小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:歯肉がん

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105
 今日は武蔵小杉まで出張だから、渋谷に寄って大和田青果で野菜を買って帰ろう。そんなことを考えながら朝ごはんを食べていると、湯飲みの向こうで電話が鳴った。例の山田先生からである。

先生に高木さんの相談をしたのは、おとといの夕方のことだった。あわてて耳に当てると、「今、ダイジョウブ~?」と、いつもの澄んだ声が聞こえてきた。

先生は、「あの歯肉がんの人のことなんだけどネ」とすぐさま本題に入る。「あのあと弟に連絡したら、勤めてる口腔外科でセカンドオピニオンの段取りをしてくれたの。だからその方に、都合のいい日を聞いといて~」といってくださった。

なんて手際がいいんだろう。ふつうはだれかに頼み事をしたって、山田先生みたいに即座に動いてくれる人なんかめったにいない。つづけて先生は、「この前の話の感じだと、手術しなくてもレーザー治療だけですむかもしれないわヨ」と、うれしいことをいってくれた。

さらに弟さんの話では、高木さんに強引に手術を勧めてきた医師は、あまり評判がよくないみたいだから、その医師の執刀で手術を受けるのはお勧めできないらしい。それならなおのこと、高木さんにはセカンドオピニオンを受けてもらいたい。

私は山田先生にお礼をいってから、すぐ高木さん本人に連絡した。いい話だと思っているから、私の声は弾んでいただろう。ところが電話口の彼は、相変わらず暗いままである。声のトーンはこの前よりも沈んでいるくらいだった。私の話に喜ばないどころか、「いいんだ。このまま手術するんだ」の一点張りである。

「がんじゃないかもしれないのに、そんな・・・」と私がしつこく食い下がっても、全く手応えがない。そのうえ、「今さらセカンドオピニオンなんて、手術の準備を進めてくださっている先生に失礼だから申し訳ない」といって、妙な義理立てまでしている。「その先生は評判がよくないらしいよ」といいたくなったけれど、それはいわずに飲み込んだ。

そもそも病気治療の世界に義理人情は関係ない。ましてセカンドオピニオンを受けることは、患者の当然の権利なのである。それを不快に思う医師がいたら、なおさらそんな人に命を預けてはいけない。

しかし私がどれほど言葉を尽くしても、高木さんはウンとはいわなかった。何をいっても、彼の口からは「イヤ」という拒絶しか返ってこない。論理ではなく、感情のやりとりになってしまっていた。これ以上押してもダメだ。私はあきらめて電話を切った。あとは私よりも付き合いの長い、寺田さんから話してもらおう。

寺田さんに電話して、高木さんにセカンドオピニオンを断られたなりゆきを話すと、「ヨシッそれならオレが」と頼もしげに引き受けてくれた。彼はシラフの状態では少々頼りないが、かといって酒を飲んだら呂律が回らない。それじゃ何をいっているのかわからないかもしれないが、熱意だけは伝わるはずだ。そこにかけてみるしかない。

だが結局のところ、寺田さんからの説得も失敗に終わった。あれだけ友だち思いの彼までが、「ダメだ、ありゃ」といってだまりこんだ。こうなったら仕方がない。ここから先は、他人が踏み込んではいけないのかもしれない。

私は、骨を折ってくださった山田先生にも、状況を説明して平謝りに謝った。先生は「残念ね~ホントに残念ね~」と何度もくり返して、心の底から高木さんのことを心配していた。そして、「何かあったらいつでも連絡してネ」とまでいってくださった。

それにしても、高木さんの「前がん状態」は、そんなに深刻なものなのだろうか。「前がん状態」というからには、まだがんじゃないってことではないのか。今の段階で、本当にそこまでの拡大手術をやる必要があるのか。次から次へと疑問がわいてきて止まらない。

がんだというからには、何かしら体に変化があるはずなのだ。ところが寺田さんの事務所で高木さんの体を調べたときだって、彼の状態は1年前とそれほど変わってはいなかった。

がん患者なら、みんな左の起立筋が異様に盛り上がっているものなのに、それが高木さんには全く見られなかった。私には、何よりもこの点に違和感があった。しかも患部の下あご周辺に、それらしいリンパの腫れすらない。彼の体には、がんの兆候が全然ないのである。

ひょっとすると歯肉がんは、他のがんとは異常の出方がちがうのだろうか。それは今はわからない。どっちにしたって、もう彼は手術すると決めてしまったのだ。手術したことで生活の質が著しく低下したとしても、差し当たって死ぬことはないのだろう。そう思うことで、私は心の整理をした。

しかし、人の心とはなんと不可解なものなのだろう。これまで体だけを対象に施術を積み重ねてきた私にとって、心のしくみは体以上に複雑なものに感じられるのだった。(つづく)

