小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:釣り

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最近また釣りを始めた。始めたといっても、月に1回も行けるわけではない。それでもふとした瞬間に、「今度は何を釣ろうか」と考えるだけで楽しい。

もともと田舎育ちの私は、子供のころから近くの川で釣りをするのが好きだった。しかし大人になるにつれ、釣りに行くこともなくなった。都会暮らしになると、なおさらその機会もない。今でも余裕があるわけではないが、釣り好きの高旗さんに誘われて再開したのである。

カースタントの高旗さんには、特殊美術の仕事のころからお世話になっている。彼は仲間から「ボス」と呼ばれて尊敬される存在だ。大の釣り好きとしても有名で、しょっちゅう自分で船を出しては大物を釣り上げていた。地元の漁師さんからも一目置かれるほどだから、話を聞いているだけでもワクワクする。

私も趣味は同じだが、あいにく船酔いするタチなので船釣りは苦手だった。ところがこの日はあまりに天気がよかったので、誘われるままにボスと二人で相模湾の小さな漁港まで釣りに出かけたのである。

釣りというのは、行けば必ず釣れるわけではない。釣りをしない人には理解できないらしいが、釣り好きなら、釣れても釣れなくても楽しいものなのだ。この日もポカポカとした春の陽気のなかで、のんびりと釣り糸を垂れて久しぶりにくつろいでいた。

すると突然、後ろのほうでドカンと大きな破壊音がした。釣りをしている港の後ろには国道が走っている。音がした方角に目をやると、モウモウと白い煙が立ちのぼっていた。「あ!」と思ってボスの顔を見ると、ボスは「行ってみよう!」とだけ告げて国道に向かった。

そこには大型のタンクローリーが横倒しになっていた。自動車事故である。車の前に回ると、運転席のフロントガラスを突き破った状態で、男性がぶら下がっていた。タンクからは積み荷の液体が漏れ出して道路に広がっている。そこから白い煙があたり一面に充満しているのだ。これは何だろう。

漏れた液体が引火物なら爆発の危険がある。しかも車のエンジンがかかったままなので、ガソリンが漏れてくれば一気に爆発してしまう。これがとてつもなく危険な状況であることは私にもわかった。事故の音を聞きつけて集まった近所の人たちも、近づくわけにもいかないので遠まきに見ているだけだった。

ところがそんな状況でも、ボスはためらうことなくまっすぐに車に駆け寄った。カースタントで幾多の危険をかいくぐってきただけに、反応速度が素人とは格段にちがう。即座に積み荷の表示を確認し、「温泉の湯だ!」と叫ぶなり、横倒しになった車の下にもぐりこんだ。

道路に漏れ広がっているのはお湯でも、エンジンがかかったままではいつガソリンに引火して爆発するかわからない。運転手を助けるには、まずはエンジンの停止しかないと判断したのだ。

すかさず私も運転席によじ登り、窓からぶら下がったままの男性を助け出そうとした。彼はフロントガラスを突き破った際に、頭の皮が半分ほどはがれていた。あたりは血だらけだ。声をかけても全く反応はない。首に指を当てると、かすかに脈があった。なんとしても助けたい。

ところが力いっぱい引っ張っても、押しつぶされた運転席に脚がはさまっているようで、彼の体はビクともしなかった。

そのタイミングでボスがエンジンを止めた。おかげで爆発の危険はなくなったので、近くの人に脚立をもってきてもらう。それを足がかりにして運転席にもぐりこみ、ボスと二人で悪戦苦闘した。あまり手荒なこともできないので途方に暮れかけたころ、ようやく消防のレスキューが到着した。

ここでホッとしたが、5~6人のレスキューの手でもなかなか脚は抜けてくれない。それから何分たっただろうか。脚をはさんでいた部分を機械で押し広げ、やっとのことで体を引き出した。しかし担架に乗せたときには、もう彼の脈は消えてしまっていた。

彼が救急車で運ばれるのを見送ったところで、自分の手が血だらけなのに気がついた。その手をタンクローリーから漏れ続けている温泉のお湯で洗いながら、彼の家族のことを思った。

