小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:長編小説

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153
「センセ~、これ読む~?」

そういって、患者さんが科学雑誌を置いていってくれた。休み時間にパラパラめくっていると、天文学者のコペルニクスの顔が載っていた。

「エッこれって!?」私はその顔に目が釘付けになった。

彼の生きた16世紀にはカメラなどない。だからこれはコペルニクス本人を撮った写真ではない。そこにあったのは、彼の遺骨から復元された、精巧なイラストだったのだ。

骨から復元といえば法医学だろうが、ふつうに暮らしていたら法医学などとは縁がない。もっぱら海外のドラマで見るだけだ。

身元不明の遺骨が発見されると、さっそうと現れた法医学者が、その骨から生前の顔を復元し、死因や凶器まで特定して殺人事件を見事解決!そんなシーンがおなじみだ。今の法医学の技術は、それほど正確なのだろうか。

もちろん私には、このコペルニクスの復元イラストが正確かどうかはわからない。私がおどろいたのは、彼の顔に「アシンメトリー現象」の特徴が、はっきりと現れていたからだ。

彼の左目は明らかに右よりも小さい。しかも左目の眼球が上がって、上目づかいになっている点まで再現されている。細い鼻筋は大きく左に曲がり、口角も左が上がっている。

それだけではない。頭の骨だけで復元したはずなのに、彼の左肩は見事に右よりも上がっているのである。「アシンメトリー現象」の説明画像としては、ほぼ満点の出来栄えだ。

それにしても、頭の骨だけから、どうしてここまで完璧に「アシンメトリー現象」の特徴を復元できるのだろう。私は、元になった頭の骨と、復元された顔をじっくりと見比べてみた。すると次第にそのしくみが見えてきた。

コペルニクスの頭の骨は、左半分が若干つぶれたように変形している。そして目、鼻、口の部分の変形が、それぞれ「アシンメトリー現象」の特徴になっているようだ。

「フーン、なるほどね。骨がこういう風に変形すると、顔の形がこうなるのか。おもしろいじゃないか」

クルリとイスを回した私は、部屋のすみに吊ってある、骨格標本のジェームスくんに目が行った。

彼は身長180センチほどで、若いドイツ人だったようだ。うちに来たときからジェームスくんと呼んでいるけれど、ドイツから来たならヤーコプくんとかにするべきだったのかもしれない。

それはさておき、私は前から、彼の骨格が左右で非対称なのが気になっていた。でも、ヒトの骨の形なんてじっくり見たことがなかったから、「こんなものか」と思いこんでいたのだ。

ところが彼の骨は、コペルニクスの遺骨と同じように変形している。そうなると、生前のジェームスくんも、左目が小さくて鼻が左に折れ曲がり、左の口角が上がっていたのだろうか。

それだけではない。彼の背骨の一つ一つが、24個すべて非対称な形をしているのだ。私はこれが最も気になる点だった。ひょっとしたらこの変形は、「アシンメトリー現象」の最大の特徴である、左の脊柱起立筋が盛り上がっていたことの証明なのかもしれない。

少なくとも、本来であれば対称に使われるはずの背中の筋肉に、左右で片寄りがあったことはまちがいない。ここまで骨が変形していたら、ジェームスくんの体には、子どものころから「アシンメトリー現象」があったのではないか。

彼の骨は太くて立派なのに、なぜ若くして亡くなってしまったのだろう。同じ特徴をもつコペルニクスは70歳まで生きたというのに、この2人の寿命のちがいは一体何だろう。

コペルニクスには、いつからこれほどの「アシンメトリー現象」が現れるようになったのか。その原因は何だったのか。私のなかで、次から次へと新たな疑問が湧き上がってくるのだった。(つづく)

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152
あれは私がちょうど中学に入ったころ、父方の祖父が亡くなった。葬式は、祖父が生前信仰していた、大本教の様式で行われることになっていた。彼は若い時分に岐阜から北海道に渡った人だが、そのころから信仰していたのだろうか。

大本教と聞いても、私はもちろん親戚一同だれもよく知らなかった。でも本人の希望なのだから仕方がない。大人しくみなそれに従った。

ところがいざ始まってみると、仏式のいつものやり方とはちがって、辛気くささが全くないのである。おかげで葬式だというのに、みな妙に明るい雰囲気に満たされていた。

「さすが、じいさんの判断はちがうな」
「いいな、こういうのも」

ボソボソとみなが口々にほめているうちに、とりあえず一通りの儀式がすんだ。次は棺に横たわる祖父に向かって、一人ずつ最後のお別れをいう。それも終わると、棺は静かに隣の部屋へと運ばれていった。

