小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:海外生活

小説『ザ・民間療法』挿し絵017

私が治療もどきのことをしているのを聞きつけて、あのマッサージ師のアドンがたずねてきた。どうやら私の実力のほどを確かめたいらしい。二人でお互いを治療し合って、得意の技を競おうというのだ。

私は一瞬身構えた。フランス人の彼が知るはずもないが、これはいわば「巌流島の戦い」なのである。しかし武蔵と小次郎なら、お互いプロの剣豪同士である。ところが私はアマ中のアマである。どんな世界でも、プロとアマチュアとでは勝負にならない。私は勝負するどころか、自分の拙い技術を、本職の人に見られることすら気が引けた。

だが隠すのも変だろうから、とりあえず背骨のズレを治す方法をやってあげた。すると彼は「なんだ、それだけか」と拍子抜けしたようである。続けて、「そんなことならだれでもやっている」といって、ようやく笑顔を見せた。私のことを、わざわざ対決するほどの相手ではないと判断したのだろう。

それならば、そもそも戦うつもりのない私にはチャンス到来だ。一応私は技を披露したのだから、交換に彼の得意技であるオイルマッサージを、フルにレクチャーしてもらうことにした。転んでもただでは起きない。そんなところも、私はすでにインド流である。

オイルマッサージといえば、前のコミュニティにいたころ、私はたまたま知り合ったインド人のオイルマッサージ師から、古式正統派のテクニックを教わったことがある。インドのオイルマッサージの歴史は古く、本来の目的はリラクゼーションではない。戦争で負傷した兵士の治療のためのものなのである。そのため手技も単なるマッサージではなく、より実践的だったようだ。

日本で紹介されているオイルマッサージは、使われるオイルの成分によって、いろいろな効果があると説明される。ちょうど温泉の泉質のちがいによって、効く病気がちがうようなものだろう。しかし本来のオイルマッサージの効果とは、オイルの質よりもマッサージそのものの効果なのである。これは温泉の効果が、泉質よりも温熱による効果であることと同じだ。

ただしオイルマッサージも温泉も、長期的に続けることで自然治癒力を高める効果がある。今の医学のどんな治療だって、最終的には患者本人の自然治癒力にかかっているのだ。

さて、いよいよアドンのレクチャーである。私は、ベタベタするからオイルマッサージはあまり好きではない。そもそも他人に体を触られるのさえイヤだ。オーロビルにはヨーロッパ人が多いので、あいさつのときにハグしたりキスしたりするのが日常的だが、私にはなかなかなじめないままだった。

そんなわけで、初めのうちは抵抗のあったマッサージだが、インドの気温と彼の説明とで、だんだん眠くなってきた。日本の温泉地で垢すりをしてもらったときも、自分では手の届かない背中の真ん中とか、かかとなどをこすられているうちに、眠くなったのを思い出した。やはりオイルマッサージはインドのような温かい地方向けである。寒い地域ではあまり気持ちよくないだろう。

オイルマッサージ用のベッドも、同じインド国内であっても、北と南では材質までちがうそうだ。北では木で、南では石でできているものが多い。前に一度ポンディチェリの古道具屋で見たオイルマッサージ用のベッドは、天板が大理石の一枚岩で、足の部分には立派な彫刻が施されていた。コロニアルスタイルといわれるイギリスの植民地様式で、それはそれは豪華なものだった。

日本では洋風建築のことをコロニアルスタイルと呼ぶこともあるが、これは差別用語なのをまちがって使っているんだよな。そんなことをぼんやりと考えながら、うつらうつらしているうちに、アドンのレクチャーも終盤を迎えた。彼はマッサージの終わりに、勢いよくこすり合わせた手を、私の目に押し当ててマントラを唱えた。なるほどこれはプロらしいテクニックではないか。私はたいそう感心した。

早速、私もやってみたい。まずはポンディチェリの薬局までマッサージ用のオイルを買いに行く。プロのマッサージ師たちは、オリーブオイルやセサミオイルなどの植物油を、独自に調合して使うものらしい。だが私は市販品を買うことにした。

ところがさすがインドの薬局だ。オイルといってもべらぼうに種類が多いのである。咳止め薬を買ったときの例の店主が、またしても「ふつうのがいいか、アーユルヴェーダのがいいか」と聞いてくる。だが前回の体験で懲りた私は、今回は「ふつう」のオイルにしておいた。

そのオイルは市販品だけあって、きれいなボトルに入っている。ちゃんと記載されている成分表を見ると、どうやら私が買ったのは鉱物系のオイルであるらしい。これはワセリンやクレンジングオイルにも使われている成分だから、全く「ふつう」なのである。

