小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:腰痛

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115
私がまだ20代のころ、親戚中でいちばん仲良しだったいとこが、腰痛で入院したことがあった。昭和の時代には、腰痛といえば年寄りか新婚さんのモノと相場が決まっていた。それなのに若くて健康で独身の彼が、腰痛で入院するなんてよほどのことだ。

当時は腰痛で入院した人の話なんか聞いたことがなかったから、私は心配になってわざわざ見舞いに行った。いつもはふざけてばかりの彼も、この日は神妙な面持ちで大部屋のベッドで横になっていた。

これから手術でもするのかと思ったら、今の医学では腰痛を治す決定打がないから、ひたすら痛み止めの薬を飲んで寝ているだけらしい。これは意外だったのを覚えている。

あれから20年以上が過ぎた。もう時代は平成に移ってしばらくたつけれど、腰痛患者たちの状況は今でも変わっていないようだ。だが、私が見つけた「背骨は左にしかズレない」という法則が広く知られるようになれば、腰痛治療の世界も大きく変わるはずだ。

今日はそのための第一歩である。この機会に腰痛の山形くんをモデルにして、ここの生徒さんたちにも腰痛の治し方を覚えてもらおう。そこでまずは、治療台に腰かけた山形くんの背中を見てもらいながら、背骨のズレの見つけ方から説明を始めた。

整体などの既存の民間療法でも、背骨のズレを見つける方法はある。施術を仕事にしている人なら、そのやり方はある程度は心得ているものだ。ところがその方法では背骨を1つずつ丹念に調べていくので、逆にどこがどうズレているのかがわかりにくい。

私のやり方では、左右の人差し指の先で、背骨の両脇を上から下に向かってスーッとなぞる。これなら、なぞった指が描く軌跡を見るだけだから、一瞬で背骨がズレている位置がわかる。

本来なら指で引いた線は直線になるはずだが、背骨に沿って引いた線が大きく左に曲がることがある。その曲がり角が背骨がズレているところだ。これで腰などの痛みの原因が特定できる。

こうやって指先でズレを見つける方法は、特殊美術の仕事でつちかったテクニックの応用だ。特殊美術では、仕上げた立体物が自分のイメージした形になっているかどうかを、目で見るだけでなく指先でサラッと触れて確かめる。

人間の指先にはたいへんすぐれたセンサーがあるので、慣れてくるとミリ単位以下の形のちがいもハッキリとわかるようになる。もちろん目で見ただけでもわかるけれど、目からの情報にはだまされることがある。その点、指先の感覚はウソをつかないから信頼できる。

またその対象が人体なら、指で触れることによって、形だけでなく熱や腫れの度合い、硬さや質感のちがいまでわかってしまう。私はこの技術を使うことで、かなり具体的に患者さんたちの不調の原因を特定できるようになっていた。

しかし特殊美術のテクニックではあっても、この技術はそれほど特殊なものではない。そのつもりでちょっと訓練すれば、だれでもできるようになる。そう説明してから、山形くんの背骨のズレを他の人にも確認してもらう。

ところが背骨の横を指でサラッとなぞっていくだけなのに、思ったよりもみな悪戦苦闘している。「できない、できない」とつぶやいているうちに、いつのまにか慣れ親しんだ旧式の方法で背骨を1つ1つ調べ出していた。

新しい技術の習得はなかなかむずかしいものだろうが、案外、全く未経験の人のほうが覚えが早いのかもしれない。例によって、私の教え方にも問題があるのだろうか。

あまり長引かせると、同じ姿勢をつづけている山形くんがかわいそうだ。今日のところは、とりあえず私が彼の背骨のズレをもどしてあげることにした。

山形くんの背骨の両脇を両手の指でサッとなぞると、やはり目星をつけていた通り、腰の3番目の骨が左に大きくズレている。腰痛の場合、ズレが大きいから症状が重いとは限らないが、これだけズレていれば確かに痛みもひどいだろう。

ズレた骨を正しい位置にもどすのは、積み上げた積み木をまっすぐにする作業に似ている。ズレているのは必ず上に乗っているほうの積み木だから、これさえまちがえなければ、あとはかんたんだ。

