小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

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162
前に釣りに来たのはいつだったかな。冬の間は休みを取れなかったから、もう半年ぶりだろうか。今日はせっかく晴れているのに、風が強いせいで糸がからんでばかりだ。

からんだ釣り糸ってのは、どうしてこうもほどきにくいんだろう。ただでさえ釣れないときに、糸までからむとガッカリする。

ここで根気のある人なら、からんだ糸を丹念にほどいていくのだろう。でも元来イラチな私はすぐにキーッとなって、糸がからんだ部分をまるごと切ってつないでしまう。

どうせヨリをもどしたって、一度からんだ糸はクセがついているから、次からはもっとからみやすくなる。だから私のやり方は、あながちまちがっているわけでもない。

からむのは柔らかい釣り糸だけじゃない。金属製の硬い針金だって、からむときにはからむのだ。妙な形でからんでくる針金を見ると、「おまえはタチの悪い酒飲みかヨ」といいたくなる。

実は人間の体にも、釣り糸みたいにヨレてからむ力が働いている。そんなこと、世の中の人は全く知らないはずだ。その点、先日、来院した安野さんは例外だった。

「変な話なんですけど、私、トイレで用を足しているときに、なぜか上半身が右手側に回転しちゃうんです。これってどうしてなんでしょう」

そういうと、彼女は恥ずかしそうにうつむいて、目をパチパチさせた。

安野さんはまだ20代なのに、病院で大腸がんだと診断されていた。彼女の話では、がんだと診断される前から、体が右に回るようになっていたらしい。

がんの診断を受けたころには、それがますますひどくなっていたので、がんと何か関係があるのではないかと考えたのだ。こういう風に、客観的に自分の体を観察できる人は案外少ない。

私の患者さんのなかにも、上体が右手側に回ることに気づいた人が何人かいた。彼らはみな共通して、左の脊柱起立筋が異様なほど緊張していた。

だれでも上半身を右に回そうとすれば、左の起立筋が緊張する。これは人類共通のノーマルなしくみである。ところが安野さんみたいに、自分が回そうと思ってもいないのに、勝手に左の起立筋が緊張して、上体が右に回ってしまう人がいる。これは「アシンメトリー現象」の一つの特徴なのである。

また、「アシンメトリー現象」では、左の肩が前のほうに巻き込んでいく。すると上体はいよいよ右手側に回りこむ形になる。

私は、自分の体を右に回してみせながら、説明をつづけた。

「だれでも多少のアシンメトリー現象はありますし、睡眠不足や疲れが溜まっているときには、その度合いが強くなるんですよ」

「あ、それわかります! 私も体調の悪いときほど、上半身がグイッと右に回っていたんです!」

安野さんは、これまで一人で抱えてきた疑問や不安の原因がわかって、ちょっと興奮気味にそういった。「アシンメトリー現象」のことを知ったおかげで、ちょっとだけ不安が解消されたようだ。

「アシンメトリー現象」は、体が左右非対称になる現象だけれど、より厳密にいうなら、体が片側にねじれていくことで、左右非対称に見える現象である。

つまり平面で見れば「アシンメトリー現象」だが、立体的に見れば、動きを伴ってねじれていく「ねじれ現象」なのである。

「アシンメトリー現象」と呼ぶにしろ「ねじれ現象」と呼ぶにしろ、この左右の非対称性は、初めから人間の体に組み込まれているしくみらしい。その証拠に、大なり小なりだれにでもこの現象が見られるので、無意識のうちに、私たちのごく身近な生活にも影響しているのだ。

たとえば陸上競技場は、全て左回りに走るように設計されている。なぜそうなったかについては諸説あるが、どれも決定的ではない。

実は「アシンメトリー現象」の場合、骨盤の左側が上体方向に上がっている。これは仰向けになれば、左脚が右脚よりも短くなった状態だ。

この状態で立ち上がると、重心が左側に偏るので、体は左に傾く。左に傾いた人は右回りには走りにくいから、左回りのコースのほうが走りやすい。

実際、「アシンメトリー現象」の人の割合は非常に多いので、トラックは左回りになっていると考えることもできる。

他にも、右回りか左回りかは、利き足の影響で決まったという説もある。しかし利き足を決定する大本の要因ですら、そもそも「アシンメトリー現象」の影響が大きいのではなかろうか。

