「日支事変は次第に泥沼へと足を突込んだようになっていって、その収拾をつけることのできる政治家も軍人もいないから、おそらく近いうちに世界大戦になるであろう。そうして日本は敗退するだろう。それまでの間に日本国内を歩いて一通り見ておくことが大切である。満州へゆくことも意義があろうが、満州は必ず捨てなければならなくなる日がくる。(中略)これから敗戦後に対してどう備えていくかを考えなければならない」(『民俗学の旅』宮本常一著)
小説『ザ・民間療法』花山水清
人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!
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武蔵野美術大学には、民俗学者の宮本常一が教鞭をとっていた時期があった。
美術大学であるから、ふしぎなことではある。
他の大学からも引き合いはあったそうだが、宮本が師事していた渋沢敬三はうんとはいわなかった。
そして、武蔵野美術大学からの誘いに対してだけ、「ここならいい」といってくれたのだという。
この渋沢敬三という人はかなりの傑物だったことで知られている。
宮本の本にもたびたび登場しているが、当時、日銀の総裁だった渋沢が語った言葉は大変興味深い。
渋沢がこう話したのは、なんと昭和15年の初めのことであった。
これから起こる歴史の筋書きを、すでに見てきたかのような話ぶりである。
眼の前にある「事実」を丹念に集めていけば、彼にとっては当然の結論だったのかもしれない。
私には今の日本が良い方向に向かっているとは思えないが、彼ならこれから世界がどうなっていくと見るのか、聞いてみたいものである。(花山水清)
民具実測図で人体を観る
先日、大学の恩師である相沢韶男先生(民俗学)と5年振りにお会いした。師は大学退官後も頑張ってるゾとこの間に書かれたご著書をドサッと持参してこられた。
相沢先生は故・宮本常一先生の愛弟子である。宮本先生の名前をご存知の方も多いと思う。当時は民俗学者だけでなく宮本先生に影響を受けた研究者は各ジャンルはに大勢いた。私もその一人である。
相沢先生は当時、会津の大内宿の保存に尽力されていた。しかし、単に建て物だけを残すのではなく、宿場の生活様式ごと保存したのである。そのおかげで今では大内宿は年間100万人近くもの観光客が訪れて潤っている。
また相沢先生は、民具実測図を初めて考案した人でもある。考古学の世界では考古資料の実測図の作成は以前から行われていた。ところが民俗学では先生が始められるまで作図による資料保存は行われていなかった。ところが今ではどこの民俗学博物館でも先生の考案された作図方法が取り入れられている。
私は学生の頃、相沢先生に民具の作図方法を教わった。初めての作図では定規での直線の引き方も教えていただいた。定規で直線を引くなど簡単なように見える。だが、線の太さがどこをとっても均一になるように正確に引かなければならない。そのためには鉛筆の力の入れ方にコツがある。
実はこの時の線を引く技術が、今は背骨の触り方に応用されている。直線を引く技術で、背骨の上に指先でスッと線を引くと、背骨がズレているかどうかがすぐにわかるのだ。
昔、相沢先生に、実測図の技術を人体に応用していることを話したら、先生は中空の宮本先生に向かって「ジョーイッツァーン、実測図がこんな形になったゾー!」と伝えてくれた。
相沢先生は私が考案したモルフォセラピーについても、よき理解者であり協力者でもあるのだ。