小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:骨格矯正

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117
いよいよ私の勉強会が始まった。参加者はほぼ顔見知りばかりだが、全員男性なので、男子校の先生になったみたいな気分だ。ふと私は、高校で美術教師をしていたころのことを思い出す。

美術教師というのは、ふつうは女子生徒に人気があるものだと聞いていた。それなのに、なぜだか私のところには、札付きの不良男子ばかりが集まっていたのだ。この勉強会は、あのむさ苦しい雰囲気に似てどこかなつかしい。

主催者として私を招いてくれた大外先生にしても、相当ヤンチャな青春時代を過ごして、数々の武勇伝をもっている。その大外先生が集めただけあって、どうも今日のメンバーも体力自慢らしい。

そのため彼らの治療院では、強もみやバキバキと骨を鳴らす力技が売りになっているそうだ。もちろんやってくる患者さんたちも、そういう荒っぽい施術を期待している人が多いのだという。

施術者のなかには、施術は力が強ければ強いほど効果があると思い込んでいる人もいる。しかし強い力を使えば、それだけ事故も起きやすくなる。人によっては骨折したり、神経を損傷したりすることもあるから、施術に強い力は厳禁だ。

その点、私はもともと筋力も体力もないので、最小の力を使って、最短の時間で最大の効果を上げることしか考えてこなかった。これは私だけでなく、患者さんにとっても負担が少ないのでメリットが大きい。

実際、左の起立筋が盛り上がって、左半身の感覚が鈍くなっている人は、体の状態が特殊なのである。力自慢の施術家がどんなに強い力でもんでも叩いても、一向に体の奥にある不快なポイントまでは届かない。

ところが私が開発した手技で知覚が変化してしまうと、軽く触れただけでも不快な部分の大元にまで響くようになる。強い力など全く必要としないのだ。

以前、新宿のクリニックで診ていた子宮頸がんの荒井さんも、最初はすこぶる左半身の感覚が鈍かった。よろいを着ているのかと思うほど、外からの刺激に無反応だった。

しかし施術で一旦知覚が変化したら、私がほんの少しみぞおちのあたりを押しただけで、がんのある下腹部にまで痛みが響くといっていた。ここまでできれば申し分ない。これがこの勉強会の最終目標だろう。

今日は初めての人もいるから、まずは私が発見した現象の説明から始めた。ところが彼らは説明を聞くよりも、実際に手を動かしたくてウズウズしているのがわかる。「こりゃイカンな」と思っていると、なかに一人だけ毛色のちがう人が混じっていた。

聞けば彼は歯科技工士で、業界ではかなり知られた人らしい。そんな人がなぜ整体の学校に通っているのかはわからないが、彼だけは私の理論そのものも、興味深そうに聞いてくれていた。その姿勢が救いだった。

理論的な説明が一通り終わると、さあみなさんお待ちかねの実践だ。指の使い方や、ねらう神経のポイントの見つけ方をかんたんに伝える。そして「決して強い力にならないように」と念を押してから、二人一組になってお互いの体で試してもらうことにした。

試してもらうといっても、私には「見た通りにやってください」としかいえない。このまま私一人で指導するのは、いかにも心もとない。そう思っていたら、大外先生が助け船を出してくれた。

先生はそれぞれの人の手の使い方が、私の手とどうちがうのかを即座に見極めて、適切に指導していくのである。さすがに教え方に年季が入っていてうまい。

しかしせっかくの先生の指導も虚しく終わった。彼らは何度やってもうまくいかないものだから、いつしか際どい角度で突き刺すように押し始めたのである。案の定、力技の受け手になった人たちからは、「ギャーッ」「ヒーーーッ」という悲鳴が漏れ出した。