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104
 人というのは、話し上手と話し下手の2つのタイプに分けられる。さしずめ私は話し下手タイプなのか、善意でいったつもりでも、逆に悪意だととられてしまうことがよくある。もちろん話すときだけでなく、話の聞き方にも明らかに上手な人と下手な人がいる。

医療の現場でいえば、お医者さんは話し下手で、人の話を聞くのも苦手な人が多いようだ。その一方で、患者さんは医学用語になじみがない分、圧倒的に聞き下手にならざるをえない。横から看護師さんがフォローしてくれなければ、全く会話が成り立っていない場面はよくある。

実際のところ、ふだんは話し上手で聞き上手な人でも、いざ患者になると、いきなり話し下手で聞き下手のベタベタ人間になってしまうことは少なくない。歯肉がんだと宣告された高木さんも、その典型だろう。

大手広告代理店に勤めている高木さんは、クライアントにプレゼンするときにはかなりの話し上手で知られている。しかも社内では聞き上手なので、上からも下からも慕われる存在だ。知的で明るい性格と相まって、社内外からの人望も厚い。

そんな彼でも、病院でがんだと診断された途端、話すのも聞くのも下手なベタベタ人間になってしまったのだ。それほど、がんの宣告から受ける衝撃は大きいのだろう。

本来の高木さんは、権威的なものに対しては強く反発するタイプだった。しかし今回は、医師という権威を前にして、従順な良い患者になろうとしている。

いきなり歯肉がんだと診断されても、それを1ミリも疑うことなく、いわれるがままに手術を受けようとしている。あごを切り取ってしまうほどのハードな手術にも、ためらいすらない。完全に医師の診断を信じ切っているのだ。

ところがその医師の診断でも、彼のがんはまだ前がん状態なのである。前がん状態なんて、一般の人には聞き慣れない言葉だろう。私だってほとんど耳にしたことはないから、くわしく説明しろといわれても困る。ただはっきりといえるのは、「がんと前がん状態とはちがう」ということなのだ。

前がん状態といっても、がんのできた部位によって、言葉が意味する状態はちがってくるらしい。歯肉がんの場合は、前がん状態といえば他のがんよりもがんに近い状態で、将来的にがん化する確率が高いようだ。

では、その前がん状態とやらのうち、どの程度ががん化するものなのか。そこが重要なポイントのはずだが、これもはっきりとはしていない。私はこの点にも納得がいかなかった。

しかもその医師が、あえて前がん状態だと説明したからには、彼のがんは黒に近い灰色よりも、限りなく白に近い灰色なのだろう。ひょっとしたらがんじゃないかもしれない。それならなおさら、セカンドオピニオンを受けるべきだろう。

セカンドオピニオンとは、最初に診断された病院とは別の病院で、改めてがんかどうかを診断してもらうシステムだ。これは裁判の再審制度に似ている。よほどの重大犯罪でも、二審で判決がくつがえって無罪になったり、刑が軽くなったりするのと同じである。

そもそもがんの診断の根拠にはあいまいな部分も多いので、別の医師に診てもらえば、がんではないと診断されることは珍しくない。仮にがんであることにまちがいがなくても、治療方法のちがいによって、患者の負担が大いに軽減される例も多い。

いずれにしても、医者でもない人間があれこれ考えてもしようがないだろう。そこでこんなときに頼れるお医者さんといえば、あの歯科医の山田先生だ。確か、山田先生の弟さんは大学病院勤務の口腔外科医だったはずだ。これほど好都合なことはない。思わず鼻が広がって鼻息まで荒くなってきた。

私は勇んで山田先生に電話をかけた。呼び出し音が鳴っている間、チラリと高木さんに目をやると、そこには何の変化もなかった。予想に反して、彼の表情は暗いままなのである。アレ?これはどうしたことだろう。

「モシモーシッ!」
暗い空気を吹き飛ばすようにして、山田先生の明るい声が耳に響いてきた。その響きに乗って、私は一気に高木さんのいきさつを伝えた。すると即座に、「そりゃ絶対セカンドオピニオンよ~!」と迷いのない答えが返ってきた。

つづけて「じゃ、弟に連絡してみるネ」とすぐさま段取りがついた。相変わらずの反応の良さに、気分が高揚してくる。横で聞いていた寺田さんの顔にも、血の気が戻ってきた。もうすぐにでも一杯やりたそうで、ソワソワし始めている。

ところが肝心の高木さんだけは、まだ全く表情に変化がない。私たちが感じている希望の光なんぞ、彼の心にはこれっぽっちも届いていないようだ。私にはそれがちょっと気がかりなのだった。(つづく)

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103
 「二度あることは三度ある」とはよくいったものだ。この仕事をしていると、それをつくづく実感する場面が多かった。

