小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:背骨のズレ

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小説『ザ・民間療法』挿し絵100
あれから3日たった。今日はまた瀬尾さんの腕の痛みと格闘する日である。前回の矯正のあと、彼の腕の痛みはかなり軽くなって、残りはあと2割くらいだそうだ。

瀬尾さんが腕の激痛で受診した病院でも、そこから紹介された大学病院でも、その痛みは、第7頚椎(首の1番下の骨)の下にある椎間板が飛び出して、ヘルニアになっているからだと診断されていた。

ところが実際には、4番目にある頚椎のズレを私がもどしたら、彼の症状の8割が取れたのだ。すると、ヘルニアなど関係なかったことになる。

おかげで彼は夜も眠れるようになった。もう4番目はズレていない。ズレていた部分は周囲の組織が赤く腫れ上がっていたが、その腫れも今はない。それでもまだ2割痛みが残っているというから、痛みの原因は頚椎のズレだけではなさそうだ。

そこで改めて、引いた状態で瀬尾さんの背中を眺めてみる。アレ、左の肩甲骨が外側に大きくズレてるじゃないか。左の肩もかなり落ち込んでいる。どうして気がつかなかったんだろう。

骨というのは、定位置にないと何かしら症状を出すものだから、きっとこれが犯人だ。そういえば前にも、これと同じズレ方を見たことがあった。

スタントをしている友人(通称ボス)が映画の撮影中、誤って車ごと崖から落ちそうになった。全くもって一般人にはありえないシチュエーションだが、とっさに彼は車を右腕1本で支えようとして、車もろとも崖下に転落したのである。

幸い命には別状はなかったものの、右肩はとんでもない激痛だ。それでも撮影だけは滞りなくすませ、現場の撤収をスタッフに指示してから、おもむろに病院にかけこんだ。ところが検査では、骨折らしきものが見当たらない。医師からは、「単なる打撲でしょう」といわれて湿布薬だけ渡された。

しかしこれは打撲程度の痛みではない。日ごろからスタントの仕事でケガには慣れっ子の彼も、今度ばかりは耐えがたい痛みだったらしい。急いでかけつけた私が調べてみると、肩の周囲が熱をもって異様なまでに腫れ上がっていた。

肩というのは、腕の骨と肩甲骨と鎖骨とで構成されている。ところがボスは車を支えようとして、落ちていく車に右腕を思いっきり引っ張られた。そのせいで肩を構成する骨が、全部ズルッと定位置から外側にズレてしまったのだ。

これは肩関節の脱臼とは全くちがうので、レントゲン画像で見てもわからない。だが左右の肩の位置を比べてみれば、そのちがいは一目瞭然だ。

こういう状況なら、ふつうの人は脱臼するか鎖骨が折れるものだ。しかしボスの体はふつうではない。その強靭すぎる筋肉で骨を支えたので、脱臼や骨折には至らなかった。だがこれほどの激痛になるくらいなら、いっそのこと脱臼や骨折のほうがましだったかもしれない。

ボスほどではないが、瀬尾さんも左の肩が明らかに定位置からズレている。左腕が強く引っ張られたことがなかったか聞いてみると、彼にはちゃんと思い当たるできごとがあったのだ。

例の大洗の海岸でサーフィンをしているとき、ふとしたはずみでボードが流されそうになった。即座に左手でボードをつかんだ瞬間、次に来た大波で、ボードごと左腕が思いっきり持っていかれたのである。

瀬尾さんもボス同様、ふつうの人より筋肉がしっかりしているので、脱臼も骨折もしなかった。ところがそのとき、肩がズレた。それと同時に首にもかなりの衝撃が伝わって、頚椎がズレてしまったのだろう。

その翌日あたりから腕が痛み出してきたようだが、瀬尾さんとしては腕はぶつけていないので、関係がないと思っていた。まさかサーフィンでのちょっとしたアクシデントが、この激痛の原因だとは思いもよらなかったらしい。

さて、肩も原因だったとわかれば、これも矯正してしまおう。瀬尾さんにはうつ伏せになってもらう。外側に大きくズレている左の肩甲骨に、私の両手の親指を引っかけて、右に向かって押し込むのだ。

イメージとしては、アフリカ大陸をインドに向かって押す感じだろうか。そうやって何度か指を当てる位置を変えながら、定位置に向かって押し込んでいく。「これでほぼ定位置に収まったな」と思った瞬間、彼は「あ、消えた!」と声を上げた。