安野さんの背骨のズレを矯正しながら、そんな話をした。彼女はまだ若い自分がどうしてがんになったのか。その答えを探していたので、こういう話にも人一倍興味があるらしかった。

熱心に耳を傾けてくれる彼女と話していたら、ふとこんなことを思いついた。

ヨリのついた釣り糸は、古くなったりちょっと傷がついたりすると、よけいにからみやすくなる。これは人間も同じなのかもしれない。逆に、人間の体にはもともとヨリがかかっている分、釣り糸よりもからみやすいのではないか。

もちろん人の体は、釣り糸みたいにヨレたところでプツンと切ってつなげるわけにはいかない。あくまでも根気よく、丹念にヨリをもどしていくのが大切なのである。(つづく)

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161
だれだって、一度や二度は人生につまずくことがある。ところが私は、これまでずっとつまずきっぱなしだった気がする。

だが、つまずくたびに仕事を替えてきたおかげで、実にさまざまな職業を体験してきた。とうてい履歴書の職歴欄なんかに収まりきる量ではない。それでもその経験が、私にとって何かのプラスになっているのかもしれない。そう思うことがある。

なかでもいちばん思い出深いのは、埼玉県和光市にあった自動車工場で、期間工をしていたときのできごとだ。

時代はバブルの真っ盛り、世の中は好景気に浮かれていた。そんな世情とは裏腹に、私は不況の真っ只中にいた。つまり食い詰めていたのである。そのときに運良く見つけたのが期間工の仕事だった。

これなら、資格や技術がなくても応募できる。給料がそこそこもらえるだけでなく、三食付きの寮まであった。家賃がかからないのでお金が貯められる。当時は、冬場に仕事がない東北や北海道あたりからの出稼ぎの人が多かった。

私が最初に配属されたのは、エンジン部品の検品の部署だった。自慢じゃないが、私みたいにいい加減な性格のヤツを、そんな重要なラインに配置していいのか。ちょっと疑問だったが、人事としては、私が一応は大卒だからやらせてみようと考えたのかもしれない。

手順のかんたんな説明が終わると、いきなりベルトコンベアーの前に立たされた。目の前を流れてくる部品を、いわれた通りにチェックしていくのである。最初のうちこそ緊張したが、すぐに慣れた。

「なんだ、カンタンじゃないか。休憩まであと何分かな~」

そんなことを考えていると、私のラインの下流で何やら騒いでいる。「アレ?何かあったのかな」と思った瞬間、目の前のラインがストップした。私のラインだけではない。工場全体のラインが停止したのだ。

それまでの騒々しかった機械の音が消えて、工場内は奇妙な静けさに包まれた。

「停電か!?」

原因を見極めようとして、周囲が一斉にざわつき始めた。

このころの自動車会社といえば、増産に次ぐ増産で、工場は昼夜の関係なくフル操業していた。ラインを止めることなど断じてあってはならない。そのラインが止まるなんて、ただごとではない。

だが私は、止まったラインの前で、これ幸いとばかりにノンビリと休憩していた。ところがしばらくすると、停止の原因がはっきりした。

なんと私が検品した部品のなかに、不良品が混ざっていたのである。それも一つや二つじゃなかったから、全体のラインを止めて対応するしかなかったのだ。

「やらかした」

背中を冷たい汗が流れた。後悔しても後の祭りである。でも、こういう仕事には向き不向きがある。私には向いてなかったのだ。その日は何もいわれないまま、寮に戻された。「これでもうクビかな」と思うと、晩ご飯は味がしなかった。

