小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

タグ:1990年代

016 小説『ザ・民間療法』挿し絵

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オーロビルでは、1年間ボランティアをすればオロビリアンに認定されて、そのまま永住資格がもらえる。まわりの友人たちが、私も何かボランティアをやってオロビリアンになるように勧めてくれた。そのためには、何でもいいから特技はないのかと聞いてくる。

私が「少しだけなら治療らしいことができる。東京で腰痛を治したことがある」と話してみると、みんなから、その技をぜひとも披露してほしいとせがまれた。

そうはいっても私ができることといえば、背骨のズレを見つけることと、ズレている背骨を手で元の位置に戻せるだけである。「素人に毛が生えた程度」という表現があるが、私の技術など毛も生えていないレベルだろう。とても他人様の前で、改めてお見せするようなものではない気がする。

そういえばインドに来た当初、カルカッタで一度だけ治療したことがあった。私にオーロビル行きを勧めてくれた、あのインド人のジャナさんと歩いているとき、彼は急にひざが痛くなって、全く歩けなくなってしまったのだ。

ジャナさんは大柄ではなかったが、私が彼をかついで歩くこともできない。仕方がないので、そばにあった物売り台の上に彼を寝かせて、足を軽くマッサージしてあげた。

カルカッタという街はインドでも有数の大都市である。その分、人の数が異常に多い。渋谷のスクランブル交差点を、いくつも寄せ集めたみたいなところなのだ。そのごった返す人混みのド真ん中で、妙な東洋人がインド人相手に、何か治療らしいことをしているのである。

その物珍しさのせいで、私たちのまわりにはあっという間に押すな押すなの黒山の人だかりができた。これには私も驚いた。あまりの人の多さに、地元民のジャナさんはもっと驚いていた。そして恐ろしくなったのか、ひざの痛いのも忘れて逃げ出したのだ。

とにかくあのときは、それで彼のひざは治ったようだった。だが今度はそんな大騒ぎにはなりたくない。それぞれの家に個別に訪問して治療したいといって、何とかその場はしのいだ。

最初に行ったのはイタリア人女性のパオラの家である。家に着くと、彼女はいきなりスッポンポンのままで出迎えてくれた。どうやらオーロビルでは、治療を受けるときには素っ裸になるのが当たり前らしい。しかし日本人の私には目のやり場に困る。あらぬ方角を向いて、「せめてパンツだけでも」と懇願して着てもらった。

それからおもむろに、背骨がズレていないかを調べる。ズレがあったので指で戻してみた。かなりやさしい力でゆっくりとやったのに、時間にしたら10分そこそこである。何となくそれだけでは、治療としては愛想がなさすぎる気もする。ふつうのマッサージなら、有に30分以上かけてしっかりともみほぐすものだろう。無料のボランティアとはいえ、これではあまりにも物足りないのではないかと不安になる。

ところが治療を受けたパオラ本人は、すごく喜んでくれた。小柄できゃしゃな彼女にしてみたら、これまで受けてきた治療は力が強すぎて、お好みではなかったらしい。私の治療をえらく気に入ってくれたから、それがたとえお世辞であっても一安心である。

その後、彼女を通して、私の評判が各コミュニティをかけ巡った。いわゆる口コミというやつだ。今度はそれを耳にしたユリアというポーランドの女性が、私に治療を頼みに来た。彼女は以前から背中の一部が痛くて、どこに行っても治らないから困っているのだという。

治療というのは、治らなくて当たり前と思ってくれたほうが、過度に期待されるよりも結果がうまくいくことが多い。そこで前もって「服を着た状態で」としつこく念を押してから出かけていった。

ユリアは50歳ぐらいで、オーロビルでは顔的存在の人である。彼女の家に着くと、ちゃんと服を着て待っていてくれたのでホッとした。部屋で背中を見せてもらう。なるほど、背中の一部が腫れて盛り上がっている。背骨がしっかりズレているのだ。そのズレているところをゆっくりと指で戻してあげた。やはり時間としては10分にも満たない。効果のほどは私にはわからなかったが、彼女は「これはイイ!」といって非常に納得した様子である。

ユリアの場合も、いつもは強い力で延々ともまれて、それが負担になるだけで効果がなかったらしい。効果がないせいで、さらにしつこくもまれるという悪循環だったのだ。たしかにやせ型の彼女の体には、強い力の施術は向いていないだろう。

