小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:整体

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118
どうにかこうにか私の初めての勉強会が終わった。

出だし好調とはいえないが、それでも何とか船出はできた。こうやって地道に浸透させていけば、民間療法界だけに留まらず、いずれは医学界、そして全世界へと広がっていくはずだ。今はいわば草の根活動中なのだと思うと、この勉強会の存在が私の希望のともしびになった。

実は私には、もう一つ光が差し込んでいた。以前からの理解者である杉本さんが、強力な助っ人として急浮上したのである。

初めて会ったころの彼女は、まだ30歳になったばかりだったと思う。私が人体に規則性のある異常な現象を発見したといったら、すぐさま「天才だ!」といっておどろいてくれたのだ。逆に私は、彼女の理解の早さにおどろいた。

たいていの人は、私がいくら熱をこめて話しても、キョトンとするばかりで全く興味など示さない。人体の専門家といわれる人でも、彼らの反応は一般の人と似たりよったりだった。ところがごくまれに、杉本さんみたいにこの重要性を即座に理解してくれる人がいる。

そういう人は、話のほんの触りを聞いただけで、いきなり核心の部分までわかってしまうものらしい。なかには「それってノーベル賞級の発見ですよね」といってくれる人までいた。

杉本さんにこの話をしてから、もう5、6年がすぎただろうか。最近改めて、これまでに発見した内容や、異常な現象の解消法まで開発できたことを話す機会があった。すると彼女の口からも、「これはノーベル賞が2つ獲れますね」という言葉が出た。

そして、この話をまだどこにも発表していないのを知ると、彼女のなかで何かのスイッチが入ったようだ。目をカッと見開いたかと思うと、「本にして出しましょう!その前にまずはメルマガで発表しましょう!」と強い口調でいったのだ。

メールマガジンといえば、近ごろ話題の情報媒体である。小泉首相までメルマガを出した影響で、インターネットの世界など全くわからない私でも、その存在だけは知っていた。

しかしパソコンもないし、メールすらやったことのない私には、メルマガの発行などハードルが高すぎる。ところが彼女にはそんなことはお見通しらしい。「先生の頭のなかにあることを、いちど全部書き出してください。あとは私がやりますからッ」といってくれた。

彼女はずっとインターネットを使って仕事をしてきたから、メルマガの発行なんてお安い御用だというのだ。ホッソリとした見た目とちがって、彼女にはどこか野武士のような雰囲気があって、実に頼もしい。

もちろん、メルマガ発行の大まかな仕組みについては説明してもらった。だが、彼女はえらく早口だし、知らない用語ばかりでチンプンカンプンだ。ただし私がやることは原稿を書くだけである。文字通り、紙に鉛筆で書いてわたすだけでいいそうだ。

私は女性から強い口調でいわれると、すなおに従う傾向が強い。これは、母の命令に忠実に従う父の背中を見て育ったせいである。それで苦労することもあるけれど、杉本さんからの提案は私にとっては渡りに船だった。

そうと決まったら早速原稿だ。のんびりしているように見えて、私はスピード主義である。拙速を旨としているので仕事は早い。一晩でいくつか原稿を書き上げると、意気揚々と杉本さんにわたした。

「早いですね~」といって笑いながら原稿を受け取ると、彼女は早速読み始める。その途端、スッと笑顔が消えた。上から下まで何度か読むうちに、次第に表情が険しくなってくる。その様子はいよいよ野武士である。むずかしかっただろうか。私はバッサリ斬られる覚悟で、ドキドキしながら感想を待った。

しばらくして「うん」と一つ息を吐いてから、やっと杉本さんが口を開いた。彼女のいうには、内容どうこうよりも、文体が古くて硬いせいで読みにくいらしい。

杉本さん本人は本ばかり読んできたというだけあって、漢文チックな私の文章でも読める。しかしメルマガとして出すからには、医学のことなど全く知らない人が、おもしろく読んでくれなければ始まらないのだ。

そこで、メインの私の理論は硬めでも仕方がないが、それとは別に、キャッチーな健康情報コーナーをはさむことで、興味をもってもらうことに決まった。あと問題なのは題名だ。

