小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:民間療法

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160
その日、会田先生は新宿で人に会っていた。打ち合わせが終わって時計を見ると、まだ午後2時を過ぎたばかりである。今日はもう大学に戻らなくてもいいのに、このまま帰ってしまうのももったいない。せっかく新宿まで来たのだから、駅近くの家電街をのぞいてみることにした。

先生のお目当ては、趣味のオーディオパーツである。ふだんなら秋葉原に行くけれど、たまにはいいだろう。ここでだって、何か掘り出し物が見つかるかもしれない。

だが最初にのぞいた大型家電量販店は空振りだった。まあアキバじゃないからナ。仕方ない。ほかの店を回ってみよう。騒々しい店内放送を浴びながら店を出ると、交差点の向こうからリヤカーを引いたおじさんがやってきた。

今どきリヤカーか。珍しいナ。先生は彼が近づいてくるのを待った。すれちがったときに荷台をのぞくと、同じ本ばかりが山積みになっている。何だろう。どうも気になる。好奇心に負けた先生は、追いかけて行って彼の横に並ぶと、「それは何ですか」とたずねた。

すると彼は、それまでの険しい表情をくずして、「あ~」といって立ち止まった。

「これは私が書いた本です。自叙伝みたいなものですが、本屋ではなかなか売れないので、こうやって野菜みたいに自分で売って歩いているのデス」

丁寧にそう答えると、彼はふところから汚い手ぬぐいを取り出して、額の汗をぬぐった。

自分の本をリヤカーで売り歩くなんて、いよいよ珍しい。予想外の返答におどろいた先生は、「それなら私も1冊」といって買い求めた。オーディオパーツのことなんかすっかり忘れて、先生は急いで家に帰ると、そのまま万年床に寝転がって本を開いた。

『馬の骨放浪記』と題されたその本は、彼が浮浪児だったときの記述から始まる。彼の記憶は、拾ってきたサバの頭と内臓を、ほかの浮浪児たちといっしょに橋の下で煮ている場面から始まっている。それ以前の記憶はないのである。

そのときの彼には家がなかった。そればかりか家族もいない。自分の名前も年齢さえもわからない。いつどこで生まれて、どうしてここにいるのかもわからなかった。

そこから苦労を重ね、やっと大人になりかけたころに戦争が始まった。そして国家総動員法によって、兵隊として中国の戦地へ送られることになった。そのとき初めて、彼は「大正生まれの山田勝三(やまだかつぞう)」として戸籍に記載されたのである。

戦争中の悲惨な体験もさることながら、敗戦後、命からがら日本に帰り着いてからも、彼の苦労はとどまることがなかった。「よくぞここまで」、と思うほどのアクシデントの連続に、読みながら何度も胸がつまる。

そんな彼が、やがて頭が禿げ上がる年齢になってから、夜間中学へ通い始めた。そこで初めて文字を覚えて書き始めたのが、本書の原稿なのである。

会田先生は引き込まれるようにページをめくりながら、宮本常一の『忘れられた日本人』のことを思い出していた。あの本は、社会の底辺で暮らしてきた市井の人々の半生を、本人たちの口から聞き書きしてまとめた1冊だ。

一方、勝三さんの本は、自分のこれまでの人生を、自分の手だけで書き上げたものである。リアリズムという言葉さえ虚ろに聞こえるほど、むき出しの体験が読む者の胸に突き刺さる。

会田先生は一気に読み終えると、大きなため息とともに本を閉じた。気づけば外はもう真っ暗だ。食事をとるのも忘れていた。それにしても、これほどの本に出会えることはめったにない。これはぜひとも、学生たちにも読んでもらわなくてはならない。

その翌朝、先生はいつもより早く家を出ると、勤務先の大学近くにある本屋の前で開店を待った。そしてガラガラとシャッターが開くのと同時に、顔なじみの店主に『馬の骨』を見せながら、これを大量に入荷してほしいと頼みこんだ。

