小説『ザ・民間療法』花山水清

人体の「アシンメトリ現象」を発見し、モルフォセラピー(R)を考案した美術家<花山水清>が、自身の体験をもとに業界のタブーに挑む! 美術家Mは人体の特殊な現象を発見!その意味を知って震撼した彼がとった行動とは・・・。人類史に残る新発見の軌跡とともに、世界の民間療法と医療の実像に迫る! 1話3分読み切り。クスッと笑えていつの間にか業界通になる!

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170
「逃げるか?」

うしろにいた渡辺くんに小声でささやくと、彼はだまってうなずいた。同じ気持ちを抱えた私たちは、互いに目配せしてタイミングを見計らう。

「今だッ」

だれにも目を合わせないようにして、ゆっくりとその場を離れると、私たちはそのまま運動場のはずれにある柏の大木を目指した。

この木の裏は、かねてから私のお気に入りの場所だった。ここならだれの目にも止まらない。私たちは追手が来ないのを確かめると、足元をウロウロしているアリを眺めながら時間をつぶした。

そう。あれは私がまだ保育園児だった遠い遠い昔のことである。その日は保育園の予防接種の日だった。園児たちは全員が一か所に集められると、一列に並んで順番に腕に注射を打たれるのだ。私も大人しく列に並んで、腕まくりをして待っていた。

アイウエオ順だから、私と渡辺くんは列の最後尾に立っていた。その分、待ち時間も長い。前のほうではグスグス泣き出している子もいる。それを見ているうちに、次第に恐怖がつのってきた。

屠殺場へ向かう家畜にも似た、絶望と緊張の時間がつづく。お化けなんかより注射のほうがよっぽど怖い私は、この恐怖に耐えられなくなった。そしてとうとう敵前逃亡に及んだのだ。

しばらくの間、木の陰からチラチラ見ていると、やっと予防接種が終わったようだ。先生や医師たちが、教室のある建物へ向かっている。そのうしろについて、園児たちもゾロゾロと教室にもどっていく。私たちは何食わぬ顔をして、その群れの最後尾にまぎれこんだ。

してやったり。結局、私たちが予防接種から逃げたことなんか、だれにも気づかれなかった。計画の成功に私はおおいに満足したが、そんなことが許される何とものん気な時代だったのだ。

だが考えてみると、あれは何の予防接種だったのだろう。昭和30年代だから、まだ麻疹(はしか)のワクチン接種はやっていなかったはずだ。ただのツベルクリン検査だったのかもしれない。

あのころと今とでは、予防接種の種類もだいぶちがう。今なら全員はしかの予防接種を受けるが、当時ははしかなんか、みなそれぞれ勝手にかかるものだった。

やたらと兄弟の数が多かったし、教室にも近所にも、ガキども(≒お子様たち)がウジャウジャとあふれ返っていた。そのなかのだれか一人でも感染したら、一挙に感染が広がって集団免疫が形成される。それが当たり前だったのだ。

ところが今では、少子化の影響もあって自然に感染する機会が減った。そのため、たまに大人になってからはしかにかかる人がいる。大人のはしかは重症化しやすいので、入院治療になってしまうこともある。

1972年以前の生まれの人なら、予防接種なんか受けていない。その世代は、自分に免疫があるかどうかすら知らない人が多いだろう。そういえば、あの杉本さんも、実は40過ぎてからはしかにかかったらしい。

最初は熱が出ただけだった。熱が出たぐらいでは彼女は病院に行かない。「風邪かな」と思って外出を控えていたら、どんどん熱が上がって、しまいには40度近くになった。

杉本さんは38度ぐらいなら平気で動けるらしいが、39度も後半になって、「これはさすがにヤバイかも」と思い始めたころ、皮膚に赤いポツポツが浮かんできた。そこで初めて、「ああ、これははしかだ」と気づいたそうだ。

杉本さんも、大人のはしかが危ないことは知っていた。しかし病院に行ったからといって特効薬があるわけではない。だから彼女は、はしかだとわかった時点で、病院に行くという選択肢を捨てた。

「病院なんかァ重症患者の行くところじゃ。たいていのこたァ寝とりゃぁ治る」

医者である父親から、そういわれて育った杉本さんは、はしかだって寝てれば治るはずだと考えた。高熱でしばらくは食事もとれなかったが、それでも何とか自力で乗り切ったのである。