古びた区民会館の一室から、夜のしじまに響き渡る阿鼻叫喚。私の勉強会はまだ始まったばかりだというのに、行く末には早くも暗雲が垂れこめているのだった。(つづく)
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116
人に何かを教えることは、自分自身にとっても学びが大きい。頭のなかにまとまりもなくつめ込まれていた内容が、むりやり整理される。せっぱつまった引っ越しのときみたいに、なくしたと思っていた大事な物が意外なところから出てくることもある。

あの日いきなり、整体学校の大外先生から、勉強会を開催してほしいといわれた。この提案は、私には自分の考えをまとめるチャンスだと感じられた。その数日後、先生からかかって来た電話によると、すでに勉強会の話が進んでいるらしい。

私が発見した現象や、開発した手技を学びたいという人が、10名ほど参加することになっていた。整体学校の先生方だけでなく、卒業生で施術のプロとして活動している人たちもいるようだ。

ただし、大外先生が所属しているあの整体学校で、表立って私の勉強会をやるわけにはいかない。だから近くの区民会館の一室を借りる予定なのだという。

そこまでいうと先生は、少し口ごもりながら「師匠への謝礼はいかほど?」と聞いてきた。そのお気持ちはありがたい。しかし目先の利益など大した問題ではない。それよりも今の私には、だれかにこの理論と技術を伝えることのほうが重要だった。

私から伝わった情報がその先で大きく展開していって、ねずみ講のようにまたたく間に全世界へと拡大していく。そんなイメージをもっていた。昔の少年雑誌に登場する、怪人Xの野望みたいなものだ。

これまでの私は、だれか一人のすごい権威をもっている人にこの情報を伝えさえすれば、その人が「それはおもしろい!ぜひとも私が研究してみましょう」などといってくれるのではないかと期待していた。

ところが、あれだけ医学界から政界にいたるまで、あらゆる権威ある人たちに伝えてきたのに、一向にそんなことが起こる気配がない。それどころか、だいたいが鼻にもかけてもらえない。

こうなったら逆の発想でいくしかない。今回のように、末端の施術者から広げていけば、時間はかかってもいつかは世界征服できるだろう。そんな空想が果てしなく広がっていく。

私が自分の世界に没頭していると、私の返事を待ちかねた大外先生から、再度「それで、いかほど」と声がかかる。私がだまっているのは、謝礼の金額で迷っていると思ったらしい。

とっさのことなので、私は思わず「そんな水臭い、タダでいいですよ、タダで」といってしまった。どの口がこんなことをいうのだ。またしてもエエカッコシイの悪いクセが出た。

大外先生も「エッそんな、イイんですか?それは悪いナ~」といいながら、そのまま引き下がった。しかし謝礼が無料と決まったことで、早速、次の日曜の夜から勉強会が始まることになった。

それにしても、大外先生ほどの人に見込んでもらえたのは誇らしい。先生はこの業界の経験が豊富で、整体だけでなく古今東西のさまざまな療法にくわしいのだから、なおさらだ。

そもそも民間療法の業界では、「我こそは」とお山の大将になりたがる人ばかりなのである。目新しい派手なワザを開発しては、マスコミで大々的に宣伝してカリスマを演じる。

ところがそんな療法には、実体が伴わないことも少なくない。始めのうちこそ盛大に支店を拡大していくけれど、3年もしないうちに見事にみな消えていくのである。

そういったシロモノとちがって、大外先生は私が発見した現象と開発した手技が、唯一無二の本物だと思ってくれたようだ。もちろん私自身もそれを確信している。しかし、まだこの現象の全容がつかめていないので、これから開発の余地は大いにある。

なぜ起立筋は左だけが異様に盛り上がるのか。
なぜ左半身の感覚が鈍くなるのか。
そして、なぜ左なのか。

これから調べていくべきことが山ほどある。私は、ここに人類の未来がかかっているのではないかとすら思っている。だがそう思えば思うほど、私の心理的な負担も増していく。

そんな重荷を背負いつつ、いよいよ勉強会の初日を迎えた。とうてい私一人の力で解決できる問題ではないから、いっしょに担ってくれる人を見つけたい。ここに人類の未来(と私の野望)がかかっているのだ。

