*小説『ザ・民間療法』全目次を見る
161
だれだって、一度や二度は人生につまずくことがある。ところが私は、これまでずっとつまずきっぱなしだった気がする。

だが、つまずくたびに仕事を替えてきたおかげで、実にさまざまな職業を体験してきた。とうてい履歴書の職歴欄なんかに収まりきる量ではない。それでもその経験が、私にとって何かのプラスになっているのかもしれない。そう思うことがある。

なかでもいちばん思い出深いのは、埼玉県和光市にあった自動車工場で、期間工をしていたときのできごとだ。

時代はバブルの真っ盛り、世の中は好景気に浮かれていた。そんな世情とは裏腹に、私は不況の真っ只中にいた。つまり食い詰めていたのである。そのときに運良く見つけたのが期間工の仕事だった。

これなら、資格や技術がなくても応募できる。給料がそこそこもらえるだけでなく、三食付きの寮まであった。家賃がかからないのでお金が貯められる。当時は、冬場に仕事がない東北や北海道あたりからの出稼ぎの人が多かった。

私が最初に配属されたのは、エンジン部品の検品の部署だった。自慢じゃないが、私みたいにいい加減な性格のヤツを、そんな重要なラインに配置していいのか。ちょっと疑問だったが、人事としては、私が一応は大卒だからやらせてみようと考えたのかもしれない。

手順のかんたんな説明が終わると、いきなりベルトコンベアーの前に立たされた。目の前を流れてくる部品を、いわれた通りにチェックしていくのである。最初のうちこそ緊張したが、すぐに慣れた。

「なんだ、カンタンじゃないか。休憩まであと何分かな~」

そんなことを考えていると、私のラインの下流で何やら騒いでいる。「アレ?何かあったのかな」と思った瞬間、目の前のラインがストップした。私のラインだけではない。工場全体のラインが停止したのだ。

それまでの騒々しかった機械の音が消えて、工場内は奇妙な静けさに包まれた。

「停電か!?」

原因を見極めようとして、周囲が一斉にざわつき始めた。

このころの自動車会社といえば、増産に次ぐ増産で、工場は昼夜の関係なくフル操業していた。ラインを止めることなど断じてあってはならない。そのラインが止まるなんて、ただごとではない。

だが私は、止まったラインの前で、これ幸いとばかりにノンビリと休憩していた。ところがしばらくすると、停止の原因がはっきりした。

なんと私が検品した部品のなかに、不良品が混ざっていたのである。それも一つや二つじゃなかったから、全体のラインを止めて対応するしかなかったのだ。

「やらかした」

背中を冷たい汗が流れた。後悔しても後の祭りである。でも、こういう仕事には向き不向きがある。私には向いてなかったのだ。その日は何もいわれないまま、寮に戻された。「これでもうクビかな」と思うと、晩ご飯は味がしなかった。

次の日、食堂でモソモソと朝ごはんを食べていると、配属の係の人がやってきた。クビのお達しかと思ったら、今日からはちがう部署に行けという。

ヤレうれしや。クビじゃなかったのだ。私がクビにならなかったのは、それほど深刻な人手不足だったのだろうが、とりあえず助かった。

新しい部署では、ドブ漬け作業を任された。ドブ漬けは、風呂桶みたいな油槽に、自動車部品を浸すだけなので、かなり単純な作業である。

これを二人一組でやるのだ。そこにもう一人、部品を運んでくる係がいる。私を含めたこの三人は、他の部署で使いものにならなくて、急遽この作業をあてがわれたらしかった。

私の相方になった西田くんは、とにかく明るい人だった。彼は何年もアフリカを放浪し、現地の女性と結婚していた。今は、景気のいい日本でお金をかせぐために、一時帰国して働いているのだ。

もう一人の佐藤くんは、青森の農家の次男坊である。中学を出ると同時に実家を飛び出して東京まで来たものの、一向に定職が見つからない。そこで職探しをしながら、ずっと新宿のソープランドで呼び込みをしていたそうだ。

二人とも、私のまわりでは聞いたこともない体験をしていて、話がすこぶるおもしろかった。境遇こそちがえど、同年代ということもあって私たちは妙にウマが合った。

ドブ漬けの作業そのものも楽しいし、特別だれかに監視されているわけでもない。それにここは広い倉庫の片隅で、いつもシーンとしているので、おしゃべりだってしやすい。これならなんとかやっていけそうだ。

いつしか私たちは、作業の合間にお互いの人生感まで語り合うようになっていた。たまたまあの世の話になったとき、私は、知人にすすめられて読んだことのある、高橋信次の本のことを話した。

そこには、「人は何度でも生まれ変わる。この肉体は、魂の乗り船にすぎない一時の借り物だ」とか、「この世に生まれてきたのは、自分の魂のクセや欠点を修正するためだ」と書かれていたのである。

また、「人生の目的は幸せになるためで、それぞれの魂の成長度合いによって、あの世に帰ったときの行き先が決まる」。そんなことも書いてあった。

こんな話は、よほど親しい人にもしたことがなかったのに、彼らになら何でも話せた。私のあやふやな話だって、彼らは批判するどころか、身を乗り出して真剣に聞いてくれるのだ。

ふとした拍子に高校の話になったら、「エッ、Mさんて高校出てるんスか!スゴイっすね~」とおどろかれた。そういわれてしまうと、まさか大学まで出ているとはいえなくなった。

だが私が高卒だと知って以来、二人はますます目を輝かせて、私の話を敬意をもって聞いてくれるようになっていた。

さらに高橋信次の話をしてからというもの、彼らの心のなかに新しい扉が開かれたようで、もう仕事のことなんかどうでもイイらしかった。

佐藤くんなどは、ことあるごとに「タマスウっつうのは」といって、私を質問攻めにした。どうにかして自分が生きる意味を見極めたい。そのために必死になって、私からありったけの知識を引き出そうとしていたのである。

そしてある日突然、「オレ、青森に帰って実家のりんご農園を継ぐことに決めた」というと、サッパリとした笑顔を残して工場から去っていった。

私のつたない話が、彼の人生の指針にでもなったのだろうか。彼の姿を見送りながら、私はなぜか、先を越されたみたいな気分になっていた。

どうして私はこんな気持ちになるのだろうか。しばらく考えているうちに、なんとなくわかってきた。私はあの高橋信次の本を、もう一度、腰を据えて読み直してみなくてはいけないのだろう。(つづく)

*小説『ザ・民間療法』全目次を見る
*応援クリックもよろしくお願いいたします!
にほんブログ村 小説ブログ 実験小説へ
にほんブログ村

長編小説ランキング

FC2ブログランキング