もちろん店主も、始めはウンとはいわなかった。先生が、「売れ残ったら私が全部買い取りますから」とまでいうと、ようやく首を縦に振ってくれたのだ。

それから20年近くたったころ、会田先生からたまたまこの話を聞いた。ネットで探してみるともう絶版になっていたが、運よく古書が見つかったので、取り寄せて読んでみた。

会田先生がいった通りだ。これまでノホホンと暮らしてきた私には、勝三さんの体験の一つ一つが衝撃だった。だが本を読み終えたとき、なぜか腹の底からフツフツと気力がわいてきた。

思い起こせば、これまでにも人生観が変わるほどの本に、私はいくつも出会っていた。それが、そのときそのときの私にとって、人生の道しるべとなったのだ。

しかし今まで読んできた本は、この本とは決定的にちがっていた。主人公が困難にもめげず、過酷な人生を生き抜いた点は同じでも、ラストには救いがあった。

だが『馬の骨放浪記』には救いがない。この先、勝三さんはどうなってしまうのか。読者が不安に駆られたところで終わっている。編集後記にも、彼のその後についての記述はない。その代わり、この本の出版の経緯が載っていた。

勝三さんは、大量の手書き原稿を紹介もなくいきなり出版社に持ち込んだのである。出版社なら、無名の人間から原稿が持ち込まれることなど珍しくもない。社長は分厚い原稿の束を快く受け取ると、いつもの通りデスクの横に放置した。

ところがあるときふと思い出して、新人の編集者に、「オイ、明日までにこの原稿読んでこい」といって手渡した。これが運命を分けたのだ。

社長命令なので拒否権などない。いわれた通り、彼は原稿を持ち帰って読んでみた。そして翌朝、出社するやいなや、「社長、これはすごい内容です! ぜひ出版すべきだと思いますッ」と熱を込めて訴えた。

「読んでみろ」とはいったものの、さすがに最初のうちは社長も、「何をいっているんだ」といぶかった。だが彼の気迫に押されて、自分でも読んでみた。その結果、やはり内容に圧倒されて、即座に出版を決めたのだった。

本はふしぎな存在だ。小さな紙の束に、文字という記号がひたすら並んでいるだけなのに、そこには果てしない宇宙が広がり、読む人の人生を変えてしまうほどの出会いが待っている。著者が本にこめた熱意は、そうやって必ずだれかに伝わっていくものなのだ。

月刊誌の連載が打ち切られてからというもの、私はもう、「アシンメトリー現象」の存在を伝えることをあきらめかけていた。しかし本にはとてつもない力があるのだ。その力を信じて、私ももう一度、本を書いてみよう。(つづく)

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159
患者さんから今日の予約変更の連絡が入った。子供が学校で熱を出して、これから迎えに行くことになったそうだ。自分も腰が痛いのに、そんなことはいっていられない。お母さんはたいへんだ。

予約表を見ると、今日の午後が丸々空いている。久々の午後休だ。私には定休日などないので、患者さんからの予約次第でこうやって唐突に休みになる。

せっかく晴れているから、高円寺まで歩いてみようかナ。車で移動していたころの土地勘と、野生の勘が頼りの遠出である。迷うこともあるけれど、急いでいるわけじゃないから、まっすぐ行けばいいものではない。そういうお散歩だ。

ペットボトルに水をつめて、いつものリュックを背負って、ポクポク歩いていく。渋谷から代々木八幡へ抜けて、中野富士見町まで来た。このあたりで神田川をまたぐことになる。見当をつけて橋を渡っていると、電話がかかってきた。連載している月刊誌の編集長からだ。

なんだろう。いつもはメールのやり取りなので、電話なんかかかってきたことはない。ちょっと胸騒ぎがする。

「実は先生にお願いしている連載が、今月で打ち切りになりまして」
「え、なんで!?」

予想外の内容におどろいて、思わずタメグチになってしまった。

「24回のお約束でしたよね、それがどうして21回で打ち切りなんですかッ?」

つい語気が強まった。こんな急に連載中止だなんて、ワケがわからない。私がいくら理由を聞いても、彼の歯切れは悪かった。「編集会議で決まったことなので」とくり返して、話は終わった。

