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ヒロコさんが旅立ってしまってからも、彼女が遺した「あったかい」という言葉は、私の耳に響き続けていた。
あのときお腹に軽く手を当てただけで、死にゆく人に向けて言葉にならない気持ちを伝えることができた。言葉ではなく、触れることでしか伝えられない思いもあるのだろう。これは私にとって大きな気づきだった。
美術の世界にいたころは、私が触れる対象は単なる「物」でしかなかった。その対象が物から人の体へと変わり、触れることが治療として役立つようにもなっていた。そればかりか、触れるという行為は、言葉を超えた感情を伝える役割まで果たせるのだ。
それほどの大役であっても、触れるための特別な技術など要らない。これまでの私は、美術作品を作り上げるためだの、病気を治すためだのといって、一生懸命に技術ばかりを高めようとしていた。
しかしそんな大それたことなど考えなくともいい。触れるという行為そのものに大切な意味があったのだ。この気づきによって、急に肩の荷が降りた。
「何も治せなくたっていい。ただ、この道を進んでみよう」
やっとそう決心できた。
「それでいいのよ」
ヒロコさんも、そういってくれているような気がする。
もちろん「治せなくてもいい」とはいえ、やっぱり治せる人にはなりたい。だが、それを本業にするとなると、医大に行くか、何か国家資格を取るための専門学校に行かなければならないだろう。それは今の私にはどちらもハードルが高すぎる。何年も学校に通えるほどのお金のゆとりもない。
しかし民間療法なら、国家資格がなくても開業できるものもあるらしい。そのための学校もあると聞いたので、早速電話ボックスに置かれた電話帳を開いてみる。そこで池袋の整体学校を見つけた。電話で見学を申し込むと快く受け入れてくれた。
思い立ったが吉日だ。そのまま山手線に揺られて池袋まで出かけた。駅の雑踏を抜けてしばらく歩いていくと、学校があるはずの住所まで来た。ところがそこに立っているのは、いかにも場末な雰囲気を漂わせる雑居ビルである。
一瞬たじろいだが、ビルの暗い階段を上ってドアを開けると、そこには白衣を着た先生たちが、5~6人の生徒を相手に指導していた。とりあえず学校としての実体はあるようで、少しホッとする。
だがなかに入ると、室内がやたらと煙い。治療台の横に立っている灰皿にはタバコの吸い殻が山と積まれ、床にまでこぼれ落ちている。先生も生徒もおじさんばかりで、むさくるしい。これはどこかで見た光景だ。
そうだ、雀荘だ。そう思えば親しみも湧く。しかしここは整体の学校だったはずだ。それなのに、あまり人様の健康を預かる雰囲気ではない。これが普通の人なら「ここはちょっと…」と躊躇する場面だろう。
ところがなぜか今の私には、しっくりとなじめそうな気がした。しかもそこにいる先生も生徒も、みんななんだかえらく楽しそうなのだ。
「よし、ここに通おう」
そう決めた私は受講を申し込んだ。そして手渡されたかんたんな申し込み用紙を見て、初めて大事なことに気がついた。住所を書き込もうにも、今の私には住所がない。私はホームレスだったのだ。
そうなると学校の申し込みどころではない。住民票が先である。そこにいた先生には「また来ます」とだけ告げて、急いでアパートを探しに出かけた。
しかしアパートを探すといっても、インド帰りの無職で住民票もない人間に、部屋を貸してくれるところなどない。そうでなくても、アパートを借りるには保証人だの収入証明だのと厄介なのだ。
何より、私の風体そのものが怪しいときている。私が不動産屋の立場でも、絶対にこんなヤツに物件なんか紹介しない。それはわかっていた。ところが何軒も断られ続けて途方に暮れかけたころ、やっと部屋を貸してくれるところが見つかった。六畳一間ながら、歩いて15分ほどで渋谷駅まで出られるのだから文句はない。
これで住所が決まった。整体の学校の入学手続きもできた。こうしてやっとこさ、いそうろう生活にも終止符を打ち、私の新たな人生が始まったのだった。(つづく)

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