メルマガというのは、創刊号のランキング次第でその後の購読者数が跳ね上がるものらしい。ところがその創刊号を読んでもらうには、題名と数行の紹介文を見ただけの段階で、先に購読の申し込みをしてもらう必要がある。それならいよいよしっかり考えてから決めないといけないだろう。

何日か考えていたら、ふと「がんの前兆」というキーワードが浮かんだ。私がこれほど理論の普及に熱心なのも、別に売名や営業のためではない。私が発見した人体の左側だけに現れる異常が、「がんの前兆」ではないかと感じているからだ。

医学的に「がんの前兆」だといわれている現象はいくつかある。たとえば便秘と下痢をくり返すとか、便に血が付着しているといったことだが、私から見れば、それは「がんの前兆」ではない。がんの初期症状なのである。

つまりこれまで「がんの前兆」だといわれてきた現象は、それが見つかった時点で、すでにがんは体内で十分に成長してしまっている。

一方、私が見つけた左の起立筋の盛り上がりや、左半身が鈍くなる現象は、健康診断の結果では健康なはずの人の体にも、多かれ少なかれ見られる。しかしがん患者の体では、その度合いが極端なのである。それならば、この現象を「がんの前兆」と捉えてもいいはずだ。

もちろんこんなことを発表したら、地震や火山爆発の予言みたいに、人々に強い不安を与える可能性もある。しかし注目すらされないようでは、お話にならない。今は、この現象の存在を広く知ってもらうことのほうが、何よりも重要なのである。

たくさんの人が、自分の目で自分の体で確かめてくれれば、それだけで問題提起になる。前兆の段階なら、まだそこから対処のしようもあるはずだ。

これまでお医者さんたちにいくら訴えても、全く聞く耳をもってもらえなかったのだから、私から発表するしかない。たとえそれで集中砲火を浴びようとも、やって後悔するより、やらずに後悔するほうがつらいというじゃないか。

反響が怖くないといえばウソになるが、野武士・杉本さんだって、「私が盾になりますッ」とまでいってくれているのだ。さすがに私も、これはもう「がんの前兆」を前面に出して行くしかないッと腹をくくったのだった。(つづく)

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117
いよいよ私の勉強会が始まった。参加者はほぼ顔見知りばかりだが、全員男性なので、男子校の先生になったみたいな気分だ。ふと私は、高校で美術教師をしていたころのことを思い出す。

美術教師というのは、ふつうは女子生徒に人気があるものだと聞いていた。それなのに、なぜだか私のところには、札付きの不良男子ばかりが集まっていたのだ。この勉強会は、あのむさ苦しい雰囲気に似てどこかなつかしい。

主催者として私を招いてくれた大外先生にしても、相当ヤンチャな青春時代を過ごして、数々の武勇伝をもっている。その大外先生が集めただけあって、どうも今日のメンバーも体力自慢らしい。

そのため彼らの治療院では、強もみやバキバキと骨を鳴らす力技が売りになっているそうだ。もちろんやってくる患者さんたちも、そういう荒っぽい施術を期待している人が多いのだという。

施術者のなかには、施術は力が強ければ強いほど効果があると思い込んでいる人もいる。しかし強い力を使えば、それだけ事故も起きやすくなる。人によっては骨折したり、神経を損傷したりすることもあるから、施術に強い力は厳禁だ。

その点、私はもともと筋力も体力もないので、最小の力を使って、最短の時間で最大の効果を上げることしか考えてこなかった。これは私だけでなく、患者さんにとっても負担が少ないのでメリットが大きい。

実際、左の起立筋が盛り上がって、左半身の感覚が鈍くなっている人は、体の状態が特殊なのである。力自慢の施術家がどんなに強い力でもんでも叩いても、一向に体の奥にある不快なポイントまでは届かない。

