小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:生理痛

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小説『ザ・民間療法』挿し絵068
また近野さんから電話がきた。
彼女の紹介で私が施術した森本さんから、施術の経緯を聞いたそうだ。森本さんはその後もずっと調子がいいらしい。それ以前は職場でも半病人のようだったから、施術後の変化にみんなが驚いているのだという。

それを聞いて私もホッとした。紹介者である近野さんの顔も立てられたから、さらに安心である。その気持ちのすきを見計らったように、すかさず彼女が「それはそうと…」と切り出した。何かイヤな予感がして、つい私も身構える。

「実はもうひとり、診てもらいたい友だちがいるの」

この声のトーンからすると、よほど頼みづらい人なのだろう。

「彼女は歯科衛生士なんだけど、最近、子宮頸がんだと診断されて、来月手術するんだって。それまでは自宅で療養中だから、その間に体を整えてあげてほしいのよ」とつづけた。

しかし「がん」と聞いた途端、私の口からは「ムリムリムリ!」という断りの言葉があふれ出た。それなのに近野さんは、私のいうことなど全く耳に入らないようだ。

「彼女、今すごく不安がっているから、ちょっと診てくれるだけでいいの」

この「ちょっと」に力を入れて一方的にまくしたててくる。

そもそも強気で早口で善意の女性の話には、だれも口を挟むすきなどない。しかも彼女には日ごろお世話になっているから、頼みをむげに断るわけにもいかない。「ぜったいに断らせるものか」という圧力に負けた私は、「まずは一度会って、体を見るだけ」といって引き受けてしまった。

紹介された川上京子さんは31歳で、郊外の住宅地に建てたばかりの家にご主人と二人で住んでいる。その若さで一軒家を新築するなんて、一間のアパート暮らしの私とはえらいちがいではないか。

お宅に着くと、今風のおしゃれな外観で、ガレージにはこれまたおしゃれな外車が停めてある。呼び鈴を押すと、音までなんだかオシャレ気である。

その軽やかな音につづいて玄関ドアから顔をのぞかせたのは、細くてか弱い、どこか影の薄い感じがする女性だった。つい「美人薄命」という言葉が浮かんで、あわててあいさつの声でかき消した。

京子さんの案内で部屋に入ると、どこもピチッと片づいている。家によっては、文字通り足の踏み場もないほど散らかった部屋に通されることもあるので、これなら楽だ。

早速お話をうかがうと、しばらく前から体調がすぐれなくて、生理のときには毎回激しい痛みがつづいていたようだ。最近では体力が落ちて、入浴中に寝入ってしまうほどだったので、検査を受けてみたのだという。

そこで子宮頸がんだと診断され、来月の手術までの1か月ほどは、仕事を休んで休養している。ここまでは紹介者の近野さんから聞いていた通りである。

しかし京子さんは、自分のがんのレベルについてはあまりくわしく聞いていないようだった。だがどちらにしても、がんに対して私が何かできるわけではない。

肺がんが見つかった途端、あっという間に亡くなった芳子さんのときだって、がんを悪化させてしまうのではないかと思うと、怖くて手が出せなかったのだ。

その話をすると、京子さんはその外見からは意外なほど元気な声で、「大丈夫よ~、私、駅前のマッサージ屋さんで、いつもグイグイもまれてるけど平気だもの」といって私の不安を一蹴する。

イヤイヤ…。これまではそれでよくても、この状態で何か起きたら私には責任が取れない。そう思うとやっぱり手を出したくない。ところが彼女は、森本さんの生理痛がよくなった話を近野さんから聞いて、内心、私の施術に期待しているようである。

期待があるとなると、なおさらコワイ。しかしここまで来た以上、近野さんの手前もあるから、何もしないで帰るわけにもいかない。そこでとりあえず、体を「ちょっと」診せてもらうことにした。

まずはうつ伏せに寝てもらう。するといきなり、彼女の左腰の部分が盛り上がっているのが目に飛び込んできた。それは森本さんにもあった、肺がんで亡くなった芳子さんにもあった、例のあのしこりなのだった。(つづく)


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小説『ザ・民間療法』挿し絵067
海外ではどうだか知らないが、日本には西洋医学と東洋医学という分け方がある。だから日本のお医者さんは、自分は西洋医学だと思っているはずだ。これが民間療法となると、なぜだかみんな東洋医学にくくられる。
他にも、科学的かどうかで分けられることがある。西洋医学は現代医学とも呼ばれ、現代医学は病院で行われる治療の総称なので、その全てが科学的なものだと考えられている。