「病院キライですし、行くとしても、病院や途中の電車とかで、だれかにはしかをうつしちゃうかもしれないじゃないですか。それもイヤだったんですよね」

サバイバー杉本は、そういってニッと笑った。全くもって自然治癒力への信頼が厚い。ちょっと鼻水が垂れたくらいで、病院へかけこむうちの母とはえらいちがいである。

もちろんだれにでも勧められることではないが、もしも私がはしかにかかっても、やっぱり病院には行かないだろう。杉本さんみたいに達観しているわけではない。私は相変わらず、注射が怖いからなのである。(つづく)

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169
「イッタタタタ~~~ッ」

足がつった。ふくらはぎが異様に痛い。グッスリ寝入っていた私は、あわてて起き上がった。枕元の時計を見ると、午前2時を過ぎたところである。

昨日は休みだったので、久しぶりに小田原の港で丸一日釣りを楽しんだ。その疲れのせいで昨晩は早めに寝ていたのだ。ところが痛い、痛い。ふくらはぎが裂けそうだ。ふとんから起き上がってしばらく悶絶していると、少しずつ痛みが引いてきた。

「やれやれ」

再び横になってウトウトし始めたら、今度はむこうずねがつり出した。またふとんから起き上がって足を見ると、親指があらぬ方向を向いているではないか。痛い、痛すぎる。

「もう、つるのは魚だけで十分なのに」

ブツブツいいながら、しばらく足をもんだりさすったりしているうちに、痛みが引いてきた。これなら寝られるか。そうだ。起きたついでにトイレに行っておこう。トイレからもどって寝直すと、ようやくそのまま朝を迎えることができた。

どうも釣りをした日の夜は、毎度のごとく足がつっている気がする。きっと釣り場で一日中しゃがんでいるのがよくないのだろう。

足がつるのは、医学的には有痛性筋痙攣(ゆうつうせいきんけいれん)というそうだ。原因の一つに筋肉疲労とあるから、私の足がつったのはこのせいである。

しかし筋肉疲労でなくても、足がつる人は多い。人によっては、靭帯が切れてしまうかと思うほど、とんでもなくひどいつり方をする人もいる。50代の山本さんがそうだった。

彼女は以前、頻尿で悩んでいたときに、同僚の紹介で来院された。腰椎が思いっきりズレていたので、そのズレを矯正したら、すぐに効果が現れた。それをたいそう喜んでくれた。

それ以来、何か体に不具合があると、私のところに相談しに来られる。足がつったときも、私に背骨のズレを治してもらえば治るんじゃないかと思ったらしい。

「センセ~、あれから頻尿はピタッと止まったままなのヨォ」

山本さんは部屋に入るなり、鼻にかかった独特の口調でお礼をいってくれた。そして「またお願いネェ」と「ネ」が鼻に抜けていく。声だけ聞いていると色っぽいお姐さん風だけど、本人はいたってサバサバした人である。

たしかに背骨のズレのせいで足がつることはある。だが、ズレを矯正したからといって、足がつるのが何でもかんでもスパッと治るわけではない。

一口に足がつるといっても、原因は一つや二つではない。これが私の実感だ。だから山本さんにも、矯正の効果には期待しないようにと念を押す。だが彼女は、逆に私のこの説明に信憑性を感じてくれたようだ。

「私もネ、いろいろとネットで治す方法を調べたのヨ。でもネ、書いてある通りに、マグネシウムだの漢方薬だのを飲んでみても、全く効果なんかなかったワ」

「あとネ、足がつったときのポーズやら、体操なんてのも一通り全部やってみたんだけど、そんなのじゃピリッともよくならないのヨ。全くいい加減なことばっかり書いてあるのよネッ」

そういって一気にまくしたてた。かなり憤慨しているので、語尾が鼻に抜ける感じは若干少なめだった。

足がつる原因の一つに、運動不足やら食事内容が挙げられることもあるが、彼女は日ごろから適度に運動し、規則正しい生活を心がけている。食事にも気を使っているから、これまで特別な病気もない。

しかしあんまりにも足がつって眠れないので、病院で診てもらった。それでも結局、医師は彼女がネットで調べたのと同じことしかいわなかった。もちろんこれといった治療法もないままだ。

まあそうだろう。医学的に原因だとされていることなんか、だれにでも当てはまるようなものばかりなのだ。とはいっても、私にできることといえば、腰椎のズレを矯正するだけである。

