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その日、会田先生は新宿で人に会っていた。打ち合わせが終わって時計を見ると、まだ午後2時を過ぎたばかりである。今日はもう大学に戻らなくてもいいのに、このまま帰ってしまうのももったいない。せっかく新宿まで来たのだから、駅近くの家電街をのぞいてみることにした。
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その日、会田先生は新宿で人に会っていた。打ち合わせが終わって時計を見ると、まだ午後2時を過ぎたばかりである。今日はもう大学に戻らなくてもいいのに、このまま帰ってしまうのももったいない。せっかく新宿まで来たのだから、駅近くの家電街をのぞいてみることにした。
先生のお目当ては、趣味のオーディオパーツである。ふだんなら秋葉原に行くけれど、たまにはいいだろう。ここでだって、何か掘り出し物が見つかるかもしれない。
だが最初にのぞいた大型家電量販店は空振りだった。まあアキバじゃないからナ。仕方ない。ほかの店を回ってみよう。騒々しい店内放送を浴びながら店を出ると、交差点の向こうからリヤカーを引いたおじさんがやってきた。
今どきリヤカーか。珍しいナ。先生は彼が近づいてくるのを待った。すれちがったときに荷台をのぞくと、同じ本ばかりが山積みになっている。何だろう。どうも気になる。好奇心に負けた先生は、追いかけて行って彼の横に並ぶと、「それは何ですか」とたずねた。
すると彼は、それまでの険しい表情をくずして、「あ~」といって立ち止まった。
「これは私が書いた本です。自叙伝みたいなものですが、本屋ではなかなか売れないので、こうやって野菜みたいに自分で売って歩いているのデス」
丁寧にそう答えると、彼はふところから汚い手ぬぐいを取り出して、額の汗をぬぐった。
自分の本をリヤカーで売り歩くなんて、いよいよ珍しい。予想外の返答におどろいた先生は、「それなら私も1冊」といって買い求めた。オーディオパーツのことなんかすっかり忘れて、先生は急いで家に帰ると、そのまま万年床に寝転がって本を開いた。
『馬の骨放浪記』と題されたその本は、彼が浮浪児だったときの記述から始まる。彼の記憶は、拾ってきたサバの頭と内臓を、ほかの浮浪児たちといっしょに橋の下で煮ている場面から始まっている。それ以前の記憶はないのである。
そのときの彼には家がなかった。そればかりか家族もいない。自分の名前も年齢さえもわからない。いつどこで生まれて、どうしてここにいるのかもわからなかった。
そこから苦労を重ね、やっと大人になりかけたころに戦争が始まった。そして国家総動員法によって、兵隊として中国の戦地へ送られることになった。そのとき初めて、彼は「大正生まれの山田勝三(やまだかつぞう)」として戸籍に記載されたのである。
戦争中の悲惨な体験もさることながら、敗戦後、命からがら日本に帰り着いてからも、彼の苦労はとどまることがなかった。「よくぞここまで」、と思うほどのアクシデントの連続に、読みながら何度も胸がつまる。
そんな彼が、やがて頭が禿げ上がる年齢になってから、夜間中学へ通い始めた。そこで初めて文字を覚えて書き始めたのが、本書の原稿なのである。
会田先生は引き込まれるようにページをめくりながら、宮本常一の『忘れられた日本人』のことを思い出していた。あの本は、社会の底辺で暮らしてきた市井の人々の半生を、本人たちの口から聞き書きしてまとめた1冊だ。
一方、勝三さんの本は、自分のこれまでの人生を、自分の手だけで書き上げたものである。リアリズムという言葉さえ虚ろに聞こえるほど、むき出しの体験が読む者の胸に突き刺さる。
会田先生は一気に読み終えると、大きなため息とともに本を閉じた。気づけば外はもう真っ暗だ。食事をとるのも忘れていた。それにしても、これほどの本に出会えることはめったにない。これはぜひとも、学生たちにも読んでもらわなくてはならない。
その翌朝、先生はいつもより早く家を出ると、勤務先の大学近くにある本屋の前で開店を待った。そしてガラガラとシャッターが開くのと同時に、顔なじみの店主に『馬の骨』を見せながら、これを大量に入荷してほしいと頼みこんだ。
もちろん店主も、始めはウンとはいわなかった。先生が、「売れ残ったら私が全部買い取りますから」とまでいうと、ようやく首を縦に振ってくれたのだ。
それから20年近くたったころ、会田先生からたまたまこの話を聞いた。ネットで探してみるともう絶版になっていたが、運よく古書が見つかったので、取り寄せて読んでみた。
会田先生がいった通りだ。これまでノホホンと暮らしてきた私には、勝三さんの体験の一つ一つが衝撃だった。だが本を読み終えたとき、なぜか腹の底からフツフツと気力がわいてきた。
思い起こせば、これまでにも人生観が変わるほどの本に、私はいくつも出会っていた。それが、そのときそのときの私にとって、人生の道しるべとなったのだ。
しかし今まで読んできた本は、この本とは決定的にちがっていた。主人公が困難にもめげず、過酷な人生を生き抜いた点は同じでも、ラストには救いがあった。
だが『馬の骨放浪記』には救いがない。この先、勝三さんはどうなってしまうのか。読者が不安に駆られたところで終わっている。編集後記にも、彼のその後についての記述はない。その代わり、この本の出版の経緯が載っていた。
勝三さんは、大量の手書き原稿を紹介もなくいきなり出版社に持ち込んだのである。出版社なら、無名の人間から原稿が持ち込まれることなど珍しくもない。社長は分厚い原稿の束を快く受け取ると、いつもの通りデスクの横に放置した。
ところがあるときふと思い出して、新人の編集者に、「オイ、明日までにこの原稿読んでこい」といって手渡した。これが運命を分けたのだ。
社長命令なので拒否権などない。いわれた通り、彼は原稿を持ち帰って読んでみた。そして翌朝、出社するやいなや、「社長、これはすごい内容です! ぜひ出版すべきだと思いますッ」と熱を込めて訴えた。
「読んでみろ」とはいったものの、さすがに最初のうちは社長も、「何をいっているんだ」といぶかった。だが彼の気迫に押されて、自分でも読んでみた。その結果、やはり内容に圧倒されて、即座に出版を決めたのだった。
本はふしぎな存在だ。小さな紙の束に、文字という記号がひたすら並んでいるだけなのに、そこには果てしない宇宙が広がり、読む人の人生を変えてしまうほどの出会いが待っている。著者が本にこめた熱意は、そうやって必ずだれかに伝わっていくものなのだ。
月刊誌の連載が打ち切られてからというもの、私はもう、「アシンメトリー現象」の存在を伝えることをあきらめかけていた。しかし本にはとてつもない力があるのだ。その力を信じて、私ももう一度、本を書いてみよう。(つづく)
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