昨年の暮れから、立てつづけに寺田さん関係でがん患者が現れていた。以前、紹介されて、施術でたいへんな思いをした大腸がんの下田さん(第81話)も含めると、これでもう3人目だ。

3人もつづけば、さすがにもう4人目はないだろうと思っていた矢先、またまた寺田さんから電話がかかってきた。携帯電話の着信画面に彼の名前が表示されると、ピッと緊張が走るようにまでなっていた。

恐る恐る通話ボタンを押すと、「ヨッ元気か~」といつもの明るい声が聞こえてくる。その声の調子に少しホッとしかけると、直後に「実は・・・」と本題がひかえていた。

彼は少し間をおいてから、「高木さんのことなんだけどナ」と切り出した。高木さんといえば聞き返すまでもない。私と寺田さんの大の仲良しだ。その高木さんが、がんで手術することになったというのだ。

高木さんは大手広告代理店に勤める広告マンで、私が特殊美術の仕事をしていたころからさんざんお世話になった人である。がん患者には慣れている私も、さすがに気が動転した。

「た、高木さんが、いったい何のがんなの!?」と勢いよく聞き返すと、「よくわかんないけど、何か歯茎のがんらしいんだよナ。彼、けっこう落ち込んでるみたいだから、ちょっと事務所まで来て励ましてやってくれや」と頼まれた。

高木さんは寺田さん同様の大酒飲みである。家庭もちの勤め人でありながら、酒の席とくれば徹夜も辞さない。おまけに大の食い道楽ときているから、完全なる肥満体で布袋様のような福々しい姿である。

そうなると、高血圧に糖尿病、果てはがんなどのリスクが跳ね上がるのは当然のことだった。しかし1年ほど前に体を診せてもらったときは、なんでもなかった。健康とはいえないまでも、差し当たって問題はなかったはずだ。

この前の忘年会のときだって、普段通り元気そうだった。それが急にがんになるなんて、どうも腑に落ちない。私はあれこれと原因に頭を巡らせながら、例によってテクテク歩いて、渋谷の坂の途中にある寺田さんの事務所まで出かけた。

ドアを開けると、高木さんがあの汚いソファに座っていた。一瞬、別の人かと思うほどしょげ返っていて、見る影もない。もともと明るい性格なのに、今日はあいさつの声のトーンすらめっぽう暗い。その暗さに引きずられて、一緒にいる寺田さんまで表情が暗いから、事務所の電気が消えているみたいだった。

高木さんはその低い調子のまま、これまでのいきさつをポツポツと語り始めた。聞けば、このところ歯の調子が悪かったから、正月明けにいつもの歯医者に行った。すると歯槽膿漏がひどくなっていたので、大きな病院の口腔外科を紹介された。ここまでならよくある話だろう。

ところがその病院での検査が終わると、医師からいきなり歯肉がんだと宣告されたのだ。しかもそのまま一方的に、手術の日程と手順までまくしたてられてしまった。

それだけではない。その手術の内容というのが、これまたすさまじかった。まずは、がんのある歯肉を下あごごと切り取る。次に体の他の部分から組織を移殖して、あごを再建する。さらに、脇のリンパ節まで全部切り取ってしまうというのだから、聞いているだけでも寒気がするほどハードである。

高木さんでなくたって、そんな衝撃的な話を心の準備もなく聞かされたら、ショックが大きすぎる。まともな精神状態でいられるはずがない。この話を横で聞いていたほろ酔い加減の寺田さんも、一挙にシラフに引き戻されて、赤かった顔がみるみるうちに青ざめていった。

これが酒の席なら、「クヨクヨするなヨ」と空元気で声をかけることもできようが、全くのシラフではなぐさめる言葉が出てこない。私だって何かいってあげたくても、何も浮かんでこなかった。

それよりも、彼の話にはいちばん大事なことが抜け落ちているのが気になった。そこで単刀直入に、「がんのレベルは?」とたずねた。それを聞いてしまうと、レベルによっては私もますます落ち込むことになるが仕方がない。

がんのレベルと聞いて、彼は頭のなかをもう一度、整理し始めた。医師の話のインパクトが強すぎて、ところどころ記憶が飛んでいるようだ。彼の次の言葉を待っている間、室内は重い空気に包まれていた。しばらくたってようやく、彼は「前がん状態だ」と説明されたのを思い出した。

「前がん状態」。この一言で、私は一気に目の前が明るくなった。希望の光が見えた。一口にがんといっても、病状には初期から末期まである。それが「前がん」となれば、初期よりももっと軽い状態ということだ。がんでない可能性すらある。

「それならセカンドオピニオンを!」。私は身を乗り出して、思わず大きな声を張り上げていた。(つづく)

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