まだだれも彼が事故に遭ったことなど知らずにいる。夕方になれば、仕事を終えた彼がいつものように帰ってくると思っているだろう。しかし事故の知らせが届いたら、一瞬でそんな日常など吹き飛んでしまう。これはだれにとっても、決して他人事ではない。

釣り場にもどっても、ボスも私も釣りを続ける気にはなれなかった。おしだまったまま道具を片づけ、帰路につく。重たい空気に包まれた車内で、運転席のボスが、「君のそんな真剣な顔は初めてみたナ」とつぶやいた。

確かに、私は自分の人生にそんなに真剣に立ち向かってこなかった。いい加減に生きているように見えたかもしれない。そんな私でも、赤の他人とはいえ、人の死に立ち会うことは大きな衝撃だったのだ。

整体の仕事を通して人の生死にかかわるようになると、いやでも真剣にならざるを得ない。ただこれまでの私は、そのことをまだ知らなかったのである。(つづく)

モナ・リザの左目 〔非対称化する人類〕

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小説『ザ・民間療法』挿し絵004-1
世には「釣りバカ」と呼ばれる人種がいる。初めて竿を出したあたりで、いきなり大物を釣り上げてしまった人の成れの果てだ。最初に大物が釣れたのは、いわゆるビギナーズ・ラックである。たまたま運が良かっただけなのだ。だが、その感触が忘れられずにのめり込んでいく。

私の場合は、母親の発作に続いて、スタッフの腰痛まで治せてしまった。2度目の成功体験である。これで体を治す魅力に取りつかれないわけがない。それがだれも釣り上げたことがない魚だったとなれば、感激もひとしおだ。

ところが治療も釣りと同じで、いつでも大物が釣れるわけではない。逆にめったに釣れないからこそ、「今度こそは」と深みにはまっていく。釣りバカのバカたるゆえんは、そのうち大事な仕事まで放り出して、釣りに没頭するようになるからだ。

例に漏れず、いつしか私も特殊美術の仕事にはエキサイトできなくなった。腰痛を治したときの、あの興奮を再現したくて、とうとう仕事までやめてしまった。だからといって、治療を仕事にしようとも思わなかった。釣りバカが転じて、漁師になる人などまずいないのと同じである。

そこで私も、しばらくは「これからどうしたものか…」と、うつうつとしながら貯金を食いつぶして暮らしていた。そんなあるとき、友人がインドの聖者・サイババに会いに行くという。あのころは世界中でサイババ・ブームだった。彼のもとを訪れる「サイババ詣で」と称するツアーが、日本でも大人気だったのだ。

だが私は彼に興味はなかった。ただ何か変化するきっかけが欲しかった。物理的にも心理的にもインドは遠かったが、それがいい気がした。そこでツアーのグループに同行して、とりあえずインドまで渡ってみることにしたのである。

どうせ行くなら、短期の観光旅行ではつまらない。いっそのこと1年ぐらいインドに滞在して、あとは世界中を放浪してみよう。そう決めたら話は早い。まず、身の回りのものを全て処分した。インドに行くためのわずかな手荷物と現金以外は、家財道具から何から一切合切、部屋中で育てていた大量の観葉植物まで友だちに譲った。これでもう思い残すことはない。

旅立ちの朝、何もなくなってガランとした部屋を見回す。そこには俗世を離れて、このまま悟りの境地に到達できそうな静寂があった。あの澄み切った感覚は格別だった。断捨離が流行するのもわかる。しかしいくら断捨離がはやっても、私のように「転出先インド」とだけ記して、住民登録まで処分した人はいないだろう。

「インドに立つ、しかも帰るのはいつだかわからない」
そんな話をうわさで聞いた人は、私がついにインドまで修行に行くのだと思っていたようだ。もちろん本人にはそんな気は毛頭ない。私は知らなかったが、「インドの山奥で修行して~♪」という歌が浸透していたのである。90年代の前半は、まだある意味ではそんなノンビリした時代だったのだ。(つづく)
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