次の日、食堂でモソモソと朝ごはんを食べていると、配属の係の人がやってきた。クビのお達しかと思ったら、今日からはちがう部署に行けという。

ヤレうれしや。クビじゃなかったのだ。私がクビにならなかったのは、それほど深刻な人手不足だったのだろうが、とりあえず助かった。

新しい部署では、ドブ漬け作業を任された。ドブ漬けは、風呂桶みたいな油槽に、自動車部品を浸すだけなので、かなり単純な作業である。

これを二人一組でやるのだ。そこにもう一人、部品を運んでくる係がいる。私を含めたこの三人は、他の部署で使いものにならなくて、急遽この作業をあてがわれたらしかった。

私の相方になった西田くんは、とにかく明るい人だった。彼は何年もアフリカを放浪し、現地の女性と結婚していた。今は、景気のいい日本でお金をかせぐために、一時帰国して働いているのだ。

もう一人の佐藤くんは、青森の農家の次男坊である。中学を出ると同時に実家を飛び出して東京まで来たものの、一向に定職が見つからない。そこで職探しをしながら、ずっと新宿のソープランドで呼び込みをしていたそうだ。

二人とも、私のまわりでは聞いたこともない体験をしていて、話がすこぶるおもしろかった。境遇こそちがえど、同年代ということもあって私たちは妙にウマが合った。

ドブ漬けの作業そのものも楽しいし、特別だれかに監視されているわけでもない。それにここは広い倉庫の片隅で、いつもシーンとしているので、おしゃべりだってしやすい。これならなんとかやっていけそうだ。

いつしか私たちは、作業の合間にお互いの人生感まで語り合うようになっていた。たまたまあの世の話になったとき、私は、知人にすすめられて読んだことのある、高橋信次の本のことを話した。

そこには、「人は何度でも生まれ変わる。この肉体は、魂の乗り船にすぎない一時の借り物だ」とか、「この世に生まれてきたのは、自分の魂のクセや欠点を修正するためだ」と書かれていたのである。

また、「人生の目的は幸せになるためで、それぞれの魂の成長度合いによって、あの世に帰ったときの行き先が決まる」。そんなことも書いてあった。

こんな話は、よほど親しい人にもしたことがなかったのに、彼らになら何でも話せた。私のあやふやな話だって、彼らは批判するどころか、身を乗り出して真剣に聞いてくれるのだ。

ふとした拍子に高校の話になったら、「エッ、Mさんて高校出てるんスか!スゴイっすね~」とおどろかれた。そういわれてしまうと、まさか大学まで出ているとはいえなくなった。

だが私が高卒だと知って以来、二人はますます目を輝かせて、私の話を敬意をもって聞いてくれるようになっていた。

さらに高橋信次の話をしてからというもの、彼らの心のなかに新しい扉が開かれたようで、もう仕事のことなんかどうでもイイらしかった。

佐藤くんなどは、ことあるごとに「タマスウっつうのは」といって、私を質問攻めにした。どうにかして自分が生きる意味を見極めたい。そのために必死になって、私からありったけの知識を引き出そうとしていたのである。

そしてある日突然、「オレ、青森に帰って実家のりんご農園を継ぐことに決めた」というと、サッパリとした笑顔を残して工場から去っていった。

私のつたない話が、彼の人生の指針にでもなったのだろうか。彼の姿を見送りながら、私はなぜか、先を越されたみたいな気分になっていた。

どうして私はこんな気持ちになるのだろうか。しばらく考えているうちに、なんとなくわかってきた。私はあの高橋信次の本を、もう一度、腰を据えて読み直してみなくてはいけないのだろう。(つづく)

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160
その日、会田先生は新宿で人に会っていた。打ち合わせが終わって時計を見ると、まだ午後2時を過ぎたばかりである。今日はもう大学に戻らなくてもいいのに、このまま帰ってしまうのももったいない。せっかく新宿まで来たのだから、駅近くの家電街をのぞいてみることにした。

先生のお目当ては、趣味のオーディオパーツである。ふだんなら秋葉原に行くけれど、たまにはいいだろう。ここでだって、何か掘り出し物が見つかるかもしれない。

だが最初にのぞいた大型家電量販店は空振りだった。まあアキバじゃないからナ。仕方ない。ほかの店を回ってみよう。騒々しい店内放送を浴びながら店を出ると、交差点の向こうからリヤカーを引いたおじさんがやってきた。