一方、東洋医学となると、決して科学的とはいえないものも多い。もちろん現代医学だって、時代が下れば非科学的だったとわかることが山ほどあるから、この分け方にも過信は禁物だろう。

では私のやっていることは何だろう。医者ではない人間がやることだから、東洋医学だと思われている。だが実際のところ、「東洋医学です」と胸を張っていえるほどのものでもない。

自分の患者さんだった芳子さんが、突然肺がんで亡くなってからというもの、どうにも自信がもてなくなった。そして「もうこんな仕事なんか、スッパリやめちまおう」とまで思い詰めていたのである。

ところが森本さんの体に起きたふしぎな現象に出会ってからは、私のなかで何かが大きく変わった。興味の対象も全くちがうものになった。前は、体の悪いところをどうにかして治してやろうと、そればかり考えていたけれど、今はこの現象のことしか眼中にない。

気になって、他の人たちも左の腰の上が盛り上がっていないかをたしかめた。すると森本さんのような人は大勢いたのである。しかし肺がんだった芳子さんほど、極端に盛り上がっている人はいなかった。逆に右側が盛り上がっている人も、全く見当たらない。やっぱりこれは、左の腰の上だけに現れるものなのだ。

ではなぜ、左腰の部分だけが盛り上がるのか。
どうしてその部分は右よりも感覚がにぶいのか。
そこを刺激すると、ナゼいきなり激痛になってしまうのか。
そのとき体がやわらかくなるのはどうしてだろう。
一度変化しても、なぜまたすぐ元にもどってしまうのか。
そして、本当にあの刺激をやったから、森本さんの体調がよくなったのか。

次々と浮かぶ疑問で頭のなかがいっぱいだ。どうしてもこの現象のしくみが知りたい。もちろん科学的に説明のつく形で解き明かしたい。この現象は、病気が発生するしくみに、深く関係している気がしてならないのだ。

あの刺激で体が急に変わったのだから、この現象にはそれを解除するスイッチがあるのかもしれない。それがあの左腰の盛り上がった部分に仕込まれているのだろうか。それさえ押せば、たちどころに病気が消えてしまう。そんなリセットボタンみたいなものがあるんじゃないか。

いろいろな考えが、目の前でパッと光っては消えていく。どこかに答えを知っている人はいないのか。医学書になら書いてあるだろうか。やっぱりこのしくみを解き明かすには、まずは人体そのもののしくみを、深く理解しておくべきなのかもしれない。

そうはいっても40過ぎの私が、今の状況で医学部に入り直すわけにもいかない。残る道は独学しかないだろう。思い立ったら即行動だ。いちばん大きな本屋で医学書のコーナーに行き、片っ端から専門書を買い漁る。

一冊一冊がバカ高くてひるんだが、こればっかりは仕方ない。初歩レベルなら少々古くても問題なさそうなので、古書店にも通った。そうやって医学の本なら何でも手当たり次第に読んでいく。

ところがそもそも美大しか出ていない私には、医学の専門書などむずかしすぎた。要領の良さには定評のある私でも、さすがに今回の相手は手ごわい。一度や二度読んだぐらいでは、書いてあることの半分も理解できなくて途方に暮れる。

それでも読むしかない。何度も何度もくり返し読む。寝ても覚めても読む。仕事の合間だって食事中だって読む。しまいには解剖図を箸でめくろうとしている自分に気がついて、本にも食べ物にも失礼だから、食事中だけは読むのをやめた。

大学受験のときだって、こんなに勉強したことはない。それだけ読みつづけているうちに、やっとおぼろげながら人体のしくみがわかるようになってきた。

しかしどれほど医学書をひっくり返してみても、左の腰のところにだけ現れる、あの異常なしこりについて書かれたものはなかった。これはどういうことなのだ。ひょっとすると、この現象はまだだれにも知られていないのだろうか。(つづく)


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小説『ザ・民間療法』挿し絵066

あれから2週間がたった。
あんなに楽しみにしていたのに、森本さんのアパートに向かう道すがら、つい心配性の私が顔をのぞかせていた。ひょっとしてあのときの刺激が元で、彼女は体調を崩しているのではないか。何か悪い影響が出ているのではないか。そんな不安が心のなかで渦巻いていた。