ただしフタを開けると、予想外に強烈なサンダルウッドの香りがして、あたり一面がそれらしい雰囲気に包まれた。これならフタを開けただけで、ア~ラ不思議! アッという間に「インド式オイルマッサージ師さんのできあがり!」なのだった。(つづく)

    このエントリーをはてなブックマークに追加

015 小説『ザ・民間療法』挿し絵

*小説『ザ・民間療法』全目次を見る

ある日、隣の部屋にミシェルという青年が住み始めた。彼は交通事故のせいで下半身付随になったときから、車いすの生活らしい。毎年フランスから一人でやってきて、バカンスの時季の数か月だけオーロビルで過ごすのだという。


ここでは、私も彼も何もやることがないので、日がな一日、二人でとりとめもない話をして過ごした。部屋の前に椅子を出して座り、目の前の草むらをゆっくりとコブラが通り過ぎていくのを、ただだまって眺めていたこともある。

そんなミシェルのところには、同じフランス人のマッサージ師アドンが通ってきていた。アドンは40歳ぐらいのがっちりとした体格の男性だ。彼以外にも、オーロビルには自称、治療家はたくさんいる。彼らはそれぞれの得意技で生計を立てている。アドンもその一人だが、彼はオーロビルでもっとも人気が高いという話だった。

アドンはいつも自転車に乗って、ミシェルのところにやって来る。部屋に入ると、慣れた手付きでミシェルをベッドに仰向けに寝かせ、彼の動かない足を丹念にマッサージする。次に両足を持ち上げて、空中で自転車漕ぎをするように左右の足を交互に動かす。

この一連の動作はなかなかの重労働である。アドンは汗だくになって続けていた。もちろんそんなことをやっても、ミシェルの足が動くようになるわけではない。しかし彼の足は運動神経が麻痺しているだけで、血流は止まっていない。組織だって生きている。その足を強制的に動かしてやることで、足だけでなく全身の血流も良くなるのだろう。

人間の関節というのは、使っていないとあっという間にさびついて動かしにくくなる。アドンはミシェルの足の関節がさびつかないように、力を貸して動かしてあげているのだった。

私は東京で特殊美術の仕事をしていたころ、ミシェルのように下半身が動かない男性を紹介されたことがあった。彼の麻痺した足はどこの病院でも治せなかったが、私がテレビ局の控え室でぎっくり腰を治した話を聞いて、私なら奇跡を起こせるのではないかと思ったらしい。

まさか神様でもあるまいし、麻痺した足を治すことなど私にできるはずがない。それはわかっていたが、無下に断るのもしのびなかった。そこで会うだけ会って、体を見せてもらうことにした。下半身不随とはどういう状態なのか。そこに多少の興味があったことも否定できないが、私は人から頼まれると断れないタチなのだ。きっと根がエエカッコシイなのだろう。

実際に彼の体を見てみると、障害を負った背骨の部分は、圧縮したようにがっちりと固まっていた。伸び縮みするはずの弾性が、完全に消え去っているのである。これを見ただけで、私の力量ではとうてい歯が立たないことはすぐにわかった。治すどころの話ではない。素人の私には、そんな体に触れることすら恐ろしかった。

しかし会った以上、何らかの貢献はしたい。私でなくても、どこかに奇跡を起こせる人がいるのではないかと考えた。彼も今までに何人もの治療家に診てもらったが、ダメだったようだ。そこで私の知っている有名な治療家のところへ、彼を連れて行ってみることにした。

その先生は、総理大臣になる前の竹下登を治療して、職務を果たせるようにしたことで有名だった。ところが彼の自信たっぷりな態度とは裏腹に、何回通っても効果は全く現れなかった。やはり民間療法のレベルでは、麻痺はどうにもならないのだろう。

ところがアドンのマッサージは、そんな奇跡を求める治療とは全くちがっていた。何かを治そうというのではなく、少しでも生活レベルを落とさないための努力だったのだ。そこに派手さはないが、より現実的で確実な治療だといえるだろう。彼の人気が高いのは、私にもわかる気がした。

得てして民間療法では、自分の力量を誇示するために派手なことをして見せようとする。しかしそれは自分のためであって、患者のためではない。だれもがイエス・キリストの奇跡のような結果を期待するが、そんなものは今の世には存在しないのだ。

私がテレビ局で腰痛を治したのだって、あれは決して奇跡なんかではない。今の医学に欠けた部分をわずかに補っただけである。それが奇跡に見えたとしても、そこにはちゃんと理由があるはずだ。そのしくみを知りたい。

あれ以来、ずっと私のなかにこの疑問がモヤモヤとくすぶっていた。この答えさえわかれば、奇跡の正体がつかめるはずだ。そんなことをぼんやりと考えながら、出口も見つからないまま、暑いオーロビルでの暮らしが続いていた。

