
*小説『ザ・民間療法』全目次を見る
ある日、食べ残しの硬いパンをかじっていたら、なかにもっと硬いものが混じっていた。石でも入っていたのかと思って吐き出してみると、自分の奥歯の詰め物だった。
「これは面倒なことになった」
ため息が漏れる。日本にいても歯の詰め物が取れると厄介だが、外国暮らしであればなおさら大変だ。それがわかっていたから、国を出る前に、歯の治療だけは入念にしておいたのである。それなのに1年ももたなかったのか。そう思うと、もう1度ため息が出た。
ため息が漏れる。日本にいても歯の詰め物が取れると厄介だが、外国暮らしであればなおさら大変だ。それがわかっていたから、国を出る前に、歯の治療だけは入念にしておいたのである。それなのに1年ももたなかったのか。そう思うと、もう1度ため息が出た。
元来私は病院嫌いである。大人になってからは健康診断すら一度も受けたことがない。しかし歯の治療となると、イヤでも行かざるを得ない。ふだんなら自然治癒力を信奉している私だが、歯だけは放っておいても治らないのである。放っておくと生活の質がえらく低下するし、放置した分だけ、治療にも手間と費用がかかることになる。
だからといって、歯医者に通えばいいというものでもない。歯医者によっては、やたらといじくり回すから、真面目に通っていると歯がどんどんなくなる話もよく聞く。その点、私が通っていた赤坂のS歯科では、余計な治療は一切やらない方針だった。歯を抜かれたことはないし、レントゲン一つ撮らない。
ところがS歯科はいつ行ってもガラガラで、待合室に患者がいるのを見たことがない。私にとっては名医だったが、一般にはヤブとして名を馳せていたようだ。
世間では「沈黙は金」などといっても、テレビなら、ペラペラとくだらない話をする人のほうが人気が高い。歯科医も同じで、余計なことを一切やらない医者よりも、なんだかんだと理屈を並べて、無駄な治療をたくさんやる医者のほうが、親切に見えて人気が高いのだ。
「ああ、今すぐ赤坂に飛んで行けたらいいのに」
歯の詰め物を握りしめて天を仰いでみたものの、いつまでもそうしているわけにもいかない。このままでは、どうにも不自由すぎる。ここは一発、この地で治療を受けるしかないのだ。
そう心に決めてはみたが、オーロビルには歯医者などいない。近所の人から、コミュニティの外の村に歯科診療所があるのを教えてもらった。またバイクを借りて出かけていくと、そこは私の向こうずねにドカ穴を開けた、例の診療所の隣だった。少しイヤな予感がする。
恐る恐る入ってみると、なかは大勢の村人でごった返していた。S歯科とはえらいちがいだ。だがそんなことに感心している場合ではない。周囲の人だかりをかき分けて、何とか受付までたどりつく。そこで受診を申し込むと、あっさりと断られてしまった。
どうやらここでは外国人は診てくれないらしい。外国人なら外国人専用の歯科医に診てもらわねばならないという。それなら仕方がないので、一旦またオーロビルに戻った。
友だちに相談すると、あそこだって「自分はインド人だ」といえば診てくれると教えてくれた。「そんな話が通用するのか」と驚いたが、隣の診療所に通っていたときは、いちどもインド人かどうかなど聞かれなかったのを思い出した。だからそんなものなのだろう。
それなら逆に、外国人専用歯科というのはどんなところかを聞いてみた。すると、みんなが口を揃えて「目ん玉が飛び出すほど高い!」と脅すのである。
私は悩んだ。1995年ごろのインドでは、猛烈な勢いでエイズ(AIDS)が流行っていた。ヨーロッパの玄関口であるボンベイなど、市民の半数がすでに感染しているとまで噂されていたのだ。
歯科治療となると、血液を介してエイズだけでなく、肝炎ウイルスなどにも感染する危険性がある。患者でいっぱいだったあの歯科診療所は、お世辞にも衛生的とはいえなかった。これはお金を惜しんでいる場合ではない。高くても外国人専用の歯科に行くほうが安全だろう。
ポンディチェリの近くにあるその歯科に着くと、室内は静かで整然としていた。これなら大丈夫そうだ。医者はインド人のようだったが、「歯は削らずに詰め物だけをしてほしい」と頼むと、かんたんにOKしてくれた。
同じ穴をふさぐにしても、向こうずねのときとはちがってほんの数分ですんだ。痛みもなかった。ホッとしたものの、いざ会計の段になると、一体いくら請求されるのかと不安が頭をもたげてきた。
日本のように健康保険があるわけではない。全額実費でキャッシュオンリーである。100ドルぐらいだろうか、手持ちのお金で足りるだろうか、とビクビクしていると、「150ルピーです」といわれた。
「え? ドルじゃなくてルピー?」聞きまちがいではないのか。150ルピーといえば、日本円で500円弱である。それを聞いて、体から力が抜けた。よかった、よかった。それなら、先に行った村の歯科診療所だといくらだったのだろう。
バブルのころに銀座でコーヒーを飲んだら、1杯2000円もした。一方、オーロビルの近くの村なら、コーヒー1杯が1ルピーだから3円ほどである。たしかに歯の詰め物だけでコーヒー150杯分だと思うとべらぼうに高い。みんなが目をむいて脅すのもわかる。しかしこの金銭感覚に慣れてしまっては、日本には戻れなくなるから恐ろしい。
では向こうずねをえぐられたときの治療費はいくらだったのか。どれだけがんばってみても、その金額が全く思い出せない。あまりの痛みのために、記憶までが脳からスッポリとえぐり取られているようだった。(つづく)