ところが私が開発した手技で知覚が変化してしまうと、軽く触れただけでも不快な部分の大元にまで響くようになる。強い力など全く必要としないのだ。

以前、新宿のクリニックで診ていた子宮頸がんの荒井さんも、最初はすこぶる左半身の感覚が鈍かった。よろいを着ているのかと思うほど、外からの刺激に無反応だった。

しかし施術で一旦知覚が変化したら、私がほんの少しみぞおちのあたりを押しただけで、がんのある下腹部にまで痛みが響くといっていた。ここまでできれば申し分ない。これがこの勉強会の最終目標だろう。

今日は初めての人もいるから、まずは私が発見した現象の説明から始めた。ところが彼らは説明を聞くよりも、実際に手を動かしたくてウズウズしているのがわかる。「こりゃイカンな」と思っていると、なかに一人だけ毛色のちがう人が混じっていた。

聞けば彼は歯科技工士で、業界ではかなり知られた人らしい。そんな人がなぜ整体の学校に通っているのかはわからないが、彼だけは私の理論そのものも、興味深そうに聞いてくれていた。その姿勢が救いだった。

理論的な説明が一通り終わると、さあみなさんお待ちかねの実践だ。指の使い方や、ねらう神経のポイントの見つけ方をかんたんに伝える。そして「決して強い力にならないように」と念を押してから、二人一組になってお互いの体で試してもらうことにした。

試してもらうといっても、私には「見た通りにやってください」としかいえない。このまま私一人で指導するのは、いかにも心もとない。そう思っていたら、大外先生が助け船を出してくれた。

先生はそれぞれの人の手の使い方が、私の手とどうちがうのかを即座に見極めて、適切に指導していくのである。さすがに教え方に年季が入っていてうまい。

しかしせっかくの先生の指導も虚しく終わった。彼らは何度やってもうまくいかないものだから、いつしか際どい角度で突き刺すように押し始めたのである。案の定、力技の受け手になった人たちからは、「ギャーッ」「ヒーーーッ」という悲鳴が漏れ出した。

古びた区民会館の一室から、夜のしじまに響き渡る阿鼻叫喚。私の勉強会はまだ始まったばかりだというのに、行く末には早くも暗雲が垂れこめているのだった。(つづく)
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115
私がまだ20代のころ、親戚中でいちばん仲良しだったいとこが、腰痛で入院したことがあった。昭和の時代には、腰痛といえば年寄りか新婚さんのモノと相場が決まっていた。それなのに若くて健康で独身の彼が、腰痛で入院するなんてよほどのことだ。

当時は腰痛で入院した人の話なんか聞いたことがなかったから、私は心配になってわざわざ見舞いに行った。いつもはふざけてばかりの彼も、この日は神妙な面持ちで大部屋のベッドで横になっていた。

これから手術でもするのかと思ったら、今の医学では腰痛を治す決定打がないから、ひたすら痛み止めの薬を飲んで寝ているだけらしい。これは意外だったのを覚えている。

あれから20年以上が過ぎた。もう時代は平成に移ってしばらくたつけれど、腰痛患者たちの状況は今でも変わっていないようだ。だが、私が見つけた「背骨は左にしかズレない」という法則が広く知られるようになれば、腰痛治療の世界も大きく変わるはずだ。

今日はそのための第一歩である。この機会に腰痛の山形くんをモデルにして、ここの生徒さんたちにも腰痛の治し方を覚えてもらおう。そこでまずは、治療台に腰かけた山形くんの背中を見てもらいながら、背骨のズレの見つけ方から説明を始めた。

整体などの既存の民間療法でも、背骨のズレを見つける方法はある。施術を仕事にしている人なら、そのやり方はある程度は心得ているものだ。ところがその方法では背骨を1つずつ丹念に調べていくので、逆にどこがどうズレているのかがわかりにくい。

私のやり方では、左右の人差し指の先で、背骨の両脇を上から下に向かってスーッとなぞる。これなら、なぞった指が描く軌跡を見るだけだから、一瞬で背骨がズレている位置がわかる。

本来なら指で引いた線は直線になるはずだが、背骨に沿って引いた線が大きく左に曲がることがある。その曲がり角が背骨がズレているところだ。これで腰などの痛みの原因が特定できる。

