小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:腰痛

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樹森さんの運転する車が、買い物客でにぎわう吉祥寺の街をゆっくりと抜けると、あっという間に春子さんが待っている瀬戸さんの家に着いた。見上げるほど大きなマンションの前で、「ここです」といわれて入った地下駐車場には、高そうな外車がズラリと並んでいた。

春子さんはこの高級マンションの1室で、3人の娘さんたちと暮らしているらしい。エレベーターが開くと、このフロアには1室しかないようだ。瀬戸さんが鍵を開けると、今日は突然の訪問にもかかわらず、室内がきれいに片づいていて少しおどろいた。

ふつうなら、腰痛などで動けない人の部屋はすごいことになっているものだ。それを見慣れているから、散らかっていても私は全く気にならない。ちょうど在宅していた娘さんたちが急いで片づけたのかもしれないが、もともとみんなきれい好きなのだろう。

瀬戸さんに案内されて、私と樹森さんは春子さんの寝室へ入った。私たちの姿を見た春子さんは、痛みをこらえて必死にベッドから起き上がろうとしている。私はベッドにかけよると、「まあまあ、そのままで」と手を差し伸べた。

差し出した私の手には、意外にもしっかりとした骨格の感触が伝わってくる。私は彼女の体を支えながら、もとの寝た姿勢にゆっくりともどす。「この状態でちょっと腰を診てみますからね~」といって、彼女の背中側にすばやく回り込んだ。

春子さんは若いころに患った脊椎カリエスで背骨が変形している。そのせいで背中が大きく曲がっているから、仰向けにはなれない。しかし背骨のズレを確かめるには、この横向きの体勢がちょうどよかった。

調べてみると、確かに彼女の背中は大きく曲がっているが、腰の骨には変形らしきものはなさそうだ。ところが腰の3番目の骨が大きくズレている。コイツだな。こいつが腰痛の原因だろう。

春子さんのようなひどい腰痛の場合、5個ある腰の骨のうち、3番目の骨が大きくズレていることが多い。しかもここがズレると頻尿にもなりやすいから、動けないのにトイレが近くてはよけいに大変だったはずだ。

私は「今から腰のあたりをさすりますからね~。ちょっとでも痛かったらいってくださいね~」と、やさしそうに声をかける。日常の会話でこんな口調だと気味が悪いと思うが、初対面の病人が相手なのだから仕方がない。

そんなことよりも、今は痛みを取ることが肝心だ。春子さんの腰にそっと手を当ててみると、炎症の熱と腫れが感じられた。これは「ココがズレて痛みを出していますよ」という証拠でもある。それを確認してから、ゆっくりとズレた骨を定位置にもどしていく。本人は、やさしく腰をさすってもらっているとしか感じないはずだ。

この動作を5~6分ほどもつづけると、腰の熱と腫れが少しずつ引いてきた。なおも同じ動作をくり返す。すでに春子さんは私の手の動きに慣れて、表情からも緊張が取れてきた。

このやり取りは、運転手役で付き添ってきた樹森さんにとっては、いつものパターンだから見慣れている。しかし春子さんの娘さんたちには初めての光景なので、不安気に私の手元をのぞき込んでいる。

だいぶ腰の熱と腫れが治まってきたところで、春子さんに「起きられますか?」と声をかける。私が手で体を支えながら、ゆっくりと上体を起こしてもらうと、一瞬、「イタッ」と声を上げた。

ドキッとしたが、実際にはそれほど痛くはなかったようで、すぐに表情がやわらいだ。すかさず私は、座った姿勢の彼女のうしろに回り込むと、改めて3番目の骨のズレをもどしていく。

そうやってトータルで20分ほど矯正をつづけたら、腰のあたりの感触が最初とは全くちがってきた。どうやら彼女の腰痛はカリエスとは関係なかったようだ。一般的な腰痛患者と同じで、背骨のズレが原因だったのだ。

ここまでは順調だ。しかし腰の骨のズレをもどすなら、できれば寝た状態と座った状態に加えて、立った状態でも矯正しておきたいところである。そこで試しに春子さんにも立ち上がってもらうことにした。

私が彼女の手をしっかりと握り、体全体を支えながら立たせると、今度は痛いともいわずにスッと立てた。その瞬間、樹森さんが「オーッ」とおどろきの声を上げる。それを見て、娘さんたちの顔からも緊張が消えた。