しかしアパートの呼び鈴を押すと、ドアを開けた森本さんが明るい表情なのを見てホッとする。それどころか彼女は待ちかねたように、「あれからずっと体調がよくて~」と勢いよく話し出したのだ。

「あのあとすぐ生理がきたの。いつもはとんでもない激痛なのに、今回はぜんぜん痛くなくてね。パッと来てパッと終わったのよ~。もうこんなこと初めて!ふしぎ~っ」と息もつかずに、あの施術の効果を興奮気味に報告してくれた。

よかった。私だって良い結果になりそうな予感はしていた。でも、本人から話を聞くまでは、自信めいた気持ちと不安な気持ちが、心のなかで行ったり来たりしていたのである。

「よし、それなら」と、早速前回のつづきに取りかかる。布団の上にうつ伏せになってもらうと、彼女の左腰の上にある例のしこりが、また盛り上がっている。その部分をねらって前のように攻めてみた。

やはり前回同様、しこりは私の指を強くはじき返してくる。この硬いゴムのような感触は、やはり右側とは全くちがうものなのだ。それをたしかめながら、あらゆる角度からしこりを目がけて刺激をつづける。

すると少しずつ変化し始めた。刺激が痛みになってきていることが、私の指先に伝わってくる。同時に森本さんからも、「イタイ~ッ」と喜びの声が上がる。さてここからが肝心だ。前回は、あっという間に元にもどってしまった。だから今回は、間をおかずに刺激しつづける。

そうしているうちに、あれだけ痛がっていた森本さんが、なんとスースーと寝息を立て始めた。もちろん痛みで失神したわけではない。私も少し疲れたので、刺激を一休みして彼女にはそのまま寝てもらった。

15分ほどして自然に目を覚ました彼女は、自分がすっかり寝入ってしまったことに驚いている。「たった15分でも、長時間眠ったあとみたい」といって、久しぶりに深く眠れたのがうれしそうだ。そして「あれだけ痛かったのに、なんで眠くなっちゃうんだろう」と、またふしぎがっている。

スッキリしたところで刺激を再開する。2週間前のときと同じように、背中のしこり部分だけでなく、どこを刺激しても痛く感じるようになってきた。そこで今度は仰向けになってもらって、おなかにも刺激を加えてみる。

おなかへの刺激も痛みとして反応が出た。するとパーンと張っていた体が、どんどんやわらかくなっていく。いわゆる女性らしい筋肉の感触になってきた。本人の話でも、以前はもっとやわらかい体だったのに、気づいたときには硬くなっていたようだ。

そうこうするうちに、今日もあっという間に1時間を超えていた。迷いなく進められたので、これで刺激としては十分だろう。つづきはまた次回にしよう。

森本さんは相変わらず「ふしぎ~」を連発している。たしかにそれ以外に表現しようがない。彼女は私の施術を受けてからというもの、自分の体に起きたこのふしぎな現象を、職場の医師たちにも話してみたらしい。しかしどう説明してみても、だれにもわかってもらえなかったといって悔しがっている。

さすがにこれは、自分で体験してみなければ理解できないだろう。たとえば、悪霊がついたら体が硬くなって、悪霊を払ってもらった途端、体がやわらかくなった。そんな話を聞いて、そのまま理解してくれる人はいないはずだ。

悪霊つきの話でなくても、聞いたことも見たこともないふしぎな現象の話など、医師がまともに取り合うはずがない。だがこの現象は、病気が発生するしくみに深く関わっている。そんな確信めいた考えが、私のなかに芽生え始めていた。(つづく)


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小説『ザ・民間療法』挿し絵063

芳子さんが肺がんで亡くなってからというもの、私は何をするにも力が入らなくなっていた。施術には出かけるが、消化試合をこなしているような感覚に陥っていた。

そして来る日も来る日も頭に浮かぶのは、「芳子さんはなぜあんなに早く亡くなってしまったのか」とそればかりだった。

いくら肺がんとはいえ、入院するまでは健康な人と何も変わりがなかったのだ。それがたった1か月で亡くなるなんて、どうにも納得がいかない。抗がん剤治療が始まった途端、みるみる状態が悪化していって、モルヒネを使うほどの激痛までが芳子さんを襲っていた。