こうやって指先でズレを見つける方法は、特殊美術の仕事でつちかったテクニックの応用だ。特殊美術では、仕上げた立体物が自分のイメージした形になっているかどうかを、目で見るだけでなく指先でサラッと触れて確かめる。

人間の指先にはたいへんすぐれたセンサーがあるので、慣れてくるとミリ単位以下の形のちがいもハッキリとわかるようになる。もちろん目で見ただけでもわかるけれど、目からの情報にはだまされることがある。その点、指先の感覚はウソをつかないから信頼できる。

またその対象が人体なら、指で触れることによって、形だけでなく熱や腫れの度合い、硬さや質感のちがいまでわかってしまう。私はこの技術を使うことで、かなり具体的に患者さんたちの不調の原因を特定できるようになっていた。

しかし特殊美術のテクニックではあっても、この技術はそれほど特殊なものではない。そのつもりでちょっと訓練すれば、だれでもできるようになる。そう説明してから、山形くんの背骨のズレを他の人にも確認してもらう。

ところが背骨の横を指でサラッとなぞっていくだけなのに、思ったよりもみな悪戦苦闘している。「できない、できない」とつぶやいているうちに、いつのまにか慣れ親しんだ旧式の方法で背骨を1つ1つ調べ出していた。

新しい技術の習得はなかなかむずかしいものだろうが、案外、全く未経験の人のほうが覚えが早いのかもしれない。例によって、私の教え方にも問題があるのだろうか。

あまり長引かせると、同じ姿勢をつづけている山形くんがかわいそうだ。今日のところは、とりあえず私が彼の背骨のズレをもどしてあげることにした。

山形くんの背骨の両脇を両手の指でサッとなぞると、やはり目星をつけていた通り、腰の3番目の骨が左に大きくズレている。腰痛の場合、ズレが大きいから症状が重いとは限らないが、これだけズレていれば確かに痛みもひどいだろう。

ズレた骨を正しい位置にもどすのは、積み上げた積み木をまっすぐにする作業に似ている。ズレているのは必ず上に乗っているほうの積み木だから、これさえまちがえなければ、あとはかんたんだ。

最初に、ズレている骨の左側に左手の親指の先を当て、その真下にある骨の右側に右手の親指の先を当てる。次に、左手の親指を右側へ向かってやさしくすべらせる。それと同時に右手の親指は左に向かってすべらせる。決して強い力で押さないのがコツだ。

この作業を何回かくり返すと、少しずつ骨が動いていく感触があった。そろそろよさそうだ。山形くんにも、矯正の効果が徐々にわかってきたようだ。

そこで、見ている人たちにもわかるように、あえて「腰どお?」と聞いてみる。すると彼は、体を左右にひねってみてから「いいみたい」といった。さっきまでクッキリと刻まれていた眉間のシワが消えている。彼の表情が明るくなったのを見て、大外先生もホッとしている。

ここで改めて、「背骨は左にしかズレない」と説明すると、生徒の一人が、「それじゃ痛みは左にしか出ないのか」と聞いてきた。これはだれにでも浮かぶ疑問なので、「待ってました」とばかりに、ズレは左だけでも痛みは左右のどちらにでも出るしくみの説明に入った。

しかしどうもよくわからないようで、みなポカンとしている。また失敗した。立体や動きの説明を言葉にするのは、本当にむずかしい。あれこれ説明の仕方を工夫しているうちに、だいぶ時間がたってしまっていた。

ここは整体の学校だ。私も卒業生の一人だとはいえ、整体ではない私の手技の説明を、そう長々とつづけるわけにもいかない。それに気づいたので、「では、この説明はそのうちゆっくりと」といって説明を終えた。

するとそれまでだまって聞いていた大外先生が、また私に向かって「師匠!」と叫んだ。そして「この勉強会を定期的に開いてくれませんかッ」といって、興奮気味に肩を上下させた。それこそ私の願いでもある。私はうれしくなって、ジンジンする鼻を抑えながら何度も大きくうなずいていた。(つづく)