もしかしたら年齢的なタイミングもあるかもしれないから、「あとは自然治癒力に任せましょう」と説明しておいた。

すると半年ほどたったころ、以前ほど足がつらなくなってきたらしい。それなら、山本さんの足がつるのは、年齢的なものだったのか。

どっちにしても、足がつる仕組みはわからないままである。私としては、仕組みがわからないのはもどかしい。何でもかんでも私の手で治してあげたいと思うのはエゴなのかもしれない。だがこれだけ苦しんでいる人がたくさんいるのに、医学の世界では、大して重要視されていないのがもどかしいのだ。

もちろん、この世には自然治癒力に任せるしかない病気はたくさんある。それに納得できないのは傲慢な気もする。それでもやっぱり、「何とかならないか」と毎日考えているのである。(つづく)
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168
桜井さんが腰痛で来院された。
彼女は、還暦を迎えてから始めたフラダンスにすっかりハマっている。いつもはすこぶる元気な人だけど、たまに腰が痛くなると私のところにやってくる。

「センセ~、元気~~ィ?」といいながら部屋に入るなり、彼女は「今日ネ、ちょっと硬い補正下着を着てきちゃったんですけど、大丈夫かしら?」と心配している。

「腰が痛いのなら、ゆるいのを着てくればよかったのに」と思ったが、腰痛なんかより、お出かけのときには体型を補正するほうが大事。それが乙女心というものらしい。まあ下着が硬いのなんか、私としては何も問題はない。

「背骨のズレは、着物の帯の上からでも矯正できますから、大丈夫ですヨ」

そう説明すると、安心した桜井さんは腰をいたわりながら治療台に横になった。

ふと見ると、補正下着でしめ上げた部分との境に、クッキリと段がついている。「問題なのは下着ではなく、このお肉のほうじゃなかろうか」なんて考えがよぎったが、もちろんそんなことは口には出さない。だって相手は乙女なんだから。

「体をしめつけると、背骨がズレやすくなるんですヨ」

細かい説明は抜きにして、とりあえずそれだけアドバイスしておいた。

さてさて腰痛である。毎度のことながら、桜井さんの腰痛は、背骨のズレをもどしたらスンナリと解消した。彼女は、「背骨って、フラダンスの動きのせいでズレちゃうのかしら、このままフラをつづけても大丈夫かなぁ」と心配している。

「背骨のズレによる腰痛は、じっとしているよりも体を動かしたほうが治りが早いし、予防にもなりますヨ」

そういうとホッとした様子だったから、「運動すれば、おまけにお腹もへこみますしネ」なんて余計な一言はやめておいた。

桜井さんだけじゃない。女性はブラジャーにガードルに、とあちこち体をしめつけることが多いから、そのしめたところで背骨がズレてしまうのだ。それじゃ男性は大丈夫かというと、ネクタイが問題になることがある。

一流企業にお勤めの佐々木さんは、40代の働き盛りだ。その彼が左腕の痛みとしびれに加えて、貧血っぽい症状が気になるといって来院された。

最初にこの症状が出たとき、「ひょっとしたらこれって心筋梗塞の症状かも」と思って、彼は病院に駆け込んだらしい。ところが検査をしても、それらしき兆候は全く見当たらなかったのである。

医師からは、「あまりネクタイをきつくしめないように」といわれたそうだ。

「ハ、ネクタイ?どうして?」と呆気にとられていると、「ネクタイで首をしめつけたせいで、貧血みたいな症状が出ることがありますから」と説明された。

「じゃ、腕の痛みやしびれは?」と聞くと、その医師は心臓以外には興味がないようで、「そっちは整形外科で診てもらってください」といっただけだった。

そこで佐々木さんは、「こんなときは整形外科よりもM先生だ」と思って、うちに来ることにしたのである。

彼はこれまでにも、整形外科では治らなかった症状が、私がズレを矯正したら治ってしまったのを覚えていたのだ。だから来院した時点で、もう治った気になってニコニコしている。とんだプラセボ効果である。

しかし、病院で心臓の検査を受けたとはいっても、私としては安心できない。そこでまずは、彼の血管の状態を調べてみることにした。

佐々木さんにイスに座ってもらうと、私は彼の後ろに回り、首にある左右の頸動脈に軽く指を当ててみる。この部分に触れると、不整脈などの血管の状態がわかりやすいのだ。

彼の場合は、不整脈はなかった。ただ、ちょっと左側の脈が弱くなっているようだ。首の骨がズレたことで血管が圧迫されていると、脈が弱まることもある。さらに、ズレは腕に向かう神経を刺激して、それが痛みやしびれの症状を出すこともある。

