小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:腎臓病

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近藤くんに連れられて行った凸凹会で、「の」の字による腎臓病の治療法はマスターした。

ここでは毎回ちがう病気をテーマにしているそうだから、腎臓病が「の」の字なら、流れとしては前回が心臓病か肝臓病あたりで、「へ」の字だったのだろうか。すると次回は「も」の字で、最後に「じ」の字で完成するのかもしれない。まわりはみな真剣なのに、一人でそんなふざけたことを考えていた。

それはそうと腰が痛い。「の」の字をマスターしたところでちょうど休憩時間になったので、近藤くんがこの会の責任者の一人に、私の腰を治してくれるように頼んでくれた。すると彼は、「腰痛はあんまり得意じゃないんだけどナ」とつぶやきながら、私の腰をポンポンと手刀で叩き始めた。

私としては、他の流派ではどのように腰痛を治療するのか興味があったのに、これはごくありふれた方法だったので拍子抜けした。

腰痛のとき、手の表や裏や横(手刀)を使って同じリズムで患部を打ち続けていると、そのうち痛みが引いていくことがある。痛みがある場所に対して同じ刺激をひたすらくり返していると、痛みの神経がにぶくなっていくからだ。

患部を氷で冷やすことでも、神経がにぶくなって痛みを感じなくなる。ピアスの穴を開けるとき、氷で冷やすのも同じ理屈である。

同じ効果をねらったものに、アーユルヴェーダのオイルによる治療法がある。アーユルヴェーダではオイルマッサージが有名だが、仰向けになった患者の額に温かいオイルを垂らしつづける方法もある。

垂れてくるオイルによる刺激がつづくことで、感覚がにぶくなって全身が脱力する。それが深いリラックスにつながるのだ。ただしこの治療法の効果は一時的なものでしかない。何かを根本的に治すことも望めないから、治療ともいえないかもしれない。

ボーッとそんなことを考えているうちに、そろそろ休憩時間も終わるころになった。ずっと手刀をつづけてくれていた彼が、「どうですか? 効果のほどは」と聞いてくる。残念ながら腰に何の変化もなかったが、「おかげさまで楽になりました」といって大人の対応をしておいた。

さて、大先生の次の講義は迷走神経の刺激の仕方である。迷走神経とは、自律神経の一つで、脳から首、胸、腹を通って内臓の働きを調整している神経である。

「自律神経のバランスが崩れることで云々」といって、病気の原因の説明をするお医者さんも多いから、「自律神経の乱れ」といわれれば、一般の人はなんとなくわかったような気になる。自律神経という言葉にはふしぎなパワーが隠されているようだ。

確かに、迷走神経の働きが悪いと胃などの内臓の働きもにぶるので、迷走神経の刺激となると期待できる。

またまた大先生が登場し、今度はモデルを仰向けにしたかと思うと、「迷走神経を刺激するには、肩にある僧帽筋の下をこのように押す」と説明し始めた。

アレ? 私の知識では、迷走神経の位置がちがうような気がする。これは先生のいいまちがいだろうか。周囲を見回したが、会場のみんなは大まじめに聞いている。

ここで私は悟った。たとえ刺激する場所が解剖学とちがっていても、それが効果を発揮するなら、それはそれでイイのだろう。人間の体のしくみなど、いわば未知の世界そのものだから、これもアリなのかもしれない。

そもそも民間療法は、医学の常識とはちがうところに存在価値があるともいえる。既存の医学と全く同じものならば、民間療法の出る幕はない。

もちろん基本的な医学知識があることは大前提である。しかし現在の医学で治らない病気も多いのだから、医学を完全に踏襲する必要はない。だからといって漢方医学への懐古趣味でもない。民間療法が現代医学よりも先に行って、最先端医学となる可能性があるはずだ。そうだ。私はそこを目指そう。

この悟りを得ただけでも、十分にここに来た甲斐があった。近藤くんには「誘ってくれてアリガトね。そろそろ仕事に行く時間なので」と告げて、私は意気揚々と会場をあとにしたのだった。(つづく)

