
*小説『ザ・民間療法』全目次を見る
昨日から今いち体調が優れない。今朝も頭がボーッとして寝起きが悪かった。そういえばインドに来てからどれだけ痩せただろう。ヨーロッパから来た人たちはそんなことはないのに、私だけがどんどん痩せていく。たぶん食べてないからだろう。連日の猛暑のせいで食べる気力すら失っている。慢性的な夏バテのようだ。
少し休もうと思ってベッドに近づく。すると意識が遠のいていく。卒倒するとはこんな状態なのだろうか。もう立っていられなくなった。体は棒のようにまっすぐのまま、容赦なくバタッと倒れこんだ。
倒れただけならまだよかった。倒れる方向が悪かったのだ。ベッドに向かっていればよかったのに、私の体はコンクリートの壁に向いていたのである。最初に頭が壁にゴンとぶつかった。そのまま額で壁をこすりながらズルズルと落下していく。遠のく意識のなかで、これは大変なことになったなと思っていた。
それから4、5時間もたっただろうか。意識が戻った。戻ったといっても回復したわけではない。あまりの激痛のために、意識が揺さぶられて覚醒したのである。
両肩がとんでもなく痛い。なぜそんなところが痛いのだろう。激しくかけめぐる痛みのなかで記憶をたどる。倒れたときに打ったのは、頭だけだったことは覚えている。それがなぜ両肩なのだ。首の骨でも折れたのか。しかし痛いのだから脊損ではない。指は動く。だが痛くて腕は上がらない。力石徹と戦い抜いた「あしたのジョー」のようである。
とにかくだれかに知らせなければならない。やっとのことで部屋から這い出して、またユルグに助けを求める。彼は驚いて「どうしたんだ!」といいながらかけ寄ってくる。別に同居しているわけでもないのに、こうやっていつもユルグに見つけてもらえるのは幸運だ。痛いながらも、必死にいきさつを説明する。彼の話では、私の額からはけっこうな量の血が出ているらしい。
とりあえずベッドに寝かせてもらう。しかしベッドに横たわるだけの、そのちょっとした動作がきつい。向こうずねを麻酔もなしでメスでえぐり取られたときも痛かったが、今回の痛みもそれに匹敵する。こうやって痛みの歴史だけが増えていく。
私が倒れたのを聞いて、オーロビルの治療家たちがどんどん集まってきた。それぞれがマッサージや整体的なことを試みようとする。なかにはカウンセリングのテクニックで、私の悩みを聞き出そうとする人までいた。だが目下の私の最大の悩みは両肩の激痛なのだから、そっとしておいてほしい。話をするだけでも痛みが増して脂汗がにじむ。そうこうしているうちに、マルコがどこからかトラックを借りてきた。
オーロビルではだれも自家用車など持っていないから、借りるにしてもトラックしかなかったのだろう。そのトラックの荷台にマットを敷いて私を寝かせる。そのままポンディチェリの病院まで運んでくれるのだという。
「トラックの荷台から見るインドの空は広い」
広いのは事実だが、そんな呑気な気分ではない。なんといってもポンディチェリへの道は強烈なデコボコなのだ。病院に着くまでの間、私の体はトラックの荷台に「これでもか!」というほどしこたま叩きつけられた。元気なときでもこれは痛い。拷問そのものだ。気絶できたらどれだけ楽だろうかと思う時間が続く。
死なない程度に意識を保ってなんとか病院までたどりつくと、レントゲンと血液検査が待っていた。とても最新式とはいえないレントゲンの機械だったが、体を押し当てるとひんやりとして気持ちがよかった。
両肩を写すと幸い骨折はしていないようだ。しかし血液検査では明らかな異常が出ている。完全な栄養失調で飢餓に近い状態だった。この結果を見た医者はきびしい表情で、「断食修行でもしているのか。危険だからすぐにやめなさい」と叱られた。
点滴と同時に、パックリ割れた額の治療をしてもらいながら、ベッドで安静にしていると、鎮痛剤のおかげで少し痛みがやわらいでくる。点滴が終わるまでしばらく休んだあと、またマルコの運転するトラックでオーロビルに帰る。今度は助手席に座らせてもらったが、それでも揺れるたびに両肩に響く。その痛みを味わいながら、痛みにはいろんな種類があることを実感していた。
オーロビルに戻ると、またみんなが集まってくる。異国の地で、これだけの人が心配してくれるなんて、やはりありがたいことである。その日はベッドのなかで、「これからどうしようか」とボンヤリ考えていた。
そのときフッと、以前オーロビルに立ち寄ったフランス人のことを思い出した。彼は18歳で家を出て以来、ひたすら海外を旅行し続けていた。そうやってトラベラーのままで、30年間いちども祖国には戻っていないといっていた。すごいとは思ったが、きっとそんな暮らしは私にはできない。したいとも思わない。かといって、このままオーロビルに滞在を続けても、もう体力がもたないことは目に見えていた。医者には叱られたが、私は決して断食修行をしているわけではない。自然とこうなってしまったのである。
インドの地で客死してもいい。日本を出るときはそんな覚悟もしていた。しかしあのお釈迦様だって、過酷な修業で命の灯が消えかけた瞬間、これでは何のために生を受けたのかわからない。ここで死んでしまっては何にもならないと悟られたのだ。レベルはかなりちがうが、私もお釈迦様の気持ちに少し近づいた気がした。このまま死んではいけないのである。
「そうだ。日本に帰ろう!」
(つづく)
「そうだ。日本に帰ろう!」
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