この雑誌には、「アシンメトリー現象」の特徴を毎月1項目ずつ載せていた。連載当初は編集長も乗り気だったから、見開き2ページでちゃんとプロのイラストレーターまで付けてくれていたのだ。読者からの評判も悪くないと聞いていた。

「それなのになぜ?」

どうにも腑に落ちないが、彼を責めても仕方がない。納得するしかないのだろう。いや、これまで掲載してもらったことのほうに、感謝すべきなのかもしれない。人生は思い替えが大事なのである。ふぅ。

それからしばらくたってから、たまたまこの雑誌の関係者に会う機会があった。彼は「ここだけの話」と前置きして、どうやら私の連載内容が、踏み込んではいけない領域に触れていたらしいと教えてくれた。

医師以外の人間が、医療批判的なことを書くのはタブーである。特にこの雑誌は、ある監督官庁ともつながりが深いので、なおさら中止せざるを得なかったそうだ。

しかし私は全く医療批判などしていない。そんなことを書いたつもりもないし、書くつもりもなかった。ただただ、私が発見した人体の「アシンメトリー現象」の存在を、多くの人に知ってもらいたい一心だったのだ。

どの業界にもタブーはある。知り合いのテレビディレクターが、テレビ業界には踏み込んではいけない領域がいくつもあって、そこにちょっとでも触れてしまうと、番組なんかすぐ打ち切りになると話していた。きっと医学界も同じなのだろう。

特に医学界はエグイと聞いたこともあった。「がんもどき理論」で有名な慶應義塾大学医学部の近藤誠先生も、かなりひどい弾圧を受けていた。

彼は著書で、がんには本物のがんと、がんに似たがんもどきとがあって、本物のがんは治療しても治らないし、それががんもどきなら、治療しなくても死なない。だから、どっちにしてもがんの治療はムダだと書いて、大ヒットした。

案の定、「がんもどき理論」は、医学界から総スカンを食った。医学の常識を全面的に否定するものだったので、今でも徹底的に批判されつづけている。医療批判は、医師がやってもダメなものなのだ。

それでも彼の出す本は、ことごとくベストセラーになっている。医学界からどれほど批判されても、職場で全く昇進できなくても、彼は自説を曲げようとはしない。出版社だってしっかり彼を後押ししている。それもこれも、ベストセラーの威力あらばこそだろう。

一方、私には権威や後ろ盾どころか資格すらない。治療家と自称することさえ許されない民間の療法家にすぎないから、アッという間に吹き飛ばされて終わってしまった。

終わったといっても、これが大昔だったら、生き埋めか火あぶりにでもされたかもしれない。そう思うと、連載中止ぐらいですんだのは幸いだったのだ。

それにしても、近藤先生の「がんもどき理論」はおもしろい。私も、がんと診断された人を診ていると、「この人って本当にがんなの?」と思うような体の人がいて、首をひねることがある。

ふつう、がん患者の体には、「アシンメトリー現象」がクッキリと現れているものなのに、がんと診断されていても、「アシンメトリー現象」が全く出ていない人がたまにいる。あれは、がんもどきだったのだろうか。

興味が深まった私は、近藤先生の本だけでなく、彼の理論に対する批判本の類も一通り読んでみた。

ベストセラー本の批判をした本も、そこそこ売れるから出したがる人は多い。「柳の下の二匹目のどじょう」を狙う出版社にも好都合だ。理論がどうこうよりも、出版社としては、話題になって売れればいいのである。

では、「がんもどき理論」の批判ポイントとは何だろう。「がんの治療など一切不要だ」とする点はもちろんだが、がんとがんもどきをどうやって区別するのか。そこも大きな批判の対象になっている。

批判する側は、両者には遺伝子のちがいがないのだから、がんもどきなど存在しないと考える。たしかに、がんとがんもどきのちがいは転移するかしないかだけなので、まだ転移していない初期のがんでは、近藤先生だって判別できない。