なじみの池袋駅から5分ほど歩いて小さな公園を抜けると、ひび割れの目立つ古い区民会館に到着した。手すりにサビの浮いた階段を上がると、ドアが開いている一室が目に入った。ガヤガヤと声がしている。私がなかをのぞくとピタリと静まって、マジメそうな目玉が一斉にこちらを見た。わずかに緊張が走る。

いがぐり頭のごつい男性がいると思ったら、見慣れない私服に身を包んだ大外先生だった。ここでまちがいない。この汚い畳のうえに、私の世界征服への記念すべき第一歩が、今まさに記されようとしているのだった。(つづく)
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115
私がまだ20代のころ、親戚中でいちばん仲良しだったいとこが、腰痛で入院したことがあった。昭和の時代には、腰痛といえば年寄りか新婚さんのモノと相場が決まっていた。それなのに若くて健康で独身の彼が、腰痛で入院するなんてよほどのことだ。

当時は腰痛で入院した人の話なんか聞いたことがなかったから、私は心配になってわざわざ見舞いに行った。いつもはふざけてばかりの彼も、この日は神妙な面持ちで大部屋のベッドで横になっていた。

これから手術でもするのかと思ったら、今の医学では腰痛を治す決定打がないから、ひたすら痛み止めの薬を飲んで寝ているだけらしい。これは意外だったのを覚えている。

あれから20年以上が過ぎた。もう時代は平成に移ってしばらくたつけれど、腰痛患者たちの状況は今でも変わっていないようだ。だが、私が見つけた「背骨は左にしかズレない」という法則が広く知られるようになれば、腰痛治療の世界も大きく変わるはずだ。

今日はそのための第一歩である。この機会に腰痛の山形くんをモデルにして、ここの生徒さんたちにも腰痛の治し方を覚えてもらおう。そこでまずは、治療台に腰かけた山形くんの背中を見てもらいながら、背骨のズレの見つけ方から説明を始めた。

整体などの既存の民間療法でも、背骨のズレを見つける方法はある。施術を仕事にしている人なら、そのやり方はある程度は心得ているものだ。ところがその方法では背骨を1つずつ丹念に調べていくので、逆にどこがどうズレているのかがわかりにくい。

私のやり方では、左右の人差し指の先で、背骨の両脇を上から下に向かってスーッとなぞる。これなら、なぞった指が描く軌跡を見るだけだから、一瞬で背骨がズレている位置がわかる。

本来なら指で引いた線は直線になるはずだが、背骨に沿って引いた線が大きく左に曲がることがある。その曲がり角が背骨がズレているところだ。これで腰などの痛みの原因が特定できる。

こうやって指先でズレを見つける方法は、特殊美術の仕事でつちかったテクニックの応用だ。特殊美術では、仕上げた立体物が自分のイメージした形になっているかどうかを、目で見るだけでなく指先でサラッと触れて確かめる。

人間の指先にはたいへんすぐれたセンサーがあるので、慣れてくるとミリ単位以下の形のちがいもハッキリとわかるようになる。もちろん目で見ただけでもわかるけれど、目からの情報にはだまされることがある。その点、指先の感覚はウソをつかないから信頼できる。

またその対象が人体なら、指で触れることによって、形だけでなく熱や腫れの度合い、硬さや質感のちがいまでわかってしまう。私はこの技術を使うことで、かなり具体的に患者さんたちの不調の原因を特定できるようになっていた。

しかし特殊美術のテクニックではあっても、この技術はそれほど特殊なものではない。そのつもりでちょっと訓練すれば、だれでもできるようになる。そう説明してから、山形くんの背骨のズレを他の人にも確認してもらう。

ところが背骨の横を指でサラッとなぞっていくだけなのに、思ったよりもみな悪戦苦闘している。「できない、できない」とつぶやいているうちに、いつのまにか慣れ親しんだ旧式の方法で背骨を1つ1つ調べ出していた。