最初に、ズレている骨の左側に左手の親指の先を当て、その真下にある骨の右側に右手の親指の先を当てる。次に、左手の親指を右側へ向かってやさしくすべらせる。それと同時に右手の親指は左に向かってすべらせる。決して強い力で押さないのがコツだ。

この作業を何回かくり返すと、少しずつ骨が動いていく感触があった。そろそろよさそうだ。山形くんにも、矯正の効果が徐々にわかってきたようだ。

そこで、見ている人たちにもわかるように、あえて「腰どお?」と聞いてみる。すると彼は、体を左右にひねってみてから「いいみたい」といった。さっきまでクッキリと刻まれていた眉間のシワが消えている。彼の表情が明るくなったのを見て、大外先生もホッとしている。

ここで改めて、「背骨は左にしかズレない」と説明すると、生徒の一人が、「それじゃ痛みは左にしか出ないのか」と聞いてきた。これはだれにでも浮かぶ疑問なので、「待ってました」とばかりに、ズレは左だけでも痛みは左右のどちらにでも出るしくみの説明に入った。

しかしどうもよくわからないようで、みなポカンとしている。また失敗した。立体や動きの説明を言葉にするのは、本当にむずかしい。あれこれ説明の仕方を工夫しているうちに、だいぶ時間がたってしまっていた。

ここは整体の学校だ。私も卒業生の一人だとはいえ、整体ではない私の手技の説明を、そう長々とつづけるわけにもいかない。それに気づいたので、「では、この説明はそのうちゆっくりと」といって説明を終えた。

するとそれまでだまって聞いていた大外先生が、また私に向かって「師匠!」と叫んだ。そして「この勉強会を定期的に開いてくれませんかッ」といって、興奮気味に肩を上下させた。それこそ私の願いでもある。私はうれしくなって、ジンジンする鼻を抑えながら何度も大きくうなずいていた。(つづく)

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108
激しい腰痛のせいで、寝たきりになりかけていた春子さんの施術が終わった。ここまで車に乗せてきてくれた樹森さんや、春子さんのお嬢さんたちとみんなでお茶を飲んでくつろいでいると、腰の痛みが消えて饒舌になった春子さんの口から、長女が3年前にくも膜下出血で突然亡くなった話を聞いた。

さらに春子さんの夫も、10数年前に原因不明で急死したのだという。ひょっとしたら、二人とも動脈瘤が破裂して亡くなったのではないか。そんな疑いが私のなかに湧いてきた。

動脈瘤は、動脈の一部が風船のようにふくらんでコブになっている状態だ。脳や腹部にできたコブが何かのタイミングで破裂すると、突然死の原因になるのである。

動脈瘤といえば、1年ほど前に帰省したときのことを思い出した。夕食のあと、家族でテレビを見ていると、父がしきりにトイレに立つのが気になった。「どうした?」と聞くと、「いや~最近、妙に腹の具合が悪くてナ」という。

背骨がズレていると頻尿になる人も多いが、同じようにズレが腸に影響することもある。そういえばここしばらく、父の体をチェックしていなかったから、背骨がズレているのかもしれない。

父に横になってもらうと、まずは調子が悪いというおなかに手を当ててみた。するとポーンと張っている。しかも服の上からさわっただけでも、おなかの表面に妙なザラつきがあるのがわかる。

これは例のイヤな感触なのだ。ひょっとして大腸にがんがあるのかもしれない。大腸がんで下痢がつづくこともあるから、いよいよ怪しい。父は病院嫌いなので、これまで大腸がん検診など受けたことはない。しかしこのおなかは明らかに異常だから、検査が必要だ。

幸い兄は医者なので、近いうちに札幌にある兄の病院で検査してもらうようにすすめた。ところが父はあまり気乗りがしないらしくて、行くのを渋っている。まさか今の段階で、「がんがあるかもしれない」などと伝えるわけにもいかない。

どうしたものかと弱っていると、そばで二人の会話を聞いていた母が、「アンタ、行っといで」とかなり強い口調で命令した。もちろん父は母には逆らえないので、週明けに兄の病院で検査を受けることに決まった。

それから数日たったころ、東京にもどった私の元へ兄から電話がかかってきた。電話なんて久しぶりだったが、いきなり「CT撮ったら腹部大動脈瘤だったよ。5センチほどだけど形が悪いから手術だな」と早口でまくしたてる。つづけて「手術の日程が決まったら連絡する」といって電話が切れた。