しかしここで、「アシンメトリー現象」が現れているかどうかを、判断基準に加えたらどうなるか。

「アシンメトリー現象」が出ていれば、そのがんは本物のがんだ。出ていなければ、それはがんではない可能性がある。もしこれが正しかったら、「がんもどき理論」のウイークポイントを補完できるのではないか。

そうはいっても、仮に私がそんなことを発表したら、本当に火あぶりになりそうだ。私は近藤先生ほど肝が座っていないので、医学界に真っ向から楯つくほどの勇気はない。

でも、「アシンメトリー現象」の有無が、がんの診断に役立ちそうな点には、かなりの自信がある。もう少し「アシンメトリー現象」の研究を進めて、しっかりとデータにまとめることができたら、そのとき近藤先生に会いに行こう。(つづく)

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158
2日間にわたる「神の手千本プロジェクト」第一弾、「腰痛講座」が無事に終了した。お世話になったサポートの先生たちといっしょに今から反省会、という名の打ち上げだ。向かった先は池袋駅近くの居酒屋「天狗」である。

素人さん相手の講習会は初の試みだったから、教える側も緊張した。だが、全国から集まった参加者さんたちは、たった2日でみごとに矯正の技をマスターしてくれた。そしてお互いに再会を約束して、それぞれが神の手への道を歩み始めたのだ。

「でもこんなに短時間で、素人がかんたんに技術を習得しちゃったら、そのうちプロの治療家なんか、要らなくなっちゃうのかもしれないっスね」

最初のビールがそろそろ終わりに近づいている。大外先生は次に頼む焼酎を選びながら、メニューに目を落としたまま真顔でつぶやいた。

そうかもしれない。矯正をマスターした人が家庭や職場にいれば、腰痛程度ならその場で治してもらえる。それはすなわち、患者さんが治療院に来なくなることを意味しているから、プロの治療家にとっては死活問題にもなりかねない。

だが、そんな後ろ向きな発想ではイカンのだ。これからのプロは、直接患者さんを治すのではなく、素人さんたちに治し方を教えるのが仕事になればイイと思う。

学校の保健体育の時間や職場の新人研修、カルチャーセンターあたりで、みんながこの手技を習うのが当たり前になれば、指導者のニーズはいくらでもある。さらに、プロを自負するのであれば、素人では治せないむずかしい症状だけ引き受ければいいのだ。

そのためにも、これからはどんどん指導者を増やしていかねばならぬ。それがわれわれの使命なのである。そんな未来を語っていたら、いちばん若手の森本先生が身を乗り出して、「じゃ、講習のDVDも作ったらいいンじゃないスか」と提案してくれた。

そうか、DVDという手があったか。
世の中には、治療家のDVDがたくさん出回っているのは私も知っていた。今回の講習会の募集をかけたときにも、地方での開催予定はないのかと聞かれたくらいだから、遠隔地の人はDVDで学べたら便利だろう。

「よ~し、ソレやろうそれ!」

手技の普及に向けて、みんなも大いに盛り上がっていた。とはいえ、こういう話はだいたいが酒の席だけのものである。私もDVDのことなんか、すっかり忘れて1週間が過ぎた。

今日も治療院での施術が終わったところで、打ち合わせのために杉本さんがやってきた。事務的な用事がすんで私が一息ついていると、杉本さんが突然、「近いうちに、先生のDVDを出すことになりました」という。

「ハ?いつのまに?」

彼女の話が唐突なのは毎度のことだが、さてなんと答えたものか。一瞬考えていると、「つきましては、タイトルには先生の療法の名前が必要なので、名前、考えてください」とつづけた。

どうやらあの反省会の席での話が、杉本さんサイドではすでに具体的に進められていたようである。それはありがたい。もちろん私も、新しいことにチャレンジするのは大賛成だ。

しかし名前か~。そういえば、私の手技にはまだ決まった名前がない。税務署相手には「整体」と書くしかなかったが、「整体」では東洋医学になってしまう。私の理論はあくまでも現代医学がベースなので、違和感が強い。

