小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:肺がん

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072
どうにか他の患者さんの予約をやりくりして、最初の施術の3日後には京子さんの家に向かった。

たとえ無料奉仕だとしても、がんという病気の程度から見れば、最優先になって当然だろう。何よりも、最初の施術が終わってからというもの、彼女の体調が気になって仕方がなかったのだ。

はやる気持ちで、いつもより早足になったせいか息が切れる。家に着いて、やっとのことで息を整えながら呼び鈴を押すと、前回同様、やせ細った京子さんが顔を出す。

私だって、まだまだインド帰りの栄養失調状態から抜け出せていないから、他人の体型をどうこういえる立場ではない。しかしやせているとはいえ、今日の京子さんは前回とは印象がちがう。私の欲目かもしれないが、心なしか元気そうである。

本人の話では、この前の施術の翌日に39度もの熱が出たようだ。大人になってからはそんなに高熱が出たことはないらしい。ところがそれだけの熱も、次の朝にはスッと下がって、今日はいつもよりも気分がいいのだという。

そういえば森本さんも、最初に刺激した翌日には熱が出たといっていた。次の日にはすぐ下がったし、本人は体調がよいので気にもしていなかったのを思い出した。

二人ともかぜを引いたわけでもなく、ただ高熱が出ただけだった点が共通している。そうすると、私が刺激したことで熱が出たのだろうか。もしそうだとしても、結果的には大きな問題ではなさそうだ。

しかし世の中には熱に非常に弱い人がいる。私の母などはその典型で、たかだか37度でも大騒ぎして病院にかけこむ。病院に行く元気があれば寝ていたらいいのにと思うが、そんなことをいったら不機嫌になるから、家族はだれも立ち入らない。

一方、医学部教授を父にもつ友人は、子供のころから「かぜぐらいで病院に行くな。病院は重病の人が行くところだ」といい聞かされて育った。だから40度の熱が出たときも、「寝てれば治る」といって自力で治していた。

私もインドで、意識を失うほどの高熱に見舞われたことがある。それでもいつしか自然に治っていた。そもそも人間には、自然治癒力が備わっているから、たとえ病院でどんな治療を施そうと、最終的には本人の治る力で治っているのである。

逆に病気が治らない状態というのは、自然治癒力に何か問題が発生しているのだ。がんだって同じだろう。がんができても、自然治癒力が正常に働いていれば大きくならない。がんが大きくなってしまうのは、体のなかで何かがネックになっているからだ。

だから、そのネックになっているものを取り除くことができれば、自然治癒力が復活してがんを治してくれるはずだろう。

現実はそう単純ではないかもしれない。しかし森本さんや京子さんに熱が出たのは、本来の自然治癒力が復活した兆しではないのか。もしそうだとしたら、あの盛り上がった左の起立筋は、自然治癒力のレベルの指標になるのかもしれない。

それなら、盛り上がった左の起立筋が平らになって、パーンと張ってこわばっていた体がやわらかくなったら、がんも消えてしまうのだろうか。

そんなことが実現可能かどうかは私にもわからない。もちろん手術前の京子さんに伝えて、いたずらに期待させるつもりもない。だがこれで目標がはっきりと定まったことが、今の私にとっては重要だ。

そして高まる意欲とともに、京子さんのがんとのセカンドバトルが始まった。(つづく)


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071
まずは紹介者の近野さんとの約束通り、子宮頸がんの京子さんの家でお話をうかがった。がんの手術を前にして、彼女が不安に思っていることにも答えられたし、しっかりと体のチェックもした。これで約束は果たせたはずだ。

ところがそれで「はい、サヨウナラ」というわけにもいかないのが人情だ。私の性格をよく知っている近野さんには、それがわかっていたのだろう。

かといって、当たり障りのない施術でお茶を濁すようなこともしたくない。それは命にかかわる病気の人に対して、失礼な気がしていた。

京子さんのがんのレベルはわからないが、彼女に残された時間は少ないかもしれない。元気だと思っていた芳子さんだって、肺がんだと診断されてから1か月で逝った。そんな貴重な時間に、赤の他人の私がかかわっていいのか。これはけっこう重大な問題だ。

しかし、京子さんと同じように生理痛で苦しんでいた、森本さんのことが頭をよぎる。彼女への施術が成功したのだから、ひょっとしたら体の特徴が似ている京子さんにも有効かもしれない。そんな思いが私を引き止めていた。

それさえなければ、いくら頼まれても施術は断っていたと思う。命がかかっている人に、安易に期待させてはいけない。それでも、もしかしたら助けになるかもしれない。この相反する二つの思いが私を悩ませた。