腹部大動脈瘤だったのか。この診断結果は私としては意外だった。実家で父のおなかにさわったとき、深追いしなくてよかった。マッサージ店でおなかをマッサージしてもらっているときに、動脈瘤が破裂して救急搬送された人もいるらしいから、危ないところだった。

動脈瘤は命にかかわることも少なくないというのに、あまり症状らしいものがない。そのため、本人がその存在に全く気づいていないことも多い。しかしいざ破裂しそうになると、脳動脈瘤では激しい頭痛に襲われるそうだ。私の父がおなかを頻繁に壊していたのは、腹部大動脈瘤の症状の一つだったのかもしれない。

さらに動脈瘤の厄介なところは、家族性で発症する点である。つまり父親がそうなら、私や兄にも動脈瘤ができる可能性があるのだ。春子さんの長女に脳動脈瘤があったのなら、他の姉妹にもそのリスクがあることになる。多分、原因不明で急死したご主人も動脈瘤があったのだろう。

長女がくも膜下出血で亡くなったと聞いて、私がとっさに春子さんの両手首を握ったのにはワケがあった。実は体のどこかに動脈瘤があると、手首の脈の打ち方に、左右でズレが生じる場合があるのを医師から聞いていたからだ。

いきなり私に手首をつかまれて、目を白黒させている春子さんにも、その説明をして脈を取らせてもらった。すると左右全く同じように打っている。指が当たる角度を変えて、何度か確認したが結果は同じだった。

背骨のズレを矯正したら急激に血流が変化することがあるので、もし春子さんに動脈瘤があったら危険だった。この状態なら、今後も矯正でめったなことは起きなさそうでホッとする。

家族性なのだから、ついでに娘さんたちの脈も調べておこう。次女、四女と調べていくと、二人ともしっかり同時に打っている。

これは私の取り越し苦労だったかと思いながら、最後に19歳の三女の脈を取ると、左右で明らかにズレて打っているではないか。まちがいであってほしいと思って何度も確認したが、やはり左右の脈のタイミングはズレていた。

私の表情がくもったのを見て、春子さんが心配気に「どうですか?」とたずねてくる。私は言葉につまりながら、「脈だけでは正確なことはわからないから、1回検査を受けてみたほうがいいかもしれないですね」と伝えた。

その途端、今まで明るかった室内の空気が、一挙に重くるしいものに変わった。そばでだまって見ていた樹森さんが、「ま、きっと大丈夫でしょ。そろそろ帰らなくちゃ」というと、私に目配せして帰り支度を促した。

私たちを玄関まで見送る春子さんの顔からは、すっかり血の気が失せている。せっかく腰の痛みが消えたのに、表情は前よりも暗く沈んでいる。それを見ると気の毒でたまらなかった。(つづく)

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107
樹森さんの運転する車が、買い物客でにぎわう吉祥寺の街をゆっくりと抜けると、あっという間に春子さんが待っている瀬戸さんの家に着いた。見上げるほど大きなマンションの前で、「ここです」といわれて入った地下駐車場には、高そうな外車がズラリと並んでいた。

春子さんはこの高級マンションの1室で、3人の娘さんたちと暮らしているらしい。エレベーターが開くと、このフロアには1室しかないようだ。瀬戸さんが鍵を開けると、今日は突然の訪問にもかかわらず、室内がきれいに片づいていて少しおどろいた。

ふつうなら、腰痛などで動けない人の部屋はすごいことになっているものだ。それを見慣れているから、散らかっていても私は全く気にならない。ちょうど在宅していた娘さんたちが急いで片づけたのかもしれないが、もともとみんなきれい好きなのだろう。

瀬戸さんに案内されて、私と樹森さんは春子さんの寝室へ入った。私たちの姿を見た春子さんは、痛みをこらえて必死にベッドから起き上がろうとしている。私はベッドにかけよると、「まあまあ、そのままで」と手を差し伸べた。

差し出した私の手には、意外にもしっかりとした骨格の感触が伝わってくる。私は彼女の体を支えながら、もとの寝た姿勢にゆっくりともどす。「この状態でちょっと腰を診てみますからね~」といって、彼女の背中側にすばやく回り込んだ。