だが単なる「背骨の矯正」では、いかにもオリジナリティーに欠ける。そこでしばらくの間、「形態矯正」と名乗っていた時期もあった。

「形態矯正」は、人類史上最大の天才と自称していた、かのゲーテが考案した「形態学」からとった名称だ。これはこれでわかりやすかったし、ムサビの関口先生も、「オ、その名前いいじゃないか」と気に入ってくれていた。

ところがいざ、「形態矯正実践集中講座」なんて書くと、とにかく漢字だらけで硬すぎる。こういう名称は、柔道整復師とかの国家資格者には受けがいいけれど、とっつきにくそうで一般の人からは敬遠される。

「名前っていわれてもな~」と私が頭を抱えていると、杉本さんはさっさと見切りをつけて、ネットで何やら調べている。

「えーっと、形態学はモルフォロジーですから、モルフォロジーに基づいた療法ということで、モルフォセラピーではどうですか」

お、横文字ときましたか。モルフォセラピー、モルフォセラピー、略してモルセラ。何度も口に出してみた。いいにくくはないし、響きも悪くない。なんとなく文字ヅラの印象がやわらかいのもイイ。私は即座にOKした。

これで私の療法にもやっと名前がついたのだ。ヤッタ!だがのん気に喜んでいる場合ではない。杉本さんからは、来週までにDVDの撮影用の台本を考えてくる宿題が出た。

その台本を元にして、撮影監督と打ち合わせをすることになっているそうだ。監督に台本なんて映画みたいじゃないか。しかもその監督は、映画館で上映されるレベルの映画を作っている人らしい。それを聞いてちょっと緊張してきた。

私がまたまた「うーん」とうなっていると、杉本さんは「あの腰痛講座のときに作ったテキストに沿って、組み立ててみたらイイんじゃないですか」と助け舟を出してくれた。

それならできそうだ。これで神の手千本プロジェクトに向かって、またまた大きく前進できる。目の前が明るくなってニヤついていると、杉本さんは、「この手のDVDは大して売れませんので、あまり期待しないように」と釘をさす。

でも、でも、たとえDVDが1枚しか売れなくたって、その1枚から伝わった人が、大きく広めてくれるかもしれないじゃないか。DVDなら、国内のどこでも、いや海外にだって広まっていく可能性もある。

私には、このモルフォセラピーのDVDが世界中に羽ばたいて、千本の手に届けられる未来が見える。期待するなといわれても、やっぱり無性にうれしくなってしまうのだった。(つづく)

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157
アパートを出ると、今朝は快晴である。見上げると空が青い。2月のキーンと冷えこんだ空気に、吐いた息が白かった。今は冬の底だけど、春が近い気もしてちょっとうれしい。今日は池袋で、私の5回目の講習会が開かれる予定なのである。

これまで4回開催した講習会では、施術のプロが対象だった。ところがいざふたを開けてみると、キャリアの浅い人ほど新しい技術の習得が早そうなのだ。これは私だけでなく、補助についてくださった先生方にとっても意外なことだった。

「素人相手の講習会をやったら、おもしろいかもしれないですね」

4回目の講習会のあと、大外先生がそう提案してくれた。たしかに背骨のズレを矯正するだけなら、別にむずかしい技術ではない。勘のいい人なら、すぐに覚えてしまう。

プロ講習会の参加者のなかには、講習会の翌日、背骨のズレを矯正してあげた患者さんから、「先生って神の手ですね」といわれた人もいる。

神の手っていわれるなんてスゴイ。そのやり取りを横で聞いていた杉本さんが、「そんなに習得が早いのなら、神の手を大量生産できますね」といってフッと笑った。

神の手大量生産か、なるほどそれはいい。千手観音という神様がいるけれど、千手観音を1人作るより、5百人がマスターして、神の手が千本になるほうが現実的である。それだけ増えれば、日本中の腰痛患者が救われるじゃないか。

ああワクワクする。おもしろい。杉本さんも、「では、神の手千本プロジェクトですね!」と大乗り気である。なんだかプロジェクトXみたいで、中島みゆきの歌が聞こえてきそうだ。うれしくなって補助の先生方といっしょに盛り上がった。