それから数日して彼女がたずねてきた。私の施術で、背中の痛みがかなり薄らいだといって喜んでいる。彼女は頭がいい人だったので、力がソフトで時間が短いのは、施術としてはとても良いことだと論理的に解釈してくれた。

それを聞いて私も、自分の施術に対するイメージが変わった。効果があったといわれても、まだ自信がもてるほどではなかったが、それでもオーロビルの顔であるユリアが認めてくれたのはうれしかった。

その後、彼女が宣伝してくれたせいか、私のところには後から後から健康相談が続いた。そればかりか、なぜか恋愛の悩みまで持ち込まれることが増えた。おかげで自分の特技というか、特性めいたものの輪郭がおぼろげながら見えてきたのである。(つづく)

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012 小説『ザ・民間療法』

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小説『ザ・民間療法』挿し絵007
私が暮らしていたオーロビルでは、定住者たちはオロビリアンと呼ばれていた。彼らはここで、思いつく限りのさまざまな仕事に従事している。インセンスや藍染製品、アクセサリーを作って売る人、アンティーク家具を扱う人、本格的な宝石商から、ファッション・デザイナーやマッサージ師までいた。

そのなかに、ポーランドからやってきて、長い間、ニームという木の薬効を研究している男性もいた。ニームは日本では高級品らしいが、南インドならどこでも見かけるありふれた木だ。その葉っぱの汁を体に塗ると、虫除けになるのだと彼が教えてくれた。

オーロビルは高温多湿だからか、めったやたらと蚊が多い。ヤツらには日本の虫除けスプレー程度では、全く太刀打ちできない。ところが地元の人たちは、体中にビッシリと蚊がたかっていても、平気な顔をしている。だからといって、みながニームを塗っているようでもなかった。代々ここで暮らしているうちに、蚊に対する免疫ができているのだろう。私だって、蚊に刺されたぐらいでガタガタいいたくはない。だが、蚊が相手ならまだ何とか我慢もできた。しかしこの地の敵は蚊だけではなかったのである。

ある日のこと、集会所で映画を見ていたら大雨が降った。雨水は泥といっしょになって、みるみるうちに建物のなかにまで浸入してきた。すると部屋のすみにでも隠れていたのか、壁の下からサソリが一斉に飛び出してきたのである。

サソリなんか一匹だけでも十分驚きなのに、そのときは数だけでなく、種類の多さにも目を見張った。なかにはクモとサソリの中間ぐらいの、妙な姿のヤツまでいる。どちらにしても、みなえらく足が速い。

「サソリって案外と足が速いんだな。運動会の徒競走のようじゃないか・・・」
などと感心している場合ではなかった。彼らが向かう先にあるのは、私の足なのだ。もう片っ端から退治してまわったが、なかには私に向かってピョンと飛んで来るヤツもいて、全く衝撃的な光景だった。

「サソリの毒は後から効くのよ~」なんていう歌もあったが、サソリの毒はハチに刺された程度のものらしい。しかしいざ刺されたときのために、ここではみな家に小さな「黒い石」を用意していた。その石を患部に貼っておくと、毒を吸ってくれる。そして毒を吸い尽くした時点で、石はポロリと落ちるのだという。「そんなことがあるのか?」と疑問に思ったが、結局その石の効力を試すチャンスはなかった。

新参者の私には、あれこれ知らないことばかりだったが、実はオーロビルで一番厄介なのは、サソリではない。サソリに似た、スコーピオン・アントと呼ばれる毒アリなのだ。

このアリは、木の上からポトポトと落ちてきて、下を歩いている人間の首のまわりに噛みつく。噛まれると、バチッと火花が散ったような痛みとともに、患部がひどく腫れ上がる。ここではみな、日常的にコイツにやられている。だがこの腫れも、通常なら2、3日もすると自然に治ってしまうものらしい。

ところが私はちがった。あるとき、向こうずねに電気が走った。その痛みでスコーピオン・アントだとわかったが、すぐに噛まれたところが熱をもって腫れ上がってきた。そして何日たっても腫れが引かない。そればかりか、噛まれたところから化膿して、足が象のように太くなってきたのである。

これはマズイ。こうなると伝承療法ではすまない。さすがに現代医療の出番だろう。だがオーロビルには、病院どころか診療所の類すらない。バイクで30分ほどのところに、地元の人が行く小さな診療所があるだけなのだ。