そこで考えに考えた末、脳性麻痺の健太くんのときと同じように、無料奉仕という形にして、手術までの1か月の間、私の空いたときに施術させていただくことにした。

「無料で施術したい」というと、京子さんはそれでは申し訳ないといってくださった。しかし有料で施術して効果がなかったとしたら、私が後悔するのは目に見えている。だからこれは私のわがままなのである。

世の中には、がんと聞くと健康食品などを売り込みに来る人もいる。だが私には、保証もないのに人の弱みにつけこむようなことはできない。命にかかわる病気の人から、それを担保にお金などもらえるわけがない。

京子さんには、これからやる刺激の方法や、それに対する体の反応について、あらかじめ説明しておいた。その内容に納得していただいてから、うつ伏せに寝てもらう。

森本さんのときと同じように、盛り上がっている左の起立筋から刺激してみる。しかしビクともしない。左の起立筋だけではない。京子さんはこんなに薄っぺらい体なのに、「どうして?」と思うほど、体中の筋肉が硬くこわばっているのだ。

これでは、全身の筋肉に力が入りっぱなしの状態と同じである。筋肉が昼夜休む間もなく働いていれば、疲れが取れるはずもない。やっぱり単なる生理痛の森本さんよりも、数段手ごわそうだ。

それでも用心して刺激を加えてみる。盛り上がっている左起立筋を目がけて、あらゆる方向から攻め立てる。うつ伏せだと表情が見えにくいので、気分が悪くなっていないか、不快感はないかを、本人に確認しながら進めていく。

そうやってしばらく刺激をつづけていると、指先に当たる感触が急に変化した。これだ。その瞬間、京子さんは身をよじって、「イタ、イタ、イタタタ~ッ」と声を上げた。

前もって説明していた通りの反応なので、痛みが出ても本人には不安がない。なおも攻撃の手をゆるめることなく、起立筋だけでなく背中全体を刺激していく。

刺激といっても、ピアノの鍵盤をたたくほど強い力ではない。ピアノみたいに真上から指をたたきつけるようなこともしない。あくまでも指の力を逃がしていくので、どちらかというとギターの弦をはじくのに似ているかもしれない。

そうやって、あちこちから刺激しては「イタッ」、刺激しては「イタタッ」をくり返していると、京子さんはスーッと寝息を立て始めた。これも森本さんのときと同じ経過である。

この時点で私も手を休め、彼女にはそのまま眠ってもらう。しばらくすると、パカッと目覚めた京子さんは、スッキリとした面持ちで、「ワタシ、寝ちゃった~」といったあと、「ふしぎね~、あんなに痛かったのに眠くなっちゃうなんて~」とつづけた。これまた森本さんと全く同じ感想だ。

このとき京子さんは本当に深く寝入っていたようで、何だか気分がよさそうだ。私としても安心した。それでも今日は初めての刺激なので、深追いはやめておこう。このつづきはまた後日やることにして、これで帰らせていただいたく。

今日はうまくいった。何から何まで森本さんのときと同じ流れだったから、当初の不安も少し薄らいだ。果たして、これで効果が出てくれるだろうか。(つづく)


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070
子宮頸がんで来月手術することになっている京子さんは、左腰の上の部分が大きく盛り上がっていた。だが初対面の段階で、私にはもう一つ気になるところがあった。

鼻筋の真ん中あたりから、左に向かって鼻がクキッと折れ曲がっているのである。どうして彼女は、こんなに鼻が曲がっているのだろう。男性なら、ケンカでもして鼻の骨を折られたのかと思うところだ。

しかし初めて会った女性に対して、「どうして鼻が曲がってるの?」などと聞くわけにもいかない。ところが彼女は私の目線を察知して、「この鼻、最近曲がってきたのよ」とこれまた明るく話してくれた。

もちろんケンカで殴られたわけではない。転んでどこかにぶつけたこともないのに、体調が悪化し始めたころから、急に曲がり始めたというのだ。

それを聞いて、私は1枚の写真を思い出した。昔、特殊美術の仕事をしていたころ、私はいろんなテレビ番組で美術を担当していた。その一つに、お笑いタレントといっしょに、元アナウンサーのタレントが司会をしている人気番組があった。

だがあるとき、その元アナウンサー氏ががんであることを公表して、番組を降りてしまったのである。私はその少し前に、たまたま彼と並んで写真を撮っていた。そのときも彼はいかにも体調が悪そうだったが、まさかがんだとは思いもしなかった。

しかししばらくしてからその写真をながめていると、彼の鼻が少し左に曲がっているのに気がついた。そんなことはすっかり忘れていたが、京子さんの鼻を見て、あの鼻を思い出したのだ。二人とも左に曲がっているのは、単なる偶然の一致なのだろうか。