今どきリヤカーか。珍しいナ。先生は彼が近づいてくるのを待った。すれちがったときに荷台をのぞくと、同じ本ばかりが山積みになっている。何だろう。どうも気になる。好奇心に負けた先生は、追いかけて行って彼の横に並ぶと、「それは何ですか」とたずねた。

すると彼は、それまでの険しい表情をくずして、「あ~」といって立ち止まった。

「これは私が書いた本です。自叙伝みたいなものですが、本屋ではなかなか売れないので、こうやって野菜みたいに自分で売って歩いているのデス」

丁寧にそう答えると、彼はふところから汚い手ぬぐいを取り出して、額の汗をぬぐった。

自分の本をリヤカーで売り歩くなんて、いよいよ珍しい。予想外の返答におどろいた先生は、「それなら私も1冊」といって買い求めた。オーディオパーツのことなんかすっかり忘れて、先生は急いで家に帰ると、そのまま万年床に寝転がって本を開いた。

『馬の骨放浪記』と題されたその本は、彼が浮浪児だったときの記述から始まる。彼の記憶は、拾ってきたサバの頭と内臓を、ほかの浮浪児たちといっしょに橋の下で煮ている場面から始まっている。それ以前の記憶はないのである。

そのときの彼には家がなかった。そればかりか家族もいない。自分の名前も年齢さえもわからない。いつどこで生まれて、どうしてここにいるのかもわからなかった。

そこから苦労を重ね、やっと大人になりかけたころに戦争が始まった。そして国家総動員法によって、兵隊として中国の戦地へ送られることになった。そのとき初めて、彼は「大正生まれの山田勝三(やまだかつぞう)」として戸籍に記載されたのである。

戦争中の悲惨な体験もさることながら、敗戦後、命からがら日本に帰り着いてからも、彼の苦労はとどまることがなかった。「よくぞここまで」、と思うほどのアクシデントの連続に、読みながら何度も胸がつまる。

そんな彼が、やがて頭が禿げ上がる年齢になってから、夜間中学へ通い始めた。そこで初めて文字を覚えて書き始めたのが、本書の原稿なのである。

会田先生は引き込まれるようにページをめくりながら、宮本常一の『忘れられた日本人』のことを思い出していた。あの本は、社会の底辺で暮らしてきた市井の人々の半生を、本人たちの口から聞き書きしてまとめた1冊だ。

一方、勝三さんの本は、自分のこれまでの人生を、自分の手だけで書き上げたものである。リアリズムという言葉さえ虚ろに聞こえるほど、むき出しの体験が読む者の胸に突き刺さる。

会田先生は一気に読み終えると、大きなため息とともに本を閉じた。気づけば外はもう真っ暗だ。食事をとるのも忘れていた。それにしても、これほどの本に出会えることはめったにない。これはぜひとも、学生たちにも読んでもらわなくてはならない。

その翌朝、先生はいつもより早く家を出ると、勤務先の大学近くにある本屋の前で開店を待った。そしてガラガラとシャッターが開くのと同時に、顔なじみの店主に『馬の骨』を見せながら、これを大量に入荷してほしいと頼みこんだ。

もちろん店主も、始めはウンとはいわなかった。先生が、「売れ残ったら私が全部買い取りますから」とまでいうと、ようやく首を縦に振ってくれたのだ。

それから20年近くたったころ、会田先生からたまたまこの話を聞いた。ネットで探してみるともう絶版になっていたが、運よく古書が見つかったので、取り寄せて読んでみた。

会田先生がいった通りだ。これまでノホホンと暮らしてきた私には、勝三さんの体験の一つ一つが衝撃だった。だが本を読み終えたとき、なぜか腹の底からフツフツと気力がわいてきた。

思い起こせば、これまでにも人生観が変わるほどの本に、私はいくつも出会っていた。それが、そのときそのときの私にとって、人生の道しるべとなったのだ。

しかし今まで読んできた本は、この本とは決定的にちがっていた。主人公が困難にもめげず、過酷な人生を生き抜いた点は同じでも、ラストには救いがあった。

だが『馬の骨放浪記』には救いがない。この先、勝三さんはどうなってしまうのか。読者が不安に駆られたところで終わっている。編集後記にも、彼のその後についての記述はない。その代わり、この本の出版の経緯が載っていた。