がんの最後が激痛だという話はよく聞くから、みな、がんにだけはなりたくないと思っている。ところが芳子さんに痛みが出たのは、入院して治療が始まってからのことだったのだ。

あの激しい痛みは、ほんとうにがんのせいなのか。タイミングから見れば、抗がん剤のせいではないのか。ひょっとして、あのとき病院で検査など受けていなければ、今ごろまだ生きていたのではないか。そんな思いに取りつかれていた。

それにしても、1か月で亡くなってしまうほど末期の肺がんに、私はなぜ気づいてあげられなかったのだろう。私のやってきたことは何だったのか。答えの出ない疑問ばかりが、頭のなかでグルグルと回りつづける。

明かりもなく、どこにつづくのかもわからないトンネルのなかを、トボトボと歩いているようだった。これはある種の停滞期なのか、ここからひたすら落ちていくのか。何もわからず、ただ疲れ切っていた。

そんなとき、しばらくぶりに近野さんから電話があった。私に患者さんをたくさん紹介してくれる、あの看護師の近野さんだ。今回も、ぜひ診てもらいたい同僚がいるのだという。

近野さんと同じ看護師の森本さんは、まだ28歳なのにいつも体調がすぐれないらしい。生理が来るたびに、毎回それはもう激しい痛みで苦しんでいる。そんなとき近野さんから私の話を聞いて、診てもらいたくなったようだ。

私の施術は、腰やひざの痛みの原因になっている背骨のズレをもどす作業がメインである。だが背骨がズレていると、生理痛がひどくなることも多いようだ。確かに、背骨の矯正をしたら生理痛がなくなった人はいる。だからといって、ズレさえもどせば必ず良くなるのかというと、その保証はない。

あまり気乗りはしないものの、近野さんの紹介では断れない。「過度に効果を期待しないように」とお伝えした上で、試しに一度森本さんの様子を見せてもらうことにした。

施術の予約の日、森本さんのアパートをたずねると、小柄の快活そうな女性が出迎えてくれた。体調が悪いと不愛想な人が多いので、これだけでも少しホッとする。

うちより広くてスッキリと整えられた、アパートの奥の部屋に通される。本棚には、私にもなじみの解剖学や看護学の本が並んでいて、これまた親近感が増す。もうすでに布団が敷いてあって、施術を受ける態勢が整っているのもありがたい。

初めに体の状態や病歴の有無などを聞いてから、まずはうつ伏せに寝てもらう。すると彼女の背中に目が止まった。声には出さないが、「オヤッ」と思うほど、背骨の左側にある筋肉が、腰の上のあたりで大きく盛り上がっているのである。

あの芳子さんの背中にも、これと同じ盛り上がりがあった。それも同じ左側だ。芳子さんの場合は、森本さんよりも数段盛り上がりが大きくて、こぶのようになっていた。だから、これは何だろうと思いながら、いつも施術していたのである。

本人にとっては、このこぶは痛くも何ともない。生活に何の支障もないから、芳子さんも森本さんも、そこが盛り上がっていることすら気づいていなかった。

その盛り上がりの部分に軽く触れてみると、右側に比べてやけに硬い。右とでは全く感触がちがって、押すと私の指を跳ね返すような硬さをしている。これも芳子さんのときと全く同じだ。

筋肉というのは、力を入れれば硬くなるが、力を抜いたらソフトになるのがふつうである。力を抜いても硬いままなのは、きっと体にとっては異常なことだろう。そこで、その筋肉をほぐすように軽く刺激を加えてみた。

しかしビクともしない。これも芳子さんといっしょだ。それなら、何としてもこの硬さを取ってあげたい。私は指を当てる角度を変えながら、刺激をくり返した。

もちろん、強い力で刺激するのは危険なので、チョンチョンと指を当てていくだけである。そんなことを10分ほどもつづけただろうか。突然、森本さんが「イタイ、イタイ、イタイ~ッ」と叫び始めた。

夢中で刺激をつづけていた私は、その声におどろいて体に電気が走った。そして全身から一気に血の気が引いた。あわてて手を引っ込めたが、私は何も痛がられるようなことはしていないはずだ。彼女の体に、一体何が起きたのだろう。(つづく)