がんというのは、人の命を奪うほどおそろしい病気である。そんな重病でも、体の外側からでは全くわからない。病院で特別な検査をしなければ、なかなか発見されないものなのである。

肺がんで亡くなった芳子さんだって、私は毎月のように施術していたから、すっかり体を把握しているつもりだった。それなのに、彼女の体にがんがあるなどとは思いもしなかった。診断から残り1か月の命しかないなんて、あのときだれが想像できただろう。

しかしそれは私が、芳子さんの体を見ているようで全く見えていなかっただけなのだ。見方を変えたら、初めて見えてくることがある。京子さんの体の特徴ががん特有のものだとしたら、ひょっとして体の外側からでもがんの存在を知ることができるのかもしれない。

実は私ががん患者の体を診るのは、芳子さんや京子さんが初めてではなかった。50代の北さんは、私が出会ったときにはすでに乳がんの手術をしたあとだった。その手術の傷が治ったころに紹介されて、定期的に施術するようになっていた。

何度目かの施術の際、彼女が私に、「これってがんの前兆じゃないかしら」と話してくれたことがある。彼女の乳がんが大きくなり始めたころ、急に陰毛に白髪が増えたというのだ。

いわれてみれば、今でも彼女の頭髪は黒々としているから、陰部にだけ白髪が出るのはふしぎである。乳がんは女性ホルモンと関係が深いので、陰毛にも影響するものなのだろうか。

たしかにがんは体にとって一大事である。また、発見されるまでに10年から20年もかかるのだから、その間に何かしら兆候が現れてもおかしくないはずだ。

京子さんの左腰の盛り上がった起立筋や、左に折れ曲がった鼻筋も、私にはがんの兆候の一つではないかと思えてくるのだった。(つづく)


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069
近野さんから、子宮頸がんで手術を1か月後に控えた京子さんを紹介された。もちろんがんが私の手に負えるわけではないから、一旦は施術をお断りした。しかし「せめて一度診るだけ」と懇願されて、仕方なく彼女の家を訪れたのだ。

そこで彼女の背中を見るなり、森本さんや芳子さんと同じように、左腰の上が盛り上がっているのが目に入った。肺がんで亡くなった芳子さんほどひどくはないが、森本さんよりは大きなしこりである。これは京子さんに会う前からうっすらと予想はしていたが、それが的中してしまった。

森本さんの左腰のしこりと格闘していたころ、調べてみたら、この部分の筋肉は脊柱起立筋(せきちゅうきりつきん)と呼ぶらしい。

起立筋はその字の通り、脊柱(背骨)を立たせておくための筋肉で、背骨に沿って左右に分かれてついている。だがそんな役割の筋肉が、なぜ左側だけこわばってしまうのだろうか。

左といえば、昔からマイナスのイメージがあるようで、どこか不気味な感じもする。実際、彼女たちの背中で異様に盛り上がっている左の起立筋を見ると、コイツが何か悪さをしているのではないかと思えてくる。

ここが盛り上がっていると体調が悪い。盛り上がりがなくなると調子がよい。それなら、これは一種の体調のバロメーターになるかもしれない。では起立筋が全く左右対称なら、その人は健康体だといえるのだろうか。

ふと興味がわいたので、京子さんの左の起立筋に触れてみた。すると森本さんと同じで、私の指をはじき返すような感触である。

一瞬、森本さんのときのように、ちょっと刺激を加えてみたい衝動に駆られた。だが相手は手術を控えたがん患者なのを思い出して、その気持ちをグッと抑える。

背中の確認が終わったところで、今度は仰向けになってもらう。おなかに目をやると、やけに張っているのが気になる。京子さんはこんなにやせているのに、このおなかの張り方はいかにも不自然だ。

おなかというのは、たとえ太ってぜい肉がついていても、仰向けになったら重力である程度はへこむものである。それなのに彼女のおなかは張ったままだ。しかもみぞおちのあたりから、急カーブを描いて大きく盛り上がっているから、まるで妊婦さんみたいなのだ。

まさかとは思ったが、女性を施術する前には妊娠の確認は必須である。一応、「妊娠はしてないよね」とたしかめると、「まさか!そんなことあるはずないわ~」とあっけらかんと笑っている。

そこで軽くおなかに触れてみると、皮膚の下に妙なザラつきがあった。これはいったい何だろう。おなか全体に、小粒の硬いイクラを敷きつめたようになっているのだ。

しかもそのザラつきは、子宮頸がんがあると思われる下腹部を中心として、同心円状に広がっている。さらにそのイクラのようなツブツブは、中心部に行くにしたがって密度が高くなっている。まるでおなかのなかに、何か別の邪悪な生き物が巣食っているような印象だ。