新しい技術の習得はなかなかむずかしいものだろうが、案外、全く未経験の人のほうが覚えが早いのかもしれない。例によって、私の教え方にも問題があるのだろうか。

あまり長引かせると、同じ姿勢をつづけている山形くんがかわいそうだ。今日のところは、とりあえず私が彼の背骨のズレをもどしてあげることにした。

山形くんの背骨の両脇を両手の指でサッとなぞると、やはり目星をつけていた通り、腰の3番目の骨が左に大きくズレている。腰痛の場合、ズレが大きいから症状が重いとは限らないが、これだけズレていれば確かに痛みもひどいだろう。

ズレた骨を正しい位置にもどすのは、積み上げた積み木をまっすぐにする作業に似ている。ズレているのは必ず上に乗っているほうの積み木だから、これさえまちがえなければ、あとはかんたんだ。

最初に、ズレている骨の左側に左手の親指の先を当て、その真下にある骨の右側に右手の親指の先を当てる。次に、左手の親指を右側へ向かってやさしくすべらせる。それと同時に右手の親指は左に向かってすべらせる。決して強い力で押さないのがコツだ。

この作業を何回かくり返すと、少しずつ骨が動いていく感触があった。そろそろよさそうだ。山形くんにも、矯正の効果が徐々にわかってきたようだ。

そこで、見ている人たちにもわかるように、あえて「腰どお?」と聞いてみる。すると彼は、体を左右にひねってみてから「いいみたい」といった。さっきまでクッキリと刻まれていた眉間のシワが消えている。彼の表情が明るくなったのを見て、大外先生もホッとしている。

ここで改めて、「背骨は左にしかズレない」と説明すると、生徒の一人が、「それじゃ痛みは左にしか出ないのか」と聞いてきた。これはだれにでも浮かぶ疑問なので、「待ってました」とばかりに、ズレは左だけでも痛みは左右のどちらにでも出るしくみの説明に入った。

しかしどうもよくわからないようで、みなポカンとしている。また失敗した。立体や動きの説明を言葉にするのは、本当にむずかしい。あれこれ説明の仕方を工夫しているうちに、だいぶ時間がたってしまっていた。

ここは整体の学校だ。私も卒業生の一人だとはいえ、整体ではない私の手技の説明を、そう長々とつづけるわけにもいかない。それに気づいたので、「では、この説明はそのうちゆっくりと」といって説明を終えた。

するとそれまでだまって聞いていた大外先生が、また私に向かって「師匠!」と叫んだ。そして「この勉強会を定期的に開いてくれませんかッ」といって、興奮気味に肩を上下させた。それこそ私の願いでもある。私はうれしくなって、ジンジンする鼻を抑えながら何度も大きくうなずいていた。(つづく)

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110
朝カーテンを開けると、日差しがまぶしい季節になっていた。そういえば今日の午前は仕事の予約が入っていない。今のうちに池尻大橋の図書館に本を返しに行こう。ついでに丸正で魚も見てこよう。そう決めると、私はリュックに本を詰めこんで部屋を出た。

池尻は、駒場にあるうちのアパートからは中途半端な位置にある。電車を乗り継ぐよりも直接歩いたほうが早い。そう近くはないが、お金がかからないからいつも歩いていく。途中でタバコを吸える場所もあるし、散歩にはちょうどいい。

図書館の近くには、広々としたグラウンドを見下ろせるお気に入りの場所がある。ここから緑を眺めるのもなかなか気分がいい。一服するつもりで立ち止まったら、リュックのポケットで電話が鳴っているのに気がついた。看護師の今野さんからだ。

彼女の結婚式のスピーチで大失言して以来だから、もう1年近くたつだろうか。彼女は「久しぶり~」といったあと、「実は私、結婚したの」とつづけた。とっさには意味がつかめないでいると、「あの後すぐ別れてサ、また結婚したの」とあっけらかんと話す。

