*小説『ザ・民間療法』全目次を見る 小説『ザ・民間療法』挿し絵044
私にとって仕事の予約の電話は生命線である。できるだけ受け損ねないように、寝るときだっていつも手が届くところに電話を置いている。その日も夜中にグッスリと眠り込んでいるときに、突然、枕元の電話が鳴り響いた。

深夜にかかってくる電話は、体の不調を訴える患者さんからのものが多い。ときには、「今、どこそこが痛いので、タクシーで来てほしい」といわれることもある。

そういう場合、症状が出た経緯をくわしく聞いて、緊急度を判断しなければならない。モノによっては救急病院の受診を促す必要もある。判断をまちがうと危険なので、緊張で眠気など吹っ飛んでしまう。

だが今回の電話はちがった。
「陣痛が始まったから、すぐにタクシーで〇△病院まで来て!」というのだ。

以前からの患者さんである樹森さんは、臨月なのでそろそろだとは聞いていた。しかしこれから生まれてくるのは私の子供ではない。ダンナもちゃんといる。今も立ち会っているようだ。そこへわざわざ他人の私が呼ばれたのは、初めての陣痛のあまりの激しさに耐えかねて、私にどうにかしてほしいからだった。

聖書によれば、陣痛は神から女性に課せられた苦しみなのだという。そんな原罪を私の手技でどうにもできるものではないだろう。そうは思ったが、それでも急いで身支度してタクシーで病院に向かった。

いつもは混み合っている都内の道路も、深夜だと空いていたおかげで、日ごろの半分ほどの時間で到着した。そのまま病室に入ると、樹森さんはダンナに手を握られながら、ウンウンうなって痛みに耐えている。腰が砕けるような痛みだと表現されることもあるから、本当につらそうだ。

打ち身などであれば、痛みは時間とともに徐々に引いていくものである。それが陣痛となると、周期的に激しい痛みが襲ってくる。しかもその間隔が、時間とともにどんどん短くなるのだからたまらない。

なんとかしてくれといわれても、さてどうしたものだろう。
女性の痛みといえば、激しい生理痛のときには、腰の骨がズレていることがある。そのズレをもどすと痛みが止まることも多い。それなら陣痛も似たようなものだろうか。

やるだけやってみよう。そう考えて腰のあたりを調べてみると、確かに背骨がズレていた。そこで恐る恐る背骨を正しい位置にもどしてみると、痛みがやわらいだ。

「お、これはすごい!」
だがそう思ったのも束の間で、またすぐに痛みが襲ってきた。「アレ?」と思って確認すると、また腰の骨がズレているではないか!そこで再度、ズレをもどす。するとまた痛みがやわらぐのである。そばで見ていたダンナも、「ふしぎなもんだナ~」と感心している。

こうなったら仕方がない。痛みが来る。ズレをもどす。痛みがくる。ズレをもどす。これを延々とくりかえした。

出産というのは、陣痛の周期がどんどん短くなって、子宮口がある程度まで開かなければいけない。樹森さんの周期にはまだ余裕がある。子宮口の開き方も足りないらしい。試練はそれから5時間以上もつづいて、私には永遠にも思えるほどだった。

初めての出産といえば、友人の今日子ちゃんの話を思い出す。
彼女は10代のころは地元では有名なヤンキーだったが、今では天使のような介護士さんとして知られている。

ところが初めての出産の際、分娩室に移ってからもあまりに激しい痛みが長引くのでこらえきれなくなった。そしてついお腹の子に向かって、「テメーこのヤローッ さっさと出てきやがれーッ!」とドスの効いた声で叫んでしまったのである。

その怒声のあまりの迫力に、院内のスタッフたちの彼女を見る目が変わった。そして出産後はやたらと丁寧な敬語に切り替わったままで、その状態は退院までつづいたのだった。それも今では笑い話だが、出産は外聞など気にしていられないほどたいへんだということなのだ。

しかしそばに付き添って、頻繁にズレる骨を一晩中もどしつづけるのだって、体力的にはきつかった。明け方になってやっと樹森さんが分娩室に運ばれたときには、私もへたり込むほど疲れ果てていた。

その後、無事に元気な女の子が生まれて安心したが、冷静になって考えてみれば、出産に男二人が立ち会っている光景は、かなり妙だったのではなかろうか。院内ではどのようにうわさされていたことだろう。それを考えると、ちょっと笑えてくるのだった(つづく)


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