小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:胃がん

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「ヨ~ォ、久しぶり~ッ」

いつものように勢いのある声で、寺山さんから電話がかかってきた。彼はこのところ、フジロックという大きな野外音楽イベントにかかわっていたから、かなり忙しそうだった。

「イヤ~、例のフェスで死人が出るかと思ったヨ」と、一方的に話がつづく。イベントの当日、ひどい悪天候に見舞われて大変だった話は、ニュースにもなっていたから私も知っていた。

その騒動の後始末が終わったのだろう。やっと一息つけるようになったから、「酒でも」というお誘いの電話なのである。

私はあまり酒好きではない。それを知っていながら私に電話をしてきたのは、最近、彼のまわりの飲み友だちが立てつづけに亡くなって、いよいよ誘う相手がいなくなったからだ。

寺山さんと飲みに行くと、オールナイトになる可能性が高い。明日も朝から施術の予約が入っている私としては、さすがに飲みに行くには気乗りがしない。そこで話題を変えて、「体の調子はどう?」と聞いてみた。

「あぁイイよ。そういや、近ごろちょっとゲップがつづくけどヨ~」と軽くいった。「(ゲップ以外は何もないから)元気だ」といいたいのだ。

たしかにゲップなら特別な病気の症状でもない。食べ過ぎ程度のことだろうから、いつもの私なら、「フーン」と軽く聞き流すところである。しかしどうしたことか、今日は何か引っかかるものがあった。

そこで、「今、時間ある?ちょっとカラダを診てみよッか」といってみた。もちろん彼はヒマだから電話してきたので、「あ、行くよ」というと電話を切った。

寺山さんの経営する音楽事務所から、私の治療院までは歩いて5分とかからない。渋谷の駅をはさんで、あっちとこっちの位置のご近所さんなのである。

お茶の準備をして待っていると、彼が酒のニオイを漂わせながらやってきた。ふだんなら、まずは椅子に座ってもらって話を聞くのだが、彼にはそのまま治療台に横になってもらう。

思い返してみると、寺山さんの体はこれまでほとんど診たことがなかった。彼は「先の健康よりも今を楽しく」がモットーの人だ。体に不調があれば、きっと二日酔いのせいだと思い、酒を飲めばその不調のことすら忘れてしまう。そんな徹底した生き方なのである。

改めて寺山さんの体に目をやると、おなかが妙に張っている。決して中年太りの腹の出方ではない。イヤな形だ。その張ったおなかの頂点にそっと手を当ててみると、私は「アッ」と声が出そうになった。

私の手のひらには、もっともイヤな感触が伝わってくる。がんがあるときの、あの特徴的なザラつきだ。

「がんはどこだ」

できるだけ表情を変えずに、指先でおなかのあたりを探っていくと、胃に大きな硬いかたまりがあった。これだ。まちがいなく胃がんだ。これは胃のなかにある食べ物ではない。がんによって、胃そのものが変化している感触なのである。

「これじゃ、完全にアウトじゃないか!」

声に出すわけでもないのに、私は心のなかでも小声で叫んでいた。目の前が暗くなってくる。私は動揺していた。

寺山さんはいたって気楽な性格だが、勘だけは妙にするどい。私が「体を診たい」といった時点で、すでに何かいつもとちがうと察していたようだ。

それでも「どうだ~ァ?」と明るく聞いてくれたので、正直に「ちょっとマズそうだから、近いうちに必ず胃の検査を受けて」とだけ伝えた。

ところが、1週間たっても何の連絡もない。私としてはかなり強めにすすめたつもりだったのに、どうしたんだろう。そう思っていたら、近所の道端でバッタリ会った。

すかさず「検査はッ?」とたずねると、「ア~、来週あたりに行こうと思ってるんだ~」なんていっている。私の焦りとは裏腹に、相変わらずのんきな寺山さんである。

それから2週間ほどたったころ、やっと彼から連絡がきた。検査の結果では、やはりがんが胃をふさぐほど大きくなっていた。ゲップがつづいていたのも、がんが胃全体に広がっているせいで、いつも食べ過ぎのような状態になっていたからだった。

彼はすぐに入院した。しかし積極的に治療できる段階はとっくに過ぎていたので、結局、自宅で療養することになった。それでも急激に悪化することもなく、しばらくは仕事もつづけていたのである。

ところがある日、家族といっしょに家で食事をしていたとき、餃子を誤嚥(ごえん)して肺炎を起こしてしまった。そしてあっという間に亡くなった。死因は誤嚥性肺炎である。彼は常々「オレはがんなんかでは絶対に死なん!」といっていただけに、さすが有言実行の人だった。

彼の葬式には、平日にもかかわらず大勢の人が集まった。長く伸びた参列者の列は、最寄りの駅までつづくかと思われるほどである。知った顔もちらほら見えるなか、会場に着くと静かにビートルズの「イエローサブマリン」が流れていた。

「これってなんだか、いかにも寺山さんらしいナ。ここに彼がいたら、なんていうだろうか」

そう思った瞬間、胸のなかを痛みが貫いて、私はうめいた。そうだ。寺山さんはもういないんだ。彼には永遠に会えなくなってしまったんだ。このときになって初めて、私はその現実を強く実感したのだった。(つづく)

