小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:骨のズレ

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小説『ザ・民間療法』挿し絵051
健太くんの家に通い始めて、半年が過ぎようとしていた。言葉と知能はかなり前進したようだったけれど、歩行機能については全く進歩が見られない。脳性麻痺なのだから、歩けないのは当たり前かもしれない。それでも私の心のどこかには、奇跡のようなものを望む気持ちが隠れていた。

そんなある日、健太くんのお母さんから電話があった。いつもとちがって声がふるえている。健太くんに何かあったのか、と私が身がまえて電話に耳を押しつけると、お母さんは押し殺した声で、「センセイ、健太の脚が動いたんです」と告げた。一瞬、意味を理解するのに時間がかかった。そうか。あれほど待ち望んでいた奇跡が起きたのか。

その日はいつものように歩行器に座っている健太くんを、お父さんがビデオカメラで撮影していた。すると目の前の健太くんが、足先で地面を蹴ったのだ。その瞬間を、ビデオカメラがしっかりと捉えていた。

お父さんは見まちがいかと思って何度も録画を見た。お母さんと二人で何度見ても、健太くんの足は地面を蹴っている。医師からは一生ムリだといわれていたのに、新しい神経回路ができたのだ。

神経は一度損傷してしまうと元にはもどらない。しかし新しい回路ができることで、失われた運動機能が回復することがある。特に成長期の子供なら、その可能性が高いことは医学的にも知られている。だから、5歳にもならない健太くんにそれが起きてもふしぎではない。だがこれが奇跡であろうがなかろうが、両親は大喜びである。

私もビデオの映像を見せてもらうと、たしかに健太くんは足先で地面を蹴っていた。その力のおかげで、それまでは座っているだけだった歩行器が、わずかに前進していた。ここまでくれば、あとは訓練して神経回路を太くすればいいだけだ。私もうれしくて、トレーニングにも気合が入った。

ところが私の意気込みとは裏腹に、それから1か月、2か月、3か月が過ぎても、進歩がない。まちがいなくつま先は動くのに、ほとんど気まぐれ状態で、しかもその力はあまりにも弱々しいものだった。しかしこれは根気しかないだろう。がんばろう。

私がそう思って通っている間にも、健太くんの両親には別の悩みがあった。健太くんを病院に連れていくと、いくら言葉や脳の発育、足先の運動機能の変化を伝えても、医師は全く意に介さないのである。そしてひたすら「もうそろそろ脚の靭帯を切断しないと」とか、「あまり成長してからでは手術も大変になる」などといって、手術を強く迫るのだ。

これは判断がとてもむずかしい問題である。つま先が動くようになったことに希望があるとはいえ、相変わらず両脚は強く交差してしまう。成長とともに脚を交差する力もどんどん強くなるから、下の世話などの介助の負担は少しずつ増していく。

以前紹介された脳性麻痺のミヨコちゃんは、もう靭帯を切断して脚がブランブラン状態だった。それでも体が大きくなっていたので、介助する家族の負担は幼児の比ではなかった。

私が妙な希望をもたせたせいで、健太くんのご両親は正常な判断ができなくなっているのだろうか。所詮、私は赤の他人である。決して健太くんの家族ではない。健太くんの人生を背負う覚悟もない。そんな私がのめりこんだ分、家族の苦しみを大きくしていたのだろうか。私は少し健太くんたちに近づきすぎたのかもしれない。それに気づいたので、彼らとは少し距離を置くことにした。(つづく)

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小説『ザ・民間療法』挿し絵050

私はいつも自炊している。1年のうち1000食は自炊しているだろう。経済的な理由だから、弁当や惣菜を買って家で食べるようなこともない。ところが出張整体の仕事だと、出先からそのまま次の場所に移動することが多い。するとなかなか家に帰れないことがある。そういうときだけ、いちばん安そうな店を探してそこで食べることになる。