棺を見送った私たちは、反対側の別室に向かってゾロゾロと移動し始めた。そこで食事をしながら、火葬が終わるのを待つのである。列のいちばん最後にいた私が、ふと人の気配を感じて振り向くと、脇にある職員用の出入口のドアが開いた。

そこから作業着姿の職員が入ってきて、慣れた手つきで備品を片付け始める。ガラーンとして静まり返った会場で、私は彼らのテキパキとした作業ぶりに見入っていた。

作業を終えた職員たちが、一人また一人、道具を抱えてドアの向こうへと消えていく。私は一瞬、そのなかの一人と目が合った。職員のなかではいちばん年配らしいその男性は、表情も変えずに私をチョイチョイと手招きした。

なんだろう。近づいていくと、彼は背中でドアを支え、向こうの部屋へと私を招き入れた。そこは火葬場のバックヤードになっていた。壁には小さなのぞき窓が3つ並んでいる。

そのうちの一つに向かって、彼はクイッとあごを上げた。「のぞいてみろ」というのだろう。私は恐る恐る近づいて、小窓をのぞいた。そこには、先ほど納めた祖父の棺が、勢いよく燃えているのが見えた。

ゴーッともヒューッともいえるぶきみな音を立てて、赤々と燃える炎。その中心にはひときわ濃く赤く、祖父のシルエットが浮かび上がっていた。

私は息を呑んだ。ふつうなら衝撃的な光景だろう。しかし私の目には、そこで人が焼かれているようには見えなかった。人が燃えるのも、ストーブのなかで薪が燃えるのも大差ない。そんなごく自然なことに思われた。

決して恐ろしくはない。むしろ美しくさえあった。言葉にはならない威厳すら感じられて、じっと見つめている間に、どれくらい時間がたっただろう。

「長居しすぎたかもしれない」

そう思い始めた私は、だまって彼に頭を下げると、親戚たちがいる別室へと向かった。結局、私も彼も、一言も言葉を交わすことはなかった。

今見てきた光景は、親戚のだれにもいわないでいよう。酒が入って和気あいあいとした雰囲気をこわしたくない。何よりも、これは私と祖父だけの、神聖な秘密にしておきたかったのかもしれない。

それから3時間近くが過ぎたころ、ようやく火葬が終わったようだ。職員の一人がドアから顔を出し、喪主である伯父に向かって少し頭を下げた。伯父は立ち上がると、酒が入って上機嫌の親戚たちに向かって、一言二言あいさつした。

伯父が何をいったのかは覚えていないけれど、親戚たちは重い腰を上げ、またゾロゾロと先ほどの会場へと戻っていく。

全員そろったところで、先ほどのあの年配の職員が無表情のまま、祖父を乗せた台をガラガラと引っ張って現れた。

その台の上には、ちょっと前までは死に装束の祖父が乗っていたのだ。それが今は、砂浜に打ち上げられたサンゴみたいに、真っ白い骨になって横たわっている。

その姿は、俗世の全てを真っ赤な炎で焼き尽くした、いかにも清浄なものとして私の目に映った。このときからだろうか。私が骨に対して、特別な思い入れをもつようになったのは。

あれから30年以上が過ぎた。私の治療院には、等身大のヒトの骨格標本がつり下げられている。若いドイツ人の骨を型取りしたもので、非常に精巧に造られていて感心する。

私は彼の姿を、芸術作品のごとく日々鑑賞して暮らしている。どれだけ眺めていても飽きることがない。どんな天才芸術家でも、これほどの作品をゼロから生み出すことなどできないだろう。私はそこに、神の存在を強く感じるのである。(つづく)

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151
「じゃ、どうぞお大事に~」

本日最後の患者さんがエレベーターに乗り込むのを見送った私は、近くで待機している杉本さんに、急いで電話をかけた。

この電話を合図に、彼女はここの掃除や備品の管理をしにやって来てくれる。私も片付けやカルテの記入をすませ、一段落したところで次のメールマガジンの原稿を渡して、2人でディスカッションに入るのだ。

30分ほど話し込んでメールマガジンの方向性が決まると、それまでのかっちりとした表情のまま、杉本さんの目の端が一瞬キラリと光った。あれは子どもが何か企んでいるときの顔である。