春子さんは若いころに患った脊椎カリエスで背骨が変形している。そのせいで背中が大きく曲がっているから、仰向けにはなれない。しかし背骨のズレを確かめるには、この横向きの体勢がちょうどよかった。

調べてみると、確かに彼女の背中は大きく曲がっているが、腰の骨には変形らしきものはなさそうだ。ところが腰の3番目の骨が大きくズレている。コイツだな。こいつが腰痛の原因だろう。

春子さんのようなひどい腰痛の場合、5個ある腰の骨のうち、3番目の骨が大きくズレていることが多い。しかもここがズレると頻尿にもなりやすいから、動けないのにトイレが近くてはよけいに大変だったはずだ。

私は「今から腰のあたりをさすりますからね~。ちょっとでも痛かったらいってくださいね~」と、やさしそうに声をかける。日常の会話でこんな口調だと気味が悪いと思うが、初対面の病人が相手なのだから仕方がない。

そんなことよりも、今は痛みを取ることが肝心だ。春子さんの腰にそっと手を当ててみると、炎症の熱と腫れが感じられた。これは「ココがズレて痛みを出していますよ」という証拠でもある。それを確認してから、ゆっくりとズレた骨を定位置にもどしていく。本人は、やさしく腰をさすってもらっているとしか感じないはずだ。

この動作を5~6分ほどもつづけると、腰の熱と腫れが少しずつ引いてきた。なおも同じ動作をくり返す。すでに春子さんは私の手の動きに慣れて、表情からも緊張が取れてきた。

このやり取りは、運転手役で付き添ってきた樹森さんにとっては、いつものパターンだから見慣れている。しかし春子さんの娘さんたちには初めての光景なので、不安気に私の手元をのぞき込んでいる。

だいぶ腰の熱と腫れが治まってきたところで、春子さんに「起きられますか?」と声をかける。私が手で体を支えながら、ゆっくりと上体を起こしてもらうと、一瞬、「イタッ」と声を上げた。

ドキッとしたが、実際にはそれほど痛くはなかったようで、すぐに表情がやわらいだ。すかさず私は、座った姿勢の彼女のうしろに回り込むと、改めて3番目の骨のズレをもどしていく。

そうやってトータルで20分ほど矯正をつづけたら、腰のあたりの感触が最初とは全くちがってきた。どうやら彼女の腰痛はカリエスとは関係なかったようだ。一般的な腰痛患者と同じで、背骨のズレが原因だったのだ。

ここまでは順調だ。しかし腰の骨のズレをもどすなら、できれば寝た状態と座った状態に加えて、立った状態でも矯正しておきたいところである。そこで試しに春子さんにも立ち上がってもらうことにした。

私が彼女の手をしっかりと握り、体全体を支えながら立たせると、今度は痛いともいわずにスッと立てた。その瞬間、樹森さんが「オーッ」とおどろきの声を上げる。それを見て、娘さんたちの顔からも緊張が消えた。

そのまま2、3歩歩いてもらっても、スッスッと前に足が出る。いい感じだ。春子さんも、「今まで痛くてトイレに行くのがつらかったけど、これなら大丈夫だわ」といって、腰痛が治ったことよりも、安心してトイレに行けることがうれしかったようだ。聞けば、彼女も頻尿がひどかったらしい。

春子さんに壁に向かって立ってもらうと、さらに腰の骨のズレを矯正する。もう一度歩いてもらって、腰に痛みが残っていないことを確認する。ヨシ、今回は初めてなのでここまでにしておこう。私は春子さんに、また骨のズレがもどってくる可能性があることを伝えて、次の訪問の約束をした。

娘さんが「先生、お茶をどうぞ」と声をかけてくれたので、みんなでリビングに移動する。10人は余裕で座れそうな大きなテーブルにつくと、これまた高そうな器に入って湯気を立てているお茶をすする。この場の雰囲気が非常に明るくて、私もリラックスしていた。

春子さんは、自分はこのまま寝たきりになるのかと思っていただけに、恐怖から開放されて高揚しているようだ。元気な声で「ダンナももういないしネ、3年前に長女も死んでしまって」と話し始めた。私は思わず「なんで亡くなったんですか?」と聞いてしまった。

踏み込んだ質問だったが、春子さんはためらうことなく、「長女はくも膜下出血での突然死だったの」と話してくれた。それを聞いた私はギョッとして、即座に春子さんの両手首を握ったのだった。(つづく)