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109
いつもお世話になっている樹森さんから電話があった。「ちょっと診てあげてほしい人がいるのヨ~」と、相変わらず元気な声である。

それよりも、樹森さんのところでベビーシッターをしている瀬戸さんの妹さんが、その後どうなったかが気になっていた。私がすすめて受けてもらった検査で、脳に動脈瘤が発見されたことまでは聞いていた。

樹森さんが聞いた話では、瀬戸さんの姉が脳動脈瘤破裂で急死していたので、すぐに手術に踏み切ったらしい。その後の経過も順調だと聞いて、私はやっと安心できた。樹森さんと二人で「よかった、よかった」といいあったあと、彼女は今日の電話の本題に入った。

実は彼女はかなりの売れっ子作家さんなのである。その仕事関係で、マンガ雑誌の編集者がいるらしい。その彼が担当しているマンガ家が、締め切り間近だというのにへばってしまって、仕事が進まないで困っているというのだ。

ことあるごとに樹森さんから私の話を聞いていた彼は、私ならなんとかできると思ったらしい。締め切りまででいいから、私に彼の体をもたせてほしいと頼んできたのである。

徹夜でへばっているのなら寝ればいいだけだが、その余裕がない。締め切り前の切羽詰まった状況は樹森さんにも覚えがあるから、編集者氏の頼みを無下に断ることもできなかったようだ。

いつものことながら、樹森さんから「とにかくちょっと行ってあげて」と強くいわれたら、私は断れない。今日の予定をあちこちやりくりして、なんとかその日のうちに、そのマンガ家の仕事場まで行くことになった。

うちから井の頭線に乗って吉祥寺駅で降りる。繁華街を抜けて指示された住所まで来ると、住宅街に古めかしい一軒家が立っていた。その傷だらけの木製扉の前で呼び鈴を押す。なかから「ハイ」とも「オイ」ともつかないくぐもった声がしたと思ったら、少しだけ開けた扉の間から、不健康そうな若者がノッソリと顔を出した。

彼は私の顔を見るなり、「ア、先生ですね」といって扉を大きく開けた。どこか懐かしい造りの玄関で靴を脱ぐと、すぐ手前の部屋に机が並んでいる。そこには彼と同じように疲れ切った感じの若い人が5人、机にかじりついて一心不乱にペンを走らせていた。これがマンガ家の仕事場なのか。

私が入ってきたのを見て、彼らのうしろに立っていた男性が、「あ、先生、よろしくおねがいします!」というと、スーツのポケットから名刺を出した。超がつくほどの有名出版社である。どうやら彼が樹森さんの知り合いの編集者らしい。

彼の案内で隣の部屋に行くと、座敷にふとんが敷いてあった。事前に用意したというよりも、ずっと敷きっぱなしなのだろう。にごった空気がただよっている。彼に「センセーッ」と呼ばれて入ってきたのは、彼らのなかでもひときわ疲れ切った感じのする青年だった。

編集者氏は「しっかり治してあげてくださいね!」と私にいうと、急いで隣の作業部屋へもどった。だがしっかり治すも何も、単なる睡眠不足による過労じゃないのか。そんな体を手技でどうしようもないのである。

とはいえ、とりあえず一通り体をチェックしてみると、疲れのせいで、若いのに体の張りがすっかり消え失せていた。髪もヒゲも伸び切っているから、昔うちの近所で寝起きしていた薄茶色のノライヌを思い出す。

背中を見ると、背骨に大きなズレはない。これなら問題はなさそうだ。やっぱり単に疲れているだけである。仕方がないので、一応、背骨のまわりを軽く刺激して、疲れが取れやすい状態にしてみよう。

本来なら、私の刺激でリラックスして、そのままちょっと寝てもらうと一挙に元気が回復するものである。しかし今はそのちょっとが許されないのだ。そこで、彼が眠り込んでしまわないように、会話をしながら刺激を始めた。

おどろいたことに、彼はまだ二十歳になったばかりなのだという。憧れのマンガ雑誌で連載が始まった途端、一気に人気に火がついて忙しくなった。締め切り間際には連日徹夜がつづく。おかげで、すでに父親の年収をはるかに超える収入なのだという。