その日は、たまたま立ち寄った定食屋で、料理が出てくるまでテレビを見ていた。うちにはテレビがないので、テレビがついているとちょっとうれしい。しかし私が入るような店では、だいたいプロ野球の中継だからつまらない。今日は時刻が早かったせいか、イルカと泳げるプールがある沖縄のホテルの話題だった。

「あ、あのホテルだ」

もうだいぶ前のことになるけれど、私もこのホテルのプールでイルカと泳いだことがある。その番組では「イルカは大変かしこいので、体の弱い人や障害のある人を一瞬で見抜いて、寄り添って泳いでくれる」と説明していた。イルカといっしょに泳いでもらうと、癒やしの効果があるらしい。

しかし私が泳いだときはちがっていた。イルカはそれほどフレンドリーではなかった。これは人間の性格が人それぞれちがうのと同じで、イルカにも個性があるということかもしれない。

そのときは、別にイルカと泳ぎたかったわけではない。仕事で泊まったホテルにプールがあったから泳ごうと思っただけで、そこに偶然イルカも泳いでいただけなのだ。私としては、「ま、いっしょに泳いでもイイか」ぐらいの感覚だったが、そこにはイルカの大きなフンがプカプカ浮いていた。それが気持ち悪くて早々に水から上がった。

道端に落ちているイヌやネコのフンなら、よけて通ればすむ。ところが、大きくもないプールではよけようがない。泳げばフンごとかきまわすことになるから、体どころか口の中までフンまみれになってしまう。そんなことはどうにもがまんできなかった。

家で飼っているイヌがどんなにかわいくても、そのイヌのフンが風呂に入っていたら、とてもじゃないがゆっくりと浸かってなどいられないだろう。イルカの巨大なフンの存在は、癒やし効果どころなど帳消しにするインパクトだったのだ。

テレビを見てフラッシュバックのように、プールに浮いたイルカのフンを思い出していたら、やっと料理が運ばれてきた。そこでハッと我に返ったかと思うと、ひらめいた。イルカはともかく、健太くんをプールで泳がせてみてはどうだろう。

脚の悪い人や肥満の人でも、プールでならムリなく全身運動ができる。そういうプログラムはどこのプールでもたくさんあると聞いている。脳性麻痺の健太くんだって、水に浮いていれば楽に脚を動かす訓練ができるはずだ。転ぶ心配がないから安全だろう。

早速、健太くんのお母さんに相談してみると、まだ一度もプールに行ったことはないという。それでは、と近くのスイミングスクールにいっしょに行ってみることにした。

私は水泳が大好きで、「きれいな水」のあるところなら、泳がずにはいられない。水の中には、日ごろの生活とは全くちがった世界が広がっている。その感覚を健太くんにも味わってもらいたかった。

スイミングスクールでは、やさしそうな女性トレーナーのハヤノさんが付き添ってくれた。彼女は障害のある子供の扱いにも慣れていたので、ハヤノさんの指導で、健太くんをゆっくりと水に浸けていく。少しずつ体全体を水に浸け、完全に水に浮かべようとしてみた。

ところが健太くんは初めてのプールに大はしゃぎで、うれしさのあまり口が大きく開いたままである。危うく水を飲みそうになる。「口のところに水が来たら、口を閉じるんだよ」といってみても、それができないのだ。

健太くんの場合、単にうれしくて閉じられないのではなく、口を閉じるタイミングがうまく合わせられないようだった。ちょっとした刺激で脚を強く交差させてしまうのと同じで、脳性麻痺による機能としての問題かもしれない。

健太くん本人はとても楽しそうだったが、これでは危険だ。泳いでいて、一瞬呼吸のタイミングをまちがえて、水を飲んでしまうことはだれにでもある。しかし健太くんが、完全に口を開けたまま水を飲んでしまったら、飲み込む水の量も多くなる。ヘタをしたら肺に入って、誤嚥と同じ結果になるかもしれない。