そのまま2、3歩歩いてもらっても、スッスッと前に足が出る。いい感じだ。春子さんも、「今まで痛くてトイレに行くのがつらかったけど、これなら大丈夫だわ」といって、腰痛が治ったことよりも、安心してトイレに行けることがうれしかったようだ。聞けば、彼女も頻尿がひどかったらしい。

春子さんに壁に向かって立ってもらうと、さらに腰の骨のズレを矯正する。もう一度歩いてもらって、腰に痛みが残っていないことを確認する。ヨシ、今回は初めてなのでここまでにしておこう。私は春子さんに、また骨のズレがもどってくる可能性があることを伝えて、次の訪問の約束をした。

娘さんが「先生、お茶をどうぞ」と声をかけてくれたので、みんなでリビングに移動する。10人は余裕で座れそうな大きなテーブルにつくと、これまた高そうな器に入って湯気を立てているお茶をすする。この場の雰囲気が非常に明るくて、私もリラックスしていた。

春子さんは、自分はこのまま寝たきりになるのかと思っていただけに、恐怖から開放されて高揚しているようだ。元気な声で「ダンナももういないしネ、3年前に長女も死んでしまって」と話し始めた。私は思わず「なんで亡くなったんですか?」と聞いてしまった。

踏み込んだ質問だったが、春子さんはためらうことなく、「長女はくも膜下出血での突然死だったの」と話してくれた。それを聞いた私はギョッとして、即座に春子さんの両手首を握ったのだった。(つづく)

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小説『ザ・民間療法』挿し絵063

芳子さんが肺がんで亡くなってからというもの、私は何をするにも力が入らなくなっていた。施術には出かけるが、消化試合をこなしているような感覚に陥っていた。

そして来る日も来る日も頭に浮かぶのは、「芳子さんはなぜあんなに早く亡くなってしまったのか」とそればかりだった。

いくら肺がんとはいえ、入院するまでは健康な人と何も変わりがなかったのだ。それがたった1か月で亡くなるなんて、どうにも納得がいかない。抗がん剤治療が始まった途端、みるみる状態が悪化していって、モルヒネを使うほどの激痛までが芳子さんを襲っていた。

がんの最後が激痛だという話はよく聞くから、みな、がんにだけはなりたくないと思っている。ところが芳子さんに痛みが出たのは、入院して治療が始まってからのことだったのだ。

あの激しい痛みは、ほんとうにがんのせいなのか。タイミングから見れば、抗がん剤のせいではないのか。ひょっとして、あのとき病院で検査など受けていなければ、今ごろまだ生きていたのではないか。そんな思いに取りつかれていた。

それにしても、1か月で亡くなってしまうほど末期の肺がんに、私はなぜ気づいてあげられなかったのだろう。私のやってきたことは何だったのか。答えの出ない疑問ばかりが、頭のなかでグルグルと回りつづける。

明かりもなく、どこにつづくのかもわからないトンネルのなかを、トボトボと歩いているようだった。これはある種の停滞期なのか、ここからひたすら落ちていくのか。何もわからず、ただ疲れ切っていた。

そんなとき、しばらくぶりに近野さんから電話があった。私に患者さんをたくさん紹介してくれる、あの看護師の近野さんだ。今回も、ぜひ診てもらいたい同僚がいるのだという。

近野さんと同じ看護師の森本さんは、まだ28歳なのにいつも体調がすぐれないらしい。生理が来るたびに、毎回それはもう激しい痛みで苦しんでいる。そんなとき近野さんから私の話を聞いて、診てもらいたくなったようだ。

私の施術は、腰やひざの痛みの原因になっている背骨のズレをもどす作業がメインである。だが背骨がズレていると、生理痛がひどくなることも多いようだ。確かに、背骨の矯正をしたら生理痛がなくなった人はいる。だからといって、ズレさえもどせば必ず良くなるのかというと、その保証はない。

あまり気乗りはしないものの、近野さんの紹介では断れない。「過度に効果を期待しないように」とお伝えした上で、試しに一度森本さんの様子を見せてもらうことにした。

施術の予約の日、森本さんのアパートをたずねると、小柄の快活そうな女性が出迎えてくれた。体調が悪いと不愛想な人が多いので、これだけでも少しホッとする。

うちより広くてスッキリと整えられた、アパートの奥の部屋に通される。本棚には、私にもなじみの解剖学や看護学の本が並んでいて、これまた親近感が増す。もうすでに布団が敷いてあって、施術を受ける態勢が整っているのもありがたい。

初めに体の状態や病歴の有無などを聞いてから、まずはうつ伏せに寝てもらう。すると彼女の背中に目が止まった。声には出さないが、「オヤッ」と思うほど、背骨の左側にある筋肉が、腰の上のあたりで大きく盛り上がっているのである。