その話を聞いて、私の手がピタリと止まった。マンガの世界はなんてすごいんだろう。同じ美術業界とはいっても、景気に全く左右されることなく、売れないまま絵を描きつづけている美大の仲間たちとはえらいちがいである。

私だって絵描きのころは売れなかった。だが特殊美術の仕事を始めて、テレビ局に出入りしていたころは徹夜つづきだったことを思い出していた。

当時のテレビ業界の1日は24時では終わらない。打ち合わせが26時から始まって、そのまま朝の番組の収録がスタートするのも当たり前だった。2日も3日もつづけて徹夜することだって珍しくもなかったのである。

徹夜に弱い私は、寝不足で足がむくんで靴が脱げなくなることもあった。車を運転していて赤信号で眠り込むことも多かったから、事故死や過労死のリスクは非常に高かったはずだ。

しかしそれだけハードな毎日でも、このマンガ家の彼みたいに稼いでいたわけではない。そう思うと、動きが止まったままのわが手をじっと見た。いやいや、人生は人それぞれだから比較しても始まらない。気を取り直して刺激をつづけた。

逆に疲れさせてもいけないから、今日はこれぐらいにしておこう。私はただ彼の疲れが取れることだけを祈りながら施術を終えると、隣の部屋にいる編集者氏に「終わりましたよ」と声をかけた。

彼がもどってきて「どんな感じですか」と聞いてくる。「体そのものに問題はないけど、このまま無理をさせると過労死しますよ」と昔の自分に重ね合わせて忠告しておいた。

ところが彼は、「イヤ、締め切りにさえ間に合えばイイんで」といって、先のことなど全く心配していない様子である。代わりのマンガ家などいくらでもいるという意味だろうか。やっぱりマンガ業界は恐ろしい。

こんなタコ部屋みたいなところに長居は無用である。まだ世間話でもしていたそうな編集者さんを尻目に、私はそそくさと家を出た。

いくら稼げたってあれじゃあナ。そう思うと、ボロ雑巾みたいになってマンガを描いているあの青年が哀れに思えてくる。そのまま駅に向かって歩きかけると、静かな住宅街の屋根の向こうに、街のネオンがかげろうのようにぼやけて見えた。(つづく)

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107
樹森さんの運転する車が、買い物客でにぎわう吉祥寺の街をゆっくりと抜けると、あっという間に春子さんが待っている瀬戸さんの家に着いた。見上げるほど大きなマンションの前で、「ここです」といわれて入った地下駐車場には、高そうな外車がズラリと並んでいた。

春子さんはこの高級マンションの1室で、3人の娘さんたちと暮らしているらしい。エレベーターが開くと、このフロアには1室しかないようだ。瀬戸さんが鍵を開けると、今日は突然の訪問にもかかわらず、室内がきれいに片づいていて少しおどろいた。

ふつうなら、腰痛などで動けない人の部屋はすごいことになっているものだ。それを見慣れているから、散らかっていても私は全く気にならない。ちょうど在宅していた娘さんたちが急いで片づけたのかもしれないが、もともとみんなきれい好きなのだろう。

瀬戸さんに案内されて、私と樹森さんは春子さんの寝室へ入った。私たちの姿を見た春子さんは、痛みをこらえて必死にベッドから起き上がろうとしている。私はベッドにかけよると、「まあまあ、そのままで」と手を差し伸べた。

差し出した私の手には、意外にもしっかりとした骨格の感触が伝わってくる。私は彼女の体を支えながら、もとの寝た姿勢にゆっくりともどす。「この状態でちょっと腰を診てみますからね~」といって、彼女の背中側にすばやく回り込んだ。

春子さんは若いころに患った脊椎カリエスで背骨が変形している。そのせいで背中が大きく曲がっているから、仰向けにはなれない。しかし背骨のズレを確かめるには、この横向きの体勢がちょうどよかった。

調べてみると、確かに彼女の背中は大きく曲がっているが、腰の骨には変形らしきものはなさそうだ。ところが腰の3番目の骨が大きくズレている。コイツだな。こいつが腰痛の原因だろう。