それまで残っていた痛みが消えたのだ。彼はパドリングの体勢で、左の腕をグルグルと何度も回して、症状が完全に消えたのを確かめている。やはりもう痛くはないようだ。山田先生も、それを見て満足そうである。もちろん私としてもうれしいが、これまでの緊張からの開放感のほうが大きかった。

長くつづいた痛みからやっと開放された彼も、一気にテンションが上がっている。痛くなくなった左腕を高々と挙げたかと思うと、「よし、飲みに行こう!オレ、おごるから!」と叫んだ。私も山田先生も「オーッ」と応じて笑った。とはいえ、3人ともあまり飲めないタチなので、みんなでたらふくごちそうをいただいた。そして「毎日こんなだったら幸せだナ~」と思いながら帰路についたのだった。(つづく)

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*小説『ザ・民間療法』全目次を見る 090
友人の父親の宗介さんは、今年85歳になる。戦争で胸に敵の弾を受けてしまってからは、彼はずっと片肺で暮らしてきた。それでも大して不自由もなく、特別な病気もしてこなかった。

ところが最近、かぜをこじらせてしまった。症状がなかなかよくならないのである。それを心配したご家族は大事をとって、宗介さんに2、3週間ほど入院してもらうことにしたらしい。

私は以前から、施術を通して宗介さんの体のことはよく知っている。骨太でなかなか丈夫そうだから、かぜぐらいで滅多なことはないだろうと思っていた。しかし、その日はたまたま病院の近くまで行ったので、病室に顔を出してみた。

病室をのぞくと、宗介さんは若い看護師さんに囲まれて、かなりご機嫌な様子である。ちょうどいい。起きているのなら、せっかくなのでついでに体の状態を見てみよう。

もちろんここは病院なので、あんまり大っぴらに施術してみせるわけにはいかない。肩をもんでいるふりをして、こっそりと背骨を調べてみた。すると肺のあるあたりで、背骨が大きくズレているではないか。

背骨がズレるのは腰だけではない。首や胸の部分でもズレる。だれでも、関節があるところならどこでもズレるものなのだ。そして定位置からズレたら、ズレたところで何らかの症状を引き起こす。それがズレの特徴だ。

宗介さんのように背中のあたりでズレると、その周囲に症状が出る。さらに、背骨につながっている肋骨の付近でも、痛みが出ることがある。

痛みだけではない。ときには呼吸が苦しくなったり、咳が止まらなくなったりして、ぜんそくみたいな症状になることもある。これは背骨から肋骨までズレることで、呼吸するための肋間筋という筋肉が引きつってしまうからなのだ。

そのため、かぜの症状だと思っていた咳が、実は背骨のズレのせいだったということはよくある。かぜなら1週間もすれば治ってしまうのに、ズレが原因だと、2か月も3か月も咳がつづくことも珍しくはない。

それにしても、背骨がこんなにズレていては、片肺しかない宗介さんはさぞ苦しかったことだろう。すぐズレをもどしてあげなくちゃ。私は背中をなでているふりをして、ゆっくりと背骨のズレをもどした。

するとそれまでは、「ハッハッ、ハッハッ」と短くて浅い呼吸だったのが、大きく息を吸い込んで深い呼吸ができるようになった。おかげで咳き込むこともなくなってきた。そうなると、もうここに入院している必要もないので、予定を繰り上げて1週間で退院できた。

ところがその後も宗介さんは、同じようなことが2度ほどつづいた。そして3度目のとき、入院している最中に脳梗塞を起こしてしまったのである。今は全く意識がないという知らせを聞いて、「あの宗介さんが」と思うと胸が詰まった。しかしそんな状態では、さすがに私も何も手出しできない。

宗介さんは意識がもどらないまま、何度か危篤状態になった。だが戦争をくぐり抜けてきただけあって、ふんばりがちがう。危篤になるたびに峠を越してみせた。

それからしばらくして、ちょうど私が彼の家で宗介さんのご家族に施術していると、病院からまた「そろそろ危ない」という連絡が入った。そこで私もいっしょに病院へと向かった。

ご家族のあとにつづいて病室に入ると、まぶたを閉じたままの宗介さんが呼吸器につながれていた。その機械が立てる規則的な音とともに、胸のあたりがわずかに上下している。

彼のベッドのかたわらには、まだどこか学生っぽさの残る若い医師が立っていた。そしてあわててかけつけた家族に向かって、「今晩が山かも知れません」と神妙な面持ちで告げた。それはどこか、テレビドラマの一場面のようだった。

これから宗介さんが亡くなるまで、つきそって見守ることになる。しかしご家族は、何度も医師から同じセリフを聞かされては、その都度、覚悟してみんなで夜通しつきそってきた。