トレーナーのハヤノさんも、健太くんには水泳は危険だと判断した。いっしょに泳げたらいいのに、と思った私の気持ちは宙に浮いたまま流れていった。私の気持ちなんかどうでもいいが、残念ながらリハビリにもならないから、水泳は今回だけであきらめるしかなかった。(つづく)

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小説『ザ・民間療法』挿し絵049
ある日のこと、いつものように健太くんの家に行くと、お母さんがいいづらそうに「実は…」と話を切り出した。

隣町に、健太くんと同じ脳性麻痺の子供を抱えるお母さんがいて、健太くんが急にしゃべれるようになったことを、つい話してしまったというのだ。するとその方から、「ぜひとも自分の娘も私にトレーニングしてもらえないか」と頼まれたのである。

これが有償の仕事ならともかく、ボランティアで通ってきている私には頼みにくかったのだろう。ところがそのときの私は、一人見るのも二人見るのも大してちがわないと思った。だから「いいですよ」と気軽に引き受けてしまった。

紹介されたミヨコちゃんの家は、駅にすると健太くんの家の最寄駅よりも2つ手前になる。早速、翌週にうかがってみると、健太くんのお母さんと同年代の女性が、わずかに緊張した面持ちで出迎えてくれた。

玄関から上がると、そのまま奥の部屋に通される。そこにはふとんに仰向けで寝ているミヨコちゃんがいた。お母さんの話では、ミヨコちゃんは今年から中学校に通うはずの年齢だが、発達障害のせいで「しゃべれない」「知能が発達しない」「歩けない」状態のまま、体だけが年齢相応に成長しているそうだ。

同じ脳性麻痺でも、健太くんとはだいぶ印象がちがう。ミヨコちゃんはすでに病院で脚の靭帯(じんたい)を切断されている。その点も健太くんとはちがっていた。

脳性麻痺の子は、ちょっとしたことですぐに両脚を固く交差させる。何かで緊張すると、体が勝手に動いてそうなってしまうのだ。

脚が交差すると、オムツの世話などの介護が大変になる。そのため病院では、脳性麻痺の子が成長しきる前に、脚の付け根の靭帯を切る手術を勧める。靭帯を切ってしまえば、脚を固く交差できなくなって、格段に介護しやすくなるからだ。

しかしこの手術を受けると、自分の脚で歩けるようになる可能性はなくなる。もちろん手術をしなくたって歩くことはできないのだが、将来の可能性がゼロになるのは親としてはつらい。脳性麻痺の子をもつ親御さんたちは、みなその大変な決断を迫られるのである。

実は健太くんの両親も、そのことでひどく悩んでいるところだった。病院の医師からは、早く手術したほうがいいとせかされている。健太くんは男の子だから、成長とともに脚を交差する力も強くなる。そうなれば、介護の負担が増すのは目に見えていた。

けれども、手術すれば奇跡が起こる余地は消える。それが現実的な判断だとしても、その結果、希望を失うことになるのなら、かんたんに答えが出せるものではない。

それにしても、この状態のミヨコちゃんに私は何ができるだろうか。すでに靭帯を切断されているから、脚のトレーニングはやっても意味がない。背中をさすってあげるとしても、思春期の女の子にどう接すればいいのかわからない。

とまどっている私とは対照的に、ミヨコちゃんは大歓迎で笑顔を向けてくれている。体の状態を見てみると、健太くんと同じでいたって健康そうだ。ところがみぞおちのあたりに目をやると、やはり肋骨の形が健太くんと同じように大きく広がっている。

この形は脳性麻痺の子の特徴のようだが、手技でどうこうすべき対象ではない。それは十分わかっている。やはりできることといえば、背中をさするぐらいしかないようだから、お母さんにやり方だけでも伝えておこうと思う。

相手が女の子なので、私はできるだけ手を触れるべきではないだろう。そう考えて、まずはお母さんの手でミヨコちゃんの体勢を変えてもらう。お母さんは慣れた手つきで、仰向けの状態のミヨコちゃんをうつ伏せにしてくれた。そこで私は軽く背中をなでてみせた。

