小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:海外移住

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小説『ザ・民間療法』挿し絵006-1
はるばるカルカッタから3日もかけて、オーロビルにたどりついたものの、私には現地に知り合いがいるわけではない。とりあえずすぐにでも泊まれそうな場所を探す。そこで最初に案内されたのは、フランス人が設計したゲストハウスだった。

南フランスを思わせる瀟洒なデザインの部屋には、真ん中に天蓋付きのベッドが据えられていた。まるでおとぎ話にでも出てきそうな甘い雰囲気だ。ところが現実は甘くない。おとぎの国になどいざなってはくれない。なんといってもここは南フランスではない。暑い盛りの南インドなのである。

ベッドにレースのカーテンが下がっているのだって、優雅に見えてもダテじゃない。寝る前には、必ずそのカーテンをマットレスの下にたくし込んでおく必要があった。さもなくば、寝ている間に、ヘビやサソリがベッドのなかにまで入り込んでくるのである。

なるほど建物をよく見ると、おしゃれな見かけとは裏腹に、あちこちがすき間だらけだ。これは決して南インド仕様にはなっていない。そのすき間から侵入するのは、ヘビやサソリだけではなかった。夜になれば、天井付近を羽のある虫ばかりか、コウモリまでがワサワサと飛び交い、梁の上では、ネコかと思うほどのドでかいネズミが走り回る。そして壁にはトカゲが張り付いている。彼らはみな、室内を這い回る巨大なゴキブリを狙っているのだった。

当然のことながら、オーロビルの暮らしは室内だけが問題ではなかった。草むらを歩いていれば、私の横をコブラが音もなく追い越していく。家に入ろうとしてドアノブに手をかけると、手首の上にドサッとヘビが落ちてきたりもする。あるときなど、勢い余ってそのままヘビごと部屋のなかに入ってしまったので、地元の人を呼んでつかまえてもらった。

「こいつは大丈夫。あとで遠くに捨てて来てあげる」
彼はそういって私を安心させようとしてくれた。だがこれだけヘビがいるところで、遠くに捨ててこなければいけないようなヘビは、どう考えても「大丈夫」ではない。

この地では、部屋のなかで切れたコードを見つけたら、それは必ず動き出すのである。私はオーロビルには1年ほどしかいなかったが、その滞在中に見かけたヘビは、優に20種類は超えていただろう。そいつらのどれが毒ヘビなのかも見分けがつかない。「顔に毒を吹き付けるヤツがいるから気をつけろ」といわれたこともあったが、そんな近くでの対面は避けたい。

しかしそれだけヘビがウジャウジャいる分、そのヘビを食べるクジャクやマングースも、たくさん住んでいたからにぎやかだった。来たときにはひ弱な都会モノに過ぎなかった私も、次第にこの豊かすぎるほど豊かな自然に慣れていった。そして少しずつ自然との間合いも取れるようになり、月明かりを頼りに、裸足で散歩したりできるようにもなった。そういうときには犬を連れていく。犬は危険を察知すると、吠えて教えてくれるので安心なのだった。

私だけでなく、オーロビルではみな靴など履かない。私が暮らしたコミュニティでは、食事のときは屋外の大テーブルに集まる。フランス、イタリア、ドイツ、ポーランド、スイス、スペイン、日本。国籍は違うが、英語を介して毎日時間を忘れて話し込んだ。

しかしどんなに熱中して話しているときでも、みな足は椅子の上に乗せ、決して床には下ろさない。テーブルの下には、常にヘビやサソリがウロウロしているからだった。この習慣になじみすぎた私は、日本に戻ってしばらくたっても、なかなか足を下ろせなかった。あのころの私の行儀が悪かったのは、そんなわけだったのだ。(つづく)

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小説『ザ・民間療法』挿し絵005-2-2
インドに到着した私は、しばらく仏跡を散策して過ごしていた。日本から同行したグループが、いよいよサイババの元へ出発する段になって、そこで彼らとは別れた。

「あなたにはサイババのところよりも、オーロビルのほうが向いている」
顔見知りになったインド人から、そうアドバイスされたからだった。

私はささいなことでは悩んだりもするが、逆に重要なことだと、後先考えずに行動に移すタイプである。この性質は、海外旅行では役に立つことが多い。それを体験的に知っていた。このときも、調べもしないでオーロビル行きを決めた。

だが同じインド国内とはいえ、オーロビルは遠いのだ。まずはカルカッタから飛行機でマドラスまで飛ぶ。今度はバスに乗り込んでポンディチェリまで行く。そこから先は、オートリキシャに揺られていけば、オーロビルに着く。

こう書いていくと、だれでもかんたんに着けると思うだろう。ところが私が教えられたオーロビルへの行き方は、「着いた先々で、地元の人に教えてもらいなさい」という至極かんたんなものだった。

「そりゃそうだよな」と思う人もいるだろう。だがこれがインドではなかなか難しい。インドなら、どこでも英語が通じると思ったら大まちがいだ。地元の言葉にしても、隣の村ですら話が通じないこともあるという。

さらに地元の人に聞くといっても、インド人は日本人とちがって「すこぶる親切」なのである。道を聞かれて、「知らない」などとは絶対に答えない。異国の人が道に迷っているのだから、何としても答えてあげようと考えるらしい。

だから、とにかく思いつくままの方向を指差してくれる。彼が、道を知っていようがいまいが関係ないのである。そうなると、あとは彼の勘を信じるか、自分の勘を信じるかだけである。

日本で暮らしていると勘など必要ないが、海外に出るとめっぽう野性の勘が鋭くなる。突然命の危険にさらされるような場面が続けば、自ずとそうなるものなのだろう。そうやって勘だけを道連れに、何とかオーロビルまでたどり着いたら、移動だけで丸々3日が過ぎていた。

オーロビルといえば、それなりの街を思い描いていたが、着いてみたらそこは広い森だった。その森の中心に、巨大な瞑想施設がある。そこを取り巻くようにして、小さなコミュニティが点在しているのだ。各コミュニティは10人程度で構成され、コミュニティごとに、自給自足の質素な生活から、プールつきの豪邸暮らしまで、それぞれが思い思いに暮らしていた。

元々このオーロビルは、インド人思想家のオーロビンド・ゴーシュとフランス人女性「マザー」らが開いたアシュラムだった。アシュラムとは、共同生活をしながら修行するところである。1960年代の終わりごろからヒッピー全盛の時代には世界中から人が集まって暮らしていたらしい。

しかし私が着いたころには、中心となる指導者はいなかった。外国人が集まって永住しているだけで、その多くはヨーロッパ各国から来た人たちだった。そこには国境も何もない。お互いを束縛する空気もない。ただ、むせ返るように濃密な花の香りに包まれて、ゆっくりと時間が過ぎていく場所だったのだ。(つづく)

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