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テレビ局でプロデューサーをしている河野くんから、「日本に帰ってきたヨ~」と連絡があった。彼は私が特殊美術の仕事をしているころからの仲間で、今でもわりと頻繁に行き来している仲良しである。
彼は番組のロケで、しばらくの間、東南アジアに行っていたらしい。向こうで買ったお土産を渡したいから、久しぶりに食事でもどうかというお誘いだ。
河野くんにはテレビの仕事だけでなく、私がインドから帰国してホームレスだったころにも、えらくお世話になった。頼めばいつでも気持ちよく家に泊めてくれたし、やせ細った私を心配した奥さんは、心尽くしの手料理でもてなしてくれた。いわば大恩人なのである。
「あのころは本当にお世話になったもんナ~」。そんなことを思い出しながら、彼の家に行って呼び鈴を押すと、聞き慣れた音とともに、いつものように河野くんが玄関ドアを開ける。するとあいさつもそこそこに、「いや~死ぬとこだったヨ~」とロケのたいへんさを勢いよく語り始めた。
ロケがたいへんなのは毎度のことだけど、きつかったのは撮影スケジュールがタイトだったからだけではない。ロケで借りた農家の納屋で、あわただしく撮影準備をしていた彼は、棚の上に置いてあった農薬を、誤って頭からかぶってしまったのだ。
あわてて全身ザブザブ水洗いして、病院でも処置してもらったので、その場は無事にすんだ。ところがそれは有機リン系殺虫剤と呼ばれる農薬で、皮膚からも直接体内に吸収されてしまう。場合によっては死に至ることもあるという、たいへん危険な毒物なのである。
その農薬の名前は私にも聞き覚えがあった。私が子供の時分には、田舎の農家ではみんなそれを使っていた。その農薬を飲んで自殺する人がよくいたので、子供心にもあれは猛毒なのだと刷り込まれていた。
それほど危険なモノだから、日本ではもうあまり使っていないはずだが、ロケ地の東南アジアの国では、まだふつうに使われているのだろうか。
河野くんは人一倍働き者で、もともとはかなり健康なタイプである。本当に彼が無事でよかったと思いながらも、仕事柄、「もしかして」という不安が頭をもたげてくる。そこで急遽、体の状態をチェックさせてもらうことにした。
するとどうだろう。左の起立筋が異様に盛り上がっているではないか。前はこんな体ではなかったはずだ。しかもあれほど柔軟だった筋肉が、パーンと張って板のように硬い。以前の河野くんとは、全く別人の体になっているのである。
この急激な変化は、その農薬のせいなのだろうか。そこですぐに須藤さんのことを思い出した。須藤さんも左の起立筋が異常に盛り上がっていて、筋肉が硬い。彼女は毒を盛られて、その後10年以上たってから大腸がんが見つかったのだ。
ひょっとして何かの毒にさらされると、全身の筋肉がガチガチになって、刺激に対して反応がにぶくなるのだろうか。しかも起立筋に見られるように、この異常は体の左側に顕著に現れるものらしい。初めて森本さんの体でこの現象を発見して以来、会う人会う人みな左半身に異常が現れていたのである。
また、多分、一度この異常が現れると、自然に元の体にもどることはない。そのあげく、がんになってしまうのかもしれない。私も自分の体を調べてみたら、極端ではないものの、やはり左半身に異常があった。今は何も症状がなくても、この状態では安心できない。
いったい世の中には、どれだけの人が左の起立筋に異常を抱えているだろう。この異常を発見してからというもの、ずっと医学書で調べつづけているが、それらしい記述に出会ったことはない。もしかして医学界では、すでに常識以前の常識だから、あえて取り上げないのだろうか。まだまだ調査が必要だ。
河野くん本人にも、体が異常になっていることを伝え、私がこの現象を見つけてからの一連のできごとを、順番に説明していった。すると「将来がんになるかも」といったあたりで、かなり不安にさせてしまったようで、彼の表情が急に暗くなった。
これは失敗だった。私としては一般的な傾向としての話をしていたつもりでも、聞いた人は「自分ががんになる」と受け取ってしまうのだ。「とりあえず今は何も起きていないのだから、これからおいおい体を刺激して、体質の改善をめざそう」。あわててそういったら、やっと河野くんも少しは安心してくれた。
やっぱり私が軽率すぎたのだ。がんの話なんか、みだりに口にすべきではなかった。現象の発見の話とはいえ、がんには死病のイメージが強いのだから、人に伝えるときにはよほど慎重にならなければいけない。そう肝に銘じたのだった。(つづく)
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