まちがいない。彼女のおなかのなかでは、今とんでもなく異常なことが起きているのだ。指先から伝わってくる感触に、私は急に寒気がしてきて手を離した。(つづく)



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小説『ザ・民間療法』挿し絵067
海外ではどうだか知らないが、日本には西洋医学と東洋医学という分け方がある。だから日本のお医者さんは、自分は西洋医学だと思っているはずだ。これが民間療法となると、なぜだかみんな東洋医学にくくられる。
他にも、科学的かどうかで分けられることがある。西洋医学は現代医学とも呼ばれ、現代医学は病院で行われる治療の総称なので、その全てが科学的なものだと考えられている。

一方、東洋医学となると、決して科学的とはいえないものも多い。もちろん現代医学だって、時代が下れば非科学的だったとわかることが山ほどあるから、この分け方にも過信は禁物だろう。

では私のやっていることは何だろう。医者ではない人間がやることだから、東洋医学だと思われている。だが実際のところ、「東洋医学です」と胸を張っていえるほどのものでもない。

自分の患者さんだった芳子さんが、突然肺がんで亡くなってからというもの、どうにも自信がもてなくなった。そして「もうこんな仕事なんか、スッパリやめちまおう」とまで思い詰めていたのである。

ところが森本さんの体に起きたふしぎな現象に出会ってからは、私のなかで何かが大きく変わった。興味の対象も全くちがうものになった。前は、体の悪いところをどうにかして治してやろうと、そればかり考えていたけれど、今はこの現象のことしか眼中にない。

気になって、他の人たちも左の腰の上が盛り上がっていないかをたしかめた。すると森本さんのような人は大勢いたのである。しかし肺がんだった芳子さんほど、極端に盛り上がっている人はいなかった。逆に右側が盛り上がっている人も、全く見当たらない。やっぱりこれは、左の腰の上だけに現れるものなのだ。

ではなぜ、左腰の部分だけが盛り上がるのか。
どうしてその部分は右よりも感覚がにぶいのか。
そこを刺激すると、ナゼいきなり激痛になってしまうのか。
そのとき体がやわらかくなるのはどうしてだろう。
一度変化しても、なぜまたすぐ元にもどってしまうのか。
そして、本当にあの刺激をやったから、森本さんの体調がよくなったのか。

次々と浮かぶ疑問で頭のなかがいっぱいだ。どうしてもこの現象のしくみが知りたい。もちろん科学的に説明のつく形で解き明かしたい。この現象は、病気が発生するしくみに、深く関係している気がしてならないのだ。

あの刺激で体が急に変わったのだから、この現象にはそれを解除するスイッチがあるのかもしれない。それがあの左腰の盛り上がった部分に仕込まれているのだろうか。それさえ押せば、たちどころに病気が消えてしまう。そんなリセットボタンみたいなものがあるんじゃないか。

いろいろな考えが、目の前でパッと光っては消えていく。どこかに答えを知っている人はいないのか。医学書になら書いてあるだろうか。やっぱりこのしくみを解き明かすには、まずは人体そのもののしくみを、深く理解しておくべきなのかもしれない。

そうはいっても40過ぎの私が、今の状況で医学部に入り直すわけにもいかない。残る道は独学しかないだろう。思い立ったら即行動だ。いちばん大きな本屋で医学書のコーナーに行き、片っ端から専門書を買い漁る。

一冊一冊がバカ高くてひるんだが、こればっかりは仕方ない。初歩レベルなら少々古くても問題なさそうなので、古書店にも通った。そうやって医学の本なら何でも手当たり次第に読んでいく。

ところがそもそも美大しか出ていない私には、医学の専門書などむずかしすぎた。要領の良さには定評のある私でも、さすがに今回の相手は手ごわい。一度や二度読んだぐらいでは、書いてあることの半分も理解できなくて途方に暮れる。

それでも読むしかない。何度も何度もくり返し読む。寝ても覚めても読む。仕事の合間だって食事中だって読む。しまいには解剖図を箸でめくろうとしている自分に気がついて、本にも食べ物にも失礼だから、食事中だけは読むのをやめた。

大学受験のときだって、こんなに勉強したことはない。それだけ読みつづけているうちに、やっとおぼろげながら人体のしくみがわかるようになってきた。

しかしどれほど医学書をひっくり返してみても、左の腰のところにだけ現れる、あの異常なしこりについて書かれたものはなかった。これはどういうことなのだ。ひょっとすると、この現象はまだだれにも知られていないのだろうか。(つづく)


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