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健太くんの家に通い始めて、半年が過ぎようとしていた。言葉と知能はかなり前進したようだったけれど、歩行機能については全く進歩が見られない。脳性麻痺なのだから、歩けないのは当たり前かもしれない。それでも私の心のどこかには、奇跡のようなものを望む気持ちが隠れていた。
そんなある日、健太くんのお母さんから電話があった。いつもとちがって声がふるえている。健太くんに何かあったのか、と私が身がまえて電話に耳を押しつけると、お母さんは押し殺した声で、「センセイ、健太の脚が動いたんです」と告げた。一瞬、意味を理解するのに時間がかかった。そうか。あれほど待ち望んでいた奇跡が起きたのか。
その日はいつものように歩行器に座っている健太くんを、お父さんがビデオカメラで撮影していた。すると目の前の健太くんが、足先で地面を蹴ったのだ。その瞬間を、ビデオカメラがしっかりと捉えていた。
お父さんは見まちがいかと思って何度も録画を見た。お母さんと二人で何度見ても、健太くんの足は地面を蹴っている。医師からは一生ムリだといわれていたのに、新しい神経回路ができたのだ。
神経は一度損傷してしまうと元にはもどらない。しかし新しい回路ができることで、失われた運動機能が回復することがある。特に成長期の子供なら、その可能性が高いことは医学的にも知られている。だから、5歳にもならない健太くんにそれが起きてもふしぎではない。だがこれが奇跡であろうがなかろうが、両親は大喜びである。
私もビデオの映像を見せてもらうと、たしかに健太くんは足先で地面を蹴っていた。その力のおかげで、それまでは座っているだけだった歩行器が、わずかに前進していた。ここまでくれば、あとは訓練して神経回路を太くすればいいだけだ。私もうれしくて、トレーニングにも気合が入った。
ところが私の意気込みとは裏腹に、それから1か月、2か月、3か月が過ぎても、進歩がない。まちがいなくつま先は動くのに、ほとんど気まぐれ状態で、しかもその力はあまりにも弱々しいものだった。しかしこれは根気しかないだろう。がんばろう。
私がそう思って通っている間にも、健太くんの両親には別の悩みがあった。健太くんを病院に連れていくと、いくら言葉や脳の発育、足先の運動機能の変化を伝えても、医師は全く意に介さないのである。そしてひたすら「もうそろそろ脚の靭帯を切断しないと」とか、「あまり成長してからでは手術も大変になる」などといって、手術を強く迫るのだ。
これは判断がとてもむずかしい問題である。つま先が動くようになったことに希望があるとはいえ、相変わらず両脚は強く交差してしまう。成長とともに脚を交差する力もどんどん強くなるから、下の世話などの介助の負担は少しずつ増していく。
以前紹介された脳性麻痺のミヨコちゃんは、もう靭帯を切断して脚がブランブラン状態だった。それでも体が大きくなっていたので、介助する家族の負担は幼児の比ではなかった。
私が妙な希望をもたせたせいで、健太くんのご両親は正常な判断ができなくなっているのだろうか。所詮、私は赤の他人である。決して健太くんの家族ではない。健太くんの人生を背負う覚悟もない。そんな私がのめりこんだ分、家族の苦しみを大きくしていたのだろうか。私は少し健太くんたちに近づきすぎたのかもしれない。それに気づいたので、彼らとは少し距離を置くことにした。(つづく)
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