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小説『ザ・民間療法』挿し絵063

芳子さんが肺がんで亡くなってからというもの、私は何をするにも力が入らなくなっていた。施術には出かけるが、消化試合をこなしているような感覚に陥っていた。

そして来る日も来る日も頭に浮かぶのは、「芳子さんはなぜあんなに早く亡くなってしまったのか」とそればかりだった。

いくら肺がんとはいえ、入院するまでは健康な人と何も変わりがなかったのだ。それがたった1か月で亡くなるなんて、どうにも納得がいかない。抗がん剤治療が始まった途端、みるみる状態が悪化していって、モルヒネを使うほどの激痛までが芳子さんを襲っていた。

がんの最後が激痛だという話はよく聞くから、みな、がんにだけはなりたくないと思っている。ところが芳子さんに痛みが出たのは、入院して治療が始まってからのことだったのだ。

あの激しい痛みは、ほんとうにがんのせいなのか。タイミングから見れば、抗がん剤のせいではないのか。ひょっとして、あのとき病院で検査など受けていなければ、今ごろまだ生きていたのではないか。そんな思いに取りつかれていた。

それにしても、1か月で亡くなってしまうほど末期の肺がんに、私はなぜ気づいてあげられなかったのだろう。私のやってきたことは何だったのか。答えの出ない疑問ばかりが、頭のなかでグルグルと回りつづける。

明かりもなく、どこにつづくのかもわからないトンネルのなかを、トボトボと歩いているようだった。これはある種の停滞期なのか、ここからひたすら落ちていくのか。何もわからず、ただ疲れ切っていた。

そんなとき、しばらくぶりに近野さんから電話があった。私に患者さんをたくさん紹介してくれる、あの看護師の近野さんだ。今回も、ぜひ診てもらいたい同僚がいるのだという。

近野さんと同じ看護師の森本さんは、まだ28歳なのにいつも体調がすぐれないらしい。生理が来るたびに、毎回それはもう激しい痛みで苦しんでいる。そんなとき近野さんから私の話を聞いて、診てもらいたくなったようだ。

私の施術は、腰やひざの痛みの原因になっている背骨のズレをもどす作業がメインである。だが背骨がズレていると、生理痛がひどくなることも多いようだ。確かに、背骨の矯正をしたら生理痛がなくなった人はいる。だからといって、ズレさえもどせば必ず良くなるのかというと、その保証はない。

あまり気乗りはしないものの、近野さんの紹介では断れない。「過度に効果を期待しないように」とお伝えした上で、試しに一度森本さんの様子を見せてもらうことにした。

施術の予約の日、森本さんのアパートをたずねると、小柄の快活そうな女性が出迎えてくれた。体調が悪いと不愛想な人が多いので、これだけでも少しホッとする。

うちより広くてスッキリと整えられた、アパートの奥の部屋に通される。本棚には、私にもなじみの解剖学や看護学の本が並んでいて、これまた親近感が増す。もうすでに布団が敷いてあって、施術を受ける態勢が整っているのもありがたい。

初めに体の状態や病歴の有無などを聞いてから、まずはうつ伏せに寝てもらう。すると彼女の背中に目が止まった。声には出さないが、「オヤッ」と思うほど、背骨の左側にある筋肉が、腰の上のあたりで大きく盛り上がっているのである。

あの芳子さんの背中にも、これと同じ盛り上がりがあった。それも同じ左側だ。芳子さんの場合は、森本さんよりも数段盛り上がりが大きくて、こぶのようになっていた。だから、これは何だろうと思いながら、いつも施術していたのである。

本人にとっては、このこぶは痛くも何ともない。生活に何の支障もないから、芳子さんも森本さんも、そこが盛り上がっていることすら気づいていなかった。

その盛り上がりの部分に軽く触れてみると、右側に比べてやけに硬い。右とでは全く感触がちがって、押すと私の指を跳ね返すような硬さをしている。これも芳子さんのときと全く同じだ。

筋肉というのは、力を入れれば硬くなるが、力を抜いたらソフトになるのがふつうである。力を抜いても硬いままなのは、きっと体にとっては異常なことだろう。そこで、その筋肉をほぐすように軽く刺激を加えてみた。