そこで、神の手千本プロジェクトの手始めとして、まずは家庭で腰痛を治すための「腰痛講座」をやってみることに決まった。今回もメールマガジンで参加者を募集してみると、施術を受けたことのある患者さんたちも、大勢申し込んでくれた。地方からの申し込みもプロ講座以上の反響だ。

なかには、「娘が腰痛で苦しんでいるから、なんとかしてやりたい」というお母さんからの申し込みもあった。メール担当の島崎先生は、「それならその腰痛の娘さんも連れてきていいですよ」と返信してしまったらしい。

武闘派の大外先生とちがって、どこか文学青年風の島崎先生らしい、細やかな対応である。だが、ふつうこの手の講習会で、実際の患者さんを同伴していいなんて話は聞いたことがない。もしもその場で治らなかったら、信用失墜もいいところだ。

まあ、そんなことは百も承知でOKを出したのだから、島崎先生はよほどこの手技の実力を信頼してくれているのだろう。それはそれでありがたいことである。

開催にあたって、今回は大外先生や島崎先生だけでなく、プロ講座の修了生たちも補助についてくださった。なにせ、体のことなど何も知らない素人さんが相手なので、先生の数は多いほうが安心だ。

早めに会場についた私は、今日のテキストを見ながら段取りを考えていた。もうそろそろ時間だナと思って顔を上げると、部屋のすみにムサビの会田先生がいた。開催日程は伝えてあったけど、来られるかどうかは聞いていなかった。

先生は、「自分の体を献体として使ってくれ」といって、講習会のあるたびに、律儀に毎回参加してくださっている。いわば私の応援団長であり、保護者みたいな存在でもあるのだ。

その先生の隣に、どこかで見たことがある人が座ってニコニコしている。あれは、ムサビの関口先生じゃないか。あわててあいさつに行くと、「今日は見学させてください」といって、私に向かって頭を下げた。相変わらず腰の低い人である。

そうこうするうちに開始時刻になった。私が「では」といいかけると、あの腰痛の娘さんが、お母さんに支えられてやってきた。そして入室するなり、「早く座らせてっ」と悲鳴にも似た声を上げたので、室内に緊張が走った。

あまりにつらそうなので、とりあえず治療台の上で横になってもらった。すぐにでも治してあげたいけれど、ここはぜひともお母さんの手でやってもらいたい。

「このまま眠ってしまっても、立って歩き回ってもらってもかまいませんので、なんとか午後までがまんできますか」

そう私がたずねると、お嬢さんは目を固くつぶったまま、しっかりとうなずいた。

午前中は、私の施術方法の概要を伝える座学である。午後からは、みなさんお待ちかねの実技講習だ。最初に背骨のズレの見つけ方を伝えて、それからそのズレを矯正していくやり方を伝える。

手順がなんとなくわかったところで、いよいよ実践だ。先生と参加者とでペアになってやってもらうと、みな呆気ないほど短時間で矯正ができるようになっていく。やはり大外先生の予想通り、プロよりも飲み込みが早い。

実は、「自分はできる」と思っている人ほど上達が早い。「できない、できない」と思い込むタイプの人は、なかなか矯正がうまくいかない。この傾向は、プロでも素人でも同じだった。

あのお母さんはどうだろう。手元を見ると、スムーズではなくてもちゃんと矯正ができているのがわかる。そこでおもむろに、「では、お母さん、お嬢さんの腰痛を治してあげましょう」とうながすと、改めて室内に緊張が走った。

朝から腰が痛くて泣き顔のまま待っていた娘さんに、起き上がって座った状態になってもらう。腰痛がひどいと起き上がるのも一苦労だ。彼女の後ろに回ったお母さんは、今、習った通り、娘の背骨の両脇を指先でなぞってズレを探す。