そこで首の骨を調べてみると、しっかりズレていた。やはり彼の症状は心筋梗塞ではなく、首の骨のズレが原因だったようだ。

それなら話は早い。そのズレている骨をやさしく元の位置へもどしていくと、さっきよりも脈が強くなった。それと同時に、腕の痛みやしびれも解消されてきた。これならもう大丈夫だろう。

当然のことながら、ネクタイをしめると首をしめることになるから、血行は悪くなる。そればかりか、ギュッとしめた部分が支点となって、首の骨がズレたり、ズレが助長される可能性は否定できない。

下着にしてもネクタイにしても、そんな影響があるなんて考えもしない人が多いだろう。だが体をしめつけると、思わぬ症状を引き起こすことがあるから、くれぐれも注意してほしい。

「ネクタイだけじゃないんです。ジャージやパジャマのウエストのゴムがきついだけでも、ズレの原因になっちゃいますから気をつけてくださいネ」

そう伝えると、佐々木さんは首をなでながら、私に向かって大きくうなずいたのだった。(つづく)

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167

私は子供のころから落語が好きだった。志ん朝や金馬がよくテレビに出ていたし、まだ若手の談志には勢いがあって、よく笑わせてもらった。

大人になってからは、何度か寄席にも足を運んだ。テレビではあまり目立たない落語家が、だれよりもおもしろいこともあった。おかげで、生で聞くことの価値も知ることができた。

そんな落語好きの私だが、今までいちばん感心した話術の持ち主は、落語家ではなかった。作詞家やラジオパーソナリティとして名高い、永六輔さんだったのだ。

あるとき私は、たまたま無料で彼のトークを聴く機会があった。無料だったのは、築地にある超有名なお寺さんの主催だったからだろう。しかも会場は六本木ヒルズである。ツッコミどころも違和感も満載だった。

だがいざ彼が話し始めると、私のなかの違和感など見事に吹っ飛んだ。これまでの人生で、あれほど笑ったことはない。彼の話術は名人芸どころか、人を殺しかねない域にまで達していたのである。

人は笑うと、「ハハッ」と息を吐く。爆笑となれば、それはもう「ワハハハハハ~ッ」となって、吐く息の量も格段に増える。

彼の場合、聴衆がドッと笑って大きく息を吐き切って、これから息を吸おうとしたタイミングで、矢継ぎ早に次のネタを重ねていく。すると聴衆は息を吸う暇もなくドッと笑う。

しかし息を吸っていないのだから、もう肺には吐く息がない。吸おうとするとまた笑わせる。このくり返しで、私たちは息を吸えないまま、笑いながら息を吐きつづけた。しまいには苦しくなって、あちこちで悲鳴に似たあえぎ声がもれ始めた。

もしここでもう1回爆笑させたら、必ず死人が出る。その一歩手前で、彼は話を止めてくれた。おかげで私も死なずにすんだけど、今思い出しても全くもって恐ろしい技だった。

それほど彼の呼吸の読み取り能力は天才的だったが、相手の呼吸を読むのは、何も話芸の世界だけのものではない。武道でもよく耳にするし、実は私の仕事でも、患者の呼吸の変化は、体調を把握するための重要な目安になっている。

先日、いつも来ている上条さんから、「今日は兄もいっしょに診てもらえないかしら」と連絡があった。

聞けば、同居しているお兄さんが、昨日から体調が悪そうなので、家にそのまま置いていくのが不安だったらしい。

上条さんは、毎月のように私のところに通ってこられるけれど、さし当たって体に問題があるわけではない。背骨がちょこっとズレている程度で、どちらかというと健康なタイプである。

お兄さんがこれまで来院されたことがなかったのも、きっと健康だったからだろう。兄妹なら体質も似ているはずだと考えて、私は気楽に来院をOKした。

ところがいざ部屋に入ってきたお兄さんを見て、私の顔からは血の気が引いた。苦しそうにゼーゼーと肩で息をして、明らかに異常である。

どう見たって、「ちょっと体調が悪い」なんてレベルではない。とんでもなく危険な状態なのがわかる。こういう呼吸の仕方は、末期の肺がんか、心不全を起こしているときのパターンなのだ。