私の手が触れたのは一瞬のことだった。それなのに、ミヨコちゃんははしゃいで失禁してしまった。これにはビックリしたが、さすがにお母さんは慣れているようだ。眉一つ動かすことなく、ため息にも似た小さな声で「おや、まあ」とだけつぶやいて、すばやく始末をする。私は同じ室内にいるのも気まずいので、トイレを借りるふりをして部屋を出た。

やはり相手が男の子ならともかく、障害のある女の子となると、私が対応するにはハードルが高すぎたのだ。もっとよく考えてから、お受けするかどうかを決めるべきだった。頼まれたとはいえ、私には何もできないのだから、自分の軽率な判断が悔やまれる。希望をもたせてしまったことすら申し訳なくて、うかがうのは今回だけにさせてもらった。

ボランティアとはむずかしいものだ。無償の行為であるせいで、安易に自分だけがイイ気分になって、責任にまで気が回らなくなってしまう。今回の訪問は、このシビアな現実を思い知る苦い経験となったのだった。(つづく)

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小説『ザ・民間療法』挿し絵048
毎週日曜日に、脳性麻痺の健太くんの家に通うことに決めた。健太くんのトレーニングのためである。トレーニングといってもごく軽い動作なので、健太くんは遊びだと思っていることだろう。

子供の扱いが苦手なはずの私が、なぜこんなことを引き受けてしまったのだろうか。自分でもふしぎな気持ちのまま、友人たちとネパールの孤児院を訪れたときのことを思い出していた。

訪問の名目はボランティアだったが、私たちが大して役に立つとも思えない。それなのに、子供たちは輝くような笑顔で歓迎してくれた。身なりこそみすぼらしかったが、彼らは清らかな光に包まれているようで、言葉のちがいなど全く問題にはならなかった。それは尊い体験として、私の心に深く刻まれている。

健太くんも最大限の笑顔で私を受け入れてくれていた。人と向き合って、これほど深く肯定されている感覚は、なかなか得られるものではない。健太くんは話すことはできないが、孤児院にいた彼らと同じで、そこには会話の必要性など全く感じられなかった。

それでも、いつかは話せるようになり、歩けるようにもなるためのトレーニングは続けた。脚の関節が固まらないように、私が手を添えて脚を動かしたり、背中を軽くさすってあげたりするのだ。

脚を動かしてあげると、まるで自分で歩いているような感覚になるのだろう。大きく見開いた目が輝いて、健太くんは心底楽しそうだ。この運動で関節が温まったところで、今度は「走るよ!」と声をかけ、勢いよく脚を動かしてあげる。すると私も、健太くんといっしょに走っている気分になる。それが楽しくて、二人でよく声を上げて笑った。

健太くんは背骨がズレるようなことはなかったが、背中を軽くなでているだけでもそれなりに体がほぐれてくる。こんなことも少しはプラスにはなっているだろう。

週に1回の私だけでなく、お母さんも健太くんの脚のトレーニングを続けていた。それが日課になって2か月ほどすぎたある日、健太くんが突然しゃべり出したのである。

4歳のお誕生日がすぎても、健太くんは脳性麻痺による言語障害のため、一言も話せないままだった。医師からも「一生話せない」と診断されていた。それはわかっていても、ご両親としては健太くんの口から「パパ、ママ」とだけでもいってもらいたいと願っていた。それが今になっていきなりしゃべり始めたのである。

しゃべるといってもいくつか単語を並べる程度だが、それはもう「パパ、ママ」のレベルではない。微妙にイントネーションはちがっても、ちゃんと会話らしいことまでできるようになってきた。これには両親も大喜びだ。