そして夜が明け、彼が体調を持ち直すのを見届けると、うれしさでホッとしながら、それぞれの家路につく。その繰り返しだったのだ。おかげで家族はみんなすでに疲れ切っていた。どの顔も土気色になっている。いつ倒れてもおかしくない。

「みんな、家に帰りましょう」。私がそういうと、「エッ」と驚いた表情で、一斉に私に目を向けた。「そんな非常識な!」と感じたのかも知れない。彼らの目のなかに戸惑いの色が見える。ところが私には、一つの確信があったのだ。(つづく)


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小説『ザ・民間療法』挿し絵083
がんの話をすると嫌われる。ここのところ、それを実感するようになった。

がんという病気は、病院で発見されるまではほとんど症状がないのに、末期になるといきなり激痛におそわれる人が多い。

「痛みのあまり絶叫して、アゴの骨がはずれた」とか、「痛みのせいで力いっぱいしがみついて、病院のベッドの鉄パイプを曲げてしまった」といった話まである。そういう話ばかり聞かされるから、みんな「がんにだけはなりたくない」、「がんの話なんて聞きたくもない」と思っているのだ。

肺がんが見つかったとたん、あっという間に亡くなった芳子さんも、入院したら急に痛みが出るようになって、モルヒネまで投与されていた。それほどがんで痛みが出ることは珍しくないらしい。

しかし先ほどの下田さんをおそったあの激痛は、がんのせいではなかった。単に背骨がズレたことによって引き起こされた痛みだったのだ。

本人の話では、確かにがんのあるところが痛かったらしい。これは偶然なのか。それとも背骨のズレとがんの場所には、何か関係でもあるのだろうか。

下田さんがあのまま病院に行っていたら、がんによる痛みだと診断されただろう。病院では、背骨がわずかにズレた程度でおなかに痛みが出るなんて、絶対に考えないのである。

思えば、「背骨がズレる」というのは非常におもしろい現象だ。民間療法でしか扱われることがなくても、実際には人の体にいろいろな悪さをしている。私はそういう例をたくさん見てきたのである。

実はその背骨のズレに関して、今回、下田さんの背骨がズレているのを見つけたとき、私のなかで大きな発見があった。

以前、下田さんと同じ大腸がんだった須藤さんが腹痛を起こしたとき、背骨のズレをもどしたら痛みが消えてしまったことがある。そのとき、「背骨って、みんな左にしかズレないんだな~」とボンヤリと考えていた。そして今日の下田さんも、やっぱり背骨は左にズレていたのである。

そこで、かつて私が診てきた人たちひとりひとりを思い出してみた。すると、みんな背骨は左にズレていたのである。私はハッとして、急に目の前が明るくなった。マンガなら、頭の上にパッと電球が灯るところだろう。

だが今回は電球どころじゃない。暗いトンネルから抜け出た瞬間、視界が真っ白になるほどの強い光に目がくらむ。あれに似ている。

もちろん、これからまだまだ大勢の人の体を調べて、例外がないかどうかを確かめてみる必要があるだろう。それでも私の手のなかに残された記憶が、この発見はまちがっていないと教えてくれている。

もし背骨は左にしかズレないものであれば、これまでのズレに対するイメージはガラリと変わってしまう。そもそもなぜ背骨はズレるのか。その原因が全くちがってくるからだ。

今までは、転んだり、どこかにぶつけたりして、体に外から力が加わったことで背骨がズレるのだと思っていた。民間療法家なら、だれもがなんとなくそう思っているだろう。

ところが「背骨は左にしかズレない」となると、外からの力では説明がつかない。外からの作用なら、右にも左にもズレるはずだからだ。それが一方向だけ、しかも左にだけとなると、外からではなく、全くちがう力によって背骨がズレていることになる。

その「全くちがう力」とはいったいなんだろうか。それが特定できれば、これはもう民間療法どころか、医学の領域さえ飛び越えたサイエンスの話になってくる。

「背骨は左にしかズレない」って、もしかしてノーベル賞級の発見かもしれない。そう思ったら、マグマみたいなものがおなかの底からフツフツと湧いてきて、頭のストッパーを吹き飛ばした。そして私の空想は、限りなく宇宙の果てまで広がりつづけていくのだった。(つづく)

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小説『ザ・民間療法』挿し絵082
下田さんがパートナーと暮らしている中目黒のマンションは、幸いにも私のアパートから歩いて行ける距離にあった。彼は平日は仕事に出かけているので、日曜の午前中に行って施術することになっていた。