しかし、そんなことはどうでもいいといった調子で、「それはそうと、今度みんなで沖縄にダイビングに行くんだけど、いっしょに行かない?」と誘ってくれた。

今野さんはダイビングが趣味で、かなり上級クラスのライセンスをもっている。だが私は2、3度しか潜ったことがないド素人だ。上級者たちといっしょでは足手まといになる。私が尻込みしていると、「ダイジョウブよ~。みんなでフォローするから」と強く誘ってくれる。

実は「ダイビング」と聞いた時点で、私の頭のなかには沖縄の青い海の景色が広がっていた。海が呼んでいるのだ。日程も問題ない。出張整体で開業して以来、もう何百日も休みなんか取っていなかった。こんなお誘いでもなければ休めないから、私は思い切ってOKした。

当日、羽田に着くと、私を含めて8人のメンバーが全員そろっていた。みんな早いナと思ったら、遅刻魔のチエちゃんがまだ来ていない。電話をかけても通じないから、こっちに向かっている途中なのだろう。

そろそろ搭乗手続きが始まりそうなので、もう一度電話をかけてみる。すると電話に出たチエちゃんが、寝ぼけた声で「ア~、おはよ~」というではないか。そこで気づいたのか、「アッ寝過ごした!」といってあわてている。「もう搭乗手続き始まるから、早くタクシーで来てッ!」と私もあわてる。

彼女は遅刻魔なのを自覚しているから、今日はわざわざ空港近くに住んでいる姉の家に泊まっていたはずだった。いくら近いとはいえ、とても間に合うとは思えない。

定刻になると搭乗手続きが始まった。5分過ぎ、10分過ぎ、すでに搭乗者の列も途絶えた。後は私たちだけである。みんなで搭乗カウンターの人に、「今来ます!今来ます!」と訴えつづけたが、時間がたつに連れ、彼女の顔からは笑顔が消え、眉だけがどんどんつり上がっていく。とうとう「もう待てません!あきらめてくだサイッ」と強い口調でいわれてしまった。

まさにその瞬間、はるか向こうからチエちゃんがものすごい形相で突進してくるのが見えた。間一髪とはこのことだ。どうにか間に合った。ドヤドヤと機内に入り自分たちの座席へと向かうと、乗客たちの視線が刺さる。全く先が思いやられて気がふさぐ。

しかし飛行機そのものは順調に沖縄へ飛んでくれた。上空から見るサンゴ礁の海は、どこまでも青く澄んでいて美しい。羽田でのドタバタの疲れが吹っ飛んだ。

空港からバスに揺られて2時間ほどでホテルに着いた。チェックインを済ませると、各自の大荷物をそれぞれの部屋まで運び入れる。それがすんだらロビーに集合だ。ダイビングに疲れは禁物なので、今日はホテルのビーチでくつろいで過ごす予定なのである。

ビーチに着くと、飛行機に乗るのは一番遅かったチエちゃんが、「一番乗り~ッ」といって、だれよりも早く海に飛び込んだ。その途端、「ギャッイッタ~~イ!」と叫びながらもどってきた。

みんなで「どうした、どうした」とかけよると、どうやら腕をクラゲに刺されたらしい。刺されたところがポツポツと赤くなって腫れている。彼女は「オシッコかけなきゃ、おしっこ、オシッコ!」と叫んでいる。

たしかアンモニアをかけるのは、ハチに刺されたときじゃなかったか?彼女の記憶には大きなかんちがいがあるようだ。

沖縄の海にはハブクラゲという猛毒のクラゲがいて、子どもやお年寄りなら、刺されただけで死ぬこともあるらしい。幸いチエちゃんが刺されたのはハブクラゲではなさそうだ。それでも「イタイ、イタイ」と泣き顔になっている。

今回のメンバーは医療従事者ばかりだが、だれもクラゲの正しい対処法なんか知らないようだ。なぜかみんなで私を見ている。そこで私がチエちゃんの腕をよく見ると、海辺の日差しを浴びて、クラゲの細い針がうぶ毛のようにキラキラと光っていた。

