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施術の仕事を始めてからというもの、他人の人生の最期に立ち会う機会が多くなった。その度に胸が引き裂かれる思いにおそわれて、「もうこんな仕事なんかやめてしまいたい」と何度思ったか知れない。

先日も、友人の近野さんのお母さんが、まだ50代の若さで亡くなってしまった。彼女は肝硬変が進んで腹水が溜まるようになっていたので、私がいつも背中やおなかをゆっくりとさすってあげていた。

そうやって20~30分ほどもさすりつづけていると、次第におなかの張りが引いてくる。しまいには、何もなかったみたいにおなかがペコンとへこんでしまうのだ。

あれだけの量の水がいったいどこへ消えてしまうのか、ふしぎなほどだった。それでも、本人はおなかに不快感がなくなって、体調もグッとよくなる。とたんに食欲もわいてくる。すると「焼き肉でも食べに行くか!」と元気な声を出す。彼女のそんな明るさが私は大好きだった。

ところがある日、同居している近野さんが仕事からもどると、家の中がシンと静まり返っている。いつもなら、家のどこかから「お帰り~っ」と元気な声が飛んでくるのに、どうもおかしい。

寝ているのかなと思って寝室をのぞいても、そこにはいない。台所にもいない。トイレにもいない。外出用の靴は玄関にあるから、家の中にいるはずだ。最後に「もしや」と思ってお風呂をのぞくと、お母さんが浴槽に浸かったままの姿で亡くなっていた。

肝硬変が進むと、なかにはこうやって突然に亡くなる人もいるらしい。近野さんは看護師だから、一般の人よりは慣れているかもしれないが、実の母親のこんな姿を目にするのは、あまりにもショックが大きかった。

しかも病院以外の場所で亡くなってしまうと、それが自宅であっても不審死扱いになる。形式上は仕方のないこととはいえ、警察に調べられることになる。まして近野さんは母一人子一人だ。たった一人の肉親を失って悲しみにくれているときに、警察という他人がズカズカと家に入り込むのも、非常に残酷だ。

私が子供のころまでは、自宅で大勢の家族に見守られながら人生を終えるのが一般的だった。当時なら、それで警察が取り調べに来ることなどあり得なかった。しかし今や、病院で死ぬのが当たり前の時代である。いきなり自宅で死ぬと、ひどくややこしい話になってしまうのだ。

だが、家で死ぬのがたいへんなのは、急な場合だけではない。家で介護を受けて看取ってもらおうとすると、別の意味でたいへんだ。自宅での介護となると、毎日の下の世話は24時間体制なので、一般家庭では手が足りない。介護の世界では、「ホトケの顔も半年まで」という説があるぐらいだから、がんばってもせいぜい半年が限界なのだろう。

末期のがんで寝たきりだった田口さんも、自宅で介護を受けていた。もう体が動かないので、家事も介護も夫の母親に任せるしかなかったのだ。

しかしこの義母さんは、嫁である田口さんの世話をあからさまに迷惑がっていた。あれではさぞかし肩身がせまかったことだろう。それはがんの苦しみ以上につらかったのではないか。田口さんの口からは何も聞くことはなかったが、彼女の心情を思うと、今でも胸が痛む。

どこでも嫁姑の関係は一筋縄ではいかないものだ。ニコニコ笑い合って暮らしているようでも、お互いの間にはうっすらと緊張感がある。それでも、嫁が姑を介護するのは世の習いのようになっている。

ところがこの立場が逆転して、姑が嫁を介護するとなると、たとえそれまで問題などなかったとしても、かなりシビアな状態に陥ってしまう。家庭での介護は肉体的にハードな分、精神的にも余裕がなくなってしまうのだ。

死にいたる病であれば、体のつらさも尋常ではない。そのうえ、こうした精神的な苦しみまで乗り越えなければ、人というのは死ねないものなのか。肉体は苦しくとも、せめて心ぐらいは安らかにと思うと、いささか不条理な気もしてくる。

不条理といえば、世の中はなぜか良い人から先に逝くものらしい。神様は良い人がお好きなので、早めに自分のそばへ呼び戻そうと思うからだとも聞いた。それならば、うちの母などはまだまだ相当に長生きできそうだ。(つづく)