勝三さんは、大量の手書き原稿を紹介もなくいきなり出版社に持ち込んだのである。出版社なら、無名の人間から原稿が持ち込まれることなど珍しくもない。社長は分厚い原稿の束を快く受け取ると、いつもの通りデスクの横に放置した。

ところがあるときふと思い出して、新人の編集者に、「オイ、明日までにこの原稿読んでこい」といって手渡した。これが運命を分けたのだ。

社長命令なので拒否権などない。いわれた通り、彼は原稿を持ち帰って読んでみた。そして翌朝、出社するやいなや、「社長、これはすごい内容です! ぜひ出版すべきだと思いますッ」と熱を込めて訴えた。

「読んでみろ」とはいったものの、さすがに最初のうちは社長も、「何をいっているんだ」といぶかった。だが彼の気迫に押されて、自分でも読んでみた。その結果、やはり内容に圧倒されて、即座に出版を決めたのだった。

本はふしぎな存在だ。小さな紙の束に、文字という記号がひたすら並んでいるだけなのに、そこには果てしない宇宙が広がり、読む人の人生を変えてしまうほどの出会いが待っている。著者が本にこめた熱意は、そうやって必ずだれかに伝わっていくものなのだ。

月刊誌の連載が打ち切られてからというもの、私はもう、「アシンメトリー現象」の存在を伝えることをあきらめかけていた。しかし本にはとてつもない力があるのだ。その力を信じて、私ももう一度、本を書いてみよう。(つづく)

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155
渋谷駅のホームに駆け上がると、電車は今出たばかりだった。まあいい。山手線は間隔が短いから、すぐ次が来る。焦る必要はない。

ホームに立って息を整えていると、線路の向こうに貼ってあるポスターに目が止まった。そうか。上野の博物館でナスカ展が開催中なのか。テレビもないし、新聞も取ってないから知らなかった。

ポスターのすみには、つぼ型の土器の写真が載っている。赤茶色のつぼの表面は、レリーフ状の人の形になっていて、その顔を見た瞬間、私は息が止まった。

「こ、この顔ってもしや?」

鼻筋が極端に左に折れ曲がり、口角も左側が上がっている。それはもう、ものの見事に、「アシンメトリー現象」が表現されているのである。

これは適当にイメージして造ったものではない。明らかに、モデルの顔に似せて造られたのだ。そうでなければ、ここまで特徴をつかんだ似顔絵みたいな表現にはならない。それが私にはわかる。

当時、でき上がったばかりのこのつぼを見せられた人たちは、「おい、アイツにソックリじゃないか!」といって大笑いしたにちがいない。

それにしても二千年も前のつぼに、「アシンメトリー現象」が表現されているとはおどろきだ。以前、岡本太郎が縄文時代の火焔土器を見て、「あの時代にオレの作品をマネしたヤツがいる」といった話を思い出す。

地球の真裏の南米ペルーで、しかも大昔のナスカの時代に、私と同じ発見をした人がいたのだろうか。そう思うと感慨深い。これはぜひとも上野に行って、この陶工と語り合わねばならぬ。

翌日、勢い込んで上野の博物館に出かけた。だが平日にもかかわらず、館内は人でごった返している。これはどういうことだ。そんなにナスカは人気なのか。

「上野の人混みはアメ横だけでたくさんだッ」

声には出さずにブツブツ文句をいいながら、大勢の人をかき分けて前に進む。すると会場の中ほどに、お目当てのつぼが鎮座して私を待っていた。

このつぼはポスターに載るほどだから、今回の展示ではスター格である。そのはずなのに、みなチラッと一瞥しただけでサッサと通り過ぎていく。これ幸いと、私はすかさずつぼの真ん前に陣取って、じっくりと観察させてもらうことにした。

やはりつぼの実物を見ても、私がポスターを見て感じたことはまちがっていなかった。この顔は、陶工の技術不足のせいで、たまたまゆがんでしまったわけではない。彼は意図的に、顔の形を変形させているのである。これは私にとっては大発見だ。