しかしビクともしない。これも芳子さんといっしょだ。それなら、何としてもこの硬さを取ってあげたい。私は指を当てる角度を変えながら、刺激をくり返した。

もちろん、強い力で刺激するのは危険なので、チョンチョンと指を当てていくだけである。そんなことを10分ほどもつづけただろうか。突然、森本さんが「イタイ、イタイ、イタイ~ッ」と叫び始めた。

夢中で刺激をつづけていた私は、その声におどろいて体に電気が走った。そして全身から一気に血の気が引いた。あわてて手を引っ込めたが、私は何も痛がられるようなことはしていないはずだ。彼女の体に、一体何が起きたのだろう。(つづく)


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*小説『ザ・民間療法』全目次を見る 058
この前、お寺の住職に馬乗りになって施術しているのを見られて、とんでもないかんちがいをされてしまった。しかし患者に馬乗りになっているのを見てかんちがいするのは、実は人間だけではない。

私が施術にうかがうお宅では、ペットを飼っていることが多い。私はネコは好きだが、イヌはなんとなく苦手だ。それなのに私の顔を見たイヌは、荒い呼吸とともにかけ寄って来たかと思うと、やたらとペロペロと顔をなめたがる。

いくら親愛の表現だとはいっても、さっきまで自分のお尻をなめていたのを私は知っている。ところが彼らは私がいくらイヤがろうと、ますます私に顔を近づけてくるのだ。

特に、飼い主への施術が終わると、イヌの興奮は一気にエスカレートする。どうやら、自分のご主人様の背中に馬乗りになっている姿が、彼らからすれば私がマウントを取ったように見えるらしい。

自分のご主人様よりも上位の存在なら、何が何でも私のご機嫌を取らねばならない。だから必死なのである。ところがイヌのそんな態度は、飼い主にとってはあまり気持ちのイイものではない。おもしろくないので、私に向ける目線に影が宿る。これはもう、とんだ三角関係の勃発なのだった。

それはそうと、ペットのいる家に行くと、ついでにペットも診てほしいと頼まれることがある。確かにイヌやネコのような哺乳類は、体の構造がヒトと大して変わりがない。体の不調の原因にも大きなちがいはないから、施術の対象にはなりうる。

人間のお医者さんが書いた腰痛本には、必ずといっていいほど「腰痛は人類が二足歩行になって以来の宿命だ」というフレーズが登場する。しかし腰痛は人間だけの特権ではない。イヌやウマなどの四足歩行の動物でも、腰痛になることは今や常識なのである。

ただし彼らは人間とちがって、「腰が痛い」などとはいわない。ただ腰を片側に曲げて、歩きづらそうにしていたり、しっぽを引きつらせたりしているだけである。

ある家でも、大事に飼っているダックスフンドが腰痛になったことがある。赤茶色をしているからアカという名前のこのイヌは、家族の話では、しばらく前から歩き方がおかしくなっていた。

そこで私がアカの背骨を調べてみると、予想通り、腰の骨がクキッとクランク状に曲がっている。背骨がしっかりズレているのである。だがそれさえわかれば話は早い。ズレている骨を元の位置にゆっくりともどしてやる。アカも神妙な顔つきでじっとしている。

何度か指先で背骨をなぞってはズレをもどす。すると、さっきまでのクランクはなくなった。背骨がまっすぐになったのを確かめて、ヨシ、これなら大丈夫。そう思って見ていると、アカはしっぽをプルプルと左右に動かした。そして以前のように元気よく歩き出す。やっぱりアカの不調の原因は、背骨のズレだったのだ。

これが人間なら、プラセボ効果だとも考えられる。たとえば同じ薬でも、白衣を着たお医者さんから渡されるのと、近所のおじさんがくれるのとではその効果にちがいが出る。それがプラセボ効果である。

薬の効果の3割はプラセボだというデータもあるようだし、同じお医者さんでも、白衣を着ているか着ていないかで薬の効果にちがいが出るそうだから、プラセボはあなどれないのである。

しかし動物が相手ではプラセボ効果は通用しない。私の施術にしても、人間はお愛想で「よくなりました」といってくれている可能性はある。だからこそ施術に対する動物の反応は、ある意味、人間以上に興味深いのだ。(つづく)

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