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私の整体は出張専門なので、いろいろなお宅に出かけていく。
一人暮らしの小さなアパートから高級住宅街の豪邸、企業の会議室や高級ホテルにいたるまで、行き先はさまざまだった。
友人の近野さんのおかげで(せいで)、私の患者には医師をふくめた医療関係者が多くなっていた。先日も近野さんの紹介で、高橋さんというお医者さんのお宅にうかがった。
高橋さんは東京都内で大学病院の消化器科に勤務しているそうだ。たとえ相手が医師だろうが、さしあたって他の人に施術するときとのちがいはない。
ところがいつも通りの施術で軽くおなかに手が触れたとき、手のひらに何か異質な感触のものが当たったのである。それは腸のあたりだった。
「これは何だろう」
口には出さないが、気になって丹念にその部分を指先でなぞって調べていると、高橋さん本人も「わかりますか」と聞いてくる。
実は彼も、前からその部分の異常な感触が気になっていた。自分の専門領域なので、職場で一通り検査してみたが、それが何であるかははっきりとはわからなかったのだという。
「何でしょうね?」と聞かれたが、専門の医師が調べてわからないものが、ついこのあいだ整体で開業したばかりの私にわかるわけがない。そもそも民間療法では、何かの症状に対して病名を診断する行為すら、法律上は許されていないのだ。
だがこの体験が、私にとって大きなターニングポイントとなった。
今までは特殊美術で使っていた技を使って、骨についての異常ならかんたんに見つけられるようになっていた。しかし骨と内臓はちがう。内臓となると体の外から見ても、手でさわってみても何がどうなっているのかよくわからない。
昔見た時代劇で、女優さんが「おなかの子が!」といいながら胃の位置に手を当てていた。それぐらい、一般的には内臓の異常どころか、それぞれの位置すらわからないものなのだ。
ところが特殊美術の技術を使えば、手で触れることで内臓の形だけでなく、質感のちがいも識別できることがわかってきた。しかもこの技術は大して特別なものでもないようだ。
洋服の表面をサラッとなでて、その生地が綿か絹か化繊かを当てるぐらいはだれでもできる。別に指でさわらなくたって、着た瞬間の肌触りでも、それぐらいのちがいはすぐわかる。
このセンサーを人の体に応用すると、内臓の形や質感のちがいだって判断できるようになる。しかも何か異常のある内臓は、しこり状態になっていたり、逆に弾力が部分的に失われていたりして、健康な状態とは明らかにちがっている。まるで「私はここにいますよ」と訴えているようなのだ。
こういうことがわかり始めると、私のなかで人の体に対する関心が、いわゆる健康のカテゴリーからははずれてきた。そしてだんだんと美術のモチーフになっていった。
ひょっとして医学というのはアートの延長なのだろうか。いや、むしろアートそのものなのかもしれない。そんなことを考えるようにもなっていた。この先には何があるのか。そう思うと、とてつもなくエキサイティングなのだった。(つづく)