つぼの前で考え込んでいると、次第に私の周りに人だかりができ始めた。さっきまでは私一人だったのに、今ではみなが「私の」つぼをしげしげと見つめている。

「アァうっとうしい。アメ横にでも行きやがれッ」

もちろん口には出さない。でも、私のところで流れが滞留するのも迷惑だろう。気を取り直して他の展示も見ることにした。

あのつぼから離れてみると、なんと他にも顔を変形させたつぼがある。それらもみな、鼻を左に曲げてあるではないか。これも同じ人をモデルにしたのだろうか。

展示ケースの脇にある小さな説明書きを読むと、それぞれの制作された時期は、全く別の時代だった。つまり鼻を左に曲げた表現は、時代を超えているのである。これまた大発見ではないか。

それじゃナスカでは何世代にもわたって、鼻が左に曲がった人がたくさんいたのだろうか。ひょっとしたら彼の地では、鼻は左に曲がっているのが当たり前だったのかもしれない。うーむ、ますますおもしろい。

さらに他の展示物を見ていくと、私の足が一点の頭蓋骨の前で止まった。これはトロフィーだ。トロフィーというのは、戦で敵の首を切り落としてミイラにしたものだ。ミイラとはいっても、もうほとんど骨だけの状態になっている。

その頭蓋骨は、あのコペルニクスやうちの骨格標本のジェームスくん同様、左半分が変形していた。これは決定打である。やっぱり古代ナスカには、「アシンメトリー現象」の顔をもつ人がいたのだ。

逆に、どっちを向いても「アシンメトリー現象」の人だらけだった可能性もある。だからこそ、当たり前のようにつぼにだってそのまま表現されているのだろう。

ナスカといえば、地上絵で有名なミステリーゾーンである。そこに新たなミステリーが加わったのだ。ひょっとしたらこれは、人類学的にも大発見かもしれない。

「アシンメトリー現象」はいつから人類に現れたのか。この問いの答えに向かって、これでまた一歩近づけた気がした。(つづく)

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154
私のまわりには、釣り好きの女性がけっこういる。先日も、その筆頭の河原さんが、自分が釣ったフグをくれようとして困った。たまたま仕事の打ち合せ中にその話をしたら、杉本さんまでが、「私もいちど釣りをしてみたい」といい出した。

ちょっと待てよ。杉本さんはどう見てもオタク、いやインドア系ではないか。他のワイルド&アウトドアな友人たちとは、全くタイプがちがう。日焼けとか海風とか、ましてや釣りエサのイソメ手づかみなんて、からっきしダメそうだ。

彼女の意外な申し出にとまどった私は、「エエ、じゃ、ま、今度行きましょうか」と、あいまいな返事をしておいた。

実際、「いちど釣りをしてみたい」という女性は多いけれど、ほとんどは私に話を合わせているだけなのだ。ところが杉本さんは、「それではいつにしますか」といいながら、もうスケジュール帳に手を伸ばしている。

イカン。本気である。さすが元・野武士。武士に二言はなかったのだ。

そもそも釣りには、一発大物狙い派と、釣れりゃあ雑魚でも何でもイイ派がいる。フグまで持って帰る河原さんは、もちろん後者である。私はというと、いつだって大物狙いなので、全く釣れないで手ぶらで帰ることが多い。

しかし杉本さんは初めての釣行だから、やっぱり何か釣って帰りたいはずだ。そういって水を向けると、手帳をにらんだまま、「いえ、一発大物で」と即答だった。恐る恐る「釣れないかもしれませんヨ」と念を押したが、それでもいいらしい。

そうか。それならそれで行こう。だが大物狙いとくれば船に乗るべきなのに、あいにく私は船酔いにめっぽう弱い。もちろん船は高くつく。そこでとりあえず、いつもの陸釣り(おかづり)と決めた。

翌週の水曜日。手帳を見ていたら、明日は仕事の予約が入っていないことに気がついた。しがない自営業者としては、仕事に空きがあるのはありがたくない。しかし、これは約束を果たすチャンスである。お天気も悪くなさそうなので、早速、杉本さんに電話して、翌朝の始発電車のホームで待ち合わせることにした。