上条さんの話では肺がんではないらしい。それなら多分、心不全を起こしているのだろう。どちらにしても、これは一刻を争う状態だ。

だが私のあわて方とは裏腹に、上条さんは「昨日からこんな感じなの~」と、やけにノンビリしている。彼女としては、私にちょっと背骨のズレを治してもらえば、すぐよくなるだろうと思っているらしい。

「このまま病院に連れてってください。今、すぐッ!」

いつも冗談ばかりいっている私が、強めの語気で急かすと、やっと事の重大さに気がついてくれた。

その足でお兄さんをかかりつけの病院に連れていくと、予想通り、彼は心不全を起こしていた。そのまま集中治療室に入ったが、しばらくは予断を許さない状態がつづいた。

心不全というのは、心臓のポンプ機能が低下して、体が酸欠になっている状態のことだ。そのため、彼は何とか酸素を取り込もうとして、肩で大きく息をしていたのである。

ところが彼のように肩で息をして苦しそうなのを見ると、ちょっとした肺炎だろうと思う医師がいる。またレントゲンで肺に影が見つかると、肺がんだと診断して、肝心の心不全を見逃してしまうこともある。この点にも注意が必要だ。

それにしても今回の上条さんみたいに、えらく危険な状態の患者さんを、私のところに連れてくる人がたまにいる。それだけ私の施術を信頼してくれているのかもしれないが、ヘタをしたらその場で亡くなる可能性だってある。そのたびに肝が冷えて、私の寿命は確実にちぢんでいく。

たしかに背骨のズレによる症状は、あまりにも多岐にわたっている。それがわかってくると、逆に何でもかんでもズレが原因だと思ってしまいがちだ。

しかし脳疾患や心疾患のように緊急度の高い症状は、民間療法では間に合わない。もし今までにない症状が出たら、まずは急いで病院で診てもらうこと。それがいちばん重要なのである。(つづく)

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166

今日は決戦の日だ。私が待ちに待った、新春恒例ブックオフ大セールの日なのである。セールなら、日ごろは手が出ない高額の本だって、「これでどうだッ」とばかりに値引きになる。これはぜひとも参戦せねばならない。

渋谷のセンター街を抜けて店の前に着くと、開店前だというのに、寒空の下、すでに戦士の行列が私を待っていた。本好きというよりも、セドリが目的の人が多そうだ。どっちにしたって彼らに負けるわけにはいかない。

開店と同時に、みな一斉に店内へとなだれこむ。ところが私のお目当てのコーナーにはだれも来ない。人気がないのだろう。ま、それはそれで助かる。おかげでゆっくりと一つ一つの棚を見て、目についた本をどんどんカゴに入れていく。

20冊近くの本で、そろそろカゴが重くなってきた。もうこれで最後の棚だ。そこで、「頭蓋(とうがい)」という文字が書かれた背表紙に目が止まった。

頭蓋は人類学で頭の骨をさす言葉として用いられるから、人類学の本なのか。棚から抜き取って表紙を見ると、『頭蓋の形態変異』とある。めちゃくちゃ硬い題名だ。

よくもまあこんな硬派な本が出版されたものである。どう見ても一般書ではなさそうだ。「え~っと」と見返しの部分を見ると、著者は溝口優司。国立科学博物館所属の人類学の先生らしい。となるとやっぱり人類学の本なのだ。

パラパラとめくってみると、題名の通り、頭蓋や歯の変形を計測した論文集のようだ。私は前から、「アシンメトリー現象」が骨や歯の形にどんな影響を及ぼしているのかを知りたいと思っていた。それならこれは、ズバリ私の疑問に答えてくれる本にちがいない。

運命的な出会いに胸が高鳴る。しかも今日は大セールだから安い。私にも買えるじゃないか。他の戦士に見つからないように、私はそっと本をカゴに入れると、レジに向かった。

今日の戦利品はこの頭蓋の本だ。20冊近い本を抱えていても、期待で足取りが軽い。意気揚々と家に着くと、すぐに読んでみた。

ところがせっかくここまで頭蓋の変形を調べ上げているのに、私の知りたかった情報が出ていない。もう一度すみずみまで読み返してみたけれど、やっぱり載っていなかった。

これだけ手間暇かけて頭蓋や歯型を計測したからには、著者の手元には左右別の計測結果があるにちがいない。それがあれば、左右差に法則性があることだって、数字で証明できるはずなのだ。