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この仕事を始めて、早くも3度目の冬を迎えようとしていた。北国生まれの私にはちょっぴり心ときめく季節の到来だ。しかしこのヒンヤリとした安アパートでは、ワビしさが漂い始める時季でもある。

少しふとんでも買い足そうか。そんなことを考えていると、手元にあった電話が鳴った。例の寺山さんからである。また患者さんの紹介かナと思ったら、忘年会のお誘いだった。

忘年会といっても、ただの飲み会とはわけがちがう。彼の音楽事務所が主催する忘年会は、かれこれ10年以上もつづいた大パーティーなのである。参加するのは音楽関係者だけではない。テレビ局や芸能プロダクション、モデル事務所に広告代理店など、いわゆる業界の人たちだ。私もテレビ番組の美術制作を担当していたころから、毎年呼んでもらっていた。

この会は年々ハデになって、今年は日比谷にある記者クラブを借り切って盛大にやるらしい。大勢の人が集まる場所は苦手だけど、業界を離れた私にはなつかしい顔ぶれがそろう日である。お世話になった方たちに挨拶できるチャンスでもあるので、毎年参加している。

彼からの電話のおかげで、わびしさも一気に吹き飛んだ。そうなると、ふとんよりもまずは忘年会に着ていく服を考えなくちゃ。ちょうどこの週末に、信濃町の明治公園でフリーマーケットがある。あそこなら何か調達できるだろうから、のぞいてみよう。

何を隠そう私はフリマが大好きだ。世の中には「古着は着ない」という人もいるらしいが、私なんかほぼ「古着しか着ない」。古着が安いからなのはもちろんのこと、値段を交渉していると、インドでの日々を思い出してこれまた楽しい。

忘年会当日。仕事を終えた私はいったん家にもどって、フリマで買ったばかりの真っ赤な革パンツに着替えた。古着とはいえ、私にとってはおニューの晴れ着なのだから、たいそう気分が良い。足取りも軽く会場へと向かう。着飾った人でごった返した受付を通り抜けると、入口の近くには、すでに酔いが回って赤い顔をした寺山さんが立っていた。

私を見るなり、「ヨウ、来たか~」といってクシャッと笑う。彼の隣には、同じ事務所の山中さんもいた。「久しぶり~」と声をかけてみたが、ちょっと元気がないみたいだ。例によって飲み過ぎだろうか。

寺山さんに目をやると、「コイツ飲みすぎてサ、この前、胃潰瘍で手術したばっかなんで今日は飲めねえんだとヨ」と説明してくれた。胃潰瘍なんか、酒飲みの勲章だとでもいいたげな口ぶりだ。それを聞いて、山中さんも照れくさそうにしている。

そこまでいうと寺山さんは、参加者たちがかたまって談笑している渦へと消えていった。今日はホスト役なので、じっくり腰を据えて話している場合ではないのだろう。

残された山中さんが、私に何かいおうとした。その声をさえぎるようにして、「がんでしょ」と、思わぬ言葉が私の口から飛び出した。いった私自身があわてている。しかし山中さんは怒るでもなく、ただ寂しそうな目を私に向けると、コクッとうなずいた。その瞬間、私の耳からは忘年会の喧騒がかき消えた。

彼は、自分ががんだなんてだれにもいえないまま、胃潰瘍で通していたのだ。だが、今どき胃潰瘍で手術することなどまずありえない。彼の表情を見れば、残された時間が少ないのがわかる。なぐさめたくても、こんな状況を埋めてくれる言葉など、私の語彙にはなかった。

絞り出すようにして、「私に何かできることがあったら」といいかけると、彼は「もう、いいんだ」といって口を閉じた。彼の目のなかには、迷いの色は見えない。すでにすっかり諦めているのだ。

山中さんはまだ40過ぎたばかりである。その彼が、これほどの覚悟を決めるまでには、どれほど涙を流したことだろう。それを思うとたまらなくなって、私はとっさに彼の肩を抱き寄せた。

本来、私はハグが大変苦手である。人からハグされる機会は何度もあったが、どちらかといえば拒絶反応に近い感覚をもっている。ところがこのときばかりは、言葉にならない感情に押し流されて、もうどうにもならなかった。

山中さんも私に体を預けたまま、二人で立ち尽くしていた。私の手には、彼の細くなった体から命の火が消えかかっているのが伝わってくる。その感触が、彼のなかの孤独な絶望感を際立たせていた。

「がんはすでに治る病気になった」。医師たちは口を揃えてそういっているじゃないか。それなのに山中さんは、もう手の届かない所に逝こうとしている。

山中さんだけではない。私のまわりのがん患者たちは、病院での治療でさんざん苦しんだ揚げ句、その多くはボロきれみたいになって敗れ去っていった。私にはどうしても、彼らの姿と山中さんが重なってしまう。

ここで涙など見せてはいけない。彼にも失礼だ。奥歯を噛みしめて天井を見上げると、そこにはシャンデリアの灯りが連なって、どこまでもキラキラ、キラキラと流れていくのだった。(つづく)

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