ホームに着くと、いつもの格好の杉本さんが立っていた。足元だけはスニーカーだ。もちろん私も釣り用のウエアなんか持っていないから、普段着のままである。始発だし、通勤客とは逆向きなので車内も空いていて助かった。

電車を乗り継いで向かった先は、小田原の早川駅からそれほど遠くない場所だ。漁港の先に、ちょっとした釣り場がある。ここは電車で行ける場所のわりには、案外よく釣れる。

ところがいつもの釣りポイントに着いてみると、海岸には古タイヤやら漁具やら、得体のしれないゴミが大量に打ち上げられていた。昨日はえらく海が荒れたようだ。

「こりゃダメだな」

海が荒れた次の日というのは、釣れたためしがない。案の定、エサを付けた針を投げ込んでも、竿先はピクリともしない。杉本さんには申し訳ないが、早くもボウズの気配が濃厚だ。

それでも杉本さんは、釣りの合間に浜を歩き回っては、ビーチコーミングにいそしんでいる。ゴミに混ざって、色とりどりの貝殻が混じっているのを見つけては、砂の上に並べている。

私も周囲を見回すと、15センチほどの細長い骨が、砂に半分埋まっているのを見つけた。拾い上げてみると、波に洗われた真っ白の骨だ。私は2、3度握ってみてから、近くの古タイヤの上にのせた。

結局、この日は1日粘っても釣果はゼロで、二人して見事にボウズだった。杉本さんとしては、海に来られただけで満足そうである。私も約束が果たせてホッとした。

日暮れに乗り込んだ東海道線の車内は、通勤帰りのサラリーマンで混んでいた。ほどよい疲れとともに電車に揺られていると、吊り革を握った手のなかに、砂浜で拾ったあの骨の感触がよみがえってきた。

「あ、あれはヒトの骨だ!」

思わず声が出た。あれは人骨で、成人男性の上腕骨の感触だった。あのときは釣りに意識が向いていたけれど、今、冷静になって思い返してみると、まちがいない。となりに立っている杉本さんに話すと、「それなら警察に届けないといけませんね」といった。

そうだそうだ。人骨を見つけたとなったら警察だ。私は駅で杉本さんと別れたあと、アパートの近くにある交番に立ち寄った。都合よく、暇そうにしていたお巡りさんに、小田原の海岸で骨を見つけた話をしたら、管轄の署へ連絡してみるといってくれた。これで責任は果たした。

その翌々日、「さあ昼ご飯でも食べに行くか」と思っていると、私の携帯電話が鳴った。「0465」から始まる見慣れない番号だ。あわてて出てみたら、小田原の警察署からだった。

その人の話では、あの骨は私がいった通り、海岸の古タイヤの上で見つかったようだ。調べてみたらやはり人骨で、成人の上腕骨だったらしい。しかし事件性が薄いので、「この骨は、こちらの署で処分することになりました。ご協力ありがとうございました」。そういって電話は切れた。

やっぱりね。でも、ちょっと握ってみただけで上腕骨と見破ったとは、われながらスゴイじゃないか。そう思う反面、あの状態でなぜ事件性がないと判断できるのか。そこがふしぎだ。

あれは決して火葬された骨ではない。しかも波で洗われてはいても、骨の折れ口は新しかったのだ。事件性はなくても、事故かもしれないじゃないか。

早速、杉本さんにも、このいきさつを報告した。人骨だったなんて気味悪がるかと思ったら、全く気にもしない。それどころか、「警察で処分しちゃうんですか。落とし主が現れなかったら、あの骨はあとで先生がもらえるはずだったのに」と妙なことをいっている。

そういわれてみれば、そうかもしれない。経緯はともかくも、事件性がないのなら、たしかにあれは落とし物である。腕の(骨の)落とし主が、まだ生きている可能性だって、「絶対にない」とはいえない。

イヤイヤそんなことよりも、あの浜には、まだ他の部分の骨だって砂に埋まっているんじゃないか。そんなことまで考え始めたら、また骨を探しに行かなきゃいけないような気がしてきたのだった。(つづく)

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