あの芳子さんの背中にも、これと同じ盛り上がりがあった。それも同じ左側だ。芳子さんの場合は、森本さんよりも数段盛り上がりが大きくて、こぶのようになっていた。だから、これは何だろうと思いながら、いつも施術していたのである。

本人にとっては、このこぶは痛くも何ともない。生活に何の支障もないから、芳子さんも森本さんも、そこが盛り上がっていることすら気づいていなかった。

その盛り上がりの部分に軽く触れてみると、右側に比べてやけに硬い。右とでは全く感触がちがって、押すと私の指を跳ね返すような硬さをしている。これも芳子さんのときと全く同じだ。

筋肉というのは、力を入れれば硬くなるが、力を抜いたらソフトになるのがふつうである。力を抜いても硬いままなのは、きっと体にとっては異常なことだろう。そこで、その筋肉をほぐすように軽く刺激を加えてみた。

しかしビクともしない。これも芳子さんといっしょだ。それなら、何としてもこの硬さを取ってあげたい。私は指を当てる角度を変えながら、刺激をくり返した。

もちろん、強い力で刺激するのは危険なので、チョンチョンと指を当てていくだけである。そんなことを10分ほどもつづけただろうか。突然、森本さんが「イタイ、イタイ、イタイ~ッ」と叫び始めた。

夢中で刺激をつづけていた私は、その声におどろいて体に電気が走った。そして全身から一気に血の気が引いた。あわてて手を引っ込めたが、私は何も痛がられるようなことはしていないはずだ。彼女の体に、一体何が起きたのだろう。(つづく)


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この前、お寺の住職に馬乗りになって施術しているのを見られて、とんでもないかんちがいをされてしまった。しかし患者に馬乗りになっているのを見てかんちがいするのは、実は人間だけではない。

私が施術にうかがうお宅では、ペットを飼っていることが多い。私はネコは好きだが、イヌはなんとなく苦手だ。それなのに私の顔を見たイヌは、荒い呼吸とともにかけ寄って来たかと思うと、やたらとペロペロと顔をなめたがる。

いくら親愛の表現だとはいっても、さっきまで自分のお尻をなめていたのを私は知っている。ところが彼らは私がいくらイヤがろうと、ますます私に顔を近づけてくるのだ。

特に、飼い主への施術が終わると、イヌの興奮は一気にエスカレートする。どうやら、自分のご主人様の背中に馬乗りになっている姿が、彼らからすれば私がマウントを取ったように見えるらしい。

自分のご主人様よりも上位の存在なら、何が何でも私のご機嫌を取らねばならない。だから必死なのである。ところがイヌのそんな態度は、飼い主にとってはあまり気持ちのイイものではない。おもしろくないので、私に向ける目線に影が宿る。これはもう、とんだ三角関係の勃発なのだった。

それはそうと、ペットのいる家に行くと、ついでにペットも診てほしいと頼まれることがある。確かにイヌやネコのような哺乳類は、体の構造がヒトと大して変わりがない。体の不調の原因にも大きなちがいはないから、施術の対象にはなりうる。

人間のお医者さんが書いた腰痛本には、必ずといっていいほど「腰痛は人類が二足歩行になって以来の宿命だ」というフレーズが登場する。しかし腰痛は人間だけの特権ではない。イヌやウマなどの四足歩行の動物でも、腰痛になることは今や常識なのである。

ただし彼らは人間とちがって、「腰が痛い」などとはいわない。ただ腰を片側に曲げて、歩きづらそうにしていたり、しっぽを引きつらせたりしているだけである。

ある家でも、大事に飼っているダックスフンドが腰痛になったことがある。赤茶色をしているからアカという名前のこのイヌは、家族の話では、しばらく前から歩き方がおかしくなっていた。

そこで私がアカの背骨を調べてみると、予想通り、腰の骨がクキッとクランク状に曲がっている。背骨がしっかりズレているのである。だがそれさえわかれば話は早い。ズレている骨を元の位置にゆっくりともどしてやる。アカも神妙な顔つきでじっとしている。

何度か指先で背骨をなぞってはズレをもどす。すると、さっきまでのクランクはなくなった。背骨がまっすぐになったのを確かめて、ヨシ、これなら大丈夫。そう思って見ていると、アカはしっぽをプルプルと左右に動かした。そして以前のように元気よく歩き出す。やっぱりアカの不調の原因は、背骨のズレだったのだ。