「ちょっと発見がありまして」といいながら、彼女は私の顔に向かって両手を近づけてくる。ここで逆らってはいけない。本能的に私は身を固くして、成り行きを待った。

「これってアシンメトリー現象じゃないかと思うんです」

そういうと彼女は、私の耳元で、自分の親指と人差し指の腹の部分をこすり合わせて、「どうですか?」と聞いた。

「はぁ?」

杉本さんの話は、いきなり結論から入ることが多い。そのせいで、私はいつも間抜けな返事になってしまう。今回も、何が「どうですか?」なのかがわからないので、とまどっていた。

すると彼女は、「両耳とも同じように聞こえますか?」といって、もう一度、私の耳元で指をこすり合わせた。

「え、両耳?」

私には、彼女が指をこする音は、右耳からしか聞こえてこない。てっきり右だけこすっているのかと思っていた私は、頭のなかが疑問符だらけになった。

「じゃあ、こうやって自分の指でやってみてください」

そういわれた私は、彼女のマネをして指を耳元でこすってみた。やはり右耳でしか聞こえない。なぜだ。左右の手で指の質がちがうのだろうか。試しに右の指を左耳に近づけてこすってみたが、やっぱり聞こえない。これはどういうことなんだ。

私がおどろいているのを見て、杉本さんは「当然だ」とでもいいたげな顔つきである。

「それじゃ今度は指の腹ではなくて、親指と人差し指の爪をはじいてみてください」

キツネにつままれたような気持ちのまま、私はいわれた通りに耳元で爪をはじいてみた。すると今度は、両方の耳から、爪をはじく「カチカチ」という音が聞こえてきた。

「あ、聞こえる!」

うれしくなった私は、またさっきみたいに指の腹をこすってみる。ところがやっぱり、「カサカサ」は右耳からしか聞こえない。何度やってみても同じだ。

「エ~ッこれってどういうこと!?」

杉本さんに目を向けると、彼女は「でしょ~」といって、この結果に満足そうである。

どうして左耳は、「カチカチ」なら聞こえるのに「カサカサ」だと聞こえないのか。音の周波数の問題なのだろうか。老化に伴って高い音が聞こえにくくなる話なら知っているけれど、そこに左右のちがいなんかなかったはずだ。

杉本さんは、「これもアシンメトリー現象の一つじゃないかと思うんです」という。初めてこの現象に気づいたとき、彼女は自分の左耳がおかしいのかと思った。そこで、これまでにも何人かで実験してみたらしい。

その結果、両方とも同じように聞こえる人はいた。でも、左だけ聞こえる人はいなかった。つまり、聞こえないのはいつも左耳だけなのである。「左だけ」となれば、これはアシンメトリー現象の一種だと確信したそうだ。

たしかに私も杉本さんも、左の起立筋が盛り上がっているから、まちがいなくアシンメトリー現象の体質である。それがわかっても、彼女は気にするどころか、逆に好都合だと思っている節がある。自分の体を観察することで、アシンメトリー現象の特徴を一つでも多く見つけ出したい。そんな使命感をもっているのだ。

それにしてもこれは画期的な発見である。今まで、耳に現れるアシンメトリー現象といえば、耳の穴が左だけ浅く感じるとか、耳掃除していて左耳は痛みを感じにくいといった例はあった。だがアシンメトリー現象の説明をしている最中に、それを相手に確かめてもらうわけにもいかなかった。

ところが、耳元で指をこすり合わせて聴力を確認する方法なら、だれでもかんたんに、その場で自分の状態がわかる。これなら体全体をチェックしなくてもいいし、深刻さがないのもいい。

さらに杉本さんは前のめりになって、「この現象は医学的には知られていないのでしょうか」とたずねてくる。しかし私の知る限り、左耳だけに現れる症状など聞いたことがない。

一般的な耳鳴りにしろ突発性難聴にしろ、右耳の人もいれば左耳の人もいるはずだ。ただし耳閉だけは、症状の出方に左右のちがいがあるのを確認していた。

耳閉とは、水の中にいるときのように、音がボワーンとくぐもって聞こえる疾患だ。だれでも一度は体験したことがあるだろうが、たいていは一時的な症状で、いつのまにか正常に戻っている。

ところがごくたまに、耳閉が元に戻らなくなってしまう人もいる。そういう人を私は今までに何人も診たことがあった。

耳閉は、医学的には原因不明といわれているけれど、彼らの多くは、上のほうの首の骨がズレていた。そのズレた骨を矯正すると、たちまち耳閉が解消するのだから、因果関係は明らかだ。