もちろん脚のトレーニングや背中をさする程度のことで、脳性麻痺の言語障害が回復したわけではない。健太くんは他の子に比べて、発達のスピードが遅かっただけなのだろう。

その後、健太くんはテレビゲームでふつうに遊べるようにもなった。脳もしっかり発育しているようだ。つまり最初の医師が宣告した「生涯、話せない、脳も発育しない」という診断がまちがっていたことになる。誤診なら誤診でいい。これはうれしい誤診なのだった。

ところが人間は、一つ願いが叶うと次々と欲が出てくるものらしい。言葉と知能の回復が叶ったら、残るは歩行機能だけである。さすがにそこまでの誤診はないはずだが、ご両親としては期待するようになっていた。

私だって健太くんが歩けるようになってほしい。ご両親の期待にも応えたい。何かいい方法はないだろうか。そんなことが頭をかけめぐるようになっていた。だが当の健太くんはいつもの通り、脚を使うことのない歩行器に、ただ座ったままだった。(つづく)


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小説『ザ・民間療法』挿し絵047
助産師の酒井さんに連れられて、脳性麻痺の健太くんの家に行った私は、なぜ彼の背骨には、脊髄損傷の人のような緊張が現れていないのか、それを不思議に思った。これは全く予想外だったのである。

そもそも脳性麻痺と脊髄損傷による麻痺とでは発症のしくみがちがう。だから、こういうものなのかもしれない。しかしそれを確認しただけで、「ハイ、サヨナラ」といって帰るわけにもいかなかった。健太くんの表情からは、私をお友達の一人に加えてくれているのがわかるので、なおさらだ。

インドで出会ったミシェルは脊髄損傷で歩けなかったが、彼のもとに通っていたフランス人マッサージ師のアドンは、ミシェルがいつか歩けるようになったときのためだといって、脚の関節が固まらないようにストレッチをやっていた。

あのときのアドンの手技を思い出しながら、私も健太くんの脚に手を添えて、ゆっくりとストレッチをやってみた。すると彼は大喜びである。

歩いたわけではないが、生まれて初めて脚を動かしているのがおもしろいのだろうか。どうやらこの運動は、彼の体には負担になっていないようだ。それなら続けてみてもいいだろう。そこでこの手技を、お母さんの手でも毎日やってもらうことにした。

もちろん、これで健太くんが歩けるようになるわけではない。お母さんも私もそれはわかっていた。それでも健太くんの年齢なら、まだ新しい神経回路ができるかもしれない。そのときのためにも、訓練を続けてみましょうと話した。

ありもしない希望をもたせるのは無責任である。だが全く希望がないのも酷な気がするから、私にはこの提案が精一杯だった。

とはいっても、このまま「あとはよろしく」といって帰るのはしのびない。酒井さんの顔も立てなければいけないだろう。そこで少し考えた末、仕事としてではなく、ボランティアという形で週に1度、健太くんに会いにくることにした。

無償にしたのは私が良い人だからではない。仕事として請け負うにはあまりにも重すぎて、私には責任を負えないからだった。正直にいえば、脳性麻痺という病気そのものにも興味が湧いた。これも事実である。

なぜ脚が麻痺しているのか。健太くんの体の状態は、決して病人のものではない。触った感触はいたって健康なのだ。しかし体の形がちがうところが1か所だけあった。

健常者なら、みぞおちの部分は肋骨の形がAの文字のようになっている。ところが健太くんは、Aの裾が広がってカタカナのハの字のように開いているのである。

この形は何を意味しているのだろう。この疑問が解けるまで、私は健太くんのもとに通うことになるのだろうか。いったい私に何ができるのか。そんなことをあれこれ考えてはみたが、とりあえず今回はこれで引き上げることにした。

酒井さんと二人で帰途についた私は、次々と浮かんでくる疑問で頭がいっぱいだった。だまりこむ私を尻目に、酒井さんはいかにも満足気である。彼女は、きっと私が引き受けるだろうと確信していたようだった。どうやら私は、彼女にうまく乗せられたのかもしれない。(つづく)


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