そしてミシェルは例年通り、ここで3か月ほどのんびりと暮らしたあと、フランスの実家へと帰っていった。別れ際に、「ぜひうちに遊びに来て、しばらく滞在してほしい」と熱心に誘ってくれた。ところが私は、「チャンスがあれば」と気のない返事をしただけで、あえて連絡先も聞かなかった。

実は彼は大金持ちのご子息で、南フランスのお城で暮らしているというのは、あとから聞いた話である。お城での暮らしを見てみたかった気もするが、彼の去ったあとの南インドは、これからさらに暑い季節を迎えるところだった。(つづく)

    このエントリーをはてなブックマークに追加

012 小説『ザ・民間療法』

*小説『ザ・民間療法』全目次を見る

続きを読む
    このエントリーをはてなブックマークに追加

*小説『ザ・民間療法』全目次を見る
011 小説『ザ・民間療法』

アフリカンダンスの教室で私は散々な目にあったと思っていたが、親切心の塊のドルマは、まだこりていなかった。今度は私をヨガ教室に誘ってくれたのである。


自慢じゃないが、私はヨガの経験も一度もない。
ヨガといえば、カルカッタで会った留学生のミナコさんは「ヨガに目覚めた」とかで、インド中のアシュラムを渡り歩いて修業を積んでいた。彼女はインド南部で使われているベンガル語にも堪能で、おまけに見た目までインド人に同化していたから、最初は現地の人なのかと思ったほどだ。

しかし1990年代の日本では、オウム真理教の事件の影響で、ヨガに対するイメージが極端に悪かった。マスコミも一斉にヨガについて触れなくなっていたから、私はヨガの情報に接する機会もなかったのである。

調べてみると、古代インドで発祥した本来のヨガは、精神と肉体を自ら制御して、輪廻からの解脱を図るための宗教的な行法だった。また仏教や密教、バラモン教、ヒンドゥー教などの諸宗教とも深く結びついており、瞑想を主とするものだという。

ところが現在の欧米で、実践者が数千万人といわれるほど大流行しているヨガは、名前は同じヨガであっても、20世紀以降に欧米人向けにアレンジされた、単なる体操法なのだ。

実は私が住んでいるオーロビルは、開祖のオーロビンド・ゴーシュが、ヨガを通して宇宙意識と合一するために造営された場所である。つまりここは解脱のための土地、いわばヨガの聖地だったのだ。

実際、彼の入滅の際には、全身から出た金色の光明で室内が明るくなり、芳香が漂い、まわりで見守っていた人たちは、至福に包まれたという逸話まで残っている。ブッダを始め、解脱した聖人の死に方には共通したものがあるのだろう。

このオーロビンドの教えには、後にニューエイジのカリスマとなって日本でも話題になった、あのTM瞑想のマハリシも影響を受けていたというから、相当なものだ。

私もせっかくインドまで来て、聖地オーロビルで暮らしていながら、「本場インド」のヨガを体験しない手はないだろう。解脱とまではいかなくても、ひょっとしたら悟りを開いて、新たな境地に到達できるかもしれない。うっすらとそんな期待もあったので、ドルマといっしょにヨガ教室に参加してみることにした。

さていよいよ私のヨガ初体験の日。その日もいつものように、朝から焦げるかと思うほど暑かった。カルチャーセンターに着くころには、もう一汗かいていた。汗をふきふき教室に入ると、これまた先生は若いフランス人男性である。ヨガぐらいインドの人から習えたらよかったのだが、これは仕方がないだろう。

まずは先生からヨガの説明を受ける。人間の体にはいくつものチャクラというものがあって、ヨガ修業によってそれらのチャクラに、クンダリーニという生命エネルギーを通す。すると解脱できるのだという。

「ふむ。そんなものか…」
説明ではえらくかんたんそうだ。だが私の目に映る彼の姿は、まだ解脱への道は遠そうだった。でもこの際、やり方さえわかればいいのだから、そこにも目をつむろう。

ところが、ここで教えているヨガは、エアロビクスとストレッチを組み合わせて、現代風にアレンジしたハタ・ヨガの一種だった。本来のハタ・ヨガは、性的なエネルギーを生命エネルギーに昇華させて解脱に至るものらしいが、ここでは純粋なエクササイズだった。

確かに、オーロビンドの弟子でパートナーでもあったフランス人の「マザー」ですら、テニスなどのスポーツを奨励していたぐらいだから、ヨガも単なるエクササイズの扱いなのだ。

なかでもハタ・ヨガは、もともと身体的な要素が強かったから、人気があるらしい。輪廻からの解脱などという壮大な目標よりも、美容や健康、ファッション性のほうが重要になったのは、当然といえば当然の流れだろう。

しかしエクササイズとしてのヨガとなると、アフリカンダンス同様、私には体力的にきつかった。生命エネルギーを循環させて解脱に向かおうにも、元になるエネルギー自体が私にはとことん枯渇していたのである。