最初の約束の日、急ぎ足で歩いてみたら20分ほどで着いた。電車だと乗り換えを含めて遠回りになるし、お金もかかる。この距離なら電車で行くよりも早いから助かった。

案内された部屋に入ると、さすがFM局の人だけあって、室内には高そうなオーディオ機材がズラリと並んでいる。私の部屋など、オーディオどころか音の出るものすらない。そもそも物がない。あるのは、知り合いのおばあちゃんからもらった一組のふとんと茶碗ぐらいなものだ。

それはさておき、下田さんに施術するにあたって、私と彼との間で条件を決めておいた。第一に、決して私の施術でがんがよくなるなどと期待しないこと。期待して期待通りの結果にならないと、裏切られたと感じてショックも大きくなる。だから、あえて京子さんや須藤さんの話も一切しなかった。

第二に、施術に対して私は一切お金も物も受け取らない。やるからには最善を尽くすが、何かあっても責任を負えないからである。この条件を告げると、彼は申し訳なさそうな顔をしたが、その表情は相変わらず暗い。これからのことを考えれば、それも仕方のないことだろう。

この2つの条件に納得してもらったところで、最初の施術に入る。ところが実際に彼の体を刺激してみると、おどろくほどかたい。予想していたよりもはるかにかたくて、それはもう亀の甲羅を指でもみほぐしているみたいだった。

これまで施術してきたがん患者だって、みんな女性にしては筋肉がガッチリとかたかった。それですら散々手こずったのに、男性ではレベルが段ちがいだったのだ。

ただし私がやる刺激は、力を入れればいいわけではない。いわゆるマッサージのような力の使い方はしない。その分、何が本人の負担になるのかもわからないので、今日はほんのさわりだけにしておいた。これでは先が思いやられる。

だが「先」といっても、京子さんや須藤さんたちみたいに、「手術まで1か月」といったタイムリミットがあるわけではない。彼の場合は無期限だ。それでもがんが進行している以上、のんびり攻めるわけにもいかないので、毎週日曜になるたびに彼のところに通った。

しかしこれまでの人たちとちがって、施術を2回、3回と重ねても、刺激に対して反応がない。痛みが全く出てくれないのである。これほど反応が出ないのでは、がんを抑え込むことはできない。時間の経過とともにがんが広がるだけだから、さすがに焦る。

果たして彼の体は、今どういう状態なのだろう。次第に私のなかで不安が大きくなってきた。そこで下田さんに、一度病院で検査を受けてもらいたいと頼んだ。そうでなければ、恐ろしくてもう手出しができない。

いろいろと説明して彼も納得してくれたので、前にトラブルのあった病院とは別のところで検査を受けることになった。私としては、このままその病院で治療してもらえるのではないかという期待もあった。

ところがどっこい。期待は裏切られるものである。なんと検査の結果、以前の検査画像よりもがんが少し小さくなっていた。その結果を聞いた下田さんは喜んだ。そして病院での治療ではなく、逆に私の施術への期待が高まってしまったのだ。

しかし私の感触では、彼の体は決してよくなってはいなかった。私の悩みは深まったまま、彼のマンションに通いつづけてもう1か月半が過ぎようとしていた。

その日は9月としては記録的な暑さで、最高気温が37度を超した。炎天下のアスファルトの上はいったい何度になっていただろう。下田さんの部屋に着いたときには、汗が吹き出していた。

タオルで汗を拭き拭き、いつも通りに玄関でブザーを鳴らしてから部屋に入る。すると足元の床に彼が転がっていて、背中を丸めて痛みに耐えているのだ。冷房が効いた部屋のなかで、痛みでうなりつづける彼の額からは脂汗が流れていた。

これまで彼のこんな姿を見たことがない。ぼうぜんと見つめる私に向かって、部屋にいた彼女は、「たまにがんのところがこんなふうに痛くなるんですよね」と淡々と説明してくれた。

今でこそ見慣れているが、彼女も以前は、あまりに彼が痛がるのを見かねて薬局へ駆け込んだこともあったらしい。そこで「がんの痛みに効く痛み止めをくださいッ」と頼んだら、店主は血相を変えて、「そんなモノ置いてるわけないでしょ!」と吐き捨てるようにいったのだという。

だがいくら見慣れているとはいえ、いつもならそろそろ痛みが引くはずなのに、今日は長引いている。さすがにちょっと心配そうだ。

がんの痛みと聞いて、同じ大腸がんの須藤さんが腹痛だったときの様子を思い出した。あのときは単に背骨がズレていただけだった。それなら下田さんの痛みも、ひょっとするとズレのせいかもしれない。