しかし首の骨のズレが原因でも、症状が出て数カ月もたっていると、ズレを矯正したあとも、音の聞こえ方が元には戻りにくいようだ。

耳閉の患者さんたちから話を聞くと、症状は右耳から始まったという人が圧倒的に多い。左耳に症状が出ている人の場合は、最初に右側に出たあとで左にも出るのがパターンだ。もちろん、こんなことは耳鼻科の専門医でも全く知らないはずである。

そうか。今まで考えたこともなかったが、他にも、症状が出るのは「左だけ」とか「右だけ」といった病気があるのかもしれない。

アシンメトリー現象と疾患との関係を知るためにも、これはぜひとも意識して調べてみる必要があるだろう。そこに私の疑問の答えがかくされている。そんな気がして、おなかの底が熱くなってくるのだった。(つづく)

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149

「先生は霊が見えるんですか?」

こんなことを、私は患者さんからよく聞かれる。最初のうちは、何のことかとおどろいた。どうやら、病院でも治らなかった症状が、私が指先でちょっと触れただけで消えてしまうので、何かふしぎな力をもった霊能者か何かだと思うようだ。

もちろん私は霊能者ではないし、霊なんか一度も見たことがない。多分、私だけでなく、ほとんどの人は見たことがないはずだ。それでも、霊を信じている人はかなりの数になるだろう。

私だって霊やあの世の存在は否定しない。それどころか、この世だけが全てだなんて、これっぽっちも思っていない。主従でいえば、あの世のほうが主じゃないかとすら思っている。

しかし施術するときには、霊や魂のことは一切持ち出さない。あくまでも、この世の肉体だけをターゲットにしている。施術であの世的なものまで持ち出すと、話がややこしくなるし、体の不調は肉体へのアプローチだけで、ほぼ解決するからだ。

ところが患者さんのなかには、霊の姿が見えるという人が何人もいた。ある女性は、霊だけでなく前世のことまでわかるそうで、私を霊視すると、前世でも施術をしていた姿が見えるといっていた。

私の手のひらから、ナントカカントカのパワーが出ているのが見える。そんなことをいう人もいた。どちらにしても私には全くピンとこない。そういう話にもあんまり興味はない。

しかしあるとき、非常にリアリティのある話をしてくれた人がいた。彼女はその昔、鑑真といっしょに日本に渡ってきたときの記憶があるというのだ。

当時は男性だった彼女は、日本みたいな辺鄙(へんぴ)な所になど行きたくなかったけれど、鑑真様から「どうしても」と頼まれたので、しぶしぶついてきた。

命がけの船旅の末、やっとの思いで日本の港にたどり着いたら、都へ向かう道中、道ばたのいたる所に死体が打ち捨てられていた。それがものすごく気味悪かった。そんな話を、彼女は眉間にしわを寄せながら、昨日のことのように話してくれたのである。

「鑑真」と聞いて、私は思わず身を乗り出した。私は以前から、唐招提寺の「鑑真和上像」には強い関心があったのだ。実は、あの鑑真像の顔には、はっきりと「アシンメトリー現象」の特徴が表現されているのである。

「鑑真和上像」の顔はあまりにもリアルなので、肖像彫刻の名作としても名高い。だが私は、これは鑑真の死体から型取りした、デスマスクではないかと考えた。しかし専門の研究者は、だれもそんなことはいっていない。

それなら、ぜひ自分の目で確かめてみたい。そう思っても、私のような一般人が、国宝を手に取って調べられるはずもないので、あきらめていた。

ところが今、私の目の前には、実際に鑑真のそばにいた人がいるのだ。彼女から話を聞けば、何かわかるかもしれない。どんなにえらい歴史学者だって、当時のことを直接見聞きした人などいないのだから、新事実を探り出せるかもしれない。

私はさらに前のめりになって、鑑真の話をあれこれと聞かせてもらった。聞けば聞くほど、彼女の話は真実味が増してきた。私は期待で胸が高鳴るのを感じながら、いよいよ私がもっとも聞きたかった、鑑真像が制作された経緯をたずねてみたのである。

すると彼女は、

「あ~、あのときの私は鑑真様よりも先に死んじゃったので、あとのことは何もわからないんです」

と申し訳なさそうにいったのだった。(つづく)

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148
この前、ムサビの会田先生が、彫刻科の学生から作品の批評を頼まれた。先生は彫刻とは全く関係ないから、その学生は専門外の人のすなおな目で見た感想を聞きたかったのだろう。