先生の指示でポーズを変えるごとに、明らかに息が切れてくる。これはよろしくない。日本ではホット・ヨガなるものも流行していたが、連日40~50度のホットすぎるインドでは、体力を消耗するタイプのヨガなどやっていられないのだ。

結局、私の意識には何の変化も訪れなかった。来たときと同様、世界共通の悩みを抱えた俗人のままで教室を後にした。それどころか体力を消耗した分、さらに生命エネルギーが低下した気さえする。やはり解脱への道など、日本から見るインド以上に、私にははるか遠い遠い世界なのだろうか。そう思うと、インドの暑さがいっそう増したようで、また気が遠くなるのだった。(つづく)
*応援クリックよろしくお願いいたします!
にほんブログ村 小説ブログ 実験小説へ
にほんブログ村

長編小説ランキング
    このエントリーをはてなブックマークに追加

*小説『ザ・民間療法』全目次を見る

小説『ザ・民間療法』挿し絵008
インド人には菜食主義者、つまりベジタリアンが多いといわれる。確かにインド行きの空路の機内食にも、ベジかノンベジかの選択肢が用意されていた。当然、オーロビルでもゲストハウスで提供される食事は、ベジタリアン食が基本となっていた。

最初に住んだゲストハウスでは、室内のヘビやサソリ、ゴキブリの多さに困惑した私だが、それよりもきつかったのが食事の内容だった。食事に不満をいうのは、あまり聞こえの良いものではない。しかしそこでの食事はほとんど豆が主体だったから、ベジタリアンというよりもヴィーガンに近かったのだ。

そもそもインドでは、肉食よりも菜食のほうが精神性が高いと思われている。だから地位が上がるほど、ベジ傾向が強くなる。そんな話を聞いたこともある。そのころの私も、ぼんやりとそう思っていた。

ところが暑さで食が進まないうえ、豆中心の食事を続けているうちに、180cm近い身長の私の体重が50kgを切り始めた。ベルトをしないとGパンがずり落ちる。そのベルトの穴も、一つまた一つと内側へ進み、とうとう穴が足りなくなる始末だった。

飽食が日常の都会でなら、たまのヴィーガン食も趣の一つといえるだろう。だが、連日摂氏40度を超す酷暑の南インドでは、豆だけでは体がもたないのである。このまま菜食を続けることに身の危険を感じた。「もうここでは生きていけない。こうなったら、精神性よりも目先の体調のほうが重要だ」そう判断して、別のところに移ることにしたのである。

新しいコミュニティに移っても、あいかわらず菜食がメインだった。しかしそこには専門のフランス人の調理人がいて、毎回腕をふるってくれる。しかも菜食中心ではあっても、牛と豚以外なら、肉だって食卓にのぼるのである。なかでも彼のハト料理は絶品だった。そこらで見かけるハトを見る目が変わるほど、彼の創意に富んだ料理のおかげで、少しずつ体力も回復していった。

その転居先のゲストハウスは、前のところよりも造りはシンプルだった。その分、気密性には優れている。あれこれと生き物が侵入してこないので、ベッドには天蓋も必要ない。ところが「これはよかった」と喜んだのもつかの間のことだった。気密性の高さが災いして、ベッドには大量にダニがわいていたのである。それに気づいたときには、すでに遅かった。初めの晩から、あっという間に全身数十カ所もダニにくわれてしまっていた。

痛いのもつらいが、かゆいのもまたつらいものだ。私はあっさりと降参し、マットレスを引きずり出して部屋の外に干した。そこに、わざわざポンディチェリの街まで行って探してきた殺虫剤を、「これでもか!」と入念に吹き付ける。

「そんなの体に良くないよ」
まわりで見ていた住人たちは、そうやって心配気に忠告してくれる。そりゃ私だって、肌に触れる寝具にそんなものは使いたくはない。だけど仕方がない。何といわれようと、私は肌の弱さでは定評のある日本人なのだ。ダニにくわれまくっては、かゆくて寝ていられないのである。

そんな説明を続けながら、満遍なく殺虫剤を吹き付け終わった。そこでふと顔を上げると、他の部屋の前にもマットレスが並んでいるではないか。そして次から次へと私のもとにやってきて、「殺虫剤を貸してくれ」とせがむのだ。そうやって、結局全員がマットレスをしっかり殺虫した。

「背に腹は代えられない」というが、やはり「背と腹(のかゆみに)は代えられない」のは、世界共通だったのだ。(つづく)

*応援クリックよろしくお願いいたします!
にほんブログ村 小説ブログ 実験小説へ
にほんブログ村

長編小説ランキング
    このエントリーをはてなブックマークに追加
このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