もちろん私の住んでいるあたりには電車もないし、バスもない。車を持っている人もほとんどいないから、移動手段となるともっぱらバイクなのである。

私も日本ではバイクに乗っていたので、近くのレンタル屋でバイクを借りた。ヘルメットはないが、日本とちがって、ノーヘルごときでつかまることはない。それどころか3人でも4人でも、乗れるだけ乗って走るのがふつうだ。自分一人だけならいたって快適だし、ノーヘルで風を感じて走るのは気持ちがいい。象の足のままでも、バイクの運転に支障がないのは幸いだった。

近所の人に教えられた通り、でこぼこ道を運転して行った先には、みすぼらしい診療所があった。なかに入ると、医者らしき人がいる。医者であるから、愛想がない点は日本と同じだった。

だが彼は、私の腫れ上がった足を見るなり、いきなりメスを取り出した。と思うと、化膿している患部にグッサリとそのメスを突き立てた。そして容赦なく、グルリと患部をえぐり取ったのである。説明どころか麻酔すらない。私が叫ぶ暇すらなく、わが向こうずねにはポッカリとドカ穴が開いていた。

呆気にとられている私をしり目に、彼はそのドカ穴に消毒用のガーゼをグイグイと詰め込み始めた。あまりの痛みで頭のなかが真っ白になる。気絶できたら良かったのに、と思うほどだった。

痛い体験といえば、私は以前、友人の歯科医に麻酔なしで歯を削ってもらったことがある。
私が興味本位に頼んだことなのに、彼のほうが「こりゃ拷問だな」と顔をしかめていた。あれ以来、私は痛みに強いと自負していたのだ。ところがこのドカ穴の激痛は、その比ではなかった。

しかもその後も、毎日2度ずつ拷問が続いた。傷口の消毒のために、くっついたガーゼをベリベリと引き剥がすときと、再度ガーゼを押し込むときの2度である。これが私がインドで一番痛かった体験だが、それからしばらくして、私は2番目の激痛も体験することになるのだった。(つづく)

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小説『ザ・民間療法』挿し絵006-1
はるばるカルカッタから3日もかけて、オーロビルにたどりついたものの、私には現地に知り合いがいるわけではない。とりあえずすぐにでも泊まれそうな場所を探す。そこで最初に案内されたのは、フランス人が設計したゲストハウスだった。

南フランスを思わせる瀟洒なデザインの部屋には、真ん中に天蓋付きのベッドが据えられていた。まるでおとぎ話にでも出てきそうな甘い雰囲気だ。ところが現実は甘くない。おとぎの国になどいざなってはくれない。なんといってもここは南フランスではない。暑い盛りの南インドなのである。

ベッドにレースのカーテンが下がっているのだって、優雅に見えてもダテじゃない。寝る前には、必ずそのカーテンをマットレスの下にたくし込んでおく必要があった。さもなくば、寝ている間に、ヘビやサソリがベッドのなかにまで入り込んでくるのである。

なるほど建物をよく見ると、おしゃれな見かけとは裏腹に、あちこちがすき間だらけだ。これは決して南インド仕様にはなっていない。そのすき間から侵入するのは、ヘビやサソリだけではなかった。夜になれば、天井付近を羽のある虫ばかりか、コウモリまでがワサワサと飛び交い、梁の上では、ネコかと思うほどのドでかいネズミが走り回る。そして壁にはトカゲが張り付いている。彼らはみな、室内を這い回る巨大なゴキブリを狙っているのだった。

当然のことながら、オーロビルの暮らしは室内だけが問題ではなかった。草むらを歩いていれば、私の横をコブラが音もなく追い越していく。家に入ろうとしてドアノブに手をかけると、手首の上にドサッとヘビが落ちてきたりもする。あるときなど、勢い余ってそのままヘビごと部屋のなかに入ってしまったので、地元の人を呼んでつかまえてもらった。

「こいつは大丈夫。あとで遠くに捨てて来てあげる」
彼はそういって私を安心させようとしてくれた。だがこれだけヘビがいるところで、遠くに捨ててこなければいけないようなヘビは、どう考えても「大丈夫」ではない。

この地では、部屋のなかで切れたコードを見つけたら、それは必ず動き出すのである。私はオーロビルには1年ほどしかいなかったが、その滞在中に見かけたヘビは、優に20種類は超えていただろう。そいつらのどれが毒ヘビなのかも見分けがつかない。「顔に毒を吹き付けるヤツがいるから気をつけろ」といわれたこともあったが、そんな近くでの対面は避けたい。