これが人間なら、プラセボ効果だとも考えられる。たとえば同じ薬でも、白衣を着たお医者さんから渡されるのと、近所のおじさんがくれるのとではその効果にちがいが出る。それがプラセボ効果である。

薬の効果の3割はプラセボだというデータもあるようだし、同じお医者さんでも、白衣を着ているか着ていないかで薬の効果にちがいが出るそうだから、プラセボはあなどれないのである。

しかし動物が相手ではプラセボ効果は通用しない。私の施術にしても、人間はお愛想で「よくなりました」といってくれている可能性はある。だからこそ施術に対する動物の反応は、ある意味、人間以上に興味深いのだ。(つづく)

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先日、近藤くんに連れられて行った勉強会の内容には少しガッカリだった。それでも世の中には、まだまだ私の知らないスゴイ治療家がたくさんいるはずだ。

テレビをつければ、ド派手なパフォーマンスを披露するスゴウデの治療家が登場する。本屋に行けば、腰痛のコーナーだけでもゴッドハンドの本であふれかえっている。この世にはどれだけゴッドハンドがいるのかと思うほどだが、みなそれぞれ「我こそは」とばかりに自慢の腕を競い合っている。

どうも民間療法家というのは、絵描きと似た人種のようだ。絵を描いていると、だれもが自分は天才ではないかと思う瞬間がある。そしていずれだれかの目に止まり、自分の才能が評価される日が来るものと信じている。民間療法家も、心のどこかで「私ほどの技の持ち主はいない」と思っている。

もちろん人間だれしも、大なり小なりどこかにうぬぼれる気持ちをもっているものだ。ところが絵描きの場合、ごくたまに本物の天才が現れて歴史に名を残す。しかし民間療法家には、歴史に名を残すような天才がいたことがあるのだろうか。

キリスト教では、病気治療で奇跡を起こした者は聖人の列に加えられることになっている。イエス・キリストなどは死人すら生き返らせた。逆にロシアのラスプーチンのように、悪名をとどろかせたのもいる。

民間療法家は、宝石の真贋のように、あれは本物だとかニセモノだとかいわれる。しかし宝石のように決まった基準があるわけではない。でも、きっとどこかに本物の天才治療家が潜んでいる。そう信じていたい気もする。

そんなことを考えていると、古くからの友人の山岸さんから電話がかかってきた。聞けば、腰の調子が悪いのだという。彼女は美食家で、おいしいものを食べるのが大好きだ。そのせいもあるのか、何かと体にトラブルが多い。そのため病院だけでなく、いろんな治療院に通っている。おかげでかなりの民間療法通なのである。

なかでも一番のお気に入りは、スペインで名を馳せて凱旋帰国したあと、神奈川で開業している鍼灸師の東海先生だ。山岸さんは千葉の自宅から彼の治療院まで、3時間以上かけて定期的に通っているのだ。

東海先生はハリでがんまで治すという触れ込みだったので、そんなすごい先生なら、腰も治してもらえばいいのではないか。そういうと、「東海先生はがんは治すけど腰痛はダメ」という話だった。

がんは治せるのに腰痛が治せないのはふしぎな気もするが、時間を作って山岸さんの家まで行くことにした。うちから千葉は遠いので、けっこうな遠征である。

近藤くんのときと同じで、親しい友人だとどうしても気が乗らない。特に彼女の場合は、深部静脈血栓を抱えているので気を抜けないからなおさらだ。

腰痛程度でも、背骨のズレをもどした途端、一気に血流が変化することがある。だから深部静脈血栓のような血管に問題のある人には、極力触れないことにしているぐらいだ。

ところが彼女は、ある治療家のところで「そんなモノはもみ切っちまえばイイんだ」といわれて、血栓のある部分をグリグリもまれたことがあった。民間療法家の医学知識のレベルがピンキリなのは常識かもしれないが、聞いただけで冷や汗の出る話である。

私としても、以前から山岸さんの体の状態を把握しているとはいえ、深追いは厳禁だ。「慎重に、慎重に」と自分にいい聞かせながら背骨をなぞってみる。するとやはり、腰痛が出ているところの背骨がズレている。そこでその部分だけをピンポイントで、ごくごく弱い力でもどしてみる。こんな触れるか触れないか程度の力でも、すぐに腰の痛みが解消したのでホッとした。

本人も調子がよくなって安心したのか、「実は・・・」とお誘いがあった。お誘いといっても別にイロっぽい話ではない。例の東海先生の講座があるから、一緒に行かないかというのである。