彼のうしろに回って背骨を調べてみると、予想通り、腰のあたりで背骨がズレている。これだ。これだけ大きくズレていれば、おなかに激しい痛みが出てもふしぎではない。すかさずその骨を正しい位置にもどすと、彼のうなり声がピタリと止んだ。

やっぱりそうか。彼の場合も、がんのせいだと思っていた痛みは、背骨のズレによる痛みだったのだ。(つづく)


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私にとって仕事の予約の電話は生命線である。できるだけ受け損ねないように、寝るときだっていつも手が届くところに電話を置いている。その日も夜中にグッスリと眠り込んでいるときに、突然、枕元の電話が鳴り響いた。

深夜にかかってくる電話は、体の不調を訴える患者さんからのものが多い。ときには、「今、どこそこが痛いので、タクシーで来てほしい」といわれることもある。

そういう場合、症状が出た経緯をくわしく聞いて、緊急度を判断しなければならない。モノによっては救急病院の受診を促す必要もある。判断をまちがうと危険なので、緊張で眠気など吹っ飛んでしまう。

だが今回の電話はちがった。
「陣痛が始まったから、すぐにタクシーで〇△病院まで来て!」というのだ。

以前からの患者さんである樹森さんは、臨月なのでそろそろだとは聞いていた。しかしこれから生まれてくるのは私の子供ではない。ダンナもちゃんといる。今も立ち会っているようだ。そこへわざわざ他人の私が呼ばれたのは、初めての陣痛のあまりの激しさに耐えかねて、私にどうにかしてほしいからだった。

聖書によれば、陣痛は神から女性に課せられた苦しみなのだという。そんな原罪を私の手技でどうにもできるものではないだろう。そうは思ったが、それでも急いで身支度してタクシーで病院に向かった。

いつもは混み合っている都内の道路も、深夜だと空いていたおかげで、日ごろの半分ほどの時間で到着した。そのまま病室に入ると、樹森さんはダンナに手を握られながら、ウンウンうなって痛みに耐えている。腰が砕けるような痛みだと表現されることもあるから、本当につらそうだ。

打ち身などであれば、痛みは時間とともに徐々に引いていくものである。それが陣痛となると、周期的に激しい痛みが襲ってくる。しかもその間隔が、時間とともにどんどん短くなるのだからたまらない。

なんとかしてくれといわれても、さてどうしたものだろう。
女性の痛みといえば、激しい生理痛のときには、腰の骨がズレていることがある。そのズレをもどすと痛みが止まることも多い。それなら陣痛も似たようなものだろうか。

やるだけやってみよう。そう考えて腰のあたりを調べてみると、確かに背骨がズレていた。そこで恐る恐る背骨を正しい位置にもどしてみると、痛みがやわらいだ。

「お、これはすごい!」
だがそう思ったのも束の間で、またすぐに痛みが襲ってきた。「アレ?」と思って確認すると、また腰の骨がズレているではないか!そこで再度、ズレをもどす。するとまた痛みがやわらぐのである。そばで見ていたダンナも、「ふしぎなもんだナ~」と感心している。

こうなったら仕方がない。痛みが来る。ズレをもどす。痛みがくる。ズレをもどす。これを延々とくりかえした。

出産というのは、陣痛の周期がどんどん短くなって、子宮口がある程度まで開かなければいけない。樹森さんの周期にはまだ余裕がある。子宮口の開き方も足りないらしい。試練はそれから5時間以上もつづいて、私には永遠にも思えるほどだった。

初めての出産といえば、友人の今日子ちゃんの話を思い出す。
彼女は10代のころは地元では有名なヤンキーだったが、今では天使のような介護士さんとして知られている。

ところが初めての出産の際、分娩室に移ってからもあまりに激しい痛みが長引くのでこらえきれなくなった。そしてついお腹の子に向かって、「テメーこのヤローッ さっさと出てきやがれーッ!」とドスの効いた声で叫んでしまったのである。

その怒声のあまりの迫力に、院内のスタッフたちの彼女を見る目が変わった。そして出産後はやたらと丁寧な敬語に切り替わったままで、その状態は退院までつづいたのだった。それも今では笑い話だが、出産は外聞など気にしていられないほどたいへんだということなのだ。

しかしそばに付き添って、頻繁にズレる骨を一晩中もどしつづけるのだって、体力的にはきつかった。明け方になってやっと樹森さんが分娩室に運ばれたときには、私もへたり込むほど疲れ果てていた。

その後、無事に元気な女の子が生まれて安心したが、冷静になって考えてみれば、出産に男二人が立ち会っている光景は、かなり妙だったのではなかろうか。院内ではどのようにうわさされていたことだろう。それを考えると、ちょっと笑えてくるのだった(つづく)


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