しかしそれだけヘビがウジャウジャいる分、そのヘビを食べるクジャクやマングースも、たくさん住んでいたからにぎやかだった。来たときにはひ弱な都会モノに過ぎなかった私も、次第にこの豊かすぎるほど豊かな自然に慣れていった。そして少しずつ自然との間合いも取れるようになり、月明かりを頼りに、裸足で散歩したりできるようにもなった。そういうときには犬を連れていく。犬は危険を察知すると、吠えて教えてくれるので安心なのだった。

私だけでなく、オーロビルではみな靴など履かない。私が暮らしたコミュニティでは、食事のときは屋外の大テーブルに集まる。フランス、イタリア、ドイツ、ポーランド、スイス、スペイン、日本。国籍は違うが、英語を介して毎日時間を忘れて話し込んだ。

しかしどんなに熱中して話しているときでも、みな足は椅子の上に乗せ、決して床には下ろさない。テーブルの下には、常にヘビやサソリがウロウロしているからだった。この習慣になじみすぎた私は、日本に戻ってしばらくたっても、なかなか足を下ろせなかった。あのころの私の行儀が悪かったのは、そんなわけだったのだ。(つづく)

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小説『ザ・民間療法』挿し絵005-2-2
インドに到着した私は、しばらく仏跡を散策して過ごしていた。日本から同行したグループが、いよいよサイババの元へ出発する段になって、そこで彼らとは別れた。

「あなたにはサイババのところよりも、オーロビルのほうが向いている」
顔見知りになったインド人から、そうアドバイスされたからだった。

私はささいなことでは悩んだりもするが、逆に重要なことだと、後先考えずに行動に移すタイプである。この性質は、海外旅行では役に立つことが多い。それを体験的に知っていた。このときも、調べもしないでオーロビル行きを決めた。

だが同じインド国内とはいえ、オーロビルは遠いのだ。まずはカルカッタから飛行機でマドラスまで飛ぶ。今度はバスに乗り込んでポンディチェリまで行く。そこから先は、オートリキシャに揺られていけば、オーロビルに着く。

こう書いていくと、だれでもかんたんに着けると思うだろう。ところが私が教えられたオーロビルへの行き方は、「着いた先々で、地元の人に教えてもらいなさい」という至極かんたんなものだった。

「そりゃそうだよな」と思う人もいるだろう。だがこれがインドではなかなか難しい。インドなら、どこでも英語が通じると思ったら大まちがいだ。地元の言葉にしても、隣の村ですら話が通じないこともあるという。

さらに地元の人に聞くといっても、インド人は日本人とちがって「すこぶる親切」なのである。道を聞かれて、「知らない」などとは絶対に答えない。異国の人が道に迷っているのだから、何としても答えてあげようと考えるらしい。

だから、とにかく思いつくままの方向を指差してくれる。彼が、道を知っていようがいまいが関係ないのである。そうなると、あとは彼の勘を信じるか、自分の勘を信じるかだけである。

日本で暮らしていると勘など必要ないが、海外に出るとめっぽう野性の勘が鋭くなる。突然命の危険にさらされるような場面が続けば、自ずとそうなるものなのだろう。そうやって勘だけを道連れに、何とかオーロビルまでたどり着いたら、移動だけで丸々3日が過ぎていた。

オーロビルといえば、それなりの街を思い描いていたが、着いてみたらそこは広い森だった。その森の中心に、巨大な瞑想施設がある。そこを取り巻くようにして、小さなコミュニティが点在しているのだ。各コミュニティは10人程度で構成され、コミュニティごとに、自給自足の質素な生活から、プールつきの豪邸暮らしまで、それぞれが思い思いに暮らしていた。

元々このオーロビルは、インド人思想家のオーロビンド・ゴーシュとフランス人女性「マザー」らが開いたアシュラムだった。アシュラムとは、共同生活をしながら修行するところである。1960年代の終わりごろからヒッピー全盛の時代には世界中から人が集まって暮らしていたらしい。

しかし私が着いたころには、中心となる指導者はいなかった。外国人が集まって永住しているだけで、その多くはヨーロッパ各国から来た人たちだった。そこには国境も何もない。お互いを束縛する空気もない。ただ、むせ返るように濃密な花の香りに包まれて、ゆっくりと時間が過ぎていく場所だったのだ。(つづく)

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