これだ。私はひらめいた。急いでホテルの人からガムテープを借りると、チエちゃんの腕に刺さっているクラゲの針にそーっと当てて、ゆっくりとはがしてみた。すると思った通り、細い針がガムテープにくっついて抜けてくる。

貼って、はがす、貼って、はがす。これを何度かくり返すと、あっという間に腕の赤みがスーッと消えた。チエちゃんが、「もう全然痛くなくなった」というと、この様子を見ていたみんなが、「ウオーッ」と声を張り上げた。一件落着である。

その夜、みんなで近くの居酒屋へとくり出した。めいめいがお好みの沖縄料理を注文する。チエちゃんはメニューにクラゲという文字を見つけると、クラゲ酢を注文した。ここで敵討ちでもする気らしい。

出てきたクラゲに「こいつめ!」と憎しみを込めて口に入れるものだから、みんなで笑った。ところがしばらくすると、昼間クラゲに刺された腕が赤くなって、かゆみまで出てきたのである。

針は抜けたけれど、体内にクラゲの毒素が残っていたのだろう。その毒がアレルゲンとなって、アレルギー反応が出たのだ。こうなってしまったらクラゲのたたりは生涯つづくかもしれない。この体験のせいで、私はクラゲを見るといつでも沖縄のあの青い海を思い出すようになった。(つづく)

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109
いつもお世話になっている樹森さんから電話があった。「ちょっと診てあげてほしい人がいるのヨ~」と、相変わらず元気な声である。

それよりも、樹森さんのところでベビーシッターをしている瀬戸さんの妹さんが、その後どうなったかが気になっていた。私がすすめて受けてもらった検査で、脳に動脈瘤が発見されたことまでは聞いていた。

樹森さんが聞いた話では、瀬戸さんの姉が脳動脈瘤破裂で急死していたので、すぐに手術に踏み切ったらしい。その後の経過も順調だと聞いて、私はやっと安心できた。樹森さんと二人で「よかった、よかった」といいあったあと、彼女は今日の電話の本題に入った。

実は彼女はかなりの売れっ子作家さんなのである。その仕事関係で、マンガ雑誌の編集者がいるらしい。その彼が担当しているマンガ家が、締め切り間近だというのにへばってしまって、仕事が進まないで困っているというのだ。

ことあるごとに樹森さんから私の話を聞いていた彼は、私ならなんとかできると思ったらしい。締め切りまででいいから、私に彼の体をもたせてほしいと頼んできたのである。

徹夜でへばっているのなら寝ればいいだけだが、その余裕がない。締め切り前の切羽詰まった状況は樹森さんにも覚えがあるから、編集者氏の頼みを無下に断ることもできなかったようだ。

いつものことながら、樹森さんから「とにかくちょっと行ってあげて」と強くいわれたら、私は断れない。今日の予定をあちこちやりくりして、なんとかその日のうちに、そのマンガ家の仕事場まで行くことになった。

うちから井の頭線に乗って吉祥寺駅で降りる。繁華街を抜けて指示された住所まで来ると、住宅街に古めかしい一軒家が立っていた。その傷だらけの木製扉の前で呼び鈴を押す。なかから「ハイ」とも「オイ」ともつかないくぐもった声がしたと思ったら、少しだけ開けた扉の間から、不健康そうな若者がノッソリと顔を出した。

彼は私の顔を見るなり、「ア、先生ですね」といって扉を大きく開けた。どこか懐かしい造りの玄関で靴を脱ぐと、すぐ手前の部屋に机が並んでいる。そこには彼と同じように疲れ切った感じの若い人が5人、机にかじりついて一心不乱にペンを走らせていた。これがマンガ家の仕事場なのか。