これはなんとしても、著者の溝口先生に会って聞いてみたい。でもどうやったら会えるだろうか。一般人がいきなり連絡して会ってくれるものだろうか。

とにかく困ったときには、ネットで調べるしかない。いざとなったら、勤め先の科学博物館に突撃だ。そのためにも、溝口先生の経歴や著作物には事前にぜんぶ当たっておく必要がある。

事務の杉本さんに教えてもらって、先生の名前で検索してみる。するとなんと、科学博物館で一般向けに先生の講演があることがわかった。しかも来週の火曜日。その日なら私もちょうど空いている。おどろきのタイミングではないか。

またしても運命を感じた私は、即座に申し込みをすませると、急いで、先生に質問するための資料の準備を始めた。

講演の当日、天気予報では雨だったが、まだ薄曇りでしばらくは降りそうにない。荷物が多いから助かる。科博に来るのは、あのナスカ展を見て以来である。指定された講義室をのぞくと、すでに2~30人の男性が集まっていた。

ポッカリと空いた最前列の席に荷物を置く。「これでヨシ」。一呼吸して室内をみわたすと、平日の昼間だけあって高齢者が多い。しかもみな顔見知りらしい。お互いにあいさつを交わして、リラックスしたムードが漂っている。

ほどなくして溝口先生が入ってこられた。50代後半だろうか。本の硬いイメージとちがって、温厚そうな雰囲気である。この人なら、私の質問にも答えてくれそうで、ちょっとホッとした。

開始時刻が来ると、先生は「それでは」と告げて、大学の講義よろしく講演が始まった。どうやら今日のテーマは、人類学の初歩らしい。

人類学の本ならよく読むけれど、専門家の講演を聴くのは初めてだ。でも始まったと思ったら、1時間ほどですぐに終わってしまった。

終わるか終わらないかのうちに、何人かが席を立ち、先生のまわりにかけ寄ると、次々に質問を始めた。これはチャンスである。私も彼らの後ろに並んだ。前の人たちの質問が一通り終わったところで、いよいよ私の番が来た。

「次のご質問は~?」

そういいながら、先生は手元の資料から顔を上げた。そのとき初めて私の存在に気がついた。途端に、それまでのにこやかだった表情が一変してこわばった。呆気に取られているみたいだ。

そのわけはすぐに理解できた。私の手には、付箋だらけになった先生の本と、私が集めた分厚い資料が握られている。そして脇には、頭蓋の骨格標本まで抱えていたのである。目の前にそんなヤツが現れたら、だれだってギョッとして身構えるだろう。

先生の目には、私が江戸時代の道場破りにでも見えたかもしれない。それでも、私の質問のポイントをすばやく理解して、しっかりと答えてくださった。その真摯な姿は、さすが専門の研究者だと感じられた。

重ねて質問をつづけると、「今は、あなたのご質問に答えるための資料が手元にないので、後日改めて研究室まで来ていただけますか」といってくださった。なんと懐の深い方だろう。こんな研究者には初めて会った。

もちろんお言葉に甘えて、指定された日に研究室にうかがった。先生は私のために大量の資料をコピーして、できる限りの準備をしてくださっていた。そして先日の私の質問に対しても、前回以上に丹念に答えてくださった。

「もっと詳しい資料がないか、これから探しておきます」

そんなことまで約束してくださったので、私はさらに感激した。やはり優れた研究者というのは、人格も優れているものなのか。ひたすら恐縮して退室した。

私はくじ運は弱いけれど、人との出会いの運には恵まれているんじゃなかろうか。心のなかで、私はもう勝手に溝口先生を師匠と決めた。その師匠の著書は、こんな言葉で結ばれている。

「では、なぜ宇宙が、なぜ時間や空間や物質が生じなければならなかったのか。この問題に対する明快な答はまだ聞かないが、最終的にはここまで明らかにしなければ、我々の形態、すなわち、蛋白質の枠組み構造の形成要因と形成過程も理解された、ということにはならないだろう。これからである」

シビレルッ。

そうだ。「これから」なんだ。先生に比べれば、私の研究なんて始まったばかりだ。まだまだまだまだ「これから」なのである。私は先生のこの言葉を胸に、これからも研究をつづけていこうと誓ったのだった。(つづく)

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