと思いながら、最後に19歳の三女の脈を取ると、左右で明らかにズレて打っているではないか。まちがいであってほしいと思って何度も確認したが、やはり左右の脈のタイミングはズレていた。

私の表情がくもったのを見て、春子さんが心配気に「どうですか?」とたずねてくる。私は言葉につまりながら、「脈だけでは正確なことはわからないから、1回検査を受けてみたほうがいいかもしれないですね」と伝えた。

その途端、今まで明るかった室内の空気が、一挙に重くるしいものに変わった。そばでだまって見ていた樹森さんが、「ま、きっと大丈夫でしょ。そろそろ帰らなくちゃ」というと、私に目配せして帰り支度を促した。

私たちを玄関まで見送る春子さんの顔からは、すっかり血の気が失せている。せっかく腰の痛みが消えたのに、表情は前よりも暗く沈んでいる。それを見ると気の毒でたまらなかった。(つづく)

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105
 今日は武蔵小杉まで出張だから、渋谷に寄って大和田青果で野菜を買って帰ろう。そんなことを考えながら朝ごはんを食べていると、湯飲みの向こうで電話が鳴った。例の山田先生からである。

先生に高木さんの相談をしたのは、おとといの夕方のことだった。あわてて耳に当てると、「今、ダイジョウブ~?」と、いつもの澄んだ声が聞こえてきた。

先生は、「あの歯肉がんの人のことなんだけどネ」とすぐさま本題に入る。「あのあと弟に連絡したら、勤めてる口腔外科でセカンドオピニオンの段取りをしてくれたの。だからその方に、都合のいい日を聞いといて~」といってくださった。

なんて手際がいいんだろう。ふつうはだれかに頼み事をしたって、山田先生みたいに即座に動いてくれる人なんかめったにいない。つづけて先生は、「この前の話の感じだと、手術しなくてもレーザー治療だけですむかもしれないわヨ」と、うれしいことをいってくれた。

さらに弟さんの話では、高木さんに強引に手術を勧めてきた医師は、あまり評判がよくないみたいだから、その医師の執刀で手術を受けるのはお勧めできないらしい。それならなおのこと、高木さんにはセカンドオピニオンを受けてもらいたい。

私は山田先生にお礼をいってから、すぐ高木さん本人に連絡した。いい話だと思っているから、私の声は弾んでいただろう。ところが電話口の彼は、相変わらず暗いままである。声のトーンはこの前よりも沈んでいるくらいだった。私の話に喜ばないどころか、「いいんだ。このまま手術するんだ」の一点張りである。

「がんじゃないかもしれないのに、そんな・・・」と私がしつこく食い下がっても、全く手応えがない。そのうえ、「今さらセカンドオピニオンなんて、手術の準備を進めてくださっている先生に失礼だから申し訳ない」といって、妙な義理立てまでしている。「その先生は評判がよくないらしいよ」といいたくなったけれど、それはいわずに飲み込んだ。

そもそも病気治療の世界に義理人情は関係ない。ましてセカンドオピニオンを受けることは、患者の当然の権利なのである。それを不快に思う医師がいたら、なおさらそんな人に命を預けてはいけない。

しかし私がどれほど言葉を尽くしても、高木さんはウンとはいわなかった。何をいっても、彼の口からは「イヤ」という拒絶しか返ってこない。論理ではなく、感情のやりとりになってしまっていた。これ以上押してもダメだ。私はあきらめて電話を切った。あとは私よりも付き合いの長い、寺田さんから話してもらおう。

寺田さんに電話して、高木さんにセカンドオピニオンを断られたなりゆきを話すと、「ヨシッそれならオレが」と頼もしげに引き受けてくれた。彼はシラフの状態では少々頼りないが、かといって酒を飲んだら呂律が回らない。それじゃ何をいっているのかわからないかもしれないが、熱意だけは伝わるはずだ。そこにかけてみるしかない。

だが結局のところ、寺田さんからの説得も失敗に終わった。あれだけ友だち思いの彼までが、「ダメだ、ありゃ」といってだまりこんだ。こうなったら仕方がない。ここから先は、他人が踏み込んではいけないのかもしれない。

私は、骨を折ってくださった山田先生にも、状況を説明して平謝りに謝った。先生は「残念ね~ホントに残念ね~」と何度もくり返して、心の底から高木さんのことを心配していた。そして、「何かあったらいつでも連絡してネ」とまでいってくださった。

それにしても、高木さんの「前がん状態」は、そんなに深刻なものなのだろうか。「前がん状態」というからには、まだがんじゃないってことではないのか。今の段階で、本当にそこまでの拡大手術をやる必要があるのか。次から次へと疑問がわいてきて止まらない。

がんだというからには、何かしら体に変化があるはずなのだ。ところが寺田さんの事務所で高木さんの体を調べたときだって、彼の状態は1年前とそれほど変わってはいなかった。

がん患者なら、みんな左の起立筋が異様に盛り上がっているものなのに、それが高木さんには全く見られなかった。私には、何よりもこの点に違和感があった。しかも患部の下あご周辺に、それらしいリンパの腫れすらない。彼の体には、がんの兆候が全然ないのである。

ひょっとすると歯肉がんは、他のがんとは異常の出方がちがうのだろうか。それは今はわからない。どっちにしたって、もう彼は手術すると決めてしまったのだ。手術したことで生活の質が著しく低下したとしても、差し当たって死ぬことはないのだろう。そう思うことで、私は心の整理をした。

しかし、人の心とはなんと不可解なものなのだろう。これまで体だけを対象に施術を積み重ねてきた私にとって、心のしくみは体以上に複雑なものに感じられるのだった。(つづく)

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