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小説『ザ・民間療法』挿し絵054

近藤くんから電話があった。彼は私が特殊美術をやっていたころからの知り合いで、放送作家のかたわら治療院も経営しているという変わり種である。

その彼が突然ぎっくり腰で動けなくなって、同じ治療家である私に助けを求めてきたのだ。自分の腰痛だってまだ治り切っていないのに、と思いつつも、仕事の前にちょっと寄ってみることにした。

彼のアパートは隣の駅の近くだという。電話をもらうまでは、こんなに近くに住んでいることも知らなかった。教えられた通りに歩いていくと、うちと似たりよったりのたたずまいの安アパートがあった。

「これだな」
そう思いながら、一声かけてからドアを開けると、そこにはせんべい布団の上で身動きもできずに転がっている近藤くんがいた。そのいかにも独り者らしい哀れな姿に思わず吹き出すと、つられて彼も自虐的な笑みを浮かべる。

私だって、ふつうの患者さんにこんな失礼な態度はとらない。しかし親しい友人だとつい気がゆるんでしまう。近藤くんは曲がりなりにも治療家だし、どんなに痛かろうがぎっくり腰で死ぬことはないから、気楽である。

彼にしても、私がなんとかしてくれるだろうという安心感があるようだったが、あとから他の友人たちに物笑いのタネにされるのは覚悟の上らしい。

背中を見ると、やっぱり背骨が大きくズレている。ただのぎっくり腰なら、このズレている背骨をもどすだけなので、サッと矯正する。何往復か矯正を繰り返して、身動きもできない状態から、一人でトイレに行ける程度にまでは回復させた。そして、「あとは自分でなんとかするように」といい残して、待ってくださっているホンモノの患者さんの家へと向かった。

数日して、彼から電話がかかってきた。おかげであれからは腰の調子もよく、今はほとんど痛みもないという。お礼の気持ちからなのか、この週末に、彼が師事している先生の勉強会に来ないかと誘ってくれた。

その勉強会は、彼が所属する治療家団体の凸凹会がやっている。民間療法にはたくさんの流派があって、それぞれが技を競っているが、この凸凹会のことは全く知らなかった。おもしろそうなので、二つ返事で参加することにした。

次の日曜日、明大前の駅で近藤くんと待ち合わせて、会場に向かう。10分ほど歩いたところにある建物に入ると、そこには50~60人もの人が集まっていた。

この勉強会では、毎回なんらかの病気をテーマにして、大先生がその治療法を伝授する。今日のテーマは「腎臓病」となっていた。ほとんどの腎臓病は病院でも治らない。それが手技だけで治せるのなら、スゴイじゃないか。

ほどなくして登壇した60代とおぼしき男性が話し始めると、ざわついていた会場がシンと静まりかえった。みな真剣に聞き入っている。私も興味津々で耳を傾ける。

すると先生は、壇上のベッドに寝ているモデルの脚をおもむろにつかんだ。そして足の裏を押しながら、「腎臓病を治すには、このように足の裏に親指で『の』の字を書くようにして」と説明する。

「え? なんで『の』の字? 腎臓病ってなんの?」
私の頭の中が混乱し始めた。だがまわりの人たちは、身じろぎもしない。この説明に動揺しているのは私だけのようだ。

一通り説明が終わると、今度は参加者同士がペアを組んで練習することになった。みな素直に相手の足の裏に「の」の字を書いている。思わず近藤くんに目をやると、彼は申し訳なさそうなそぶりを見せた。

しかし他の参加者は、いっしょうけんめいに「の」の字を書きつづけている。彼らは本当に「の」の字で腎臓病を治すつもりらしい。「郷に入っては郷に従え」であるから、私もいっしょに「の」の字を書いた。

こうしてとりあえず腎臓病の治療法はマスターした(と思う)。だが妙な姿勢を続けたせいで、やっとおさまりかけていた腰の調子がまた怪しくなってきた。勉強会はまだ始まったばかりだというのに、こんなことではどうなるのだろう。(つづく)

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