指が止まったところで、「これ?」といって、自信なさげに大外先生の顔を見る。大外先生が「ウンウン」とうなずく。遠巻きに見ていた他の先生方も、大きくうなずいている。

それを合図に、お母さんは恐る恐るズレた背骨に左手の親指を当て、その下の背骨に右の親指を当てて、ソーッと動かした。その光景を、先生方も参加者たちも、みな固唾を飲んで見守っている。

お母さんは、同じ動作を何度かくり返した。もうよさそうだ。私が「じゃ、立ってみてください。腰の具合はどうですか」とお嬢さんに声をかけた。

すると彼女は、「あ、痛くない!痛くないよ、お母さん。ありがとう!」といったのだ。一瞬、「サクラか?」と思うほどのドラマティックな展開に、室内はどよめいた。それから、みなの顔が一斉にほころんだ。2人の参加をOKした島崎先生も、おおいに満足そうである。

この瞬間、「腰痛は家庭で治す」という理想に向かって、神の手千本プロジェクトが、大きな一歩を踏み出したのだった。(つづく)

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156
私の治療院は、渋谷の宮益坂を上がった先にある。今日は、ムサビの会田先生が定期点検に訪れる日だ。ひとわたり体を調べてみたが、今日も特に悪いところはない。ちょっと腰の骨がズレているくらいのものである。

「大丈夫そうですネ。これならまだまだ死にませんヨ」

私がそういうと、先生は「じゃ、また一杯行くか?」といって、ニカッと笑った。その一言を合図に、私もそそくさと着替えをすませると、先生の後につづいた。

向かった先は、宮益坂の交差点の前にある、そば処「平野屋」である。店内に入ると、いつもの席に陣取って、いつもと同じ「ほろ酔いセット」を注文する。これがいつものパターンだ。会田先生も私もおじさんだから、「いつもの」が大好きなのである。

この店は、渋谷駅前の一等地の1階にあるわりに店内が広い。そしていつ行ってもガラーンとしていて客が少ない。

「こんなんでよくやっていけるナ」
「きっとこのビルのオーナーが、税金対策のために赤字で経営してるんでしょう」

毎度、そんな会話をくりかえしている。失礼な客だ。それでも、じっくりと腰を据えて話をするには、静かで好都合な店だった。しかも安い。これが私には何よりもありがたかった。

初めて来たときは先生におごってもらったから、次は私がおごった。今では交互におごり合っている。そんなことができるのも、この店の安さのおかげなのである。

今日も、「ほろ酔いセット」は出てくるのが早かった。いい店だ。早速、先生はコップの酒をこぼさないように口元に運び、グッと流し込む。そして酒がノドを通過していくのを楽しんだあと、「その話を学生たちにも聞かせてやってくれないか」といった。

ちまたでは、「こうすりゃ体にイイ」という話ばかりがあふれ返っている。だけどホントのところ、そんなモノが本当に体にいいのかどうかは疑わしい。逆に、確実に体に悪いものなら、いくらだって挙げられる。放射線でしょ、薬でしょ、重金属に添加物、そして酒・・・。

そんなことを、酒の勢いを借りてしゃべっていたのだ。先生はそれが気に入ったらしい。

「最近の学生は半病人みたいなのが多くてナ、ろくに授業にも出られンのだヨ」
「へえ、今ってそうなんですか」

私は相づちを打ちながら、先生の空きかけたコップに酒を足す。先生はコップに目を落としたまま、日ごろ気になっている学生たちのことを話し始めた。

「君のいたころとは、全くちがうんだヨ。なんとかしてやりたい。なんとかしてやりたいんだが、体のことまではなかなか・・・」

そういって大きなため息をつくと、また一口、酒を流し込んだ。

昔っから会田先生は学生第一の愛情深い人である。講師のころから、学生のためなら教授陣と戦うことも辞さず。そんな熱血漢でもあった。おかげで私も、どれだけお世話になったかわからない。そんな先生からの頼みとなれば、私は二つ返事で引き受けた。

それから2週間ほど過ぎたころ、私は先生の民俗学の授業で、学生たちに体や健康の話をすることになった。だがここを卒業してから、もうかれこれ20年以上過ぎている。20年もたてば、学生気質も大きく変わっているだろう。果たして今の学生たちに、私の話が伝わるのだろうか。