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*小説『ザ・民間療法』全目次を見る 小説『ザ・民間療法』挿し絵044
私にとって仕事の予約の電話は生命線である。できるだけ受け損ねないように、寝るときだっていつも手が届くところに電話を置いている。その日も夜中にグッスリと眠り込んでいるときに、突然、枕元の電話が鳴り響いた。

深夜にかかってくる電話は、体の不調を訴える患者さんからのものが多い。ときには、「今、どこそこが痛いので、タクシーで来てほしい」といわれることもある。

そういう場合、症状が出た経緯をくわしく聞いて、緊急度を判断しなければならない。モノによっては救急病院の受診を促す必要もある。判断をまちがうと危険なので、緊張で眠気など吹っ飛んでしまう。

だが今回の電話はちがった。
「陣痛が始まったから、すぐにタクシーで〇△病院まで来て!」というのだ。

以前からの患者さんである樹森さんは、臨月なのでそろそろだとは聞いていた。しかしこれから生まれてくるのは私の子供ではない。ダンナもちゃんといる。今も立ち会っているようだ。そこへわざわざ他人の私が呼ばれたのは、初めての陣痛のあまりの激しさに耐えかねて、私にどうにかしてほしいからだった。

聖書によれば、陣痛は神から女性に課せられた苦しみなのだという。そんな原罪を私の手技でどうにもできるものではないだろう。そうは思ったが、それでも急いで身支度してタクシーで病院に向かった。

いつもは混み合っている都内の道路も、深夜だと空いていたおかげで、日ごろの半分ほどの時間で到着した。そのまま病室に入ると、樹森さんはダンナに手を握られながら、ウンウンうなって痛みに耐えている。腰が砕けるような痛みだと表現されることもあるから、本当につらそうだ。

打ち身などであれば、痛みは時間とともに徐々に引いていくものである。それが陣痛となると、周期的に激しい痛みが襲ってくる。しかもその間隔が、時間とともにどんどん短くなるのだからたまらない。

なんとかしてくれといわれても、さてどうしたものだろう。
女性の痛みといえば、激しい生理痛のときには、腰の骨がズレていることがある。そのズレをもどすと痛みが止まることも多い。それなら陣痛も似たようなものだろうか。

やるだけやってみよう。そう考えて腰のあたりを調べてみると、確かに背骨がズレていた。そこで恐る恐る背骨を正しい位置にもどしてみると、痛みがやわらいだ。

「お、これはすごい!」
だがそう思ったのも束の間で、またすぐに痛みが襲ってきた。「アレ?」と思って確認すると、また腰の骨がズレているではないか!そこで再度、ズレをもどす。するとまた痛みがやわらぐのである。そばで見ていたダンナも、「ふしぎなもんだナ~」と感心している。

こうなったら仕方がない。痛みが来る。ズレをもどす。痛みがくる。ズレをもどす。これを延々とくりかえした。

出産というのは、陣痛の周期がどんどん短くなって、子宮口がある程度まで開かなければいけない。樹森さんの周期にはまだ余裕がある。子宮口の開き方も足りないらしい。試練はそれから5時間以上もつづいて、私には永遠にも思えるほどだった。

初めての出産といえば、友人の今日子ちゃんの話を思い出す。
彼女は10代のころは地元では有名なヤンキーだったが、今では天使のような介護士さんとして知られている。

ところが初めての出産の際、分娩室に移ってからもあまりに激しい痛みが長引くのでこらえきれなくなった。そしてついお腹の子に向かって、「テメーこのヤローッ さっさと出てきやがれーッ!」とドスの効いた声で叫んでしまったのである。

その怒声のあまりの迫力に、院内のスタッフたちの彼女を見る目が変わった。そして出産後はやたらと丁寧な敬語に切り替わったままで、その状態は退院までつづいたのだった。それも今では笑い話だが、出産は外聞など気にしていられないほどたいへんだということなのだ。

しかしそばに付き添って、頻繁にズレる骨を一晩中もどしつづけるのだって、体力的にはきつかった。明け方になってやっと樹森さんが分娩室に運ばれたときには、私もへたり込むほど疲れ果てていた。

その後、無事に元気な女の子が生まれて安心したが、冷静になって考えてみれば、出産に男二人が立ち会っている光景は、かなり妙だったのではなかろうか。院内ではどのようにうわさされていたことだろう。それを考えると、ちょっと笑えてくるのだった(つづく)


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