ところが先生は彼の作品を見るなり、「アレ?」と首をかしげた。そして、「確か起立筋は左側が盛り上がると聞いてたけど、この作品は逆になっているナ。こりゃ変じゃないのか」といったのだ。

学生にしてみたら、まさか民俗学の教授から、そんな専門的な指摘を受けるとは思ってもいなかっただろう。彼は目を白黒させて、何やらブツブツいっていたらしい。そんな話を会田先生がちょっと自慢げに聞かせてくれたので、私もつい笑ってしまった。

だが実は私にも、この学生と似たような体験があったのを思い出した。

あれはまだ高校生のころのことである。美術部で油絵を描いていた私は、たまたま近所の医院の山本先生に、最近描いたばかりの人物画を見せた。すると先生は、「ここの筋肉のつき方はちがってるナ。これじゃまともに立ってられないゾ」といったのだ。

そのあとも、「こっちの筋肉もダメだ。あっちの筋肉もダメだ」としつこいぐらいに、解剖学的な批評をつづけたので、私もいい加減、閉口した。

絵の批評というのは、色使いとか構図がどうとか、絵画としての良し悪しに限られるのがふつうである。それを医学的な視点だけで評価されては、絵画としては身も蓋もない。そんな批評に耐えられる美術作品など、そうめったにあるものではないし、解剖学的に正しい絵が、作品として優れているかは全く別の問題だ。

「こちとら、解剖図を描いてるわけじゃないんだ」

そんな啖呵でも切りたいところだったが、日ごろ家族がお世話になっている先生なので、私はだまってお説を拝聴していた。

しかしあれから20年以上が過ぎ、多くの人の体に日々接するようになってみると、あのころとは人体に対する見方が大きく変わった。いつのまにか私も、山本先生寄りの見方になっているのである。

そのせいで、美術作品の人体像を見るたびに、やたらと違和感がある。あのロダンの彫刻でさえ、あのときの山本先生そのままに、「ここの筋肉はつき方がおかしい」と、頭の中でつぶやいている。もう私は昔みたいに、純粋に美術作品として鑑賞できなくなってしまったのだ。

美術作品だけじゃない。街を歩いても、道行く人の体の異常にばかり目が行ってしまう。テレビに美人女優が出ていても、彼女の顔や体が左右非対称なのを見ると、体がどこか悪いのではないかと心配になってくる。

これではせっかく出された料理を味わいもせずに、成分やカロリーだけを気にする無粋なヤツみたいじゃないか。ところがちょっと前から、私よりももっと無粋な研究が話題になっている。

フランスかどこかの医者が、ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」の顔に、イボが描かれているのを見つけた。これは高脂血症の人によく見られる眼瞼黄色腫だから、「モナ・リザ」のモデルだった女性も、高脂血症だったと発表したのである。

この発表は、瞬く間に世界中の美術関係者の知るところとなり、ニュースや書籍にでも取り上げられた。

だがこれは、写真とリアルに描かれた絵とを混同した、素人によくあるかんちがいなのである。こんな話をダ・ヴィンチが聞いたら、「オレの絵にナニ、イチャモンつけてるんだ!これほど美しく描いたのに、イボなんか描き込むわけがないだろ!」と憤慨するはずだ。

ダ・ヴィンチでなくても、美人の顔にわざわざイボを描き入れるような悪趣味の絵描きなどいない。まして当時の肖像画は、貴族や金持ちからの依頼で描くものだ。シミ・シワ・ほくろといった、クライアントの心象を悪くするような余計なモノを描くわけがない。

ではあれは何だったのか。絵描きならすぐにわかる。この作品は500年以上前に描かれたものなので、油絵の具のちょっとした経年変化か、修復の過程で付着した異物がイボに見えているに過ぎないのだ。

しかしこの「モナ・リザ」の高脂血症の話は、よほどセンセーショナルだったのか、今ではもう事実として浸透してしまった。専門家がだれも本気で訂正しないものだから、きっとこのまま後世に語り継がれることになるのだろう。

だが私には、あんなあるかないかわからんレベルのイボなんぞよりも、「モナ・リザ」の顔が左右非対称になっていることのほうがよっぽど気になる。

こんなことをいうのは、さらに無粋の極みなのは承知である。それでも私は、「モナ・リザの左目が小さいのも、左の口角が上がっているのも、あれはみんなアシンメトリー現象の特徴なんだああぁぁ~ッ!」と、穴の中へでも叫びたい気がするほどなのである。(つづく)

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