私が入ってきたのを見て、彼らのうしろに立っていた男性が、「あ、先生、よろしくおねがいします!」というと、スーツのポケットから名刺を出した。超がつくほどの有名出版社である。どうやら彼が樹森さんの知り合いの編集者らしい。

彼の案内で隣の部屋に行くと、座敷にふとんが敷いてあった。事前に用意したというよりも、ずっと敷きっぱなしなのだろう。にごった空気がただよっている。彼に「センセーッ」と呼ばれて入ってきたのは、彼らのなかでもひときわ疲れ切った感じのする青年だった。

編集者氏は「しっかり治してあげてくださいね!」と私にいうと、急いで隣の作業部屋へもどった。だがしっかり治すも何も、単なる睡眠不足による過労じゃないのか。そんな体を手技でどうしようもないのである。

とはいえ、とりあえず一通り体をチェックしてみると、疲れのせいで、若いのに体の張りがすっかり消え失せていた。髪もヒゲも伸び切っているから、昔うちの近所で寝起きしていた薄茶色のノライヌを思い出す。

背中を見ると、背骨に大きなズレはない。これなら問題はなさそうだ。やっぱり単に疲れているだけである。仕方がないので、一応、背骨のまわりを軽く刺激して、疲れが取れやすい状態にしてみよう。

本来なら、私の刺激でリラックスして、そのままちょっと寝てもらうと一挙に元気が回復するものである。しかし今はそのちょっとが許されないのだ。そこで、彼が眠り込んでしまわないように、会話をしながら刺激を始めた。

おどろいたことに、彼はまだ二十歳になったばかりなのだという。憧れのマンガ雑誌で連載が始まった途端、一気に人気に火がついて忙しくなった。締め切り間際には連日徹夜がつづく。おかげで、すでに父親の年収をはるかに超える収入なのだという。

その話を聞いて、私の手がピタリと止まった。マンガの世界はなんてすごいんだろう。同じ美術業界とはいっても、景気に全く左右されることなく、売れないまま絵を描きつづけている美大の仲間たちとはえらいちがいである。

私だって絵描きのころは売れなかった。だが特殊美術の仕事を始めて、テレビ局に出入りしていたころは徹夜つづきだったことを思い出していた。

当時のテレビ業界の1日は24時では終わらない。打ち合わせが26時から始まって、そのまま朝の番組の収録がスタートするのも当たり前だった。2日も3日もつづけて徹夜することだって珍しくもなかったのである。

徹夜に弱い私は、寝不足で足がむくんで靴が脱げなくなることもあった。車を運転していて赤信号で眠り込むことも多かったから、事故死や過労死のリスクは非常に高かったはずだ。

しかしそれだけハードな毎日でも、このマンガ家の彼みたいに稼いでいたわけではない。そう思うと、動きが止まったままのわが手をじっと見た。いやいや、人生は人それぞれだから比較しても始まらない。気を取り直して刺激をつづけた。

逆に疲れさせてもいけないから、今日はこれぐらいにしておこう。私はただ彼の疲れが取れることだけを祈りながら施術を終えると、隣の部屋にいる編集者氏に「終わりましたよ」と声をかけた。

彼がもどってきて「どんな感じですか」と聞いてくる。「体そのものに問題はないけど、このまま無理をさせると過労死しますよ」と昔の自分に重ね合わせて忠告しておいた。

ところが彼は、「イヤ、締め切りにさえ間に合えばイイんで」といって、先のことなど全く心配していない様子である。代わりのマンガ家などいくらでもいるという意味だろうか。やっぱりマンガ業界は恐ろしい。

こんなタコ部屋みたいなところに長居は無用である。まだ世間話でもしていたそうな編集者さんを尻目に、私はそそくさと家を出た。

いくら稼げたってあれじゃあナ。そう思うと、ボロ雑巾みたいになってマンガを描いているあの青年が哀れに思えてくる。そのまま駅に向かって歩きかけると、静かな住宅街の屋根の向こうに、街のネオンがかげろうのようにぼやけて見えた。(つづく)

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