春子さんのようなひどい腰痛の場合、5個ある腰の骨のうち、3番目の骨が大きくズレていることが多い。しかもここがズレると頻尿にもなりやすいから、動けないのにトイレが近くてはよけいに大変だったはずだ。

私は「今から腰のあたりをさすりますからね~。ちょっとでも痛かったらいってくださいね~」と、やさしそうに声をかける。日常の会話でこんな口調だと気味が悪いと思うが、初対面の病人が相手なのだから仕方がない。

そんなことよりも、今は痛みを取ることが肝心だ。春子さんの腰にそっと手を当ててみると、炎症の熱と腫れが感じられた。これは「ココがズレて痛みを出していますよ」という証拠でもある。それを確認してから、ゆっくりとズレた骨を定位置にもどしていく。本人は、やさしく腰をさすってもらっているとしか感じないはずだ。

この動作を5~6分ほどもつづけると、腰の熱と腫れが少しずつ引いてきた。なおも同じ動作をくり返す。すでに春子さんは私の手の動きに慣れて、表情からも緊張が取れてきた。

このやり取りは、運転手役で付き添ってきた樹森さんにとっては、いつものパターンだから見慣れている。しかし春子さんの娘さんたちには初めての光景なので、不安気に私の手元をのぞき込んでいる。

だいぶ腰の熱と腫れが治まってきたところで、春子さんに「起きられますか?」と声をかける。私が手で体を支えながら、ゆっくりと上体を起こしてもらうと、一瞬、「イタッ」と声を上げた。

ドキッとしたが、実際にはそれほど痛くはなかったようで、すぐに表情がやわらいだ。すかさず私は、座った姿勢の彼女のうしろに回り込むと、改めて3番目の骨のズレをもどしていく。

そうやってトータルで20分ほど矯正をつづけたら、腰のあたりの感触が最初とは全くちがってきた。どうやら彼女の腰痛はカリエスとは関係なかったようだ。一般的な腰痛患者と同じで、背骨のズレが原因だったのだ。

ここまでは順調だ。しかし腰の骨のズレをもどすなら、できれば寝た状態と座った状態に加えて、立った状態でも矯正しておきたいところである。そこで試しに春子さんにも立ち上がってもらうことにした。

私が彼女の手をしっかりと握り、体全体を支えながら立たせると、今度は痛いともいわずにスッと立てた。その瞬間、樹森さんが「オーッ」とおどろきの声を上げる。それを見て、娘さんたちの顔からも緊張が消えた。

そのまま2、3歩歩いてもらっても、スッスッと前に足が出る。いい感じだ。春子さんも、「今まで痛くてトイレに行くのがつらかったけど、これなら大丈夫だわ」といって、腰痛が治ったことよりも、安心してトイレに行けることがうれしかったようだ。聞けば、彼女も頻尿がひどかったらしい。

春子さんに壁に向かって立ってもらうと、さらに腰の骨のズレを矯正する。もう一度歩いてもらって、腰に痛みが残っていないことを確認する。ヨシ、今回は初めてなのでここまでにしておこう。私は春子さんに、また骨のズレがもどってくる可能性があることを伝えて、次の訪問の約束をした。

娘さんが「先生、お茶をどうぞ」と声をかけてくれたので、みんなでリビングに移動する。10人は余裕で座れそうな大きなテーブルにつくと、これまた高そうな器に入って湯気を立てているお茶をすする。この場の雰囲気が非常に明るくて、私もリラックスしていた。

春子さんは、自分はこのまま寝たきりになるのかと思っていただけに、恐怖から開放されて高揚しているようだ。元気な声で「ダンナももういないしネ、3年前に長女も死んでしまって」と話し始めた。私は思わず「なんで亡くなったんですか?」と聞いてしまった。

踏み込んだ質問だったが、春子さんはためらうことなく、「長女はくも膜下出血での突然死だったの」と話してくれた。それを聞いた私はギョッとして、即座に春子さんの両手首を握ったのだった。(つづく)

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