そもそも私は、人前で話すのが得意なわけではない。友だちの結婚式のスピーチで、「次はもっとうまくやります」などといってしまったぐらいだから、はなはだ心許ない。だが、人体にはプロとして真剣に関わってきた。その経験で得た知識だけでも、今日は伝えて帰ろう。そう決めていた。

しかしいざ健康の前提となる体のしくみについて話し始めてみると、予想に反して学生たちの反応がすこぶるいい。ちゃんと伝わっている手応えがある。特に、私が美術で培ったテクニックを医学に応用したという話は、今の彼らにとって新鮮な驚きだったようだ。

私もかつて苦しんでいたからわかる。美大生だったらみな、何らかの新しいアート、自分独自のアートを必死に模索しているものである。彼らは突破口を求めてもがいている最中なのだ。

そこであえて、目の前のアートそのものから視点をずらしてみる。そのとき初めて見えてくるものがある。そこに新たなアートが生まれる可能性がある。それを感じ取ってくれたのかもしれない。

私にしても、施術を生業にしたことでアートを捨てたつもりなど毛頭ない。今では、人体のしくみを極めることが私のアートだと思っている。

人の体を見るとき、左右対称かどうかの視点で眺めてみる。そこには思わぬ発見がある。私の毎日は発見の連続で、実にエキサイティングなのだ。私がつい興奮気味にそこまで話すと、学生たちはさらに前のめりになった。

よし。これなら、実際に私が美術家の視点で発見した「アシンメトリー現象」について、もっと踏み込んで話してみよう。

「それでは、人体のアシンメトリー現象を、一つずつ具体的に見ていきましょうか」

そういいながら、学生たちといっしょに最前列で私の話を聴いていた会田先生に目をやった。私の視線を受けて、先生は「ホイ来た」とばかりに立ち上がる。事前に打ち合わせしていたわけでもないのに、それはもう阿吽の呼吸ってヤツだ。

先生は教壇までやってくると、サッと作務衣の裾をたくし上げ、学生たちに背中を向けた。そして自分の盛り上がった左の起立筋を、「どうだ」とばかりに誇示している。その一連の動きは、どこかイナセなおあにいさん風である。

「ホラ、ボクの背中のここんところが左だけ盛り上がってるだろう。これがアシンメトリー現象なんだ。もっと近くで見てみろ、触ってみろ」

会田先生がうながしても、ふつうの学生なら少したじろぐシチュエーションである。ところがさすがムサビの学生だ。ノリがいい。先生のまわりに群がると、遠慮なく先生の背中をツンツンつついたり、ベッタベッタと触りまくったりしている。

はたから見れば子どもの遊びみたいだが、こうやって、見るだけでなく触れてみることは思いのほか重要だ。彼らには、じかに生身の人の体を感じ取るいい機会になったはずである。考えてみれば、これぞ美大の授業って感じじゃないか。

それにしても、「アシンメトリー現象」なんて、だれだって見ればわかることなのに、どうしてこれまでのアーティストたちは、だれも気づかなかったのだろう。

それはもちろん、目の前の対象をしっかり見ているつもりでも、脳のフィルター越しにしか見ていない。つまり見えていなかったからなのだ。だがちょっと視点を変えるだけで、見えていなかったものが突如として見えるようになる。

そう説明すると、学生たちの目は一層輝いた。彼らの表情を見ていると、ひょっとしたら「アシンメトリー現象」は、医学よりも美術方面から火の手が上がるのかもしれない。そんな希望が見えてきた。

おかげで私は、気分よく授業を終えることができた。私を呼んだ会田先生の期待にも、少しは応えられたと思う。足取りも軽く教室を出ると、例の関口先生にバッタリ出くわした。

私が授業で話す予定だったのを、会田先生から聞いていたのだろう。「オ、今終わったのか。今度オレのゼミでも学生たちに話してくれよナ」というと、そのままスタスタと歩き去っていったのだった。(つづく)

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