がんが治せる先生の講座なら、もちろん興味はある。ところがどっこい、私はハリが大の苦手なのだ。苦手といってもハリ治療そのもののことではない。注射などの針を刺されること全般がイヤなのだ。

おかげで子供のころは、予防注射のたびに学校を脱走していたし、いまだに病院にはめったに行くことがない。針と聞いただけで足がすくむ始末だ。そんなわけで、「せっかくのお誘いだけど、また次の機会に」といってお断りするしかなかった。(つづく)

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055
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近藤くんに連れられて行った凸凹会で、「の」の字による腎臓病の治療法はマスターした。

ここでは毎回ちがう病気をテーマにしているそうだから、腎臓病が「の」の字なら、流れとしては前回が心臓病か肝臓病あたりで、「へ」の字だったのだろうか。すると次回は「も」の字で、最後に「じ」の字で完成するのかもしれない。まわりはみな真剣なのに、一人でそんなふざけたことを考えていた。

それはそうと腰が痛い。「の」の字をマスターしたところでちょうど休憩時間になったので、近藤くんがこの会の責任者の一人に、私の腰を治してくれるように頼んでくれた。すると彼は、「腰痛はあんまり得意じゃないんだけどナ」とつぶやきながら、私の腰をポンポンと手刀で叩き始めた。

私としては、他の流派ではどのように腰痛を治療するのか興味があったのに、これはごくありふれた方法だったので拍子抜けした。

腰痛のとき、手の表や裏や横(手刀)を使って同じリズムで患部を打ち続けていると、そのうち痛みが引いていくことがある。痛みがある場所に対して同じ刺激をひたすらくり返していると、痛みの神経がにぶくなっていくからだ。

患部を氷で冷やすことでも、神経がにぶくなって痛みを感じなくなる。ピアスの穴を開けるとき、氷で冷やすのも同じ理屈である。

同じ効果をねらったものに、アーユルヴェーダのオイルによる治療法がある。アーユルヴェーダではオイルマッサージが有名だが、仰向けになった患者の額に温かいオイルを垂らしつづける方法もある。

垂れてくるオイルによる刺激がつづくことで、感覚がにぶくなって全身が脱力する。それが深いリラックスにつながるのだ。ただしこの治療法の効果は一時的なものでしかない。何かを根本的に治すことも望めないから、治療ともいえないかもしれない。

ボーッとそんなことを考えているうちに、そろそろ休憩時間も終わるころになった。ずっと手刀をつづけてくれていた彼が、「どうですか? 効果のほどは」と聞いてくる。残念ながら腰に何の変化もなかったが、「おかげさまで楽になりました」といって大人の対応をしておいた。

さて、大先生の次の講義は迷走神経の刺激の仕方である。迷走神経とは、自律神経の一つで、脳から首、胸、腹を通って内臓の働きを調整している神経である。

「自律神経のバランスが崩れることで云々」といって、病気の原因の説明をするお医者さんも多いから、「自律神経の乱れ」といわれれば、一般の人はなんとなくわかったような気になる。自律神経という言葉にはふしぎなパワーが隠されているようだ。

確かに、迷走神経の働きが悪いと胃などの内臓の働きもにぶるので、迷走神経の刺激となると期待できる。

またまた大先生が登場し、今度はモデルを仰向けにしたかと思うと、「迷走神経を刺激するには、肩にある僧帽筋の下をこのように押す」と説明し始めた。

アレ? 私の知識では、迷走神経の位置がちがうような気がする。これは先生のいいまちがいだろうか。周囲を見回したが、会場のみんなは大まじめに聞いている。

ここで私は悟った。たとえ刺激する場所が解剖学とちがっていても、それが効果を発揮するなら、それはそれでイイのだろう。人間の体のしくみなど、いわば未知の世界そのものだから、これもアリなのかもしれない。

そもそも民間療法は、医学の常識とはちがうところに存在価値があるともいえる。既存の医学と全く同じものならば、民間療法の出る幕はない。

もちろん基本的な医学知識があることは大前提である。しかし現在の医学で治らない病気も多いのだから、医学を完全に踏襲する必要はない。だからといって漢方医学への懐古趣味でもない。民間療法が現代医学よりも先に行って、最先端医学となる可能性があるはずだ。そうだ。私はそこを目指そう。

この悟りを得ただけでも、十分にここに来た甲斐があった。近藤くんには「誘ってくれてアリガトね。そろそろ仕事に行く時間なので」と告げて、私は意気揚々と会場をあとにしたのだった。(つづく)

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